グッとくる話『母親は万能だと思っていた』など 短編10話【10】 – しみじみ体験談まとめ

グッとくる話『母親は万能だと思っていた』など 短編10話【10】 - しみじみ体験談まとめ グッとくる話

 

スポンサーリンク

– しみじみ - グッとくる話 短編10話【10】

 

 

お母さんごめんなさい

小学4年生のとき
友達とちょっと遠くの公園までチャリで遊びに行く事に
なのでおこづかい頂戴って親に言ったら300円しかもらえなかった
皆1000円持ってきてるから1000円頂戴よ!って言ったら
だめって言われて、あとから親の財布から1000円くすねた。
財布に1000円しか入って無かったのに・・・
その当日の朝、靴はいてたらお母さんがきて
もう行くの?しょうがないから1000円あげるね
って言ってきた
でも当然そのその財布には何も入って無くて・・・
ごめんね。お財布に1000円なかったからあげられない。気をつけてねいってらっしゃい
って笑顔で言われた
10年以上経った今でも罪悪感で泣きそうになる

今も描きながら涙出てきた。
お母さんごめんなさい

 

 

親孝行ってどうするんだ?

いつも明るく気の強いうるさいかーちゃんだっただけにびっくり。
俺が「まだ死ぬと決まってないやん」と言うと帰ってきた答えは余命三年と医者に言われたとの事。
確実に心臓は悪くなってるから準備と覚悟して起きましょうと言われたから喪服を作りに連れてきたらしい。
それを聞いた俺は喪服作りながら号泣。
心臓移植は莫大な金がかかるから無理だし死を受け入れるしかない。
みんなに聞きたいんだが体に負担をかけない親孝行ってどうするんだ?
旅行とかは心臓に負担がかかるから無理だし、もう少し歩くと動悸が激しくなる。
誰か教えてください…

>>
あなたが頑張って生き抜くこと

 

 

アンタはアタシの子供だよ

俺は2年程前にうつ病にかかりました。服薬もしたし、会社も休んだ。
でも全然良くならないんだよ。
食事も摂れないし眠れない。苦しくて苦しくて仕方が無かったんだ。

ある夜、「もう無理だ」って思って自殺をしようと決意した。
両親が寝静まってから持ってる限りの眠剤と酒、それと包丁。
眠剤飲んで、酒飲んで、首を切ってしまおうと思ったんだ。
2月の深夜3時頃だったと思う。

家族で過ごしたリビングで最後のタバコで1服して、「さぁ、やるか」と思って。
遺書と預金通帳も用意した。暗証番号のメモも置いといた。
少ないけれど貯金があるから。葬儀費用とかはこれでまかなってもらおうと。

その時、母親の勘かなぁ トイレでも無いのに母親が起きてきたんだよね。何故か。

俺の居たテーブルの前に座って。置いてある眠剤とかを一瞥して。

何も言わなかったよね。二人して。それからどれ位経ったかなぁ・・・
母親が自分の着てたハンテンを「寒いだろ」って俺に着せようとするんだよね。

「もう子供じゃないんだから」って言ったら一言。

「年がいくつになろうと、アンタはアタシの子供だよ。
世界にひとりしか居ない、アタシだけの子供だよ・・・」

年甲斐も無く号泣したよ。
絶対うつ病、治そうと思ったよ。

 

母親は万能だと思っていた

親は万能だと思っていた。
お腹が痛い時、お母さんに「お腹痛い」と言えば治ると思っていた。
ジュースがこぼれた時、お母さんに言えば綺麗にしてくれた、それと同じだと思っていた。

親の背中が自分より小さくなってる事に気付いた時、私はもう大人だったけど
自分でもビックリするほどショックだった。
どうやら私は、親が年老いたり死んだりする事に大人になっても気づいていなかったらしい。

 

 

当時携帯電話は高価だった

15年前の話です。

今でもそうだが人付き合いの苦手なオレは、会社を辞め一人で仕事を始めた。
車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取付の仕事。

