父親の泣ける話 – 感動エピソード【9】
ガンがなおるくすりをください!
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて
窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの
便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」
と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで
「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ!サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの!早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、
それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように
鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、
夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、
つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
父が使ってた布団と枕
私の父も十数年前に心労が重なって亡くなった。
母は気丈に振舞っていて、女手一つで3兄妹を育ててくれた。
だから子供ながらにいつまでも悲しんでばかりではいけないんだな、と思っていた。
先日実家に帰って掃除をしてたら父が使ってた布団と枕が押入れに入っていた。
枕に顔を押し付けるとほんの少しだけど懐かしい父の匂いがした気がして不覚にも泣いてしまった。
どうにも懐かしくなり、今日この枕で寝ていい?と母に聞いたら
「あらあなたも?」と言われた。
お母さんは今でも時々お父さんの枕を匂いが消えちゃわないように大事に横に置いて寝てるのよ、と恥ずかしそうに言った。
すると急に母がシュンとなり、普段はお父さんと呼んでいるのに○○さん、○○さんと泣きだした。
なんかそれを見たら母と仲がよく、家族にとても優しかった父を思い出して二人で大泣きした。
もう一度会いたいよ、孫の顔を見せたいよ、おとーさん(ノ_・。)
子供みたいな父
今年の父の誕生日に初めてプレゼント(父の大好きな焼酎)を贈った。
母の誕生日には毎年送っているが、父に送るのは初めてだった。
居酒屋でバイトをしていたのである程度酒の種類は知ってるから
高いけど珍しくて美味いと評判の酒を実家に送った。
3日後母からメールがあり
・・・・・・・・・
お父さん照れてありがとうって言えないみたい(笑)
でも凄く喜んで美味い美味いって言って飲んでます。
あっ来年は芋焼酎ね。お父さん芋焼酎好きだから(笑)
あと今度実家に帰る時○○のケーキを買ってきてください
・・・・・・・・・
相変わらずの母からのムードぶち壊しのメール。
そんなこんなで父の誕生日から半年以上過ぎた一昨日
用事があったので実家に帰った。もちろんケーキを持ってね。
そして父の寝室の押入れから物を取り出そうとした時
父の布団の枕元には、俺の送った焼酎の空き瓶があった。
なんだかちょっと照れくさくなって、
母に、
「なんでこんなの残してんだよ。こんなの捨てればいいのに」
といったら母は、
「それに触ろうとするだけでブチキレるからね。。。
捨てたりしたらお母さんが危うい!」
なんだか子供みたいな父に、ちょっと萌えた
医者になれ!
高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と
居間に呼び出されたんだ。
親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると。
暑さとショックで、頭がボーっとしてて、
変な汗が出たのを憶えている。
当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。
親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。
そして俺はお世辞にも優秀とはいえなかった。
クラスでも下位5番には入ってしまう成績だった。
その夏から、親父は、抗がん剤治療を開始し、
入退院を繰り返していった。
メタボ体型だった親父が、みるみる痩せこけていった。
母親の話では、主治医の見立てでは、
もって1-2年だろう、ということだった。
ただ、親父は弱音を吐くことはなかった。
親父は「高校、大学はなんとかしてやるから、
しっかり勉強しろよ」って言ってたよ。
仕事もやりながら、闘病生活を続けていた。
俺といえば、目標も特になく、
高校中退が頭にチラついて勉強は進まなかった。
ただ、ボーっと机に向かって、勉強するフリだけはしていた。
せめて親父を安心させるためだったと思う。
だから、その後の成績も、とても期待に添えるものではなかった。
ただ、親父の「高校、大学はなんとかしてやる」の言葉が、重かった。
「おまえ、将来、何かやりたいことはないのか?」
高校2年の冬、痩せこけた親父に問いかけられた。
俺は、期末テストで学年ビリから2番をとり、
担任からも進路について厳しい話をされていた。
言葉もない俺に、怒ったような泣いたような顔で親父は言った。
「・・・ないなら、、医者になれ!
