『育ててくれた兄』など短編5話【34】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『育ててくれた兄』など短編5話【34】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【34】

 

 

娘よ、たまには帰ってきて下さい

この前娘が大学受けたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の合格発表を迎えたわけですわ。正直最初は合格発表見に行った娘の電話待つのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に待ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは普通の親が待つもんじゃない。裏口入学者の親だね、合格確実な親だけが安心して待てるものだよ。
最初に受話器上げる時さ、めちゃめちゃびびって受話器そろ~って握ってそのままそろ~っと耳に当てたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって戻そうとしちゃったのさ。
そしたら電話の向こうで娘がさ「ちょっとお父さん聞いて!」とか言ってんの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから「どうだった?」って聞いたのさ。えぇ、そりゃもう聞きましたとも。全てを忘れて聞いたよ。
高1の時から決めてた第一志望だとか強気な娘は滑り止め受けてないとか…受かってたら彼女は一人暮らしを始めると決まってる事とか色々忘れてね。
だって娘が聞けって言ったからね。
そしたらエライ事になった。

もうすごい合格。すごい「サクラサク」。
満開過ぎて涙出てくるくらい。遠山の金さんなら肌色が見えなくなってる。
それで横見たら鏡の中の俺がすごい勢いで涙こらえてんの。ホントごめんなさい。
正直「いい父親なら娘との距離は適度にとるべきだぜ!」なんて見栄張らないで素直にもっともっといろんな話をしときゃよかったと思ったよ。
心の底から娘との会話が減っていた日頃の自分を恨んだね。
でも妻の実家行って義理の両親に「これで一段落ですよ!これからは少しは一人の人生楽しもうかな。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
娘よ、たまには帰ってきて下さい。

この前娘の結婚式に出たんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘と腕を組んでバージンロードを歩いたわけですわ。
正直最初はバージンロード歩くのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に歩いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは父親が歩くとこじゃない。新郎だね、どうせ連れてっちゃうなら最初から新郎が腕組んで歩けばいいんだよ。
最初に歩き始める時さ、めちゃめちゃびびって右足そろ~って踏み出して左足そろ~っと揃えたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか不安になって娘の方見たのさ。
そしたら娘がさ「お父さんしっかりして!ロボットみたいだよ」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから堂々と歩いたのさ。えぇ、そりゃもう歩きましたとも。全てを忘れて歩いたよ。
娘のドレス姿が眩しすぎるとか今からでも回り右してやりたいとか時折励ますように娘が組んでる手に力を入れてくるとか色々忘れてね。
だって娘がしっかりしろって言ったからね。
そんで新郎のとこに辿り着いたらエライ事になった。

もうすごいキス。すごい突然頬にキス。しかも「私からの最後っ屁じゃ!」って囁きながら。
何だよ、それ。俺を泣かせたいのか、笑わせたいのか、泣いてやるよ。
それで横見たら新郎がすごい神妙な顔で俺の事見てんの。ホント幸せにしないとぶっ殺す。
正直「男なら余裕持って娘を送り出すぜ!」なんて見栄張らないで素直に新郎を10発くらいぶん殴りゃよかったと思ったよ。
心の底から笑顔で送り出した事を後悔したね。
でも式場出て娘に「お前の世話も大変だったよ!これからしばらくはお母さんとの思い出に浸るぜ。」とか言っちゃってんの。

「お母さん」でいてくれた時間が短すぎて名前で呼んだ事の方が多かったな、翠。
僕はいつも君と一緒にあの子を育ててきたつもりだ。
もう何年かしたら胸を張って君に会いに行きます。誉めて下さい

 

 

育ててくれた兄

育ててくれた兄貴が正月に結婚したんだ。
兄貴といっても血は繋がって無いけれど。

自分が5歳の時に親父が死んでから母親が女手一人で育ててくれた。
親父と結婚する時に双方の親から反対されて縁を切られているから
親族に頼れる人もいなかったし二人で暮らしてた。

で、自分が13歳の時に母親が再婚したんだ。
相手にはその時23歳になる息子がいて、その息子はもう独立していたから顔を合わせる事なんか滅多に無くて、家族になったという感覚は皆無だったな。

で、再婚して1年たたないうちに両親二人が旅行中に車の事故で死んだんだ。

一人で家に取り残された中学生の自分は警察の話もマトモに取り合えない位パニックになってたんだけれども、独立して遠くに住んでいた兄が急いで飛んできて葬式の準備やら何やら色々やってくれた。
葬式では母親側の参列者が全くいなかった事を今でも覚えてる。

「お前、ウチに住め。中学もこっちに通え」って言ってくれて。
兄貴には同棲している彼女がいて気まずかったり気恥ずかしかったりしたけれど、その彼女も本当に優しくて、二人には大学まで行かせてもらった。

それで、去年の内定式の後、兄貴と二人で近所の居酒屋で飲んだ時に卒業したら家を出ていくという話をしたら、
「お前がいるせいでアイツ(彼女)と如何わしい事が全然出来なかったんだぞ!もっと早く出て行って欲しかったわ」
と頭を叩かれたと思ったら急にボロボロ泣き出して、

「家族を亡くして一人きりで今まで寂しかったろう?辛い思いもしただろうに、よく頑張ったな」

って頭を撫でてきて。
自分も号泣ですよ。
店員は引いてたけれど。

で、クリスマスに兄貴と彼女と自分で家で食卓を囲んでいる時に、

兄貴「こいつももう卒業だ。今まで本当に苦労かけたな。でも申し訳無いがこれからも苦労に付き合ってくれ、出来ればずっと。結婚しよう」
彼女「ばか・・・良いわよ、当たり前じゃない」
自分「今まで本当にありがとうございました」

その後三人で泣いて泣いて。
そんでもって正月に婚姻届を提出してた。

あまりに嬉しかったから書いてみたかっただけ!
明日母さんの墓前に報告に行く!ひゃっほい!

よし寝る。

 

失明した原因

主人は3年前に左目を失明した
義眼を入れているので、見た目は言われなければわからない

その失明した原因は当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時
おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ
事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる
子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう

傷の具合が良くなくなってから主人は、自分の運転中に
何かあってはならない、と思い車の運転をやめた趣味だったバイクも売った
ただ、いつの日か後ろに乗せて一緒に出かけるために、息子の1歳の誕生日に買った新品の子供用ヘルメットはまだ家にある

4歳を過ぎた息子は今、父親の左目が見えないことも、なぜそうなったかも、まだ知らないはずだ
言ってはならないと主人にきつく言われているし、私自身わざわざ教える必要もないと思っているからだ
ひょっとしたらもう父親の異変に気づいてるのかも知れない

主人は今日も息子と一緒に公園に出かけ、大はしゃぎしながら帰ってきた
いずれ父の左目が見えないことも、その理由も知る時が必ずやってくるだろう

だけど私には泣きじゃくる息子の頭を笑顔で撫でている主人しか想像できない
主人が、父親が、彼で本当によかったと感謝の気持ちでいっぱいです

 

 

久しぶりの団欒

夫婦仲良くできず、子供(当時3歳)と3人で飯食うこともほとんど無かった。

ある日俺がたこ焼きを作って家族3人で食った。
子供も嫁もなんか久しぶりの団欒だった。
みんな沢山食った。
その後、子供と風呂に入った。
大量に彼は大量に吐いた。
「しんどいのか?」「風呂上がって休もうか」と俺は子供に聞いた。

子供は「うぅん。だってとうさんが作ってくれたのをかあさんと沢山食べて楽しかったんだ」
「みんなが楽しかったから楽しくて沢山食べたん。美味しかったで」

3歳の子供がこんなことを言うのかという驚きと、その頃折り合いの悪かった嫁との関係を恥じた。
子供の目にもそれが見えていたんだ。

風呂でゲロまみれの子供にシャワーを浴びせながら泣いた。
あまりに耐え切れず、その後子供を抱きしめて泣きじゃくった。
「ごめんな」を繰り返した。

他の人が聞くとたわいの無い話だろけど、俺にとっては一生忘れられない話だ。

 

 

ビンテージワイン

ボジョレーの季節でしょ。
でも僕は下戸なんで、イマイチわからんけど。

いまいち仲が良くなかった父が入院する前夜、まあいつまで入院するかわからないけど
一応、別れの杯だ、なんて冗談めかして言ったんだ。
こんなの初めてのこと。
ワインが大好きだった父は、とっておいたビンテージ?を
開けて僕と自分につぎわけ、乾杯した。
母も珍しいこともあるもんだと言って、これまた珍しく家の中で写真をとった。

父と初めて対座して酒を酌み交わすってのが
なんとも居心地が微妙なもので。
かといって 下戸なのですぐに酔ってしまい、父はカラカラと、これじゃあ酒でまだお前に負けることはないなと笑っていた。

それで入院。
末期の食道癌で家に帰ることなく闘病4ヶ月であっけなく逝った。
最初で最後の父と息子の晩酌だった。

父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
僕は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、何か文字がメモしてあった。

「××(僕の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」

瓶を抱いて僕はずっと泣いてしまった。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。

それ以来下戸ながら、月の命日には赤ワインを開けて、父を思い出すようにしている。
僕はもう結婚まですませ子供もできたが、父の残したボトルは空けてない。

もっと酒を教えてもらえばよかったと、本当に思う。

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