子供の泣ける話 – 感動エピソード【3】全5話

子供の泣ける話 - 感動エピソード【3】全5話 泣ける話

 

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子供の泣ける話 – 感動エピソード【3】

 

 

すっごい高い指輪

我家は母子家庭。

もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば

生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。

ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が、珍しく超々安物の指輪を気に入って購入した夜。

私「ねえ、これかわいいでしょ~?」(※本当に気に入ってたから)

小4の息子「買ったの?」

私「うん、どう?」

息子「高かった?」

私「まっさかーー、500円だったかな」

その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまった。

どうしたの?と思ってたら

「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」

って涙ふきふき言われてしまいました。

買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほどそういうのが欲しい私ではなかったのに、息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。

でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。

これから先、何があってもこの子がいてくれたら

「乗り越えていける!」

そう、改めて思わせてくれた夜でした。

 

自分のおうち

もう十数年前になるけど、嫁が急逝してドロップアウトした。

赴任先の基幹病院のある地方都市。

俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、

最後まで子供の心配しながら最後まで俺に謝り続けて一人で逝った。

3歳の娘一人残して。

葬式の時、娘は

「ママいつ来るの?ママいつ起きるの?いつ起きるの?」

ってずっと泣いていた。

娘は嫁の実家で面倒みてもらいながら仕事に戻ったよ。

忙しい病院だった事に加え、いつも学会準備に追われていたので帰宅は毎日遅かった。

それでも休みの日には嫁の実家に泊まりにいって、少しでも 娘と一緒にすごすようにした。

母親がいなくなった事も受け入れているようで、

俺がいくと、いつも笑って走って来て

「パパー!!」

って抱きついてき た。

嫁の実家に行ってからは泣くこともなく娘は楽しく暮らしているように見えたよ。

嫁の実家で娘と一緒に寝ていた時、

深夜にすすり泣くような声で目が覚めた。

俺が起きた事に気が付くと、

一生懸命に寝た振りをしようとしていたけど、

すすり泣く声が漏れる。

娘を抱き上げて、どうして泣くのを我慢するんだ?

って聞 ても黙っていた。

何度も何度も聞いたら、

「じいちゃんとばあちゃんに、パパは忙しくて疲れているのだから絶対に泣いたりして困らせちゃダメ!」

って言われてそれを一生懸命まもっていたらしい。

嫁の実家の生活でも気をつかって、

いい子でいなきゃいけないって頑張って、

3歳の子が泣きもせず、

わがままも言わずに祖父母の言う事もよく聞いて、

毎晩ふとんの中で祖父母を起こさないように一人で声を殺して泣いていたらしい。

娘は嫁の実家に来て以来、はじめて大声をあげて泣いた。

「ママんとこ行きたいー おうちに帰りたいー おうち帰るー」

ってずっと叫んでいた。

娘にとっては大好きな母親と暮らしたあの家だけが

「自分のおうち」

だった。

今まで言えなかった思いが噴き出して狂ったように、朝まで泣き叫んでいた。

驚いて起きてきた祖父母も悟ったらしく一緒に泣いていた。

娘に

「もう頑張らなくていいんだよ。おうちに帰ろうね」

と約束して抱きしめて一緒に泣いた。

医局を辞める決意をしたよ。

娘を連れ帰ると決めたので、少しでも娘と一緒にいる為に。

週休3日の自由診療のクリニックへの入職も決めた。

休みが多く早く帰宅できて、当直やオンコールのない職場ならなんでもよかった。

教授室のドアをたたき事情を説明した。

教授はドロップアウトする俺を、

汚物でもみるような目でみて

「いいから早くここから出て行きなさい」

と言ったのを最後に、目もあわせてくれなかった。

上の先生達にも、数時間なじられた。

赴任先の病院を急に辞める事で迷惑かけるので、血の気の多い先輩には殴られた。

退局後、祖父母に心からのお礼を言って娘を連れ帰ってきた。

小さな仏壇も用意して、その前が娘のお気に入りの場所になった。

昼間は保育園にあずけたり、

嫁の実家にあずけたりして新しい仕事を始めた。

早いと16時、遅くとも18時には帰る事ができるクリニックだったので、

娘とすごす時間は格段に増えた。

包茎手術から植毛、美容外科までなんでもやった。

大学の同期の連中からは白い目で見られ続けた。

その手のクリニックが今よりはるかにあやしいイメージの時代だったので。

こんな医者として最下層までドロップアウトした俺を見て育ったのに、

娘は医学部に行きたいって言い出した。

正直、今の情勢で医者になるのは疑問だったけど、

こんな俺を見ながらにして同じ仕事を目指してくれたのが本当にうれしかった。

医学部に合格して、娘と二人で母親の墓前に報告にいった。

こんなにいい子に育ってくれたと胸をはって報告できた。

娘が社会にでて、幸せにしてくれる旦那をみつけたら俺はいつ死んでもいいな。

ちょっと疲れたよ^^;。

医局員が見たら誰の事か一目瞭然だな。

その節は本当に御迷惑おかけしました。

娘と二人でなんとかやっています。

 

