母親の泣ける話 – 感動エピソード【6】
継母に謝りたい
私の母は、私を産んですぐ死にました。
なので、再婚した新しい母に育てられました。
でも、再婚してから一年後、事故で父が死に、気まずい空気の中、時間だけが過ぎていきました。
私は一花という名前を気に入っていませんでした。
母には、
「一本しか咲かない花が一番きれいなのよ」
と言われました。
でも、一本しか咲かない花なんてないし、私自身では自分の事がかわいい(きれい)とは到底思えません。
この名前をつけたのはあなたじゃないのに、、、
そう思って、いつも母に怒りをぶつけてしまいました。
私が小学4年生の時、学校から帰ってくると、キッチンで母が血を吐いて倒れていました。
私はどうしていいのかわからず、とりあえず隣の家の人に救急車を呼んでもらいました。
母が倒れた原因は「胃潰瘍」といって、ストレスなどにより胃に潰瘍ができ、出血するために起こる病気です。
母はひどかったために、入院することになりました。
私は毎日習い事があり、お見舞いにいけませんでした。
再婚した母なので、血もつながっていないし、正直休みの日をけずってまでお見舞いに行く気にはなりませんでした。
母が入院してから3週間後、初めてお見舞いに行きました。
知らされていた部屋に入ると、母の姿はありませんでした。
なんと、母はすでに死んでいました
親戚の家で暮らしていたため、家に電話が来ていたことも知りませんでした。
私は泣きました。
体中の水分がなくなるくらい泣きました。
そして、後悔しました。
母にストレスをかけていたことを。
天国にいるお母さんへ
あれから9年、私は医学の勉強をしています。
母と同じ病気で亡くなる人が、又、悲しむ人が、一人でも減らせるよう日々勉強しています。
お母さん、私のせいでストレスをかけてしまってごめんなさい。
お母さん、育ててくれてありがとう。
「ありがとう」といえた
いつも私は、お母さんと喧嘩ばっかしてた。
いつもお母さんに頼って生きていた私は、目覚まし時計で起きられず起こしてもらってるのだが、時々起こすのが遅い。
そういうときも全部「早く起こさねぇのが悪いんだろ!!!」とか言ってた。
お母さんも反抗して「だったら私でおきなさい!!」とか言って喧嘩。
一回警察に呼ばれたときも、お母さんにすげえ怒られた。
家に帰るのが遅いと、わざわざ探して友ダチがいるのに帰らせれるし、ぶっちゃけ私はそんな母親が大きらいだった。
ある日、ちょっと大きい喧嘩をした。
母:何であんたはおにいちゃんと違って何も出来ないの!!!もうちょっと子供らしくしなさい!!」
自:あんたのせいなんだよ!!!
兄ちゃんには、私立行かせるのにウチにはいかせてくれない、
いつも仕事でろくに授業参観にもこない!
いつも、ウチを保育園でヒトりぼっちにさせて、
母親ずらしてんじゃねえよ!
あたしはあんたの事母親だともう思ってねえよ!!!
あんたの事、母親だと思ってねえよ!!
この一言を聞いたとたん、いつもは口うるさいお母さんが黙った。
言い過ぎたかなとは思ったけど、それはそれでもういいと思った。
どうせ愛されてない子供に言われただけなんだから。
そう思った。
すごい勢いで私の部屋にこもると、少しお母さんのことがきになった。
ちょっと様子をみてみよう・・・
母親が泣いていた。
あんなに強い母が泣いていた。
そして独り言でこんなことを言っていた。
「私のせいだ」
目頭が熱くなった。
こんな母親みたことない。
みたくない。
すぐに、部屋にまた戻った。
気分転換にTVでもみようか・・・
おもしろくない、そういえばまだ見てないビデオ録画したのあったな。
そうやって探すと、母親の字で私の名前が書かれたビデオがあった。
なんだろうと思ってみてた。
そこには幼い頃の私が、大事そうに微笑んでる母親の腕の中にいた。
ビデオの中のおかあさんはとてもやさしくて、なんども私をビデオに写して、私の名前を呼んでくれていた。
そしてビデオでこんなことをいっていた。
「大すきよ。
多分私の子だから何度も反抗するでしょう。
だけど、あなたは私の大好きな子よ。ずっとずっと」
何年間も流してない涙が自然と出てきた。
その日、私はお母さんに「ありがとう」といえた。
旅行の予定
高校卒業してから4年間何にもしないで家で金を使うことしかしてなかったんだ。
ネトゲやったりとかゲーム買ったりとか。たまに親にも怒鳴り散らしたりもしたな。
そんな駄目な俺が2年くらい前かな。
カーチャンスレ見てから必死でバイトと勉強してやっとCMとかやってる大手企業に就職できたんだ。
本当にうれしかったよ。
やっと親孝行ができると思ってね。
そんで去年かな。
ある程度お金が溜まったから旅行に連れて行ってやろうと思って内緒で旅行を予約したんだ。
定番だけど温泉ね。
出発の一ヶ月前に内緒で家に帰って発表したら
「ありがとう……本当にありがとう……」
と涙を流しながら喜んでくれたんだ。
この為にお金を貯めたのかってくらい嬉しかった。
そんで、それを近所とかに自慢してやがるのww
一人暮らししてるから近所のおばちゃんから帰省の時に言われたときは恥ずかしかったw
それで出発の3日前になって電話が掛かってきたんだよ。
けど仕事中だから電話に出られなくてさ、その時は無視してたんだ。
んで後でかけ直したら親父が出てさ
「旅行は中止だ……」
って涙声で言うわけ。
訳が分からなくて
「何でだよ?風邪でも引いたの?」
と聞き返したんだ。
そしたら後で
「母さんが……ひき逃げされて……それで……」
頭が真っ白になってその後はよく覚えてないけど。
気がついたら葬式の準備が進んでたんだ。
結局母さんは2日間意識不明だったんだけど容態が急変して死んじゃったんだ。
楽しみにしていた旅行が最悪の轢き逃げの所為で葬式になっちまったんだよ。
