感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【3】
私は幸せだよ
小さい頃からひいおばあちゃんの介護を一人でしてた。しかも義理の。
おばあちゃんたちは先に他界してたから、カーチャンしか見る人がいなかった。
離れに住んでたんだけどいつもいつもブザーがなって呼び出されてたな。
夕飯も自分たちのよりおばあちゃんのが先。寝たきりだから体ふいてあげたり、しもの世話までしてた。
痴呆でぼけちゃってるから食事も投げつけられたり、誰もいないのに「あそこに女の子がいるからおい払え」とか怖いこと言われたり。すさまじかったと幼少ながら記憶してる。
介護があるから旅行なんて全くしたこともなかったし、うちに友達を呼ぶのも禁止だった。
小学校高学年のある日、カーチャンがトイレでうずくまって泣いてるの見てしまった。いてもたってもいられず、思わず手紙を書いた。
お母さん泣かないで、自分も妹と一緒にお手伝い頑張るから、とかそんな内容。まだ文字も書けない妹に鉛筆持たせて、一緒になまえかいた。そんで居間のテーブルにおいといて、寝た。次の日の朝、テーブルの手紙は無くなってたけど、特にカーチャンは何も言わなかった。
結局ひいおばあちゃんは、自分が中学に上がるまえに無くなった。
あれから15年の月日が流れ、自分は25歳になり、去年結婚することになった。
結婚する前夜、カーチャンは色褪せたそのときの手紙を大事そうに持って来て見せてくれた。
そんで、「私はあんたのカーチャンになれて本当に幸せだよ、自慢の子供なんだ。幸せになってね。」って言って、初めて自分の前で泣いた。自分もないた。
カーチャンみたいに無償の愛情を注げる人間になれるよう頑張るよ。
南の島の老人
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
体が動かなかった
この間風邪をこじらせ、会社を早退した
一晩寝たら治ると思ってたが、次の日目が覚めたら体が動かなかった
枕もとのポカリ飲むのがやっとで、マジで這う事も出来ない
鞄の中で携帯が鳴ってても、そこまでたどり着けない
その内目の前が真っ白になってきて、あーこれヤバいと思いつつ意識が飛んだ
そしたら思いっきり鼻を噛まれて目が覚めた
忘れてたんだが俺は一人暮らしで、猫(メス・推定5歳)と住んでいる
不規則な仕事なんでこいつのメシと水は、
三日分くらいストック出来る自動給餌機使ってるんだが、
起こしに来たって事はメシが無くなったって事だ。それにトイレ掃除もしてない
これはいかん、と思って死に物狂いで布団から這い出した
時々ふっと意識が途切れたが、その度猫に噛まれて覚醒
何とか部屋の真ん中まで来たところでまた携帯が鳴った
必死で出たら会社の同僚だった
何か言ってるが、全然頭に入ってこない
とにかく体が動かない事を伝えた所で本当に意識が飛んだ
次にハッキリ目が覚めたら病院にいた
医者の話を聞いて驚いたんだが、
俺は過労と栄養失調から風邪がこじれて肺炎になりかけていたらしい
ついでに早退した次の日と思ってたら、既に三日経っていた
熱で意識がぶっ飛んでいたらしい
同僚が来て救急車を呼んでくれなかったら、本当に死んでいたそうだ
付き添っていてくれた同僚に礼を言った後、猫の世話を頼んだ
迷惑とは思うが、メシと水とトイレの始末してもらえば後は何とかなるから
そう言ったら、同僚がちょっと変な顔をした
「いや、猫いなかったぞ?つーか、猫の物なんか無かったぞ」
覚えてないが救急車で運ばれる前、俺はずーっと猫の事を言い続けていたそうだ
だから世話をしようとしてくれたそうだが、
猫もいなければ給餌機もトイレも見当たらなかったらしい
「仕方ないから、コンビニで猫缶買って開けてきたけどさ」
そんな訳無いだろ、と言い掛けてぞっとした
何で忘れてたのか分からんが、猫はもういなかった
3月の頭に車に轢かれて死んで、あいつの使っていたも物全部処分した
その事言ったら、今度は同僚が青くなった
俺が電話に出た後ろで、猫がでかい声で鳴いていたそうだ
俺は今朝退院して所だが、連休に入ったら墓参りに行く事にした
交差点での出来事
今日、近所の交差点で車に乗って信号待ちをしていると、前方の右折車線でジリジリ前進している車がいた。
明らかに信号が青になった瞬間に曲がっちまおう、っていうのが見え見え。
この道路は主要幹線(って言っても所詮田舎のだが)で交通量も多い。確かにこのチャンスを逃したら、右折信号が出るまでの数分は足止めを食らうだろう。
俺は「ほんの数分も待てねーのかよ。やらせっかよ、このDQNが」と毒づきながら、信号が変わる瞬間を待っていた。
当然譲る気は無い。昼飯前の空腹感と暑さが俺を少々苛立たせていた。
