『寝顔を眺めていると』など短編5話【72】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『寝顔を眺めていると』など短編5話【72】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【72】

 

 

いえなかった

俺は高校にはいってすぐ父親を亡くした。
俺は一人っ子で母と二人の生活になった。
母は俺を養うために毎日働いていた。
俺もそんな母の姿をみていて、勉強を本気になってがんばっていた。
あまり人と話すことが得意ではなかった俺は休み時間も一人で勉強するような人間であった。
おかげで成績の面ではトップになることもしばしばあった。

そんな中で俺はイジメにあうようになってしまったのだ。
学校でつかっていたルーズリーフが消え、靴に水をいれられていたときもあった。
毎日学校にいくのが怖かった。
怖いからこそだれにも先生にもいえなかった。
母にもこれ以上苦労させるなんてできずいえなかった。
そのような中で自分は何度も学校を休みたくなった。
だが母に不安をもたせるのは嫌だったからずっと耐えて母のまえではつらそうな顔はしないようにしていた。

そんなある日、母と夕食を食べている時だった。
母は俺に、「無理しないでね。頼ってくれていいんだよ。」と言った。
俺は、自然と涙が流れていた。
それもいままでにないくらい。
母の苦労を知っていたから、申し訳なくて涙がとまらなかった。
泣いていてはっきりとしゃべれなかったが「ありがとう」と何回も言った。
たしかにイジメはつらかった。
自分を変えるなんてできなかった。
でも一人でも自分のことを思ってくれる人がいたから今こうして生きていられるのだと思う。
「本当にありがとう」

 

 

いつも温厚なじいちゃん

俺さ小さい頃、一人っ子で両親共働きだったから、鍵っ子って奴だった。
だからさちょっと内気で友達もできなくてさ、よく、じいちゃんの家に行ってた。
じいちゃんはさ、会社の社長でさ忙しかったけど俺が行くと絶対遊んでくれたよ。
しかも小遣いまでくれるもんだからさ調子乗って毎日行ってた。

俺さ中学に上がって段々グレてってから、じいちゃんの家にあんま行かないようになってた。
でも、小遣い欲しいときだけは行ってた。
じいちゃんはマックのポテトが好きだったからポテト買って行けば嬉しがって、
小遣い多めにくれたりてたから、またまた俺調子乗ったよ。

そんなんが続いててさ、俺が中3の10月くらいだったかな、じいちゃんが突然倒れたって聞かされた。
俺ソッコーで病院行ったよ。そしたら、じいちゃんケロってしてたな。
なんだよ心配して損したってな感じだった。
でも俺、毎日病院行ってた・・・
じいちゃん小遣いはかかさずくれるもんだから。

ある時さ、じいちゃんが俺に高校の話してきた。
丁度受験だったからさ。
俺めんどいから高校行かねえって言ったらさ初めてキレられたよ。
いつも温厚なじいちゃんが初めてな。
めんどいってなんじゃ・・・逃げとるだけやろうが?男なら逃げんな・・・
とか言ってた。
んでさ、いきなり戦中の話されたわけ。

じいちゃんはさシベリアで捕虜になってたんだって。
そりゃもう悲惨だったと・・
その中にはさ家族を持ってた人、もうすぐ生まれてくる子供がいた人、そんな戦友も皆死んだらしい。
もう、涙も出ないくらい悲惨でさ、何度も死のうと思ったらしい。
けど、そんな時、いつもお守りとして持ってた腕時計を見てさ、唇をかみ締めて生きるぞ!って決意してたんだって。
その時計はさ、じいちゃんの親友の形見だって。
じいちゃんと親友はさ、幼い頃から一緒に悪さしたりして近所でも有名な悪ガキ2人組みだったんだって。
戦争が悪化してきてさ、じいちゃんも友人も戦争に行くことになったんだけど、
じいちゃんの親友は海軍に志願して特攻になったらしい。
最後の別れ際、
「俺は空からお前は陸から・・・心配すんな、俺がぶっ壊してやる。靖国で待ってるなんて言わない。お前は不死身だからな」
って笑いながら腕時計を渡したんだって。
それからシベリアに抑留されても、じいちゃんは腕時計だけは取られないように隠し持って捕虜になるなら切腹しろって言われてたけど、こんな所で日本男児がくたばるかって思いながら生きたらしい。

