『パパが起きひん。冷たい。』【長編 感動する話】

『パパが起きひん。冷たい。』【長編 感動する話】 感動

 

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「パパが起きひん。冷たい。」

 

 

初めて彼と出会った時、私はまだ中学3年生だった。
中学時代の私は同じ年代によく居た「ヤンキー」の様なのとは違った意味でのヤンチャな女の子だった。
喧嘩じゃなくてカツアゲ、暴走族じゃなくてクラブ、シンナーじゃなくてマリファナ、毎晩オシャレな大学生と遊ぶ事ばかり考えて、街をフラフラしていた。

 

彼との出会いはナンパだった。
彼は18歳だった。
私はいつもの様に、17歳だと嘘をついた。
彼は当時でいうチーマーだった。
ドイツ人とのハーフで、不思議な目の色をした彼に、私は一目で恋におちた。
付き合う様になるのに時間はかからなかった。

 

1ヶ月ぐらいして「本当は中学生」と話したら、彼が「びっくりしたけど・・・ま、いっか。」と言って、二人の間に隠し事は無くなった。

 

彼のそれまでの人生は、聞くのも辛くなる様な経歴だった。
2歳で両親が離婚し、その時どちらにも「この子はいらない」と言われて、親戚に引き取られたが、凄まじい虐待をうけ・・・というような話だった。

 

そんな経歴のせいか、いつもいっぱいの友達に囲まれてるのに、どこか孤独というか、退廃的な雰囲気をもった人だった。
彼や私の友達とワイワイやりながら、半年ほど楽しい日々は続いた。

 

ある夏の夜。
その日は彼とは会わず、いつもの様に遊んで家ってくつろいでいた。
夜中1時くらいに警察から電話が架かってきた。彼の事故を知らせる電話だったのだ。
警察の話によると、彼は足を複雑骨折しているものの、意識ははっきりしている、あなたの連絡先しか言わないので電話した、とのことだった。

とりあえず、すぐ病院にいった。
まだ足の手術中でもうすこしかかるし、終わっても麻酔で明日の昼までは目が覚めないから、と、帰るように言われた。
骨折だけと聞かされていたので、私はその指示にしたがって帰った。

 

次の日病院に行くと、彼はもう目を覚ましていて、私の姿を見て「おまえ、学校行けよ」と言った。
私は泣き笑い。複雑骨折なので、リハビリも含めて1年間の入院生活が始まった。

 

最初の頃こそ、毎日の様に見舞いに来てくれていた友達も、だんだんと足が遠のき半年も経つと本当に誰も来なくなってしまった。
「みんな今まで俺の無茶な行動に無理やり付き合ってくれてたんや。とりあえず、今はおまえが居てくれたらもうええわ」彼はそう言った。

 

私も彼の遊びや行動に、度が過ぎるを通り越して、恐怖すら感じる時があったので、今回の事故がこの人にとって、いい薬になれば・・・と思っていた。
彼の入院も9ヶ月が過ぎたある日、いつもの様に学校をサボって彼の病室に行ったら、知らない女子高生がいた。

前の彼女だった。
私と彼はその事で大喧嘩になった。
今思うとつまらない事だが、その時私はまだ14歳。
彼が1年も入院する事、ましてや彼の身内は誰一人来ず、私一人でイライラする彼を励ましたり宥めたりする生活、普通の恋人同士の付き合いができない事に限界を感じていた。
14歳の私には、重すぎた。

 

結局、そのまま喧嘩別れになってしまった。
彼のその後が心配じゃないわけではなかったのだが、別れてから暫らく、お互いに連絡を取る事は無かった。
高校受験もあって、私はとても忙しくなり、彼の友達だった人達とも、会う事は無かった。
別れて1年が経ったある日、突然彼から電話が架かってきた。
とても元気そうで安心しながら、近況を報告しあった。

 

「俺なー・・・、あーとりあえず、今から車で迎えに行くし、久しぶりに会おうや。」と彼が言った。

彼が迎えにきて、私は車に乗った。
彼は全く変わっておらず、私も高校生になっただけで、前と変わってなかった。

 

暫らく楽しい会話が続いていたのだが、突然彼が「おまえ、何か気付かん?」と言って、足をブラブラして見せた。

「俺の足、結局あかんかって、切断してん。これは義足。」

私と別れてから、リハビリも終わり、とりあえず無事退院したのだが、
1ヶ月程してまた折れてしまい、もう骨がくっつかなくなったらしい。
最初の骨折があまりにもめちゃくちゃだったので、結局うまくいかず、
もう切断するしかなかったらしい。そうやって、彼は片足を失くしていた。

 

私と彼はまた付き合い始めた
しばらくは前の様な楽しい日々が続いたのだが、そのうち彼は喧嘩になると、私に暴力を振るう様になった。
今まであったものが突然なくなり、思う通りに体が動かなくなって自暴自棄になり、私がその捌け口になっていたのだ。

 

背も高く顔も美しかった彼は、事故に遭うまではモデルのバイトもするぐらいの人で、いわば、体がウリみたいなものだった。
それが、片足を失くして一変したのだ。
今までの様な遊びが出来なくなり、友達もどんどん離れていってしまった。
女の子も、最初は近づいてきても、義足と聞くと引いていく。
もちろんモデルのバイトもできるはずもない・・・・。

 

彼の自暴自棄は私への暴力とともにどんどんエスカレートしてき、しまいには本当に何もしなくなってしまった。

 