当時まだ携帯電話は高価で 俺は仕事の電話をポケベルに転送し、留守電を聞いて
お客さんに連絡するという方法しか取れなかった。生活さえギリギリだった。

ある日 母親が九州の実家から関東の俺の家まで訪ねてきた。遠くから来た親を
いたわることもせず、無愛想な俺、ホントにバカだ。俺を心配し、掃除、洗濯 料理を
作り山ほど食糧を置いて母は帰郷した。バカ息子は見送りもしない。

仕事から帰宅した俺は母の手紙を見つけた。「仕事頑張って下さい、少しですがこれで
携帯電話でも買って声を聞かせて下さい。」手紙にはお金が同封されていた。
手紙を手に俺は、わあわあ泣いた。

カメラやメールなんて出来ない。メモリーも50件しか入らない初期の電話。
でもこの電話にどれだけ助けられただろう。俺には最高の宝物。

母の日に電話を送った。ちゃんとお礼をいわなければ。
「おかあさん どうもありがとう」と。

 

 

男が最期に帰る場所

死んだばあちゃんが言ってた。
「特攻隊の兵隊さんたちは敵艦に突っ込む時、怖くて叫ぶんだよ。
でも、テレビみたいに天皇陛下バンザイ!何て誰も言わない。
みんな『おかあさーん!』って叫びながら死んでいくんだよ」
男が最期に帰る場所は、やっぱり母親かな・・。

 

 

決して東京に来なかった母

東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。
母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。

そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、
東京のガイドブックが出てきた。
皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしくボロボロになってた。

親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。
自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、
俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。

俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は何回も何回も息子が来いと言ってくれたと喜んでいたらしい。
一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…

死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。

 

 

母とネコ

母に夜中の大運動会をいつも叱られていた飼いネコ。
喧嘩は弱いし気だけ大きいし暴れん坊だし、マジ阿呆でバカな愛しいネコ様。

少し前、母が末期癌になって、腫瘍がデカくなったせいで下半身が麻痺してしまい、
家の階段を一段一段腰掛けながら降りていた。するとネコが無言のまま隣に来て、
階段を一段一段母に合わせてゆっくり下り始めた。

母が止まるとネコも隣で止まって母の方を見る。
母がネコの方を見るとプイッと顔をそらす。

そんな母が死んだ時、母の亡骸にネコが近寄っていつも通りに鼻ゴツンをしようとして、
はっ…と何かに気付いたかのような顔をしてゴツンするのを止めた。

母が亡くなって3ヶ月、いつもずっと一緒に寝てくれた。
大運動会は雨天延期か知らんが、夜中はずっとお互い抱きしめて寝てた。
オレはネコの腹を、ネコはオレの顔を抱いていた。
オレはちょっと息が出来なかったが。

今は夜中の1人大運動会が復活して、全く一緒に寝てくれない。
そんな大運動会を叱る母の怒号だけが聞こえない。

 

 

誕生日に貰った物

嫁と付き合って一年目の誕生日に貰った物

二人で行った旅行の写真
二人で見た花火大会の写真
二人で作った料理の写真

そしてこんなメッセージ

『これからも二人で一緒に思い出を増やしていきたいな』

それから三年経ちましたがまだまだ付き合い始めた頃のトキメキを忘れずに楽しい新婚生活を送っています

 

 

嫌がらせで粘着されてた

地震前からサイトの日記や絵に対して「下手なくせにこのCP描くな!」「閉鎖しろ」と
毎日コメをしていき、支部にうpしてる絵にも1点入れる嫌がらせで粘着されてたんだが
それが地震後パタリと止んだ
昨日サイトの方に同じやつからまた「早くこの絵下げろ、下手くそ」とコメがきてたので
コメ返に「無事だったんですね、よかったです」と書いたら
メルフォから「ごめんなさい。ありがとう。本当にごめん」と送ってきた

粘着するほど私の絵が大嫌いだったんだろうけど罵倒コメは逆にやる気になったわ
これからも絵描き続けるし、お前も頑張って生きろ

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました