感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【76】
記念日の大事な指輪
記念日に買ってもらった大事な指輪。
先日、その指輪をなくしてしまった。
どんなに探しても見つからなく、彼に謝ったら、
「いいよ、別に。どんなに大切にしてたか知ってるし。
その気持ちで充分あの指輪の役割を果たしてたよ。
それに、婚約指輪をそろそろ贈ろうかとしてたから、丁度いいよ。」
って言ってくれた。
感動的なプロポーズでした。
年の数だけのロウソク
ずっと1人で生きてきた俺。
こんな俺に子育てなんてできるのか?
父親らしいことが出来るのか?
嫁を悲しませるんじゃないか?不安で不安でたまらなかった・・・。
しかし結婚して子供ができて、ホカホカした食卓にみんな笑顔で並んでたりして、
ときどき泣きそうなくらいの幸せを噛み締める。
「荒みじんの玉葱が入ったでっかいハンバーグ」とか、
「大皿いっぱいの散らし寿司」とか、
カミサンと子供には、自分が子供の頃に満たされなかったものを埋めてもらってる。
「ケチャップで名前書いたオムライス」
「釜で炊いたお米のキレイな狐色のお焦げ」
「ジャガイモとニンジンのゴロゴロしたカレー」
みんな夢見るだけで一回も与えられなかったものだ。
「年の数だけロウソクの立ったケーキ」も。
なんか、三十過ぎた今になってようやく、切ない気分にならずに見られるようになった。
最初の頃なんか幸せな食卓に座るたび
「なんで俺がこんなトコにいるんだろ」とか思ったけど。
自分みたいな一人きりの惨めな飯とか、親も不在で金も食いモンも無くてひもじい思いとかぜったいさせたくないな。
うちね、端的に言うと親が超DQNだったの。
当時のウチのメシ見たらみんな残飯かゴミかと思うよ、きっと。
幸か不幸か自立して生きて来れた。
優しい嫁とも会えた。
元気な子供もできた。
だから、俺はきっと神様っていると思う。
新婚当時は出されたもの食べてた。
しばらくして(長男を妊娠した頃か)
「ね、好きなものなんでも作るよ、なに食べたい?」
って聞かれたから、思わず
「おっきいハンバーグ」って答えた。
我ながら三十過ぎてなにいってんだ思ったけど、嫁はニッて笑って、
小さめの座布団みたいな超巨大ハンバーグ作ってくれた。
俺のこと見ててなんか感じたのかな。
爪楊枝のちっちゃな旗が立ってて、お手製ハンバーグソースで
「○○くん(はぁと)」とか書いてあった。
俺って妻だけではなく、初めて家庭と母親を手に入れたんじゃないのかな
ありがとうマジでありがとう・・・。
星の形のにんじん
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に
「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて
「ごめんな、ごめんな」
って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。
それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。
相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、
親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。
そしてありがとう、お父さん。
障害者の子のサッカー
昔知的障害をもった子がサッカー部にいてな
でも皆から邪険にされず(それでも子どもの障害者意識みたいなものはあったけど)仲良くしてて
そいつはゴールがどっちかもわからないのにがんばってて・・・
ある日接戦で2-2の試合をしていたんだ
でも大切な試合じゃないし、良い経験になるからって全員とっかえひっかえで出してたんだけど
試合の終了直前、俺がバックパスをその子にだしたのね
そしたらその子見事にオウンゴールきめちゃったわけ
敵もその子が障害者だとしってたみたいでクスクス笑ってた
んで、サッカーのことになると切れだすキャプテンが発した言葉が
「すげえよ○○!大逆転だ!!」
皆それに続いて
「ナイス○○!」とか言ったりハイタッチしたりしてた
相手のポカーンとした顔とその子の嬉しそうな顔は今でも忘れられない
俺を突き飛ばしてくれた大学生
小5のとき、通学路の交差点を渡っていたとき、右折車が横断中の俺めがけて突っ込んできた。
催眠術にかかったように体が動かず突っ込んでくる車を呆然と見ていたら
(あらぬ方向を見ているドライバーの顔まではっきり見えた)、
後ろから突き飛ばされ、俺は難を逃れた。
が俺を突き飛ばしてくれた大学生は車に跳ね飛ばされた。
泣きながら近所の家に駆け込んで救急車と警察を呼んでもらい、
自分は警察の事故処理係に出来る限り状況説明をした。
後日、家に警察から電話があり大学生の入院先を教えられ、母親と見舞いに行って御礼を言った。
中学1年のとき父親の仕事の都合で同県内の市外(というか、山の中)へと引っ越した俺は、そこで先生となっていた例の大学生と再会した。
お互いに驚き再開を喜びつつ、3年間面倒を見てもらって
(なんせ田舎の分校なので、先生はずっと同じなのだ)
俺は中学を卒業し、高校進学と供に市内に戻った。
地元の教育大学に進学した俺が教育実習先の小学校へ向かう途中の交差点で自分の前を渡っている小学生の女の子に右折車が突っ込もうとしているのをみた。
今度はドライバーが携帯電話で喋りながら運転しているのが見えた。
スローモーションみたいに流れる情景に「ウソだろ・・・」と思いつつ、とっさに女の子を突き飛ばしたら、自分が跳ね飛ばされた。
コンクリートの地面に横たわって、泣いてる女の子を見ながら、あのとき先生もこんな景色を見たのかな・・・とか考えつつ意識を失った。
入院先に、俺が助けた女の子の親が見舞いにやって来た。
彼女の親は中学時代の恩師であり、俺の命の恩人そのヒトだった。
「これで貸りは返せましたね」と俺が言うと
「バカ・・・最初から、借りも貸しも無いよ」と先生は言った。
ベットの周りのカーテンを閉めて、俺たち二人、黙って泣いた。
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