母さんの遺品を整理しながら自分を悔やんだね。
なぜもっと早く親孝行出来なかったのかと。
遺品の中にあった日記帳にはさ
「○○が旅行を予約しててくれたみたい。やったー!」
とか
「旅行まで残り3日!!前日には○○も来るだろうから一杯ご馳走を作れるようにしとかなくちゃ!」
とかギッシリ書いてる訳。
それ見てたら泣けてきてさ。
濡らしたらもう読めなくなるのに。
涙で文字が滲んで読めなくなるのにボロボロと流れてきたんだ。
その後で家から出てって犯人捜したけど結局見つからず。
たぶん捜査は殆ど終わってると思う。
だからこんな事が起こる前に恩返しできるやつは早く恩返ししろってこと
今は父さんに恩返ししてる。
あと飲酒運転とかしてるやつは絶対にするなよ!
絶対にだぞ!!
母さんの涙
うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。
母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。
ヤクルトの配達や近所の工場とか、土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無いな・・・
俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。
夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は学校さぼって朝起きないことも多かった。
んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで遊んでて、当然金は無い。
そこでやっちゃった。
盗み。
詳しくは言えないけど、まあ、空き巣だね。
ただ、小心者の俺はその日に自首したんだ。
良心が、とかじゃなくてびびっただけw
警察に俺を迎えに来た母さんはほんとに悲しい顔してた。
でも、泣いてはなかった。
一緒に家庭裁判所行ったときも、割と落ち着いてたね。
裁判所の帰りの電車で俺あやまったんだ。
ボソッと「ごめん。」て。
そしたら、
「お母さんこそお前に申し訳ないよ。ろくに小遣いもやれないで・・・本当にお前がかわいそうで・・・すまなくって・・・」
俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。
声出して泣いてたと思う。
何やってんだ俺、何やってんだ俺。
って思って、情けなくて申し訳なくて・・・
ここでも母さんは泣いてなかったな。
ただ、じっとうつむいてただけだった。
俺はその後、必死になって勉強した。
昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。
そして翌春に何とか大学に合格。
バイトは続けながら大学生活が始まった。
でも、母さんはなんとなく俺のことがまだ心配なようだった。
母さんも相変わらず働きづめだから、そんな生活の俺とはあんまり会話がなかったし、家が貧乏なのに変わりは無かったしね。
だから俺、入学後も一生懸命勉強した。
自分の為っていうより、母さんを安心させてやりたかった。
それで大学1年目の終わりに、
「母さん。ちょっと見せたいものがあるんだ。」
そう言って、紙を一枚渡した。
大学の成績通知書。
履修した科目が全部『優』だったから(マジ)。
最初は通知書の見方がよくわかんなかったみたいだけど、説明したら成績が良いのはわかったみたい。
母「へえ、すごいね・・・母さん科目の名前みてもよくわかんないけど、すごいんでしょ?これ。」
俺「すごいかどうかはわかんないけど・・・」
母「・・・すごいね。・・・偉いね。」
俺「だからさ・・・こんな物だけで偉そうに言うのもあれだけど・・・俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから。」
そしたら、母さん泣き出しちゃった。
もう号泣。
そこで気付いたんだけど、
俺、母さんが泣くのを見るの初めてだった。
きっと、何があっても子供には涙は見せないようにがんばってたんだと思う。
それを思ったら俺も泣き出しちゃったw
母さんより泣いてたかもw
はあ・・・親孝行しなきゃな・・・
一緒に行きたかった場所
東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。
母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。
そんな母が脳梗塞で突然死んじゃった。
呆然としたまま遺品を整理していたら、東京のガイドブックが出てきた。
皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしくボロボロになってた。
親父に聞いたら、
「行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろう」
って我慢してたんだそうだ。
自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。
俺としては義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は、
「何回も何回も、息子が来いと言ってくれた」
と喜んでいたらしい。
一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…
死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったことずっと後悔している。
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