子供の時に彼を引き取った親戚がとても金持ちで、お金だけは援助してくれていたので、生活してはいけるけど、仕事もせず昼間から酒をのんでフラフラしている彼を見ていて、絶望的な気持ちだった。
ささいな事でいつもの様に喧嘩になったある日、私は彼に扇風機を投げつけられ、頭を2針縫う怪我をした。
私はキレた。

 

「私はあんたの足が無くなったって聞いた時、ショックやった。だけど、足の一本ぐらいどうってことないって思った。あんたに同情なんかしてなかった。私は、絶対に私があんたを自分の力で立ち直らせてやるって、そのぐらいの根性で付き合ってたつもりやった。でもあんたは私に甘えるばっかりやん。いつまでそうしてるつもり?なんとかなったらどうなん?もう限界や。」

 

私は今まで言えなかった事を、全部ぶちまけた。また殴られると思ったが、彼は静かに言った。

「俺と結婚してくれ。俺は切羽詰らんと何にもできひん。守るものができたら俺は変われると思う。一生ずっと俺を見ててくれ。おまえを愛してるから結婚して下さい」

 

私が17歳で彼が21歳の時の事だった。
私は学校を辞め、親の猛反対を押し切って彼と結婚した。
幸いにも彼の仕事がすんなり決まり、私もバイトをしながら、嘘みたいにおだやかな日々を送っていた。

1年後には子供も産まれ、3人幸せな生活が続いていた。
ある日、いつもの様に晩ご飯を食べていたら、彼が突然「おまえ、来週、誕生日やろー」と、らしくない事を言い出した。

 

今まで彼の方から誕生日や記念日の話なんか出してきた事が無かったので、びっくりした。

私は「どうしたん?今までそんなん言うた事ないくせにー。気持ち悪いわー。」と、笑いながら返した。

「いやー・・・。別に何にも無いけど、ただ言うてみただけ。」と彼も笑っていた。

その日、彼はご飯を食べ終えると「疲れたし寝るわ。おやすみ」と言って、私と娘に、いつものおやすみのキスをして、寝室に入って行った。
私もその日は仕事で疲れていて、娘と一緒に、居間でざこ寝みたいにして朝まで熟睡してしまった。
朝、目が覚めて、朝ごはんを作りながら娘に「パパ起こしてきて」と頼んだ。

 

毎朝彼を起こすのが4歳になった娘の日課で、その日も彼女は寝室へ走って行った。
しばらくして、「パパー!パパー!」という娘の叫び声。

「昨日あんなに早く寝たのに、まだ起きひんのかな」と思いながら寝室に行くと、娘が彼の上に乗って叫んでいた。

「パパが起きひん。冷たい。」

びっくりして彼に触れた。
素人でも、分かる様な体温。
パニックになった。
とにかく彼を起こそうと、狂った様に叫びながら体を揺さぶった事だけは、今でもはっきり覚えている。

彼はそのまま永遠に目を覚ますことは無かった。
おやすみのキスが最後だった。
あっけなかった。
あっけなすぎて涙も出なかった。
私は放心状態で、周りが葬式の準備などに、忙しくバタバタするを、ただボーっと見ていた。

 

6年前の事故の後遺症による死、と医者に聞かされた。
たまに何年も経ってから亡くなる人がいるらしい。
頭が痛いと言ってなかったか、あくびが増えたりしてなかったか、大きなイビキを掻いてなかったか・・・・

医者に色んなことを聞かれたが、私は何を言われてもボーっとしながら「はい」としか答えなかった。
娘は、人の死が分かるのか分からないのか、
「パパ、ずっと寝てる」と、私に何度も繰り返し教えるように言った。

 

お通夜とお葬式には、彼を引き取った親戚のおじさんが一人で来た。
彼の身内はその人だけしか来なかった。
おじさんは、昔彼にした仕打ちを悔やんでいるのか、彼の体を揺すって、「すまんかった」と泣きながら謝っていた。
私はまだ泣く事が出来なかった。

お葬式の次の日。
私の代わりに部屋を元通りに片付けてくれていた友達が、泣きながら

「これ、電気スタンドの下から出てきた。何かわからんかったから、中身勝手に見た。ごめん。」

と言って、小さな紙袋を差し出した。
写真と指輪とメモのような手紙が入っていた。

写真には、いつ写したのか私の寝顔、裏に、日付と小さく「マヌケ」と書かれていた。メモには

「この指輪は誕生日プレゼントではありません。かなり遅れたけど結婚指輪です。誕生日プレゼントには3人で旅行でも行こうや。ほんじゃおやすみ。誕生日おめでとう」

 

私は声を上げて泣いた。彼が死んで、初めて流す涙だった。

長々と書き連ねてしまい、すみませんでした。
ご心配下さり、ありがとうございます。

 

今は私も娘も何とか元気にくらしてます。
4歳だった娘も8歳になりました。
あれから私は暫らく罪の意識に苛まれ、自分を責める日々を過ごしてきました。

 

なんであの日に限って一緒に寝なかったんやろう、なんで気が付かんかったんやろうって、そんな事ばかり考えて・・・。
その度に子供の顔を見て、この子は私が居ないと生きていけないんや、早く強くならないと、今すぐ強くならないとって、無理やり自分を奮い立たす毎日でした。

 

周りの人は「若いのに一人で子供抱えて大変やね」とか
中には「子供おらん方がよかったのに。子供いたら再婚もできひんやん」って言う人もいます。

どちらも心配してくれてるのは分かるんですが、私は、当たり前の事ですがそうは思いません。

 

家出同然で出てきたので、私達には帰る場所もない。
私達自身が2人で強く生きて行くしかない。
残された指輪と義足に誓って、娘をしっかり育てます。
がんばらなあかんって思ってます。

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