父親の泣ける話 – 感動エピソード【1】全5話

父親の泣ける話 - 感動エピソード【1】全5話 泣ける話

 

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父親の泣ける話 – 感動エピソード【1】

 

 

思い出は何よりの宝物

俺の母親は俺が十二歳の時に死んだ。
ただの風邪で入院してから一週間後に、死んだ。
親父は俺の二十歳の誕生日の一ヶ月後に死んだ。

俺の二十歳の誕生日に入院中の親父から手紙を渡された。
黄ばんだ封筒を開けるとセロハンテープの後がくっきり写る。
中を読むとお袋からの手紙だった。

『パパになったたけしへ』

内容は俺が生まれた時のことから中学の入学した頃までのことが書いてあった。
生まれた子が俺で良かったって。
短い間だったけど楽しかったって。
感謝してるって。
でも、ゴメンって。

だからあなたの子供にはあなたと同じ思いはさせないで頂戴って。

泣きながら読んでる俺に親父が謝った。
すまんなって。
でも何を謝ることがあるのか。
お袋が死んでから親父は忙しい中俺のために働いてくれた。
遊びにも連れてってくれた。
反抗期の息子に何を言われても黙ってた。
俺は知ってた。
お袋が死んだ直後親父の手に出来た沢山の包丁傷の跡。
あれほど好きだったゴルフをやめたこと。
いつの間にかタバコもやめてたな。
こっちこそゴメン。
ダメな息子でゴメン。

俺は普通の人より早く両親を亡くしてるだろうけど、他の誰にも負けないくらい幸せだ。
家族3人で過ごした思い出は何よりの宝物。
父さん、母さん、ありがと、ほんとにありがと。

 

10分くらいのビデオテープ

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。

『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、就職決まった時、親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

 

小さな会社

会社経営していた親父は46歳で癌で死んだ。社命がかかっているので(小さな会社だが)告知望み死期を医者から教えてもらった父は厨房の俺から見ても超人的な気力で仕事の引継ぎや遺産相続の処理を行い、それから死んだ。
死を覚悟し全部自分で成し遂げたかっこいい親父だと思ってた。

それから10年経ち、大学を卒業した俺は「好きなことをしなさい」と言う母を押しのけ亡き親父の会社へ入った。親父が亡くなったあと、祖父の代からいる番頭さんが会社をまとめてくれていた。
「もしも○○←俺、が会社を継いでくれる日が来るなら」と俺が継がないなら番頭さんが辞めるときにこの会社も終わりにしよう、と親父が言っていたらしい。

俺の初出社の日、番頭さん(といっても社長だが)が初めて話をしてくれた。当時あれだけ冷静に死の準備をしていたように見えた親父の話だ。
死が逃れられないことを知った親父は本当に会社の屋上から飛び降りようとしたらしい。それを番頭さん以下数人でタックルして阻止したことや俺や弟と酒と酌 み交わす日が絶対に来ないことを、妹の未来のだんなには絶対会えないことを狂ったように親父が嘆き悲しんでいたこと、死を前にしてもクールに見えた親父の 別の面をこのとき初めて聞いた。
俺にとっての親父のイメージってカッコイイ40歳くらいの時の写真だからさ。

しがない会社だけど、俺の代では絶対につぶさない。

 

父親と二人暮らし

これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、
一生懸命働いてくれてた。

私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。
寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。
私は毎晩、夜遅く帰って来て、父が心配してくれても、私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。
そんな毎日を繰り返し、また夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、
小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二~三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作って、
いつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、
切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。
そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、
私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、
父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。
あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。

そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。
私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。大好きだったよ。

 

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