感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【15】
「ロク」な大人って何さ?
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかは
お誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って、夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。
あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して、息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
この前の、子供の日。
夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」
「今からでも第二子は遅くない」「今の医療なら、なんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がありませんでした。
うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。
ああ、仕方無いが、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思ってた。
その時、今年小5の息子が、鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」
「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」
一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2~3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」
飛び出していったよ。
次の週
「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。
誰かに聞いてもらいたかったんだ。
17年ぶりに親父の顔を見た
俺の両親は3歳の時に離婚した。
親父の暴力が原因だった。
親父の顔は覚えてないけど殴られた事だけは覚えてた。
母は親父の話をするといつも嫌な顔をした。
そんな母が、俺の二十歳の誕生日に親父の連絡先を教えてくれた。
「会うかどうかはお前に任せる」
そう言って。
まぁ電話して会う事になって、17年ぶりに親父の顔を見た。
俺はバカだから、何を話していいかわからなくてブン殴ってしまった。
自分が何て叫んでたかはちゃんと覚えてないけれども、周囲の人間の目を気にしないで、自分で殴り飛ばした親父の胸で泣いていた。
延々と泣いてる俺の肩を掴んで、親父は一言
「お前はもっと痛かったんだよな」って。
そう言って俺が殴った頬をさすりながら真剣な顔で俺を見ていた。
それでまた泣いた。
落ち付いた後、親父と酒を飲んだ。
どうってことない普通の居酒屋でだ。
今何をしてるか。
母が元気かどうか。
再婚した親父の家庭は上手く行ってるのか。
そんな話をしながらずっと飲んでた。
帰り際に「母さんに渡しといてくれ」と言って俺に封筒を渡した。
帰って母に渡したが、俺はしばらくそれが何か知らなかった。
俺も今は27で、社会に出て、結婚もして、そこそこの生活はしていると思う。
最近、親父が死んだと聞いて、その時は悲しいけれど不思議と涙は出なかった。
あの時さんざん泣いたせいなのかなー、とかドライに考えてた。
が、
母にあの時の封筒の中身が何だったのかその時聞いた。
俺名義の口座の通帳だったらしい。
一緒に酒を飲んだ時、親父は「今の家庭は上手く行ってるよ」なんて言ってたが、母に聞いたところ、再婚はせずにずっと一人で暮らしていたらしい。
毎月、給料からその口座に一定額入金していたらしく、通帳には綺麗に同じ金額が並んでた。
(後で記帳したら、親父が死ぬギリギリの月まで、毎月毎月入金されていた)
その話を聞いて、はじめて泣いた。
葬式では、その時よりも親父を殴ったときよりも、もっともっと泣いていた。
親父が再婚したなんて嘘をついていた理由はわからないままだったけど。
ありがとう。そう素直に思った。
どんな時も泣かなかった母の涙
うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。
母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。
ヤクルトの配達や近所の工場とか、土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無いな・・・
俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。
夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は学校さぼって朝起きないことも多かった。
んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで遊んでて、当然金は無い。
そこでやっちゃった。盗み。詳しくは言えないけど、まあ、空き巣だね。
ただ、小心者の俺はその日に自首したんだ。良心が、とかじゃなくてびびっただけw
警察に俺を迎えに来た母さんはほんとに悲しい顔してた。でも泣いてはなかった。
一緒に家庭裁判所行ったときも、割と落ち着いてたね。
裁判所の帰りの電車で俺あやまったんだ。ボソッと「ごめん。」て。そしたら、
「お母さんこそお前に申し訳ないよ。ろくに小遣いもやれないで・・・
本当にお前がかわいそうで・・・すまなくって・・・」
俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。声出して泣いてたと思う。
何やってんだ俺。何やってんだ俺。って思って、情けなくて申し訳なくて・・・
ここでも母さんは泣いてなかったな。ただじっとうつむいてただけだった。
俺はその後必死になって勉強した。昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。
そして翌春に何とか大学に合格。バイトは続けながら大学生活が始まった。
