『最後の日まで楽しむ!』など短編5話【26】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『私の目の前に子猫を置いて』など短編5話【81】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【26】

 

 

最後の日まで楽しむ!

私には2歳年下の弟がいます。
今年、30歳になり弟は28歳です。
私自身、親からの遺伝で腎臓を弟から貰い、親も弟には申し訳ないと常日頃から感謝していました。
そんな弟は、100キロを超えるようなキャラクターに似合わず、行動がイケメンですw
そんな弟が、去年の私の結婚式で誰よりも先に泣き、最後まで泣いていました。
何故、泣いているのか両親も分からず、親族一同キョトンっとしていました。
そんな、理由が最近分かりました。

弟は22歳の社会人1年目の頃に、母親の遺伝で心臓病になっていたのがエコー検査でわかっていた様です
その事は誰にも相談せず、1人で黙々と治療していたそうです。
担当医から聞いたのですが、発見が遅く移植が必要らしく、ドナー待ちでした。
弟は、25歳の時に移植が出来ないなら余命は2年無いと言われていた様です。
そんな中、26歳で私が結婚式を挙げるので、担当医にも何でも良いから結婚式まで生かしてくれ。
と、泣いてお願いしていたそうです。
弟が突然倒れて、そのまま還らぬ人になってから知りました。

弟は私の事を尊敬してくれていたそうで、会社の人にも話していました。
会社のデスクには、弟の手帳が遺されていました。
1人で耐えてきた弟に気付いてやれず、未だに後悔が絶えません。
両親も、弟の手帳が辛くて見れず、私が預かりました。
妻と一緒に読んで、最後のページにはでっかい文字で、

『最後の日まで楽しむ!!心配させない!!家族に感謝!!』
そして、小さい文字で
『ありがとう。この家族で良かった。』
と書いてありました。
さらには、

『残った腎臓も兄貴に渡せないか。』と。

実現はしませんでしたが、私の移植手術をした先生に相談したそうです。
自分が死ぬと分かってから、私に同じ事が出来るのか!?
私は泣きながら、「出来た弟だよね。」と両親に報告して、両親に手帳を渡すことにしました。

これからも、弟には感謝です。

 

 

今日も頑張っています

私は個人塾の塾長をしています。
私事ですが、是非とも伝えたいことがあります。
昨年度は今までになく辛く、そして熱い年でした。
それは私が病気になってしまったからです。
まず病状の変遷ですが、おととし糖尿病を発症。
昨年より悪化してしまい、7月には糖尿病網膜症により失明寸前となりました。
目の手術にしてはかなり長い手術に2回も耐え、目が回復したと思いきや今度は腎臓が悪化、
慢性腎不全の末期で全身がむくんでしまい、服の上からでもむくんでいるのがわかるくらいに太ってしまいました。
更に全身に水が溜まり、苦しさと肺からの異音により
まともに眠れず、吐き気も続き、少し歩くだけで息が切れてしまい、階段の昇降も辛い状態でした。

それでも預かったせいとは1人残らず合格させたいという思いから、生徒の前では辛そうなそぶりを見せることはもちろんですが、授業に穴をあけることもしませんでした。
しかし、毎日「今日は倒れるかもしれない」と思っていました。
そんな私の思いが生徒に伝わったのでしょうか?
態度の悪い生徒は、うちの塾には1人もいません。
更にうちの生徒は素直でへこたれない強さを持っています。
授業崩壊は塾でも起こりますが、うちの塾ではそのようなことはありません。
私の必死な姿は、理屈抜きで生徒たちの心のなかに浸透するのだと実感しました。生徒たちの純真さに感動しました。
ちなみに昨年度の入試は全員合格致しました。
結局3週間以上入院し、その後は人工透析をしています。
6月末には、目の完全手術も受けました。
そのような状況ではありますが、生徒たちや保護者様からの励ましのお言葉を支えに、今日も頑張っています。
現在は1級障害者となってしまいましたが、障害者だからこそ世の中に伝えられることはあると思います
健康で頑張れる環境にある人は幸せだと思います。
個人的な経験ですが、少しでもくじけている人や絶望している人のお役に立てればと思い、筆を執らせて頂きました。

 

私と手をつないでくれた先生

私が生まれてすぐ両親は離婚し、母の実家で祖父母、母と暮らしていた。
母は私を育てるため、毎日毎日遅くまで残業していて、朝しか顔を合わせない日もたくさんあった。
休日は母は疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ連れて行ってもらった記憶もほとんどなかった。
父兄同伴の遠足や運動会も、友達みんながお母さんと嬉しそうに手をつないでいるのを見てやりきれない気持ちになった。
私は手のかからない子供だったと思う。
自分の感情を抑えて「会社休んで参観日に来て。」なんて無茶を言ったことなんかなかった。
一人遊びも上手だった。
すべてに遠慮して幼い頃から敬語を使う子供だった。

小学校3年くらいのことだった。
遠足に行った後、作文を書くように言われた。
「五感」をテーマに書けと言われたんだと思う。
先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を説明してくれた。
私はその中で触覚というものをテーマに選んだ。

遠足で山道を歩き学校までの道、皆2列になって手をつないで歩くわけだが、私は列の一番後ろを歩いていた。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていたのだがその時、
先生が来て、私と手をつないで歩いてくれた。
いつも先生が手をつなぐのは、もっと手のかかる子ばかりで私はいつも羨ましいと思っていたのだと思う。
なんだかすごくドキドキして嬉しくて、涙で前がよく見えないまま学校に着いた。
作文には遠足の帰り道の先生の手が暖かかった、と書いたと思う。
私の作文を読みながら先生が
「手くらい、いつでもつないであげるのに。」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれた。
友達たちは、私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで私に聞いてきたが、振り切ってトイレに走って行ってまた泣いてしまった。

 

 

あの人らしい

5年前に亡くなった祖父のこと。
祖父は人付き合いが上手い方ではなく、それは家族に対しても同様で、特に子供に接するのは苦手としていたらしい。
そのせいか小学生時代の俺には、祖父はいつもムスっとして機嫌が悪く怖い人に見えた。
そんな祖父に理解を示し、自分から歩み寄るほど出来た子供ではなかった俺は、必然的に彼と距離を置いた。
祖父と馴染まないまま月日は経ち、俺が小学5年生になった秋のある日、俺は目に怪我をし入院した。
馴れない入院生活を気遣ってか、毎日父や母、祖母や兄たちが病室に訪れてくれた。
祖父だけは1度も姿を見せなかったが『あの人らしいや』と別に気にもとめなかった。
それほど俺と祖父の関係は冷めたものだった。 少なくとも俺にとっては。

その頃から俺は人と話す時、必ずなにかしらネタをやりたがるヤツで、 入院中よくやったのは誰か見舞いに来た時に「帰ってよ」と言いフトンにもぐる、
というものだった。
これは当時人気のあったバラエティ番組のネタで 確か島田神助演じる女のマンションに明石屋さんまが来るのだけど 神助は「かえってよ」「もうこないでよ」と言いドアを閉める、というものだったように思う。
そのギャグは大抵みんな知っていったので、見舞いに来た時の挨拶代わりみたいなものになっていた。
その日、俺はする事も無く(目のケガなのでマンガも読めない)昼間から目を閉じボーとしていた。
その俺のベッドの横に誰かが来る気配がした。
昼間ということもあって俺はそれが家族の誰かだと判断した。
誰か確認することもなく、ガバっと布団を頭からかぶると「帰ってよ」と言い放ちリアクションを待つ。
だが何の反応も無いまま、やがてその誰かは何も言わずベッドから離れて行った。
不思議に思い布団から顔を出すと誰もいない。 一体これはどういうことなのか?
しばらくすると病室に看護婦さんが入ってきて、こう言った。

