『大きな花束』など短編5話【94】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『大きな花束』など短編5話【94】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【94】

 

 

母親が買ってくれたソフトクリーム

小さい頃、母親と水族館に行った時に、母親に買って貰ったソフトクリームを転んで落とした。
号泣してる私に母親は

「痛かったね、ママのソフトクリームあげるからね」

といってなだめてくれてた。

けど、私は本当は「母親が買ってくれた」ソフトクリームを落としたことが申し訳なくて泣いていた。

あれから13年経って、母親が死んだ。

私は、伝えることができなかった話を、死んだ母親の前で泣きながら話した。

ずっと前に「死ね」と言った事をずっと謝りたかった事。
彼氏が出来た事を報告しなかったこと。
お嫁さん姿を見たいって言ってたのに見せられなくてごめんね

など、たくさんの事を話した。

そんな時急にソフトクリームの話を思い出した。

そして死んだ母親に言った。

「あの時私が泣いたのは、申し訳なかったからなんだよ」

するといつからいたのか、父親が後ろから、

「お母さん全部知ってたよ。
あの時、お母さんは”○○が私の為に泣いた”って言って泣いてたから覚えてる。
ホント親子揃って泣き虫だ」

と言って、泣いていた。

嬉しくて悲しくて涙が止まらなかった。

謝ってばかりいる事が情けなかった。
もっとありがとうを言えばよかった。

お母さん、本当にありがとう。

こんなとこでしか言えなくてごめんなさい。

 

 

教育者

遡ること、今から15年以上前。

当時、小学6年生だった僕のクラスにA君というクラスメイトがいました。

父親のいないA君の家は暮らしぶりが悪いようで、いつも兄弟のお下がりと思われるヨレヨレの服を着ており、上履きも新しいものが買えずにかかとを踏みつぶして履いていました。

給食費や学級費も、毎回忘れてきていました。

担任はA君が給食費や学級費を忘れた時だけは、家庭の事情を察してか注意しなかったのだが、それがかえってA君を惨めに思わせていたようです。

その上、体も小さく勉強もスポーツもてんで駄目なA君は、クラスでいじめられていました。

かわいそうだと思いながらも、僕は自分が巻き込まれるのを恐れ、遠くから見ていることしか出来きませんでした。

そんなある日、ちょっとした事件が起こりました。

その日は遠足で登山に行ったのですが、友達のいないA君は、お弁当の時間も孤立しているような状態。

キレイな紅葉の中、一人ぼっちでお弁当を食べなければならないA君を、僕は心の底から不憫に思っていました。

しかし、妙なことにA君は5分経っても、10分経っても弁当箱を開けようとしません。

僕はその理由にすぐ気づきました。

周りの同級生が母親の愛情がたっぷり詰まったお弁当を自慢し合っている中、自分の惨めなお弁当を他の人に見られたくなかったのです。

そんな時、A君に近づいていく人物がいました。

それは、違うクラスのY先生でした。

Y先生は40代くらいの女性で、とにかく厳しかったため、児童はもちろん同僚の教師からも若干敬遠されるような存在。

クラス替えの前日は、Y先生のクラスになるんじゃないかと不安で眠れなかった程に。

そんなY先生がA君に対して

「一緒にお弁当食べていいかな?」

と笑顔で声をかけた。

これには、その場にいた誰しもが、一瞬目を疑いました。

Y先生の笑顔など、学校内では一度も見たことがなかったからです。

そして、彼女は大きなリュックサックからおもむろに重箱を取りだすと、そこにはお節料理のような豪勢なお弁当がありました。

びっくりして言葉を失っているA君を尻目に、先生は

「いっぱい作ってきたから、アナタ達も食べなさい!」

と他の児童(僕も含む)を呼びつけた。

こうして、さっきまで一人ぼっちだったA君の周りには、人の輪が出来きました。

この1件以来、A君は少しずつだが確実にクラスに馴染んでいき、卒業の日を迎えました。

卒業式が終わると、A君の母親と思われる人物(忙しいせいか、学校行事で見かけたことは一度も無かった)が、Y先生に涙ながらにお礼の言葉を述べていました。

10年後、教育実習で母校にお世話になった際、当時を知る先生から聞いたのだが、Y先生はA君の給食費や修学旅行費を立て替えてあげ、さらには休日にA君の家へ出向き、家庭教師もしていたそうだ。

この話を聞き、10年前の遠足の時、Y先生ははじめから「A君が周りと打ち解けられるように」豪勢なお弁当を作ってきたのだと確信しました。

厳しくて生徒から嫌われていたY先生があの日見せた、
「人としての本当のやさしさ」
を知り、教育者を目指す身として、胸が熱くなった。

 

自転車の男の子とお父さん

日曜日のお昼ごろ、遅い洗濯物を干していると近くの道路から話し声が聞こえてきました。

ふと目をやると、小学校低学年くらいの男の子と(たぶん)若いお父さんが、それぞれ自転車にまたがったまま止まっているのが見えました。

断片的に聞こえてくる会話から、自転車の乗り方を教えている様子が伺えます。

とても丁寧に、細かく説明するお父さんとそれを真剣に聞く男の子の様子が微笑ましくて。

しばらくして、先に男の子が自転車を走らせる後をお父さんも自転車をこぎながら

「ちゃんと前を向いて、そこの『止まれ』が見える?」
「うん、見える!」

男の子の力強い明るい声に、私の気持ちまで明るくなりました。

きっと、男の子の路上デビューが心配で日曜日にお父さんが練習をさせてあげていたんでしょう。

私が子育てをしていた時も、子供が自転車で路上デビューはとても心配で、細かくよく注意をしていました。
一緒に自転車で出かけた時には、その都度注意もしていました。
だけど、路上練習のためだけに時間を割いた事があっただろうか?

口うるさく注意する事は簡単にできるけど、よく通る道に一緒に出掛けて要所要所止まって、丁寧に教えてあげる事は簡単そうでなかなかできない事だと思いました。

きっと、お子さんをとても大切に育てていらっしゃるのだろうと嬉しくなり、誰かに話したくなったので、披露させていただきました。

お父さんに教えてもらった事が男の子に沁み込み、自分も周りも安全に自転車を乗りこなす人に成長するんでしょうね!

素敵な親子のおかげで、爽やかな気分で日曜日を過ごすことができました。

 

 

私の事がわからないのかも

私の夫は、結婚する前に脳の病気で倒れてしまい、死の淵をさまよいました。

私がそれを知ったのは、倒れてから5日もたってからでした。
夫の家族が病院に駆けつけ、携帯電話を見て私の存在に気が付き、連絡をくれたのです。

脳の病気という事で、記憶障害が出るといわれて、お見舞いに行ったのはいいのですが、私の事を覚えているのか、それさえもわかりませんでした。

病院でご家族や医療関係者と会い、彼の病状が深刻であるという事を再度説明を受けて、記憶も家族とかそのくらいはわかるけれど、当時30代だったのに自分は10代だと思い込んでいたりという事でした。

新しい記憶ほど抜け落ちているといわれ、正直私の事がわからないのかもしれないだろうと、覚悟を決めて病室に入りました。

すると、彼は私を一目見て、私の名前を呼んだのです!

お医者様が
「この人の事がわかりますか?」
と尋ねても、夫はそれに返事をする事すらできなかったのに、私の名前は覚えていてくれた!

