泣ける話『母の作る弁当』『顔に大きなアザがある母さん』など【短編】全10話 |切ない話・泣ける話まとめ

泣ける話『母の作る弁当』『顔に大きなアザがある母さん』など【短編】全10話 |切ない話・泣ける話まとめ 泣ける話

 

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泣ける話 短編 全10話

 

天国のアビーへ…神様に宛てた手紙

米国の4歳の女の子が愛犬の死を受けて、神様に手紙を送ったと
いう話が米ニュースサイトの ニュースバインで紹介された。
このエピソードは、女の子の母親から送られてきたメールを見た記者が
「伝えずにはいられない」と思い、紹介したもの。
それによると、この母親の家ではアビーという14歳になるメス犬を
飼っていたが、先月、病気で亡くなってしまったそうだ。
ずっと一緒に生活を送っていた4歳の娘メレディスちゃんは涙を流し、
「どんなに寂しいか」を母親に訴えていたという。

そして、アビーへの愛情を忘れられないメレディスちゃんは、母親にこんなことを言った。
「神様に手紙を書いたら、アビーが天国に着いたとき、
神様はちゃんと『アビーだ』ってわかってくれるかな」。
母親はメレディスちゃんが話す言葉を書き留め、手紙をしたためた。

その中身は「神様、アビーがいなくなり、とても寂しいです。
どうか天国でアビーと遊んであげてください。 アビーはボール遊びと
泳ぐのが好きです。神様がアビーを見つけたとき、すぐに私の犬だと
分かるように、 写真を送ります」という内容。
幼いメレディスちゃんの精一杯の愛情が込められた手紙だ。

手紙と写真を入れた封筒には「天国の神様」とあて名が書かれ、
ポストに投函された。
手紙が届いたか心配する娘に、母親は「きっと届いたよ」と励ましていたそう。

すると10月27日、家の玄関前に金の紙で包まれた「メレディスへ」という小包が置かれていた。
中には「ペットが死んだ時」という本。
そして、そこには“神様からの手紙”が添えられていた。

「親愛なるメレディス。アビーは天国につきました。写真が
入っていたので、すぐにアビーと分かりましたよ。 もうアビーは
病気ではありません。アビーはあなたと居るのが好きでした。
天国では体を必要としないので、 写真を入れておくポケットがありません。
だから、あなたがアビーを思い出せるように、この本と一緒に写真を
返します。 素晴らしい手紙をありがとう。それから、手紙を書くのを
手伝ってくれたお母さんにお礼を言ってください」

ニュースバインの記事の最後は「誰が答えたかは分かっていません。
でも、米国郵便公社の配達できない手紙を扱う部署には、美しい魂があります」と結ばれている。

 

ヒーロー

どゆ顔したらいいか
わからんかったけど
伝えるしかなかった
「親父…癌だってさ」
親父の顔見るの怖かったけど
あんた笑ってたよな
「わしは後どれだけ生きれる?」
なんて答えたらいいか
わからんかった
後1ヶ月が精一杯って
先生は言いよった
辛かったけど
本当の事伝えた

親父はじいちゃん
死んだ時も笑顔だった

後から母さんに
聞いたら
1人で泣きよったらしい
なら俺も親父の
前じゃ泣かん

色んな管みたいなん
付けられてしんどそう
やったけど
笑ってたなぁ
1回くらい親父の
弱みも見せて欲しかった
もうダメってなったとき管やらなんやら全部
とって
酒飲ませて先生には
怒られたけどタバコ
吸わせたったたわ
美味い美味い言い
よった

2日後死んでったわ

通夜 葬式 火葬
泣かんかったで

でもなやっぱり
無理やった

嫁の美妃がな
「もう良いよ…思い切り泣いてしまいって」

一気になんか切れて
泣いてしもうたわ

ガキが出来たんよ
俺より親父に似とる
言われる

親父みたいに子供に
ヒーローだと思われる
親父になる

親父ありがと

 

娘が書いた神様への手紙

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

 

最後の会話

あなたはベタベタするのが嫌いでしたね。

布団の中で,ギュッとして。と頼んでもイヤだと言って何もしてくれなかった。

ある日あなたはこう言った。

「たまには抱きしめて寝てやるよ」

私はちょっと驚きながらも嬉しさと幸せで胸一杯になって
その日はあなたの腕の中で眠りにつきました。

次の日あなたは
「出掛けてくるよ」
と言いました
「行ってらっしゃい」
そう言った私に優しく微笑みかけ,今までで一番優しいキスをくれました。

そして出ていきました

あなたは帰ってきませんでした

笑顔のない人形になって
これから消える存在として帰ってきました

人は死ぬ前,必ず無意識のうちに変わった行動をとると言います

急に優しくならないでよ

急にあたしの我が儘を叶えないでよ

そんなのいらない

いらないから

ずっと側にいてほしかった

 

先輩の手

若い頃クライミングをしていた時に、俺の先輩が最初に教えてくれた言葉が、

「ペアで登攀中に片方が転落した時は、上の者はできる限りの努力をしろ! ぶら下がっている者は上の者を助けるつもりで自分のザイルを切れ!」

と教えられた。

そしてその先輩は2年後、俺とのクライミングで自分のザイルを切った…。

数年後、俺と後輩が岩壁に登っている最中に俺が転落…。

後輩はまだまだ臨機応変にできるほど経験を積んでいなかったので、俺が、

「最期は笑って逝ったと嫁と子供に伝えてくれ」

と言ってナイフに手をかけた瞬間、見覚えのある手が私のナイフを押さえた…。

そう、数年前に自分でザイルを切った先輩の手だった。何故かそう感じた。

そして次の瞬間、後輩がまだ教えてもいない方法で私を助けた。
上を見た瞬間、後輩の側でザイルを握っているもう1つの手が見えた。

はっきり言って緊迫した状況だったので幻覚かもしれない。
そして火事場の馬鹿力を後輩が発揮したのかもしれない。

でも、俺がナイフを取り出そうとした瞬間に押さえた手の感触は紛れも無く先輩だったと、10数年経った今でも信じている。

 

末期ガンで亡くなった母からのメール

高校生の駄文ですみません。

私が中3になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。
当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なんだろうか、お金は大丈夫なんだろうかとかそんなことしか考えていませんでした。

5月、母は病院に入院しました。
たまに家にも帰ってきていたので、治るものだと思っていました。

そして夏が終わり、私は部活でやっていた水泳を引退しました。
部活がなくなったので当然時間も増えました。

それからほぼ毎日父に連れられてお見舞いにも行きましたが、早く帰りたい、勉強させろとばかり思っていました。

それから2ヶ月、入院してから半年で母は他界しました。
末期で手術を受ける体力もなかったそうです。

すぐそばで看取る事ができました。
その時は泣きましたが、ああ、こんなものかと思った自分がいました。
人が死ぬというのはなんて呆気ないものなのだろうと。

その後、元通りとは行かないものの、父と親族の支えでなんとか生活のリズムも取り戻して
無事に目標としていた高校に入学することができました。

しかし県内でも割と進学校の部類だったので、すぐに落ちこぼれてしまいました。
中学では東北大会まで出場した水泳も受験休みでのスランプから抜け出せずにいました。

そして先日学年末のテストが終わり、家でPCをいじっていて、ふと昔使っていたフリーメールの受信ボックスにログインしてみようと思ったんです。
面白いスパムでも無いかと思って開いてみたら、案の定何百通というスパムメールが届いていました。

その中に見覚えのある母のメールアドレスがありました。
スパムメールにまぎれて何通も何通も。

開いてみると誕生日おめでとうとか、東北大会出場おめでとうと言ってくれているのもあれば、
ちゃんとご飯食べた?とか、父のことを手伝ってあげてねとかそんな内容のが何通もきていました。

泣きました。
泣いて、そして後悔しました。
なんで新しいメールアドレスを教えなかったのかと。

ありがとうって言えない。
母がいないっていうことと、母が死んだっていうことがイコールになったのはその時なんだと思います。

返信が一年以上も遅れてごめんなさい。
ありがとう。大好きです。

 

