『修学旅行に行けなかった』など短編5話【55】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『修学旅行に行けなかった』など短編5話【55】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【55】

 

 

父母の死を受け入れた瞬間

両親事故で他界、祖父母も私が生まれる前に鬼籍、叔父叔母は某宗教な家で父母も毛嫌いしてたから頼れない状況だった。
幸いなことに私には十歳離れ成人してた姉が居た。
ただ当時は主に私の口の悪さが原因で仲が悪かったから姉に頼るということが選択肢になく中学生だった私は「ヤバい詰んだ?」と父母の死を受け入れ冷静になった瞬間震えが止まらなかった。

姉は結婚して妊娠してたからそれこそ私の面倒なんて見れなかった。
でもお姑さんにお願いしてくれて色々面倒見てくれた上に姉の義実家に住むことになった。
私は他人なのにごめんなさいとお姑さんに言ったら
「家族だからね。貴女が嫁に行くまで私達が傍に居るからね」と抱きしめてくれたのが衝撃だった。

なんだかんだと義兄の弟に告白されお付き合い開始、私の24歳の誕生日が先月、交際5年目でプロポーズされた。
姉夫婦は同い年で彼は5歳下、私はさらに5歳下。
姉夫婦は転勤先、義兄の弟は高校大学とスポーツ特待で寮暮らしでずっと私と姑さんの二人暮らしだった。
舅さんは昔に病気で他界されてた。

最近は姉とどちらが姑の介護をするか引き取るかで揉めている。
姉も私のこと含め姑さんには返しきれない恩が有ると私と同じく姑信者だから譲らず。
まだ姑元気で「いや施設に入れてよ。やだよ嫁に下の世話とかさせるの」と苦笑いされてる。
嫁に負担をかけたくないという良姑。

来週末は新居を見に行く。
義実家の近所には過疎で空き家や空地が結構有るのでスープの冷めない距離に引越す予定。

余談だけど姉の息子十歳は幼い頃に働き出した姉の変わりに私が面倒見ることが多かった。
そのため私に懐きすぎて本人の叔父であり私の婚約者にいつも悪戯するのを眺めるのが最近の楽しみ。
背中に氷入れたり靴に玩具の虫入れたり毎回違うから面白い。

 

 

走るのをやめた

この時期になると思い出す俺の息子の卒園式。

息子が通ってた幼稚園では毎年、メモリアルムービーと題された入園したての時に撮った写真と卒園直前に撮られた園児一人一人の写真を並べて流される。
成長した子供たちの姿を見て今年もこのシーンは大盛り上がり。

他にも行事ごとの思い出のシーンが流されるんだけど、運動会のシーンでリレーのアンカーになった息子が映し出された。
赤組のアンカーだった息子は半周近くリードを保った前走者からバトンを受け取って走り出す。
白組のアンカーは負けを悟ってバトンを貰う前から泣いてる。
次にもうすぐゴールテープを切るところまで走って来た息子が写し出される。
司会をしていた先生も「赤組が優勝でーー」まで喋ったところで息子が走るのをやめた。
保護者も先生もシーーーーン。
そして逆走。
次はなんだなんだとどよめきが起こる。
息子は敵チームである白組のアンカーと手を繋ぐと、二人は手を繋ぎながら同時にゴールテープを切った。
その場にいた全員の大歓声が聞こえたところからあまり記憶がない。
運動会のことを思い出してまた泣いちまったから。

そんな息子は来月から小学校四年生になる。
年の離れた妹を可愛がってくれるいい兄ちゃんしてる。

生まれたばかりの娘も可愛いが、俺は息子がいとおしくて仕方ない。
俺にはもったいないくらいの自慢の息子。

産まれてきてくれて、いい子に育ってくれてありがとな。
お前がいてくれるから父ちゃん頑張れるんだぞ。

 

修学旅行に行けなかった

高校の修学旅行の話。
親がいなくて、義親から虐待受けてる子がいた。
バイトして自分で学費とか全部出してたらしいんだけど
修学旅行の積み立てまで手が回らなくて、修学旅行には行けなかった。

