ほっこりする話『天国に持っていきたい記憶』など短編5話【9】 – 優しい話・体験談まとめ

ほっこりする話『天国に持っていきたい記憶』など短編5話【9】 - 優しい話・体験談まとめ ほっこりする話

 

スポンサーリンク

ほっこりする話 短編5話【9】

 

 

趣味の悪い時計

大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。

「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽物であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽物子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ。最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」

オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・

親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。

 

 

天国に持っていきたい記憶

『ワンダフルライフ』っていう映画知ってますか?
自分が死んだ時に、たった一つ天国に持っていける記憶を選ぶ、っていう内容。
高校生の頃この映画を見て、何の気なしにママに聞いてみた。
「どのシーンを持っていきたい?」
ママは即答えた。

「アンタが生まれた瞬間かな。」

うちは大して裕福でもなかったのに、私が男の子苦手だったからなんて理由だけで、小学校から身分不相応な私立のお嬢さん学校に通わせて貰った。
なのにちっとも勉強しなくて、ママは何回も赤点取った私のせいで学校に呼ばれた。
受験もないくせに、授業についていく為に塾にも行かせて貰った。
そんなに余裕なかったはずなのに…。
でも当時の私は全然そんな事も考えないで過干渉だって反抗ばっかりしてフプチ家出。
たくさん怒らせ、泣かせた。

やっと専門まで出て、念願の幼稚園の先生になれた。
家にお金も入れられるようになった。
なのに無計画な妊娠…。しかも相手は4つも年下の学生の彼氏。おろしてって言われた。
産みたいけど、1人じゃ無理だよってママに言ったら、人殺しってひっぱたかれた後、

「私にまだ子宮があれば代わりに産んであげたのに…」って泣いた。
ママは子宮筋腫で子宮をとってしまっていた。

その後私の貯金と、今迄家に入れてたお金(ママが貯めててくれた)を合わせて、引っ越し、出産資金にした。
彼氏ははっきり言って自己中のDQNでまだまだ子どもだけど、なんとか説得したよ。
今はお腹の子どもに毎日話しかけてる。

24にもなって、これだけ大切に育てて貰ったのに、何一つお返し出来ず、いい年こいて最後の最後に心配や迷惑をかけたまま嫁に出た。
妊娠経過もよくなくて、度々お世話になってしまった。
みんな諦めた方がいいって言う中、あなただけが私の産みたい気持ちを尊重して、精一杯の事をしてくれた。
私の幸せのために祈り、叱ってくれた。
こんな大人になってもだめな娘だけど、やっぱり天国には初めて会えた日の記憶を持って行ってくれるかな?

ママの孫は、今週か来週には生まれるよ。
あなたを超えるのは難しいけど、私も娘に、あなたが与えてくれた愛情を伝えて行きます。

いつもごめん。
ありがとう。
世界一尊敬してます。
もうすぐバーバになるママへ。
もうすぐママになる馬鹿娘より。

 

血のつながっていない兄貴

育ててくれた兄貴が正月に結婚したんだ。
兄貴といっても血は繋がって無いけれど。

自分が5歳の時に親父が死んでから母親が女手一人で育ててくれた。
親父と結婚する時に双方の親から反対されて縁を切られているから
親族に頼れる人もいなかったし二人で暮らしてた。

で、自分が13歳の時に母親が再婚したんだ。
相手にはその時23歳になる息子がいて、その息子はもう独立していたから顔を合わせる事なんか滅多に無くて、家族になったという感覚は皆無だったな。

で、再婚して1年たたないうちに両親二人が旅行中に車の事故で死んだんだ。

一人で家に取り残された中学生の自分は警察の話もマトモに取り合えない位パニックになってたんだけれども、独立して遠くに住んでいた兄が急いで飛んできて葬式の準備やら何やら色々やってくれた。
葬式では母親側の参列者が全くいなかった事を今でも覚えてる。