俺には10歳下の妹がいる

俺には妹がいるんだが、これが何と10も年が離れてる。
しかも俺が13、妹が3歳の時に母親が死んじまったんで、俺が母親代わり(父親は生きてるからさw)みたいなもんだった。
父親は仕事で忙しかったから、妹の世話はほぼ俺の担当。
飯食わせたり風呂入れたり、つたないながらも自分なりに一生懸命やってたと思う。

妹が5歳の時のこと。
保育園に妹を迎えに行ったら、なぜか大泣きしてやがる。
その日、お遊戯会の役を決めたんだが、妹はやりたかった役になれなかったらしい。
まあそれは仕方ねーだろ、あきらめろと最初は諭してたんだが
よく話を聞いてみると、どうもおかしい。
劇にはいろんな動物や妖精や探検家?が登場するらしく、女の子の一番人気は妖精。妹も当然妖精がやりたかったようだ。
希望者多数だったので、決定は恨みっこなしのジャンケンにゆだねられるも、妹は見事勝ち抜いて妖精5人のうちの一人に選ばれた。

ところが、先生が

「○○ちゃん(妹)は動物の方がいいんじゃない」

と妹を妖精役から外したという。
そんな馬鹿なと思いながら、俺はすぐに保育園に電話して確かめた。
そこで分かったのは、劇の衣装は保護者が作らなければいけないこと。
そして、妖精のひらひらの衣装はとても難しく、俺の家では無理だと判断され、お面などを作れば済む動物役に妹が割り振られたことだった。

先生も悪気があった訳じゃないんだろうが、俺は妹に母親がいない引け目をなるべく感じさせたくなくてそれまで頑張ってきただけに、かなりショックで、妹にも申し訳なかった。
それで、裁縫なんて家庭科実習とボタン付けくらいしか経験がなかったくせに

「絶対にちゃんと作るから妹を妖精役にしてやってくれ」

って頼み込んだ。
結局、先生が根負けして妖精は6人になった。

それから、俺は放課後になると学校の家庭科室に通い詰めた。
家にミシンなんてなかったし、保育園からもらってきた材料と型紙だけじゃ全然意味不明だったから、家庭科の教師に教わりに行ったんだ。
受験生だったし、教師も同情して

「作ってあげる」

って言ってくれたけど、俺は意地でも自分の手で縫い上げてやりたかった。
ほかの子と同じように、家族が愛情込めて作った衣装で舞台に立たせてやりたかったんだ。
2週間ほとんど掛かりっきりになって、ようやく衣装は完成した。
スパンコールをたくさん縫いつけた、ふんわり広がるスカートに、レースを使った羽根、花の形の襟元。
縫い目なんかはよく見るとガタガタだったんだけど、普通に着てる分には、他の子と全然変わらなかったと思う。
初めて妹に見せた時の歓声は今でも忘れられない。
着せてやった時の最高の笑顔も、
本番の舞台でのまじめくさった顔も、その夜、衣装を着たまま寝ちゃった寝顔もずっと覚えてる。

実は妹が近々嫁に行くことになってさ。
こないだ、披露宴で流すビデオに使うとかで、
小さい頃俺が撮ってやったビデオごっそり持ってったんだけど、
あのお遊戯会の映像流れたらやばいw確実に泣くww
妹は多分衣装のこと覚えてないし、
映像は俺が号泣してたせいでぶれまくりだから大丈夫とは思うが…

まず、報告が遅くなって申し訳ない
5月の予定だった妹の結婚式は、結局先週ようやく挙げられた
俺の入院のせいで延期させてしまって、ほんと申し訳なかった
兄貴として情けない、最後の最後で妹の幸せを邪魔するとは