俺さバカだからよく分かんなかったけど、軽く泣いたね。
じいちゃんも泣いてた。
それ聞いて、毎日勉強したわ。
じいちゃんの病室のベッドの横で毎日勉強した。
んでさ、じいちゃん日に日に体が弱くなってさ、喋ることもままならなくなっていったよ。
受験前日かな、じいちゃんさ、体震わせながら、声もかすれながらさ、手を上にあげて名前呼んだから何?って言ったらさ、
腕時計だしてきて「ありがとう」って・・・
「ようやくお前に顔向けできるな」って言ってた。
多分俺と友人間違えてたんやろうな。
その夜じいちゃん死んだよ91歳やった。

思い返せばスッゲー男やったな。
シベリアから帰ってきて、何も無い所から始めて、会社起こして、俺のおかんやらを育ててきたんやもんな。
強いよな・・・じいちゃん死んだ時、俺はじめて「闘う」って意味分かった気がしたもんな。
腕時計は俺が引き継いだ。
俺にとっちゃかなり重い腕時計だけど、じいちゃん、じいちゃんの親友に顔向けできる男になれるように闘ってみる。

 

寝顔を眺めていると

自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。
大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、しかも父はとにかく強くてかっこいい!
と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。
その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも「夢でも見たんだろう」と言っていたので、
何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。

が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。
当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。
夜は就寝後に帰宅の日々。
寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。

そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。
やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…
父が焦っていると、私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。

ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。
しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、こんなふうに笑ってくれるのか、
と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。
それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。

内心は萌えつつも、明日目が腫れたらどーしてくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。

 

 

厳しい父

私の父はとても短気で、すぐにキレるし怒鳴るし、でも普段の時は無口でいつも煙草を吸っている、
そんな父があまり好きではなかった。
私のこと、大切に思ってくれてるのかな?と思うときも時々あった。

そんな中、私は中学受験をするために勉強をしていた。
家で教えるのは父の係で、毎日毎日父が付きっきりで勉強をした。
でも、出来なかったら
「ここはさっき教えたばっかりだろ」と言って怒られたりした。
でも、いい中学校に行きたくて頑張って頑張って勉強した。

そして、あっという間に時は過ぎてとうとう第一志望の中学の合格発表の日。
正直いって自信があった。
でも結果は不合格、ショックで涙も出なかった。

その帰り、父が車で迎えに来てくれた。
「どうだった?」
「ダメだった…」
「…そうか」
父はそう言ってあとは何も言わなかった。

車に乗ってしばらくしてから、私はふとバックミラーをみた。
すると、あの一見冷たい父が目を真っ赤にして歯を食いしばって、必死で涙を堪えていた。
それか私が見た初めての父の涙だった。
その瞬間、私の目からも大粒の涙が止めどなく出た。
そんな父が今は大好きです。

 

 

兄についての衝撃の事実

両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。

俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。
両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。
それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。
そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。
俺はびっくりした。
兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。
俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は
「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」なんて事を言ってた。

俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。
それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。
俺らが貧乏なんて感じることないようにと、ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。

そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・
葬式で俺も妹も泣きじゃくった。。
葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、
叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実をしることになった。

両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。
兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。
京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。
・・・それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。
立てんかった・・・
色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。

小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた・・・
強くておもろくてやさしかった・・・
自分の小遣いからお菓子買ってくれてた・・・
俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った・・・
いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった・・・
自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった・・・
おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった・・・
俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声をおしころして泣いてたの知ってたよ・・・

やべえ思い出して・・・もうこれ以上書けねえわ
何もできんかったわ・・・
ホントなんも・・・
最後に言わせて。
最強最高の兄ちゃん!!!あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。
ありがとう。
ありがとう!!!

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