「お前、ウチに住め。中学もこっちに通え」って言ってくれて。
兄貴には同棲している彼女がいて気まずかったり気恥ずかしかったりしたけれど、その彼女も本当に優しくて、二人には大学まで行かせてもらった。

それで、去年の内定式の後、兄貴と二人で近所の居酒屋で飲んだ時に卒業したら家を出ていくという話をしたら、
「お前がいるせいでアイツ(彼女)と如何わしい事が全然出来なかったんだぞ!もっと早く出て行って欲しかったわ」
と頭を叩かれたと思ったら急にボロボロ泣き出して、

「家族を亡くして一人きりで今まで寂しかったろう?辛い思いもしただろうに、よく頑張ったな」

って頭を撫でてきて。
自分も号泣ですよ。
店員は引いてたけれど。

で、クリスマスに兄貴と彼女と自分で家で食卓を囲んでいる時に、

兄貴「こいつももう卒業だ。今まで本当に苦労かけたな。でも申し訳無いがこれからも苦労に付き合ってくれ、出来ればずっと。結婚しよう」
彼女「ばか・・・良いわよ、当たり前じゃない」
自分「今まで本当にありがとうございました」

その後三人で泣いて泣いて。
そんでもって正月に婚姻届を提出してた。

あまりに嬉しかったから書いてみたかっただけ!
明日母さんの墓前に報告に行く!ひゃっほい!

よし寝る。

 

 

とっておきのワイン

ボジョレーの季節でしょ。
でも僕は下戸なんで、イマイチわからんけど。

いまいち仲が良くなかった父が入院する前夜、まあいつまで入院するかわからないけど
一応、別れの杯だ、なんて冗談めかして言ったんだ。
こんなの初めてのこと。
ワインが大好きだった父は、とっておいたビンテージ?を
開けて僕と自分につぎわけ、乾杯した。
母も珍しいこともあるもんだと言って、これまた珍しく家の中で写真をとった。

父と初めて対座して酒を酌み交わすってのが
なんとも居心地が微妙なもので。
かといって 下戸なのですぐに酔ってしまい、父はカラカラと、これじゃあ酒でまだお前に負けることはないなと笑っていた。

それで入院。
末期の食道癌で家に帰ることなく闘病4ヶ月であっけなく逝った。
最初で最後の父と息子の晩酌だった。

父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
僕は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、何か文字がメモしてあった。

「××(僕の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」

瓶を抱いて僕はずっと泣いてしまった。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。

それ以来下戸ながら、月の命日には赤ワインを開けて、父を思い出すようにしている。
僕はもう結婚まですませ子供もできたが、父の残したボトルは空けてない。

もっと酒を教えてもらえばよかったと、本当に思う。

 

 

お父さん凄すぎるよ

私の両親は自営で小さな喫茶店をしています。
私はそこの一人娘で、父は中卒で学歴がありませんがとても真面目でした。
バブルが弾けて景気が悪化してきた頃、父は仕事の暇な時間にお店を母に任し、バイトに出るようになりました。
景気はどんどん悪くなり、お店はモーニングやランチの時間以外はガラガラ、バイトも掛け持ちするようになりました。
一つ増え二つ増え、1番厳しい時は朝モーニングの時間お店に出て、それが終わったら弁当配達、そして再び店でランチをこなし、そのあと郵便配達に。
それがすんだら、店の閉店処理。
月曜から金曜までそうやって過ごし、土曜日は一日酒屋の配達のバイトに行き、日曜もアルペンで荷物運びのバイト。
足も肩もいつもパンパンで、母が夜よくマッサージをしていたのを覚えています。
50代で細身の父が休む間もなく、私の学費と住宅ローンのために働いてくれました。

結婚して親になって、本当に思う。
お父さん凄すぎるよ。
おばあさんの葬式の時、酔っ払った父が「お前の為なら何でもできる。たとえ火の中でも飛び込めるぞ。」と言った言葉は本気だったと思う。
家族のためにあんなに一生懸命になれる人を私は他に知りません。
私にも働き者のお父さんの血が流れてるんだから、どんなことでも乗り越えいこうと思います。

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました