『鈴の音が近付いてくる』など短編5話【54】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『鈴の音が近付いてくる』など短編5話【54】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【54】

 

 

鈴の音が近付いてくる

小学生の頃大好きだったばーちゃんが死んだ。
不思議と涙は出なかったのだけど、ばーちゃんが居ない部屋は何故か妙に広く感じて、静かだった。

火葬が済んだ後、俺は変な気配を感じるようになった。
テレビを見てるとき、トイレに行く途中の廊下、誰かが俺を見ているようだった。
なんとなく「ばーちゃんだな」と思ったけれど、そのときは別に気に止めなかった。

次の日、眠りにつこうと布団に入りウトウトしていると、突然金縛りにあった。
金縛りは初めてだったので、かなりビックリしていると、
ドアの方から鈴の音が聞こえてきて、だんだんこっちの方に音か近付いてくる。
目を開けるのが怖かったので頑なに目を閉じていたけれど、目の奥にばーちゃんの姿が見えた。
馬鹿な俺はそのときパニック状態になり、
何故可愛がってくれた俺をこんな怖い目に遭わせるんだ、と心の中でばーちゃんをけなし続けた。
すると目の奥のばーちゃんは少し悲しそうな顔をして、鈴の音が小さくなると共に消えていった。
金縛りが解けた後は、怖かったので布団に潜り眠った。

次の日の朝、なんとなくばーちゃんの部屋に入り、一緒に折った折り紙の鶴などを眺めていた。
昨日の出来事を思い出したりして、ばーちゃんは何がしたかったのだろう等考えていたら、
とっさにある事を思い出した。

あの鈴の音。
ばーちゃんの財布に付いていた、猫と鈴の付いたヒモ。
俺はとっさにタンスを開けて、ばーちゃんの財布を取り出した。

財布の中には、少しのお金と封筒。
その封筒を開けてみると、便せんに癖のある字でこう書かれていた。

『甘いものばかり食べていると虫歯になるから控えなさいね。
テレビゲームのやりすぎもほどほどに。
おばあちゃんいつもお前の事を心配して見守っているからね。
少しだけどこのお金で何か買いなさい。』

昔の千円札が一枚入っていた。
あのときばーちゃんは、これを渡したくて俺の部屋に来たのだろうか。
そんな事も知らずにばーちゃんを貶した自分。
あのときの悲しそうな顔をしたばーちゃん。

俺はばーちゃんが死んでからはじめて泣いた。

 

 

結婚式前の夜

私が幼い頃、母兄私の3人で仲良く暮らしていました。
しかし兄が14歳になる頃、母が事故死してからは親戚をたらい回しされ、
私はまだ4歳でその時の記憶はほとんど無いのですが、兄はかなり肩身の狭い思いをしたと言っていました。
我慢ができず兄は家を飛び出し、幼い私は一人取り残されました。
親戚の家では初めての女の子で、まだ小さかったのもあり、かわいがってもらったのですが、
それでも兄のいない寂しさは今でも覚えています。

1年ほど経った頃、兄が私を迎えに来ました。
住み込みで働ける所を見つけてきたのです。
親戚と揉めたりもしたが私は兄を選び、兄妹二人の貧乏生活が始まりました。

と言っても私は事の大変さが解っておらず、いつもわがままを言い、兄を困らせていました。
小学校に上がる時、ランドセルを譲ってくれないかと中学生の家に行って、町中を必死に探してきてくれたのに、回りの子と比べ、新品じゃないとごねた事もありました。
人形が欲しい、服が欲しいとだだをこねても、困って笑うだけで私を叱らない優しい兄が、
私が靴を万引きしたときはすごく叱りました。

一時兄と気まずい時がありましたが、事件から3日後、玄関に新しい靴が置いてあるのです。
「やりくりすればこれくらい買えるんだからな」と言うと、仕事へ行った兄。
こんなかわいらしい靴をどんな顔で買ったのやらと想像して、笑って泣いた。
それからは私はわがままを言わず、進んで兄の手伝いをしました。

高校へ行かず働くと言った時は、久々に兄と喧嘩になったが、ガンコさに負けて高校へ進学、そして卒業。
生活もたまに外食するくらい余裕が出てきた頃、残念な事に兄が事故死しました。
散々泣いて泣いて、なかなか立ち直れなかったのですが、
素敵な男性と出会い、支えてもらい、やっと立ち直れました。

その男性と結婚が決まり、結婚式前の夜、兄がやってきたのです。
「お前が結婚か~」と、のんびりと話し出しました。
その時私は、何かの催眠術にかかった様に動けずしゃべれなかった。
本当は大声で泣いて抱きつきたかったのに。

「あのな、今日は謝りに来たんや。
お前が4つの時、一人置いていった事、なーんにも買ってやれんかった事…他にもいっぱいあるんやけどな。
お前がわがまま言わんくなったとき、俺はちょっとつらかった。
高校へ行かんと言った時、本当はこっそり泣いてんぞ。不憫で自分が情けなくて」

私はぽろぽろ涙を流しながら、
『何で謝るん?私の方がいっぱい謝らんならんのに…
ランドセルありがとう、制服も、学費も…靴今も大事に持ってるんよ…いっぱい迷惑かけてごめんね』
心の中でそう言うと、兄に聞こえたのか、笑ってゆっくり消えて行った。