・・・勉強して、医者になって、おれの病気を治してくれ!」
上手く説明できない熱い感情に、頭をガツンと打たれた。
自分への情けなさとか、怒りとか、色々混じったものが込み上げた。
その時、親父には返事を返すことはできなかったが、俺は決意した。
それから、猛烈に我武者羅に勉強した。
高校3年の夏、親父は逝った。
親父は、闘病生活の2年間で借金を整理し、
俺の高校の学費をなんとか工面したそうだ。
親父のおかげで、高校卒業できた。
そしてありがたいことに、1年間の浪人生活を経て、
俺は地方の国立大学の医学部に合格した。
俺は今、癌専門治療医として働いている。
親父は、「あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ」
と母に言ってたそうだ。
まだ、親父の癌を治す力はないが、日夜頑張っているよ。
いつか、親父の癌を治せるように。
将棋セット
これが俺の物心ついた頃からの家族だった。
かあちゃんがいない理由は小学生の時になんとなく。
かあちゃんの親がおやじに額を畳にこすりつけるような詫びをしにやってきたのは知っているが
それ以上は知らない。
ていうかどうでもよかった。
トラック乗りのおやじもいつ家に帰ってくるのかわからん男だったから、
いない時はじっちゃんのアパートに、いる時は3人で家に、という具合だ。
じっちゃんとこと違うのは、うちの方が雨漏りがたまにするくらい。
大した違いはない。
「兄弟一致団結して」というのは嘘八百。喧嘩は絶えず。
おやじがいてもいなくても関係なく、殺伐とした兄弟だったように思う。
そんなある日、おやじが土日2日間休みが取れたからと言う。
そしておもちゃ屋につれてってやると言う。
おもちゃ屋かよ、別に欲しい物なんてねーよ、と思ったが口には出さない。
弟も弟で、興味ない様子。果たして休日を有意義に過ごせるのだろうか?
日頃薄汚いおやじが朝から床屋に行った。
俺と弟はじっちゃんの家に前もって用意してもらった新しい服を取りに行った。
3人が合流したのは10時30分。こぎれいな3人に汚い黄色の軽自動車で向った。
到着。とりあえず昼を食って弟と距離を保って歩いていると後ろを歩いていたおやじがいない。
「いねーじゃねーか、おやじが迷子になるなよな」「そうだな」
弟と意見が合った。
探していると、見つかった。ボードゲームのコーナーにいる。
しゃがみこんで何かを手にしている。
「将棋セット」
駒と折りたたみの板のセットだ。将棋? なんで将棋なんだよ、と思った俺。
とりあえず、俺はその後学校で知ってるやつに聞いてメモして家に帰った。
弟はとっくに将棋のことなんか忘れてテレビを見ている。
嫌がる弟に強制的にルールを覚えさせ、ひとまずやってみた。3分で終わった。
勝負がついたからではない。つまらんくなって弟が駒を投げたからだ。
その日から将棋セットは押し入れの奥へ行った。
今日は喪主である俺がいろいろと動いた。
身内もほとんどいない俺たち家族だが、盛大に行いたいとの俺たち兄弟の考えで、
おやじにとって満足できる出来映えだっただろう。
弟は仕事先の海外から家族と共に、俺は離婚した1ヶ月後にその日を迎えた。
おやじは体を壊したのが3年前、寝たきりになっってしまったのが半年程前だ。
痴呆?みたいなものにもなっていた”らしい”。苦しまずに逝けたのが幸せか。
棺を前にして俺と弟は話しをした。
「あの時のこと覚えてるか?将棋セット」
「覚えてる。おやじ、嬉しそうだったな。」
急に俺は、探して見たくなって押し入れを探した。すぐ見つかった。
弟と一緒に箱から開けてちょっとやってみようかという話しになった。
駒を並べ終え、始まって10分ほどした時、
ヘルパーのE子さんが立ち止まったままこちらを見ていたのに気がついた。
E子さんにはおやじのことで本当に世話になった人だ。
「あ、どうかなさったんですか?」俺は聞いた。
「お父さま、今年の初め頃でしたかしら、その駒を握って涙を流しながら、
仲良うしろよ、仲良うしろよ、とおっしゃっていたもので・・・」
みるみるうちにE子さんの顔が紅潮している。
目の前の弟は下を向いたまま動かない。
俺は、箱の中に入っていたおやじが自分で鉛筆で書いた駒の動き方のメモを見ながら
泣いた。
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