ゴミ玩具

3歳の娘が、週末の公民館での開放プールを楽しみにしてる。

プールでは、一人一つ玩具持ち込みOKなので『私も娘に玩具を』と思った。

ケチなのもあるが、『プールの為だけに買うのも何だしなぁ』

と思い、家にある小さいペットボトルで、いわゆるゴミ玩具を作った。

ゴミ玩具とはいえ私なりに手をかけ、ビーズを中に入れたりして可愛らしく作った。

娘もとても気に入った様で、お風呂でもそれで遊んでいた。

で、週末プールにそれを持っていった娘、楽しく遊んでいたのに、どこぞのギャルママに

『何それ?手作り?ダサいね~、あんたのママ買ってくれないの?ダサイダサイ…』

と言われ。

娘はキョトン…。

しかも、そのギャルママの子までが、ダサイダサイ騒ぎだした。

娘は無視して私の方にやって来たが、その子がついてきて、ダサイダサイ連呼。

娘は半泣きになって、自分の玩具をプールの外に投げ出してしまった。

娘はその日、今までにないくらいにおとなしくなって、何も話したがらなかった。

私は少し心が痛くて

『新しい玩具買いにいく?』

と、娘に聞いた。

しかし娘は無言で、首を横にふった。

そして夜、娘が

『ママの玩具、投げたりしてごめんなさい…また遊んでいい?』

と言った。

嬉しかった。

 

どーしよーもないガキ

訳あって引き取り、育ててたかわいげ皆無なクソガキが、結構いい大学に受かった。

正月に親戚が集まったとき、俺の嫌いなおばちゃんに

「私たちのところで引き取ってたらもっといいところに行けたかもね」

って、そいつが言われてた。

そもそも、そのおばちゃんは、こいつを誰が引き取るかっていう親族会議になったとき、「私は絶対嫌」って本人の前で言いやがった。

一番経済的な余裕があるのに!

それで俺が勢いで「じゃー俺育てます」って言っちゃったんだけど。。。

俺はイライラしつつも、

「ああそうなのかもな、俺がもっといい会社に就職したりはやく出世したりしてれば、こいつにもっといい環境を与えてやれただろうし、塾だって通わせてあげれたのにな」

「よく考えれば俺があのときこいつを引き取るなんて言わなければ他のもっと金持ってる誰かがこいつを引き取っただろうし」

「あぁ、俺もしかして悪いことしちゃったのかな」

って思ってた。

そしたら、そのクソガキ、

「今の自分があるのは○○(俺の名前)さんのおかげだし、俺がこんなとこに受かれたのも○○さんのおかげです」

って。

言ったんだよ。

おばちゃん沈黙。

そいつ、普段俺の名前に「さん」なんかつけないんだ。

常に、えっらそーに俺を呼び捨てなんだ。

なのに。。。

本当に死ぬほど嬉しかった。

今まで生きてきた中で、一番嬉しかった。

帰りの車で、俺すっごい浮かれてて、そのガキに

「ありがと」

って言ってやった。

そしたら、クソガキが怪訝な表示した後、しばらくしてからマフラーに顔埋めて、そっぽを向いた。

どうやらクソガキは、その自分がその言葉を言った時、俺が襖一枚向こうにいたのを知らなかったらしく、「ありがと」と言われたことに照れてるらしかった。

すっげえかわいかったwww

俺、こいつ引き取ってからこの瞬間まで、こいつをかわいいって思ったことなかった。

クソ生意気で、補導はされるわ、女連れ込むわ、俺の大っ嫌いな煙草をわざわざ俺の寝室で吸うわ。

もう、本当にどーしよーもないガキだった。

けど、もう本当かわいかった。

実際に子供いたらこんな感じなのかなって思った。

 

子供の頃

夏休みに自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。
国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。
ペダルを漕がなくても。何もしなくても。

ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。
子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔。

しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。
当然けんかになっちゃった。泣いてね~よ。と全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。
交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるは、
蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。
でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。

今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。
家から電車でたかだか10個目くらい。
子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。
でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。

今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。
彼らもいつの日にか思うのだろうか。
今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、

あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。
もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。
あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。

 

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