でも、母さんはなんとなく俺のことがまだ心配なようだった。
母さんも相変わらず働きづめだから、そんな生活の俺とはあんまり会話がなかったし、
家が貧乏なのに変わりは無かったしね。
だから俺、入学後も一生懸命勉強した。
自分の為っていうより、母さんを安心させてやりたかった。
それで大学1年目の終わりに、
「母さん。ちょっと見せたいものがあるんだ。」
そう言って紙を一枚渡した。
大学の成績通知書。
履修した科目が全部『優』だったから(マジ)。
最初は通知書の見方がよくわかんなかったみたいだけど、説明したら成績が良いのはわかったみたい。
母「へえ、すごいね・・・母さん科目の名前みてもよくわかんないけど、すごいんでしょ?これ。」
俺「すごいかどうかはわかんないけど・・・」
母「・・・すごいね。・・・偉いね。」
俺「だからさ・・・こんな物だけで偉そうに言うのもあれだけど・・・
俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから。」
そしたら、母さん泣き出しちゃった。もう号泣。
そこで気付いたんだけど、俺、母さんが泣くのを見るの初めてだった。
きっと、何があっても子供には涙は見せないようにがんばってたんだと思う。
それを思ったら俺も泣き出しちゃったw 母さんより泣いてたかもw
はあ・・・親孝行しなきゃな・・・
母に聞こえた幼児の声
我が家の仏壇には、他より一回り小さな位牌があった。
両親に聞いた話では、生まれる前に流産してしまった俺の兄のものだという。
両親はその子に名前(A)を付け、ことあるごとに
「Aちゃんの分も○○(俺)は頑張らないと」
などとその兄のことを持ち出してきて、それがウザかった。
そして高校生のころ、典型的なDQNになった俺は、あまり学校にも行かず遊び歩いていた。
ある日、母親の財布から金を盗んでいるところを見つかった。
母親は泣きながら
「あんたこんなことしてAちゃんに顔向けできんの!!」
と怒鳴ったが、俺も鬱憤がたまっていて
「うるせー!だったらてめえAじゃなくて俺を流産すればよかっただろうが!」
と怒鳴り返してしまった。
そして売り言葉に買い言葉だったのか、母親が
「そうだね!Aじゃなくてアンタが死んどったらよかった!」
と叫んだときだった。
「そんなことゆったら、めーー!!」
という叫び声が頭の中に響いた。
舌っ足らずでカン高いその声は、ほんの幼児のものに聞こえた。
母親にも聞こえたようで、2人で
「え?え?」
と周囲を見渡すと、拝む時以外はいつも閉めている仏壇の扉がいつの間にか開いていた。
それを見た瞬間、母親号泣。
おかしくなったのかと思うくらい、腹から声上げて泣いてた。
喧嘩してたのも忘れて慌ててなだめると、
「許してくれた…」
「許してくれてたんだ」
って何回もつぶやいてる。
そして母親はぽつりぽつりと話し始めた。
Aは流産したんじゃなかった。
俺と一緒に生きて産まれてきた。
Aと俺はいわゆる『結合双生児』だった。
でもAの方は俺に比べて未発達で、体もずっと小さかった。
俺の胸の部分に、手のひらくらいの大きさのAがくっついてるような状態だったらしい。
手術で切り離せばAは確実に死ぬ。
でも両親は俺のために分離手術に同意した。
未発達とはいえAは顔立ちもはっきりしていて、手術前、
「ごめんね」と謝る母親の顔をじっと見ていたそうだ。
それから、母親はずっと
「Aは自分を切り捨てた私たちを恨んでいるのでは」
という思いがぬぐえなかったのだという。
だから俺にも必要以上にAのことを話して聞かせていたのだろう。
Aの犠牲の上にある命なのだということを忘れないために。
あの時聞こえた声がAのものである確証は何もない。
俺と同い年なら、子供の声っていうのもおかしいし。
でも、あの声は俺たちを恨んだり憎んだりしてる声じゃなかった。
家族が喧嘩してるのが悲しくて、幼いながらも必死で止めようとしてる、そんな感じだった。
もしあの声がAなら、Aはきっと家族を許してくれていて、ずっと見守ってくれているのだろう。
だから母親も俺も、あの声がAだと信じたかった。
俺は声が聞こえた日からまじめに学校に通い始めた。
兄貴に一喝(?)されて、もう馬鹿やってる場合じゃねーなって気持ちになったから。
そんで勉強もかなり頑張って、現役で大学に合格できた。
合格発表の日、朝からゲロ吐きそうなくらい緊張して、掲示板見た瞬間にあまりの嬉しさに
「うがああああ」
って変な声上げちゃったんだけど、その時、俺の奇声にかぶせて、あのカン高い声が
「やったあー!」って聞こえてきたんだよね。
俺、本気で泣いた。
またいつか、声を聞かせてくれると信じてる。
諭してくれた人
交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。
付き合い始めの頃、それを気にして一歩下がるように歩いてた私に気付いて、手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。
家に帰ってから訳を聞かれて
「○君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから」
って言ったら
「どうしてそんな考え方をするんだ」
と怒られたので
「大好きだった○君と付き合えてるだけで幸せだから。
私と付き合うことで○君に少しでも嫌な思いをさせたくないから」
と言ったら
泣きながら私の両手を持って、目の中を覗き込むようにして諭してくれた。
「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。
俺がお前を好きで一緒にいたい、付き合いたいと思ったから付き合ってるんだ。
お前の体のことなんか、ずっと前から知ってたけど、一緒に歩いて恥ずかしいなんて一回だって思った事はないよ。
お前がそんな風に考えてるのが俺は悲しい。
俺に気を使わないで。自分の事を恥じないで。
もっと自信をもって胸を張ってほしい。
ずっと並んで歩こうよ。お前は俺の自慢の彼女なんだから」
私のことをここまで思ってくれる人には絶対会えないと思う。
すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。
今は、どこに行くときも並んで歩いています。
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