思わず涙がこぼれました。
「なんで?なんで覚えていてくれたの?」
と彼に問いただしたかったし、
「神様に、私と夫の間の出来事で、たった一つだけ記憶を残してくれてありがとうございます!」
と、思わずわあわあ泣き叫びたいような、そんな気持ちでいっぱいになりました。

忘れられてしまう恐怖は、とても大きかったのです。

夫はその後半年間、脳に水がたまった事が原因で、意識不明になりましたが、半年後に再び目を覚ました時、やっぱり私の事を覚えていてくれました。

今でも、私達がどういう出会いをしたのか、一緒に出掛けた思い出などは何一つ思い出せません。
他にもいろいろな事を忘れてしまい、そんな中でよく私の存在だけは覚えていてくれたと思いました。

私とどこで出会ったか、どういう風に過ごしていたかなどは全く答えられない夫に
「どうして私の名前だけは覚えていたのかな」
と尋ねると、夫は
「他は何にも覚えていないけれど、好きな人だから覚えていた」
と笑ったのです。

それを聞いて、私は夫と結婚する事を決めました。

夫の症状は重く、今でも記憶ができません。
10分前に食べたものも忘れてしまいます。
たぶん、一生介護が必要でしょう。
だけど、すべて忘れてしまった中で、私の事だけは忘れないでいてくれた。
そんな愛情をくれた夫を、私は一生愛していきたいと思います。

介護は大変ですが、今でもすぐ忘れてしまう夫は、それでも私を日々の生活の中でよく探しています。
部屋の中で見当たらないと、声を出して私を呼んだりします。
私が姿を現すと
「あー安心したー」
と子供のようにいいます。

今、私と夫の間にあるのは、本当に愛情だけです。
お金や宝石や素敵なデートもない・・・
けれど、この人からもらえるものはたったひとつだけれど、これほど素晴らしいものをもらえるのを、私はとても誇りに思います。

大きな障害を持った夫と結婚した私を『同情だ』『後で後悔する』という人もいました。
お金もとってもかかります。
でも、結婚して数年経ちますが、私は今でも毎日が満たされた気持ちでいっぱいになります。

いつか、本当にどちらかがこの世からいなくなる日まで、ずっと二人でより添って生きていきたいです。

 

 

大きな花束

私の小学校6年生の卒業式のこと

退場の時私はお母さんに大きい花束を渡された。
今思えば騒ぐほど大きいものじゃなかった。

当時クラスでも大人しかった私は学校の皆の前で変に目立つことが嫌で、渡してきた花束を「いらない」と言ってお母さんに押し返してしまった。
なによりもそんな大きい花束を人前で渡してくることが許せず恥ずかしかった。

そのあと移動した教室で、お母さんはまた私のところに駆け寄り、花束を渡してきた。
どれだけ拒否しても押し付けてくるので嫌な顔をしてお母さんを睨みながらしぶしぶ奪い取った。
クラスの人に見られるのが本当に嫌だった。

その後家に帰っても私は終始不機嫌で、

「なんであんなことしたの」
「私のことなんにも考えてない、こんなのいらない」

とひどいことをお父さんにいい続けた。

「お姉ちゃん(私)の事分かってあげられなくてごめんね。
けど、お母さんはお姉ちゃんにバレないように花束を買って、
誰よりも娘の卒業式を楽しみにしてたんだよ。」

その夜私はその時お父さんに言われた事がずっと頭をかけ巡っていた。
思い返すとお母さんは私に花束を渡すとき笑顔で

「おめでとう」

と言ってくれていた。

拗ねて全然見ていなかった花束には弟が

「おねえちゃんそつぎょうおめでとう。」

と書いてくれて いた。

私が花束を押し返したときも拗ねて口を聞かなかったときもお母さんは悲しそうな顔で笑っていた。

私はこんなに家族に想われている。
なのに私はなんてひどいことをしたんだろうと、涙が溢れて止まらなかった。
私は夜中にもかかわらずお母さんをたたき起こして涙でぐちょぐちょの顔で謝り続けた。

お母さんは私を責めもせず、ただ

「ごめんね、お 姉ちゃんがそんなに嫌な思いをしてるとは思わなかった。ごめんね」

と繰り返していた。

これを書いている今も罪悪感でいっぱいで、思い出す度に涙でぐちょぐちょで、家族の大切さと暖かさを感じます。

私はまだ高校生だから成人したらもっと親孝行して、 いつかまたこのことを謝れたらいいなぁと思います。

お母さんだいすき。

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