その日の夜は昔の夢を見ました。
住み込みのボロアパートの前で、兄と雪だるまを作っていました。
母兄私の3つの雪だるまを楽しそうに作っていると、このころもう亡くなっているはずの母が現れ、
兄の手を取って「じゃ行って来るね。外は寒いから、お家に入ってなさい」と、私に笑いかけました。
私は何の疑いもなく「うん」と言うと、走ってアパートの階段を駆け上がりました。
後ろから兄が声をかけてきました。
「おい、お前の事迷惑や何て思ったこと無いぞ。あと、先に死んですまんな」
振り返った瞬間目が覚めました。

起きて号泣したせいで、顔がパンパンに腫れた花嫁になってしまって、本当は結婚式の写真は見たくないのですが、何処かに兄が写ってるのでは?と、何度も写真を見たものです。

今日は結婚記念日だったので思い出してみました。

 

自分が死んだ時の事

おじいちゃんが死んだんだ。
じいちゃんは自分が死んだ時の事を大学ノートに
びっしり書き綴ってた、本当に事細かく。

元銀行マンらしいぜ。
その最後に挟まってたメモ。
別にお涙頂戴とかじゃなくてさ。これが愛だよ!愛!

 

 

枕元に立ってやる

5年前に幼稚園からの幼馴染(小学・中学・高校と一緒)だった親友のNが肺炎で死んじまったんだが、

そいつはよく冗談交じりに、
「死んだらお前の枕元に絶対に立ってやるからな」
なんて言ってたのよ。

俺の方も、
「虚弱なお前よりも、無茶して事故死しそうな俺様のほうが絶対に早死にするだろうから、こっちが先手取るだろうよ」
とか言ってたわけ。

そいつが死んでから2週間も経ってなかったと思うが、
ショックから立ち直れなくて、他の友人達ともほとんど会わずにアパートに一人でいたときなんだが、
ロフトで寝ていると、小さい地震みたいな振動で目が覚めたのよ。
俺ってそういった振動で目を覚ますことが多かったので、また地震でも来たかなと思って、
下にある電光表示の時計を見ようと顔をロフトから出したら、死んだNが腕組みして見上げてる。

洒落っ気のない奴で、いつものワイシャツと茶色系のスラックス姿で、不敵な笑みを向けてるのよ。
怖さとかびっくりなんてことよりも、生前に言っていた事を本当にやりやがったという気持ちの方が先に立って、
頭の中で『やられたっ!!』とか考えたら、
まるで見透かしたように「まっ、そういうことだ」とはっきり言って、
ロフト下の通路を玄関に向かって消えていっちまった。

遊びに行ったりしても、別れ際は「じゃっ」の一言だけで手も振らず振り返りもしない、
あいつらしいプレーンな別れ方がそのままで、
あいつの姿が消えた後も、嬉しいやら先を越されたことが悔しいやらで、妙な気分で泣いちまったよ。

あの野郎、今度墓参りに行ったら、柄杓で水をかけずにバケツで水をかけてやる(笑)

 

 

旅先の旅館で夢をみました

私は仕事の関係で、アジア圏を中心に出張や短期駐在に行くことがあります。
こういう生活を続けるとかえって日本の風物が懐かしくなるもので、
いまの趣味が休日利用の温泉や神社仏閣巡りが中心になってます。

で去年の夏、高野山に行ってきました。

そこの奥の院というところは、いろんなお墓があることで有名な霊域ですが、
そこに行ったらどうしても足が横道にそれて、私には関係のない墓に立ち止まってしまいます。
ああ、引っ張られてるなと思いましたが、これも何かの縁と般若心経を唱えました。
そしたら次もまた引っ張られて心経、また引っ張られて心経と繰り返してました。
いくつくらい廻ったのかわかりませんが、
奥の院というところは、入り口から弘法大師の眠る御廟まで一時間強もあれば帰って来れるところですが、
私はそんなことしてたから3時間半ほどかかりました。
実はここに来るまで左肩がやたら重かったのですが、
ひとつひとつそうした墓や碑を過ぎるたびに軽くなってきたことも覚えてます。

そして其の夜、旅先の旅館で夢をみました。

その夢は馬や牛、イヌ、鳥、珍しいところではもぐらやカワウソみたいなたくさんの動物くんといっしょに、
円座になって酒を飲んで歓談しているものでした。
人間は私だけでしたが、覚えてるのはつまみは枝豆と豆腐くらいしかなかったことかな?
さすが動物宴会だ、肉がないって変に感心しながら楽しんでました。
霧のようなものがでてきたので、「そろそろお開きだ」って馬さんが言い出し、みな片づけをし始めました。
そして皆こっちを向いて、「ありがとう」と挨拶。
「え、おれ、なんもしてないよ」って言いながら視線を彼らに向けると、
皆人間の姿になっていて、軍服を着た人、レトロな背広を着た人、ドカチンスタイルの人、モンペを着た女性が十数名、手を振りながら霧のなかに消えてゆきました。

そこで目が覚めました。

あまりに強烈な夢だったので、いろいろモーニング食べながら考えてましたら、
昨日の高野山の一件を思い出しました。

そういえば昨日いっぱい拝んだ墓は、
『海外物故者』とか『航空兵』とか『近衛兵』とか『陸軍なんとか』『海軍かんとか』って書いてたな。
きっと海外にいたときに私の身体について、ここまで一緒に来たんだな。
それでわざわざ夢にでて、御礼を言いに来てくれたんだ。
そういや、ここに来る前には重たかった左肩も、いまはすっかり軽くなってる・・・
怖くはなかったです。
それよりも、私を驚かさないように愉快な動物くんになって来てくれた事のほうが、うれしくて悲しかったです。

今度でて来るときはそのまんまの姿でいいよ、怖がらないから。

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