妹は綺麗だった
本当に綺麗で綺麗でまぶしくて立派で輝いてて、
でもなんか俺がつききりで世話してたころのちびの顔そのまんまな気がした
何でかな、大きくなってからはあんまりそんなこと感じなかったのに
ウェディングドレス着て完璧にメイクしてるのに
見れば見るほど泣きべそかいてたちっちゃいころそのまんまで
思わず笑ったつもりが号泣してしまった
絶対泣かないとか無理に決まってるのに強がってた俺が馬鹿だった
しかも最後に、これが一番の宝物、嫁入り道具に持っていくって
あのときの衣装だった

 

母の作る弁当

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた

 

トムが大好きだった俺

小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたのでティッシュを渡してあげた。
どうしたんだ?と聞いた所、ムカつく猫がいたので捕まえて水の入ったポリバケツに放り込んだ際に引っかかれた。との事。
彼は捕まえたその状況をさも誇らしげに武勇伝の如くクラスの仲間に話し、仲間数人で猫がどうなったかを今から見に行こう。って事になった。

現場に着くと、前日までの雨で半分ほど水の入った業務用のポリバケツの中で、体の半分以上が水に浸かり、小刻みに震える弱々しい子猫が今にも死にそうにしてた。
友人がバケツを足で蹴り倒し取り出した猫に「こいつ爆竹の刑にしない?」と笑いながら皆に言った瞬間、
普段温厚な自分の中で何かがはじけ、気がつくと俺は落ちているポリバケツを拾い、思いっきりそいつの頭に投げつけてた。
更に、そばの用水路にそいつを蹴り落とす暴挙までやってしまった。

あっけにとられる他の友人達と、腰まで用水路に浸かり半泣きのそいつに「お前、そこから上がったら爆竹の刑だから」と言い放つと、
弱って震える子猫を体操服でくるみ、自宅に連れ帰えった。

翌日、そいつが用水路に落ちた際に足を怪我してた事が判り、担任や親からしこたま絞り上げられ、そいつの3歳上の兄貴からも帰り道で待ち伏せに合い殴られた。
クラスでは浮いてしまうし、猫一匹の為にさんざんな目にあってしまった。

あれから12年。
トムという名前を付けたその家族(猫)は、俺の布団の上でまるくなって息を引き取った。
猫で12年生きれば大往生だったと思う。
俺は固く冷たくなったトムに「おつかれさま」とタオルをかけてやると、トムがいつも登っていた庭の桜の樹のそばに丁重に埋めてあげた。
最初は人間不信で警戒しまくりだったトム。
最後は人間が大好きになってたトム。
そしてトムが大好きだった俺。

毎年春が近づくと近所の桜よりも一足早く、トムの桜が花を咲かせます。
そのたび幼き自分が勇気を出して行った行動を誇りに思う。

 

顔の左半分に大きなアザがある母さん

昔から、俺の母さんには顔の左半分に大きなアザがあった。
小学生の時なんか、授業参観は嫌で嫌で仕方なかった。
だって、恥ずかしかったから。

クラスメートは授業中も時々後ろを振り返っては、
「お前の母親の顔、どうしてあんな赤いの?」
って。
そんな風にいつも笑われるのが嫌で、俺は俯くことしかできなかった。

でも、そんな時も俺の母さんはいつも笑ってたよ。
自分が笑われてること知ってるくせに。
今までもずっと、そうやって好奇の目で見られてたくせに。

そうやっていつも笑ってる母さんが、俺にとってはコンプレックスの対象だった。

そんなある日、友達と遊ぶ約束をしていたことを忘れ、思わず言い訳した時に俺が友達に放った言葉。
「お母さんのアザを治療しに病院に着いていった」
もちろん嘘だよ。咄嗟に出た嘘。

でも、そのことを母さんが知った時、初めて俺の目の前で母さんが泣いた。
もう涙ボロボロで。しばらく泣いてたよ。

そん時、気付いたんだ。
母さんがいつも笑ってたのは、俺を信じてくれていたから。
俺はアザのことなんか、ちっとも気にしてないって、母さんはそう信じてたから。

あれから20年。
母さんは今も元気に笑ってる。
あの頃のままの、顔にアザのある母さんが大好きだ。

 

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