『段々使えなくなる右手』など短編5話【89】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『段々使えなくなる右手』など短編5話【89】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【89】

 

 

段々使えなくなる右手

私は生まれつき体が弱く、よく学校で倒れたりしていました。
おまけに骨も脆く、骨折6回、靭帯2回の、体に関して何も良いところがありません。
中学三年生の女子です。
重い病気という程の病気は持っていないけど、目眩や麻痺などの症状が出る病気を持っています。
この事は友達や学校の皆には秘密にしていて、そのおかげか沢山の友達と、彼氏に恵まれています。

ある日、病気の診察で病院へ行き、
『今日も何事もなく終わるんだな~』
と思いながら先生の話を聞いていたら、話のワードに
「右手が使えなくなる」
という、おぞましい言葉が聞こえてきました。
流石にそんなに悪い状態だと思っておらず、初めてその事を聞いた時は、
「嘘だ!だって普通に手動かせてるもん」
と誰の言うことも聞きませんでした。

でも月日が経つにつれて右手の痙攣がひどくなり、今まで書いていた字は男子が書いた字のようになり、プリントに名前を書いていなかった時、
「この字は男子でしょ」
と言われ、恥ずかしくて前に出られませんでした。
段々使えなくなる右手を毎日のように見ていると辛くなって、親に当たったり、友達に冷たくなったりして、いつの間にか自分の周りには誰も居なくなりました。

その異変に気付いた私の彼氏は、私に質問をしてきました。
「どうしたの?」
「最近何か変だよ」
「何かあったなら俺が何とかするから」
そのようなとても優しく、落ち着くような事を言ってくれました。
でも、荒れていた私は冷たく振り払ってしまいました。
それでも彼氏は私を説得して、私は諦めて全て打ち明けました。
話をし終えたら、彼氏は
「気付いてあげられなくてごめん」
と言い抱き締めてくれました。

それから4、5ヶ月経った今、私は元気に毎日を過ごしています。
もちろんあの時の彼氏と、沢山居た友達と一緒に。
私の右手はもう使えなくなってしまったけど、その分、人の大切さを知りました。
私は恵まれています。
私は今、物凄く幸せです。

 

 

家族旅行

数年前にお父さんが還暦を迎えた時、家族4人で食事に出掛けた。
その時はお兄ちゃんが全員分の支払いをしてくれた。
普段着ではなく、全員が少しかしこまっていて照れくさい気もした。

当時はまだ学生だった私も社会人となった。
お母さんの還暦のお祝いは、家族で温泉旅行に行こうとお兄ちゃんと話し合った。
両親に伝えると、とても喜んでくれた。
家族旅行なんて久しぶりのことだった。
私が高校に入ってからは、自然と行かなくなっていた。
旅館の部屋は思っていたよりも結構広くて綺麗だった。
食事も豪華で、両親共に大満足のようだった。
お母さんと一緒に温泉に入り、背中を流してあげた時、何だか小さく感じた。
今まで私たちの為に沢山頑張ってきてくれたのだと思った。

その日の夜、家族4人で並んで眠った。
子供の頃からそんな風に全員が並んで眠ることはなかった。
私の記憶にある家族旅行では、ホテルで二部屋に分かれて泊まっていた。
でも何だか懐かしいような気持ちになった。
家族旅行をプレゼント出来て、本当に良かったと思った。

旅行から帰宅し、リビングでお茶を飲んでいるとチャイムが鳴った。
珍しくお父さんが玄関へと向かった。
お父さんの後に玄関へと向かったお母さんが驚きの声を上げた。
お母さんの声を聞いて、私とお兄ちゃんも玄関へ向かった。
駆け付けた私が目にしたものは、まるで想像していなかったものだった。

お母さんが大輪の赤い薔薇の花束を抱えていた。
お父さんは少し照れているようだった。
お兄ちゃんが私にそっと耳打ちした。
「親父に相談されて僕が手配したんだ。60本あるんだよ」
こんなサプライズがあったなんて、とても驚いた。

薔薇の花束を持つお母さんは、まるで少女みたいな笑顔だった。
お父さんのことがいつもより格好良く見えた。

 

私は大丈夫ですよ

30歳になる少し前に離婚した。
その一年半後に現在の妻を紹介された。

高校を出て7年間、妻は俺の祖母の兄が営む田舎町の店舗に勤めていた。
安い給料なのに真面目に働く良い娘だという事だった。
その店舗はあまり利益が上がらず、畳む予定であった。
そこで再就職先を紹介する代わりに、俺との縁談を持ち込んだのであった。

あまり期待はしていなかったが、それでも妻を見て正直言って断ろうと思った。
こけし人形を思わせる風貌で、化粧し慣れていませんと顔に書いてあった。
とても若い女性とは思えないファッションセンスも気持ちを萎えさせた。
だが贅沢も言えないと思い直し、適当に話を合わせていた。

暫くしてここは若い二人でという感じで放置された。
妻はモジモジしていたが、何かを決心したように核心に触れてきた。

妻「前の奥さんに逃げられたって本当ですか?」
俺「…はい、そうですよ」
妻「男を作られたって聞いてるんですけれど」
俺「…そうなりますね」
妻「職場の人に言い寄られたんですよね?」

随分不躾な事を言い出すなと思った。
空気が読めないのかなと。
俺が答えずに居ると、細い目を思い切り開けて俺を見つめ、

妻「私は大丈夫ですよ」
俺「何がです?」
妻「私は今まで男の人に一度も口説かれた事がないんです」
俺「一度も全く?」
妻「そうです。共学だったし、知り合う機会も何度かあったのに」
俺「?」
妻「んだから安心できますよ!」