「今○○ちゃんのおじいちゃん来てたわよ。一人で来てたけど、ちゃんとお話した?」
後で知った話。
祖父は実は家族とよく見舞いに来ていたそうだ。
ただし家族と一緒に病室には入らず大抵廊下にいるか、ロビーで待ってるかしてたらしい。
どうしてその日一人で来る気になったのかは判らない。
だが、祖父は一人で俺の見舞いに来てくれたのだ。 そして俺に「帰ってよ」と言われた。
そして俺の希望通り帰った。
祖父は…テレビなどめったに、ましてやバラエティ番組など見ない人だった。

1週間後、俺は退院し家に帰った。
祖父はいつものように怒ったような顔で自分の部屋にいて、俺を見ても何も言わなかった。
俺もバツが悪くて何も言えなかった。
むしろ『何も言わんと帰ったじーちゃんが悪いんや!』くらいに思っていた。

数年後の冬。祖父が亡くなったのを聞いたのは遊びに行った先でのことだった。
電話で母の「おじいさん亡くなったで」という言葉を聞いた瞬間、真っ先にあの病院でのことが鮮明に思い出された。
俺は自分が大人になって酒など飲めるようになったら、じいさんと飲んであの時の事をあやまろうって、ずっと思ってた。
だが上手いタイミングを作ることが出来ないまま日々を過ごすうち、祖父は病に伏せ、そして行ってしまった。
『じいさんゴメン。あん時はほんまにゴメン』
墓石にあやまってもしょうがない。
そう思いながら、他に出来ることのない俺は今も謝り続けている。

 

 

母さんを旅行に連れて行ってやろう

高校卒業してから4年間何にもしないで家で金を使うことしかしてなかったんだ。
ネトゲやったりとかゲーム買ったりとか。
たまに親にも怒鳴り散らしたりもしたな。
そんな駄目な俺が2年くらい前かな。
カーチャンスレ見てから必死でバイトと勉強してやっとCMとかやってる大手企業に就職できたんだ。
本当にうれしかったよ。
やっと親孝行ができると思ってね。

そんで去年かな。
ある程度お金が溜まったから旅行に連れて行ってやろうと思って内緒で旅行を予約したんだ。
定番だけど温泉ね。
出発の一ヶ月前に内緒で家に帰って発表したら
「ありがとう・・・。本当にありがとう・・・。」
と涙を流しながら喜んでくれたんだ。
この為にお金を貯めたのかってくらい嬉しかったよ。
そんで、それを近所とかに自慢してやがる・・・。
一人暮らししてるから近所のおばちゃんから帰省の時に言われたときは恥ずかしかったw
それで出発の3日前になって電話が掛かってきたんだよ。
けど仕事中だから電話に出られなくてさその時は無視してたんだ。
んで後でかけ直したら親父が出てさ
「旅行は中止だ・・・。」
って涙声で言うわけ。

訳が分からなくて
「何でだよ?風邪でも引いたの?」
と聞き返したんだ。そしたら後で
「母さんが・・・ひき逃げされて・・・それで・・・。」頭が真っ白になってその後はよく覚えてないけど。
気がついたら葬式の準備が進んでたんだ。
結局母さんは2日間意識不明だったんだけど容態が急変して死んじゃったんだ。
楽しみにしていた旅行が最悪の轢き逃げの所為で葬式になっちまったんだよ。
母さんの遺品を整理しながら自分を悔やんだね。
なぜもっと早く親孝行出来なかったのかと。

遺品の中にあった日記帳にはさ
「○○が旅行を予約しててくれたみたい。やったー!」
とか
「旅行まで残り3日!!前日には○○も来るだろうから一杯ご馳走を作れるようにしとかなくちゃ!」
とかギッシリ書いてる訳。
それ見てたら泣けてきてさ。
濡らしたらもう読めなくなるのに。
涙で文字が滲んで読めなくなるのにボロボロと流れてきたんだ。

その後で家から出てって犯人捜したけど結局見つからず。
たぶん捜査は殆ど終わってると思う。
だからこんな事が起こる前に恩返しできるやつは早く恩返ししろってこと。
今は父さんに恩返ししてる。
あと飲酒運転とかしてるやつは絶対にするなよ!
絶対にだぞ!!

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