父親の泣ける話 – 感動エピソード【5】全5話

父親の泣ける話 - 感動エピソード【5】全5話 泣ける話

 

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父親の泣ける話 – 感動エピソード【5】

 

 

父の遺品

身元不明のホームレスとして死んだ父親
身勝手な人だった。母の婿養子として結婚して店を継いだにも関わらず
遊蕩三昧で店をつぶし、借金を残して店の従業員と逃げた。
そんな父が私は大嫌いだった。
母と二人父の写真を燃やして、父のすべてに別れを告げた。
それから母子二人必死で生きてきた。
でも父の遺品として、私の写真と「娘へ」とマジックで書いたビニール袋いっぱいの小銭を
渡された時になぜか涙がこぼれてきました。
ずるいよ・・お父さん。

 

父の指紋

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

 

モダン焼の味

父はコックだった。小さなホテルだったがコック長をやっていた。
でもうちでは全然料理はしなかったし、母の料理に文句をつける
こともなく黙って食べていた。

高校になった時に、家庭科の実習でつくった料理の話をした時、
何気なく「お母さんの料理て、お父さんからみて美味しいん?」
と尋ねたら、「きょうは塩がちょっと足りんとか、少し砂糖入れたら
味がしまるんやがなあとか思うてるで。
けど家で作ってくれてるお母さんにそんなこと言うたらいかんのや」
と言って少し笑っていました。

朝は早く、夜は遅いという忙しい父でしたが、一度だけ母がいなかった
休みの昼に、モダン焼つくってやると言って、メリケン粉を混ぜて、
焼ソバUFOでモダン焼を作ってくれました。

それがものすごく美味しくて、さすがコック長だなあ、と思ったことが
今でも記憶に残っています。 父は在職中に55歳で亡くなりました。
今、たまにUFOでモダン焼をつくってみるのですが、
全然あの時の父のモダン焼の味になりません。

 

夢に出てくる

わたしが成人式を終えた年。
高校を卒業してすぐに一人暮らしをして働いていたわたしは
ふと実家が恋しくなり、その週末は実家に帰ることにした。

週末はいつも昼過ぎまで寝ている姉が珍しく朝から起きていて、
久し振りに家族全員が揃ってお昼ご飯を食べた土曜日、
リビングで昼寝をしていた父が、
心筋梗塞でそのまま目を覚ますことなく、ポックリ逝った。

突然のことに母は呆然としてしまい、
葬儀屋とのやり取りや役所や銀行などの届け出は
姉とわたしが走り回った。

わたし自身、何かに没頭しないと
へなへなになると内心思っていたからか、
お通夜から初七日までとにかく走り回って、
「悲しい」という感情が無くなったように涙ひとつ流れなかった。

仏壇の父の遺影を見ても実感が湧かないし、姉と
「もうちょっと痩せていた頃の写真使った方が良かったかなw」
と話していたくらい。

で、翌日に四十九日を控えた日の夜、夢に父が出てきた。

母と姉とわたしはお昼ご飯を食べ終えて、
仏壇のある和室でゴロゴロしてたら「ただいまー」と父が普通に帰ってきた。

夢の中、仏壇にも父の遺影は飾ってあるのになぁーと思いつつ、わたしは
父が帰ってきたことがすごく嬉しくて喜んだ。

お腹が空いたと言うので、わたしの残した冷食のエビピラフがあるよと
言ったら嫌がられたw
自分たちは真夏の格好なのに、父は何故かセーターを着ていた。
母からプレゼントされたセーターだと、生前の父に聞いたことがある。

皆でたわいない話をしていたが、日が傾き始めた頃に父が立ち上がり
「それじゃ、そろそろ行くわ」と玄関に向かって歩き出した。

直感的にもう二度と父に会えなくなる、と感じたわたしは
大泣きで父にすがり「嫌だ!行かないで!行かないで!」と叫び続けた。

母と姉、当の父も少し困った顔をしながら、わたしを見ている。
「もう行かないと駄目なんだ」と父に言われ、
あぁ本当にこれでお別れなんだと感じたところで目が覚めた。

夢から覚めてからもわんわん泣きに泣いた。
父が亡くなって初めて泣いた。

顔を見に来てくれたのかなと思ったけど、きっと父はもう夢にも出て
来てくれないんだなと思うと寂しくて仕方なかった。

何故か「二度と父には会えない」と強く感じたにも関わらず、
今でも年に一回くらい夢に父が登場する。
一緒にバッティングセンターへ行ったり、新作のゲームの話をしたり。

わたしが落ち込んだときに現れるので、単に自分の願望が出て来ている
だけなのだろうとは思うけど、あの夢だけは父が本当に来てくれたんじゃ
ないかなと信じている。

でもせっかく出てきてたのに食べ残しの冷食エビピラフを勧めるわ、
お気に入りのセーターを引っ張って袖をびろーんってさせるわ、
親不孝者の娘でごめんなさいお父さん。

 

親父の時計

大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はまだ時を刻んでいる。

 

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