子供の泣ける話 – 感動エピソード【4】
娘は良くがんばった
親と喧嘩をし、「出て行け」と言われ家を飛び出して6年。
家を出て3年後に知り合った女性と同棲し2年後に子供が出来た。
ものすごく嬉しかった。
母性愛があると同じように父性愛というのもあると気付いた。
子を愛さない親は居ないと言うのも知った。
妻の検診の日は毎回産婦人科まで一緒に行った。
エコーで動きを見た日は遅くまで妻とこの子の名前や性別を考えていた。
初めて聞いた元気な心音に「父さんはおまえの為にがんばる」と誓った。
何もかもが順調だと思ってた。
予定日の1ヶ月前に妻が破水をした。
切迫流産の前兆だったそうだ。
妻も元気で何も問題なんて無いと思っていただけにビックリした。
嫌な言葉が蘇った。
「八月子はもたない・・・」
詳しい検査をした時に娘の心音に雑音が混ざっている事が分かった。
母子ともに危険な状態になった為、緊急手術で帝王切開する事になった。
よく晴れた10月に君は生まれた。
最初は小さく泣いたらしい。
けど自発呼吸が出来なかったため、
器官に酸素供給するための管を通す事になった。
その後の事は覚えてるけど良く覚えてない。
何処からが現実で何処までが現実じゃないのか。
初めてNICUで見た娘の姿に涙が出そうになった。
娘にかけた最初の言葉が「生まれてきてくれて有難う」.
その後、母親に連絡を取った。
母親の声を聞いたのは実に何年ぶりだろう。
初めて人前で泣いた。
母親にも見せたことの無い涙を見せた。
母親も泣いてくれた。
「孫娘には何の罪も無いのに何故・・・」と。
色々医師から説明を受けた。
絶望って眩しくも、真っ暗でもなかった。
いつもの生活が私と妻を追い立てた。
娘は管から母乳も飲み、オムツも替えさせてもらい、
名前も付けてやれたし、出生届も出せてやれた。
戸籍上も私の娘。
可愛い。
医師からの突然の電話。
最初で最後、娘を抱っこしてあげれた。
涙が出そうになった。
だけど泣かなかった。
泣く必要は無いと自分に言い聞かせた。
18日間、娘は良くがんばった。
妻と二人で娘を荼毘に出し、小さな骨壷に骨拾いをした。
やっと娘は父と母が住む家に帰ってこれた。
100%子供のために
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので、病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていたゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
「とっとこぉはしるよハム太郎♪」の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪
と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし、成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、必死にやってきたのに、 この世に神様なんて絶対いないんだと知った。
ママはすごい
君がママのお腹にいるとわかったとき、ママは涙ぐんでいた。
妊娠したと聞いて僕は 「おーそうか」 なんて冷静に言おうとしたけどすぐに涙がでたんだ。
決して口には出さなかったけど、なかなか子供を授からないことでママは自分を責めていた。
僕はそれには気がついていないふりをしてきたから泣いたらダメだったんだけど我慢できなかったんだ。
君は生まれる前から、ただママのお腹にいただけで僕達二人を幸せにしてくれたんだよ。
それからの十月十日は毎日パパとママは君のことを考えていたんだ。
ママはお酒もカフェインも生ものも制限して生活していたし 激しい運動はもちろん、人混みなんかも避けて生活したんだ。
あのママが外出を控えるだなんて信じられないだろう?
そして君の服を買ったり、家を清潔にしたり、 家具を変えて君の場所を作って、無理して車まで買い換えて すべてが君を中心に動き始めたんだ。
トイレに行っても手を洗わないような僕が 毎日うがいと手洗いをしたのもママに風邪を移さないためだったんだよ。
最初の3ヶ月間はとても不安だった。
僕は誰にでも早期流産の割合が15%もあるなんて知らなかったんだ。
病院で検査があって、ママからの報告メールがあるたびに本当にビクビクしながら開封していた。
だけど検査の時にもらえるエコーの写真はとても楽しみだった。
心臓の音なんかも聞かせてもらったよ。
つわりで体中に湿疹ができたこともあった。
ママの腕や腿は正常な皮膚が見えなくなるぐらいひどい状態にまでなったけど
刺激の強い薬が使えないから痒くて眠れない夜もあった。
あまりに辛そうなママをみて、僕はママに 「大丈夫、絶対に良くなるよ」 と初めて根拠のないウソをついたんだよ。
あの時は僕はこんな日が半年以上も続くなら無理だと思ったけど 君のママは信じられない意志の強さでつわりを乗り切ったんだ。
そんな辛いこともあったけど、君がお腹にいることで、僕はもちろん、おじいちゃんやおばあちゃんたちもとても幸せだった。
僕らは顔を合わせるたびに君の話をしたんだ。
君の体重がどうなったとか、性別はわかったのか、名前を決めたのかとかね。
君の体重が1G増えるだけで幸せだったんだ。信じられないだろう?