すると、いきなり、俺の左の車線の車から中年の男性が降りてきた。自分の車を放っておいて。その車には誰も乗っていない。
もうすぐ信号が変わる大通りで信じられない出来事。
そのおっさんは、俺の車の前に背を向けて立ち、『止まっとけ』のサインを出しつつ、右折しようとした車に『早く行け』と手を振った。
右折車が結構なスピードで右折していく。しかし、俺の目にははっきりと見えた。
苦しそうな顔の女性が。助手席の窓にまで達した大きな腹。明らかに妊婦。
俺は、咄嗟に助手席の窓を全開にし、小走りで車に戻ろうとしていたおっさんに叫んだ。
「ありがとう! 全然気づかなかったよ!」
おっさんは、ちょっとびっくりしたような顔をすると、
「仕事が交通整理なんでな!」
と、笑いながら言い返してきた。その顔の誇らしげなこと。とても眩しく見えた。
後続車の猛クラクションの中、俺たちは慌てて発進した。ハザードを2回焚く。多分、隣の車も。
結果的に俺は何も出来なかった訳だが、あそこで「ありがとう」と言えた自分に感謝したい。
素直な感謝の気持ちをそのまま言葉にする。
自分が本当に思っていることを口にして言うだけなのに、それが恥ずかしくて出来なかった、愚かな俺。
いままで、本当に言いたいことも言えず、へらへら生きてきただけの自分を後悔する毎日だったから。
それがちゃんと出来ることを教えてくれたおっさん、本当にありがとう。
そして、あのときの妊婦さんが、元気な子供を生んでくれることを、心からお祈りします。
死んだ父が4歳の長男に
お父さん、どうして勝手に逝ったの?
あんまりだよ
前日まで、ひょうひょうとしていて
仕事もバリバリしてたじゃない
何故?どうしてなの
誰も、お父さんの苦しみに
気がついてやれなかった
本当にごめんなさい
お父さんが死んでから
地獄だった
家族が皆、自分を責めてたんだ
妹も、弟も、母も
皆、追い込んだのは私だ!と
お父さんの写真も正視できなかった
あれから、時は過ぎたけど
心のどこかでは
お父さんを死なせたのは私だ……と
罪を背負い続けてる
父が死んだとき、私の長男は4歳だった
厳格な父は、孫をも寄せ付けないほどの
確固たる人だった
それが
どういう訳か、この長男だけは
可愛がってくれた
遠方に住んでいたから
父と触れあうなんて、年に数回だけなのに
我が家の七不思議のひとつだったんだ
子ども嫌いが、何故?……と
父が死んで、49日を過ぎた頃……
長男の前に、現れるようになった
長男が突然、部屋の角を指差し
『じぃちゃんが、あんパン食べたいって言ってるよ』
私は、4歳の言っているだからと相手にしなかった。でも、あんパンは父の好物だった。
数日後、また長男が
『じぃちゃんが、麻雀やりたいって』
と言ってきた。
確かに、父は麻雀が好きだったが……
また偶然なんだろうと軽く流してしまった。
そして、再び
『じぃちゃんが、じぃちゃんが!』
と長男が言ってくるので苛ついた私は、
『じぃちゃんは死んだんだよ!』
と叱り飛ばしてしまった。
長男は、それ以降、
何も言わなくなってしまった。
それから、数年後
長男は小学校に上がり、
長い休みに入ると
父が死んで、独り暮らしとなった母(祖母)の所に、泊まりがけで遊びに行くようになった。
私は、長男には、少しばかりのお金を持たせた
祖母と一緒に、おやつでも食べなさいね……と
つい最近、母に言われたことがある
『この子ね、遊びにくるとおやつとか、惣菜とか買ってきてくれるんだけどね……
何故だかさ、死んだお父さんの好物ばかりを買ってくるのよ。
教えた訳じゃないのにさ。
この間はね、芋けんぴよ!お父さんの大好きなね。
今時の中学生が食べるオヤツかい?』
と電話がかかってきた。
私の背中がビリビリっと電気が走った気がした。
お父さんは、皆の側にいると確信したのだ。
何故ならば
この長男には、発達障がいがあり記憶力障害を持っている。
つまり
例え生前、父に好物を教えられたとしても記憶として残らないのだ。
況してや、4歳の記憶力は健常児であっても、
鮮明には覚えてはいないであろう。
長男に聞くと、側にじいちゃんはいないと言う。
ばぁちゃんに何かを買ってこようとすると
何故か、その手にその商品を持ってしまうということだった。
私の父は、長男を通して家族の側で見守ってくれていると
そう思ったとき
自死を遂げた父を受け入れ、父は幸せでいることを感じ……
私たち家族が背負った十字架がシャボン玉のように
壊れて消えた瞬間だった。
年老いた母は、
長男がくると楽しみにしている。
今日は、何を買ってきてくれるのだろうと。
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