そしたら先生が数人の生徒を放課後に呼び出して、
みんなでお金を出し合ってお土産買ってこようって提案した。
修学旅行先でその子が好きそうなものとか沢山買った。
足りない分は先生が出してた。

帰ってきて最初のHRでサプライズでお土産を渡したら、
顔真っ赤にして震えながら泣き始めた。
ずっと、ありがとうございますありがとうございますって言ってて、
先生も我慢しきれずに嗚咽もらして泣いてた。
この状況がすごく衝撃的で何年も経った今でも鮮明に覚えてる。

その子の事情は詳しくはわからないけど
相当辛い思いをしてきたんだなってその時思った。

ちなみにその子は今結婚して
幸せに過ごしてると聞きました。

 

 

もう二度と会えない

私には年子の兄がいるのですが、その兄の友人の妹(私の一つ下)と毎日の様に合っていました。
家が近所ということもあり、向こうも「お兄ちゃんお兄ちゃん」と私になついてくれていた。
どちらかというと、どんくさい部類に入る私は兄やその友達、
また自分の同級生についていけず、その子とおままごととかをして良く遊んでいた。
でも、小学校に上がると自然に学校の友達が増えていき
新しい環境の中でいつの間にか彼女の事は頭からすっぽりと抜けていました。

今でも覚えてる小学校2年の時だ。
学校から帰ってくると母が真っ青な顔で「○○ちゃんって覚えてる?」と聞いてきたので
「うん、覚えてるよ、幼稚園の頃よく遊んだんだよね」
たぶんそんな風に答えた。
そしてその後、彼女が交通事故で亡くなったと聞かされた。

だけど、なぜかその時は「あっそう」ぐらいの気持にしかならなかった。
次の日、出棺前に1人ずつ花を棺の中に入れていく時
(今思えば子供達の為に段を低くしたのだろうか)
私も一つ花を持って彼女に近づいた。
そして顔を見た途端、涙が止まらなくなった。

その時初めて私は彼女が初恋で、大好きで、
そしてもう二度と会えないという事が理解できたんだと思う。
周りの大人がビックリするほど大声で泣いて大暴れした。
お棺の中に入って彼女に抱きついて何回も唇をあわせた。
母や他の大人たちが引っ剥がそうとしたのを「嫌だ!嫌だ!」と叫んでいた。

どのぐらい暴れていたのか分からないけど、引っ剥がされたところで
向うのお母さんが涙を流して
「ありがとう、ありがとう」と言いながら頭を撫でてくれた。
そして、最後にもう一度彼女にキスしたんだと思う。
その後の記憶ははっきりしない。

気が付いたら真夜中で、またこっそり布団の中で泣いた。

 

 

音信不通だった実家

俺はいい年して野菜嫌いだったんだけど、彼女のおかげで野菜好きになった。
付き合い始めてすぐに俺が野菜嫌いなのを知った彼女。
「いつか克服させてあげる!」と言い出した。
宮崎に行って新鮮な野菜を食べたりしたら、意外に美味しくて食べられた。
そしたら彼女は
「○○さんは、おいしい野菜をあまり食べてこなかっただけなんだね。食わず嫌いの一種だよ」
と言って、
「よし、私がんばってみよう」と言い出した。
何かと思ったら、
かなりいろいろな確執があって数年来音信不通だった実家と連絡を取って野菜を送ってもらってくれた。

彼女の実家ではお父さんが趣味で野菜を作ってるんだな。
「無農薬だし、あのヘソ曲がりが作ったにしては味は折り紙つきだから」って。
俺は付き合う前からいろいろ聞いてたから
「実家に頼みごとするの嫌だったろう」と言ったら
「うん、でもそれより○○さんにおいしい野菜を食べてほしかったから」
って言ってくれた。

顔を見るのも声を聞くのもイヤだと言ってた親に、
俺に野菜食わせるためだけに連絡取ってくれたんだな。
すごく嬉しかったし、心があたたかくなったよ。

それがきっかけでお父さんとは少し話ができるようになったみたいで
「○○さんのおかげだよ」って言ってくれるけど
それは俺のおかげじゃないんだぞ。
お前が優しい子だからだ。

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