妻はドヤ顔をしていた。
俺は笑ってしまった。
男に相手にされない事が何で自慢になるんだろうと思った。
でも妻のアピール(?)は俺の心へのピンポイント攻撃になった。
浮気の可能性がないと言うより、こいつと居ると面白いんだろうなと。

3ヶ月後には同棲を始め、すぐに籍を入れた。
妻は必要ないと言ったが、半年後に花嫁姿を見たいであろう御両親の事を考え、身重な妻と親族だけの神前結婚式を上げる事にした。
裕福ではないが純朴な御両親は、俺側の親族の前で何度も頭を下げ、妻を宜しくと言っていた。
「いい子です。自慢の娘です。高校しか行かせられなかったけど、大事に育てました」
それを聞いて妻は大泣きをした
(飄々としている妻が泣いたのを見たのはこの時だけである)。
化粧が崩れたのを補正するため、式が始まる直前に志村けんの馬鹿殿並みの白塗りをした。
変でないかと不安そうに小声で訊ねる妻に、何度も「綺麗だよ」と言った。
本当にとても綺麗に見えた。

いつもどこかずれている妻と一緒になって十年余。
子供3人もちょっとあれな感じだが、結構幸せである。

 

 

難聴の子

小学生の頃、難聴の子がクラスに居た。
補聴器を付ければ普通学級でも問題無い程度の難聴の子だった。
彼女はめちゃくちゃ内気で、イジメられこそしていなかったけど、友達は居なかった。

ある時、学校の行事でうちのクラスは歌に合わせたダンスをする事になった。
みんなで『あーでもない、こーでもない』と振り付けを模索していた時に、誰かが
「そういえば○○ちゃん(難聴の子)って手話出来るじゃん。それ参考にしたら?」
と言い出し、みんなで「手話見せて!」と○○ちゃんの所に集まって聞いた。
彼女は大分戸惑っていたが、色々な手話を披露してくれて、
「すげー!」
「色々な動きがあるんだねー」
と、みんな関心。

その後、行事では手話を動きに取り入れたダンスで先生達に褒められ、みんな手話自体に興味を持ち、学校で手話クラブが出来るまでの、ちょっとしたブームになった。
『(手話の)先生』というあだ名が付いた○○ちゃんは、よく笑うようになり、行事前と比較して別人のように明るくなった。

卒業式の時、証書を貰う為に壇上に上がった○○ちゃんは、急に立ち止まって、泣きながら、
「みんなありがとう。みんなのおかげでとても楽しかった。私は違う中学に行くけど、一生忘れません」
と、たどたどしい言葉と手話で、みんなに向かって言ってくれた。
もう、クラスの女子は泣くわ、先生達は泣くわ、保護者は泣くわ、校長まで号泣するわ。

ずっと年賀状の遣り取りを続けていたのだが、この間彼女から結婚式の招待状が届いた。
それで思い出した話。

 

 

母さんのふりしてくれて、ありがとう

結構前、家の固定電話に電話がかかってきた。
『固定電話にかけてくるなんて、誰かなぁ』と思いながらも、電話に出てみた。
そしたら、「もしもし? 俺だけど母さん?」と相手が言ってきた。
相手は、俺より若そうな男の声だった。
俺はオレオレ詐欺だと判断した。
何より自分を「俺」と言ってるのが決め手だった。

普通ならそこで「違います」と言って切るのが良かったのだろうけど、暇だったし相手をおちょくってやろうと思った。
それで、下手な声真似で「ああ、あんたかい?」と言ってみた。
バレるかと思ったけど、不思議とバレなかった。

相手は話を続けた。
「やっと就職先決まったんだけど」と言った。
俺は『このまま金請求される流れだなあ』と思いながらも話を聞き続けた。
「母さんも一緒に仕事探してくれてありがとう」と言ってきた。
俺はふと思った。
オレオレ詐欺にしては、話を制定し過ぎている。
母さんが仕事探してくれたかなんて、分からないはず。
しかし俺も深くは考えず、話を聞き続けた。
相手は、ひたすら母さんとの思い出を語り続けた。
途中で「聞いてる?」と言ってきたから、急いで声を作って返事をした。
『仕事が決まっただけでこんなにも語るか?』と思った。
でも相手は、楽しそうに話を続けるんだ。
一時間近く経ち、相手は
「ああ、もうこんな時間か。また明日かけるね」と言い、電話を切った。

その日、俺は不思議な気持ちでいた。
次の日の午前10時頃、電話がかかってきた。
やはり昨日の人で、「これから仕事に行って来るよ」と言う。
俺は何故か分からないが、「うん、頑張ってね」と言った。

午後10時くらいだったか、また電話がかかってきた。
その日も延々と思い出話を語っていた。
ただ、昨日と違ったのは、口癖のように「あの時は…」を繰り返していた。
俺はその後、寝てしまっていた。

次の日(日曜日)の朝、また電話がかかってきた。
「昨日も長々と喋ってごめんね」と言い、また話をし始めた。
俺が思ったのは『よくこんなに喋れるなあ』ということだった。
その電話で、思い出話を終えたように話し終えた。
「じゃあまたね」と言い、相手は電話を切った。
その後、電話はかかってこなかった。
何だか寂しい気持ちになった。

次の日起きたら、留守電が入っていた。
聞いてみると、
「昨日まで母さんのふりしてくれて、ありがとうございました。
お母さんが生き返ったみたいで、本当に楽しかったです…。
でも昨日、僕はずっと誰かに頼って生きてるんだなと実感しました。
これからは、一人で生きて行けるようにしたいと思います。
こんなくだらない会話に付き合ってくれて、本当にありがとうございました」

何故だか、ポロポロと涙が溢れてきた。
俺も、一人で生きなくちゃな。

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