そして君の家族はみんな君が生まれることを1年近くも心の底から願っていた。
僕たちは君に会えるのを本当に楽しみにしていた。
ついに君が生まれた瞬間はもちろんみんな泣いた。
うれしくて。うれしくて。
生まれてきたことがうれしくて、僕もママも、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃんまでが泣いたんだ。
これはあまり伝えたくないけど、僕は君の出産中あまりに懸かっているものが大きすぎてうろたえていた。
院長先生に「パパしっかり」といわれてやっとか細く2回だけ「がんばれ」ってママにいったんだよ。
生んだのはママだ。
ママはすごい。
こんなことを綴って結局何がいいたいかっていうと
要は君はなにかを成したりしなくても、なにか努力しなくても意味がある存在だってことだ。
(僕はいま君がうんこをするだけでものすごく喜んでいる!)
君が生まれるだけで神に感謝して涙を流した人を少なくとも僕は8人も知ってる。
そして実は君が生まれることを通じて僕自身も生まれて初めて自分は生きていていいんだと感じることができた。
もし君が自信をなくしてたり、不安を感じることがあったらこのお話を思い出してほしい。
君は生まれてきただけで本当に価値がある存在なんだ。
本当にうまれてきてくれてありがとう。
空を駆けてゆく
空に憧れて、空を駆けてゆく
あの子の命は、飛行機雲
その通りでした。
小さい頃から、
「僕、ぜーったいパイロットになるからね!」
と言っていたあの子。
先月、あの子の飛行機雲のように短い命が消えました。
小さい頃から「パパみたいになるんだー!」と言っていた息子。
ママみたいになる!とは言ってくれないのね…笑
最愛の息子を、癌で亡くしました。
私は、どこに向かって歩けばいいの?
そんな不安も絶望も、あの子が吹き飛ばしてくれました。
私は情けない母でしたね。
麻痺してしまってよく動かない手で、私があげた日記帳に
『ママ、さいきん笑ってない。ぼくのせいかな。
ぼくが心ぱいかけるからかな。早くたいいんして、ママに笑ってもらう!』
と綴っていました。
それを読んだ瞬間、息子の前で、笑わないどころか
泣いてしまいました。
「ごめんね、ごめんね。」
と頭を押さえて泣く私の髪の毛を、
「ママ、泣かないで?」
と言いながら撫でてくれました。
本当、パパに似て優しい子です。
自分より、他人の心配をするなんて。
癌治療は、とてつもなく不安だったと思います。
それなのに笑顔しか見せなかった。
もっと甘えて良いのに…。
最期は、仕事で中々会えない夫も来てくれました。
私は、掠れた声で何か伝えようとする息子の声を聞き取ろうと必死でした。
すると夫は、
「作ってきたよ。」
と言って息子に何かを差し出しました。
紙飛行機でした。
息子は嬉しそうにそれを受け取り、
「やっとお空、飛べるね。」
と言って、静かに息を引き取りました。
私は、涙が溢れて止まりませんでした。
だんだんと冷えていく息子の手を、ずっと握っていたい。 と思いました。
息子の部屋を掃除していて見つけた、あのノート。
続きが書かれているみたいでした。
読んでみると、
『パパみたいにお空をとびたいな。
パイロットになれたら、ママとも一しょにおしごとする!』
私は、息子の癌が見つかる前、キャビンアテンダントとして働いていました。
息子はそれを知っていたんです。
それを読んで、私は仕事に復帰しました。
あの子は、空を飛ぶ飛行機が見えにくい夜も、私の足元を照らしてくれる。
ねぇ、空?
聞こえてますか?
貴方は世界一のパイロットとして、その小さな命が燃え尽きるまで生き抜いた。
ママも、空みたいな人になれる様に頑張ります。
ガンがなおるくすり
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと
娘が、「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして
「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれど、なんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
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