『テンポが少し遅い子』など短編5話【78】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『テンポが少し遅い子』など短編5話【78】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【78】

 

 

死因は働き過ぎでの過労

俺は母親が嫌いだ。
大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。
何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。

大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせにしぶるとこが嫌いだ。
「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。
俺は母親が嫌いだ。
とにかく嫌いだ。

そんな母親がこの間死んだ。
毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。
だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。

俺は母親が嫌いだ。
自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。
五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。
俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。

今日をもって、俺は2chを引退する。
嫌いだった母親にしてあげれなかった親孝行を今更だがしたい。
受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい

 

 

テンポが少し遅い子

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした

 

無視してごめん

幼稚園の時、祖父がなんとなく嫌いだった。
だって怖いし、家が近くないからなかなか懐かなかった。
で、その幼稚園で「おじいちゃん・おばあちゃんの似顔絵を描こう」ってのがあったのよ。
その一年に一度の大イベント、一年目はおばあちゃんを描いた。
だっておじいちゃんを描くのが癪だから。

絵を持って帰るとお母さんは苦笑して「来年はおじいちゃん描いたら」って言われたけど、無視。
二年目もおばあちゃん。
だって癪じゃない。
でもおじいちゃんが私を見て、さみしそうに笑うのよ。
上手だねって。
幼いながらに感じた罪悪感は凄まじかったね。特に二年目。
仕方ないから、来年は、最後の一年はおじいちゃん描こう、って、心に決めたの。
で、描いたの。
そしたらね、しばらく会えないって言われた。
祖父が倒れたからって。吃驚した。
小さい私は大人たちに何も教えて貰えなくって、怖くて不安だった。
分かったのは、祖父の危機ってことだけ。
私が心配しないように隠していたんだろうけど、逆に怖かった。
で、ようやく会えたのは病院。
絵は持って行くのを忘れていて、渡せなかった。
私、すっごく心配したんだよって言えた。
おじいちゃんは笑ってた。

その事件は衝撃的で、私、祖父が退院しても会えなかった。
会っても会話はしなかった。
だって怖いし、癪だし。
おじいちゃんも話しかけてこないからいいかって思ってた。

それから大きくなるにつれて、だんだん、そのことも忘れたこの頃。
ショックも薄まって、おじいちゃんとアイコンタクトすることもできるようになった私、偉いよね。
ふと、何気なしに、その事件後、すっかり無口になった祖父が、親戚と私の会話に入ってきた。
「●●ちゃんはどこにいるんだ?」
それは私の名前だった。
目の前にいるのに、そんなおかしなことをいう。
皆笑った。皆笑ったけど、私、上手く笑えなかった。
祖父の中で、あの事件、心筋梗塞の事件から時間は一つも動いていなかったんだ。
祖父の中では、いつまでも幼稚園の●●がいて、この、ここにいる、ときどき会う私は、何者かわかんないんだって。

ちょっとづつ大きくなる私の姿でおじいちゃんに話しかけていれば。「●●だよ」って何度も言っていれば。
癪だなんてアホみたいなこと言ってなければ。
何か変わったかもしれないのに、私、馬鹿だ。
泣きそうだった。
いやもう、トイレで泣いた。

そこで自分が幼稚園の時に描いたおじいちゃんの絵を思い出した。
でももう絵は無駄だって、今になって気付いた。
だって今の私が渡しても駄目。
幼稚園の時の私が渡すべきだった。
祖父は、それを永遠に待ち続けるんだろうなって、それを思ってまた泣いた。
腫れた目で「おじいちゃん、●●だよ」って言ってみたけど、また祖父は笑った。
これがあのときの、あの時私が心配したと告げた時の苦笑いだってことは、すぐに分かった。
分かってないなと思って、笑顔を作りながら涙が溢れ出た。
皆の前でついに泣いてしまった。
そしたらね、祖父が「大丈夫、●●ちゃん?」なんていうから、今度はうれし泣きだよ。
もう顔ぐっちゃぐちゃ。
一族唯一の娘にあるまじき顔。
分かってくれたんだね、ありがとうなんてきったない声で言った。
これを書いている傍らにあの時のぐしゃぐしゃになった似顔絵があります。
明日渡そうと思ってます、もう後悔しないようにね。
皆さん、大切なものは後悔しないようにすぐに渡してね。

おじいちゃん、無視してごめん。
本当は大好きだよ。●●って手紙も付けようと思います。

 

 

孫をよろしくたのみます

出張で金沢に行った事があったんだ。
夏休み最後の週末で、特急列車のホームは見送り客でイパーイだった。

そしたらリュックサックをしょった小さな男の子と女の子が勢いよく特急に乗り込んでいったんですよ。
その後ろから「ほら、爺やにバイバイしなさい」とたしなめる母親。
男の子と女の子はきびすを返して手を振る。
その先にはゾウリを履いた痩せ型の爺ちゃんがただ一人ホームに残されていた。
「それじゃ向こうに着いたら連絡しますんで」と母親。
爺ちゃんは「うん。また爺の所に遊びに来るんだぞ」

答えた後突然ポケットからハンケチを取り出し、
「ではマサコさん、孫を・・・孫をよろしくたのみます」とむせび泣きはじめるんだよ。
でも小さな女の子にはその心情が理解できないんだ。
「ねえ、ママ?爺やが泣いてるよ?爺やはどうして泣いてるの?」とカン高い声で不思議がってるんだよ。
思わず、ただ立ちすくんで何も答えられなくなる母親。
一瞬時間が止まったかのように静かだった。

そして「プルルルルルルルル」と発車の合図。
ドアが閉まり、発進してからも爺ちゃんはいつまでもいつまでも孫の乗った列車に向かって手を振っていた。

なんか駅での別れって絵になる。
俺も思わず目頭が熱くなった。

 

 

おまえは強く育って欲しいから

家族でお出かけ中、4つ違いの妹(当時小学生)がビタン!と転倒、泣き叫ぶ妹を親父は抱き起こし、泣きやむまでおぶって歩いた。
厳しい親父だったし、俺はそんな事してもらった事はなかった。
小坊だった俺はその場では文句も言えず、後で母親に「ずるい…」とか拗ねてみせた覚えがある。

それから十余年、俺が一九の時に親父が胃ガンになった。
告知はしていなかったが親父は自分の病状に気づいている様子。
見舞いに行ったある日、親父は俺にこう言った。
「10歳の時、○子(妹)が転んだ事、覚えてるか?」
「うん」
「母さんから聞いた。悪かったと思ってる。でもな」
「今更何だよ」
「○子は優しく育って欲しいから助けた。おまえは強く育って欲しいから放っておいたんだよ」
「・・・・」

泣いちゃいけないと思いながら、泣けて仕方なかったよ。

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