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『追憶』藍物語シリーズ【27】◆iF1EyBLnoU 全40話まとめ – 怖い話・不思議な話

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『追憶』藍物語シリーズ【27】◆iF1EyBLnoU 全40話まとめ - 怖い話・不思議な話 シリーズ物
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藍物語シリーズ【27】

 

藍物語シリーズ【全40話一覧】

 

 

『追憶』

 

 

街灯から少し離れた路肩、夜に紛れて大きなワゴンの助手席を降りた。
此所からは車の入れない細い路地を歩く。車で尾行されていたらこの時点で分かるから。
周りの様子を確かめた。人影は疎ら。大丈夫、車で尾行されている気配もない。
約二ヶ月に一度、定例になった引っ越しの途中。合図をするとスライドドアが開いた。
始めに『対策班』の男が二人、次にLと紫(ゆかり)が降りてくる。運転席の男は待機。
トランクを開けた。引っ越しで持ち歩くのは当座の、最小限の荷物だけ。

ふと、微かな違和感。胸が騒ぐ。皆に声を掛けた。

「注意して、何か変。」
反対車線を走ってきた白い車が路肩に停まった。
ドアが開き、飛び出した人影。道路を横切ってこちらへ、術者だ。 一体、どうして?
先に私たちに気付いたのなら既に『準備』を整えている。
「敵よ、車に戻って。紫、Lをお願い。」
深呼吸、集中力を更に高める。街中で術を使うのは避けたかったけれど。

 

「まさか、こんな所で。まさに千載一遇。」
その術者は満足そうな笑みを浮かべていた。成算は薄くても、まずは交渉。
「このまま車に戻って見逃してくれたら、あなたの命は保証する。それで、どう?」
「馬鹿を言うな。『氷の姫君』を相手に、惜しむ命など無い。
俺のような雑魚でも、時間を稼ぐ位は出来る。太星様には既にお知らせした。
命と引き替えに15分、いや10分で充分。良い死に場所だ。俺は運が良い。」
つまり『過激派』の本体がこの近くにいる。
ここ数ヶ月『過激派』の活動は探知されていないと聞いていた。
なら私たちの行動が『過激派』に知られる筈はない。 偶然? それとも。
すい、と、黒い影が私の前に。 L?
『あなたの術の全て、その的は私。』
Lは大きく手を広げた。 空気が震えている。 『あの声』。
相手の集中力が大きく乱れた。 そう、Lが死ねば困るのは敵。
好機。

 

「2人とも、顔を上げなさい。」 懐かしい、桃花の方様の御声。
大きな机、腰掛ける当主様とその左後方に立つ桃花の方様。御目にかかるのは、1年ぶり?
「S、『過激派』の術者に遭遇した件、内通の心配はないか?」
これも懐かしい、当主様の御声。
「敵の術者1名を殺害しましたが、こちらの人的な被害はありません。
もし内通の結果であればこちらの被害はもっと大きかった筈ですから、
この度の遭遇は恐らく、内通ではなく偶然の結果かと。」
「そうか...ならば当面の問題はLに掛けられた術の状態だな。桃花の方、頼む。」
桃花の方様は大きな机を回り込み、私の左隣に跪くLの正面に立った。
「L、左手を。そう、そのまま。」 Lの左手を両手で握り、目を閉じる。暫しの沈黙。

 

「一進一退。悪化していないのは、せめてもの救いですね。」
「桃花の方様、当主様、お願いがあります。」 Lの声が重い空気を裂いた。一体?
桃花の方様と当主様は御顔を見合わせた後、私の顔を見詰めた。
黙って首を振り、前以て打ち合わせていた事ではないという意を示す。
「L、お前の願いとは、何ですか?」 口を開いたのは桃花の方様。
「私を、殺して下さい。もう、嫌です。私のせいでSさんや一族の人たちが危険に晒されて。
それに、私が代になったらもっともっと沢山の人達が不幸になります。そうなる前に私を。」
桃花の方様は一歩踏み出して、Lをしっかりと抱き締めた。
「どんな事情が有っても、誰かの命を犠牲にすれば済むなんて、思う人はいません。
術者なら皆のために命を捧げる覚悟は当然ですが、それは他に選択肢が無い場合だけ。」
「でも、私は!」
「大丈夫、落ち着いて。折角だから私と少し話しましょう。立ちなさい。さあ、こちらへ。」
桃花の方様がLを部屋の外に連れ出した後、当主様は溜息をついた。
「あの子の母親に深い縁が有るとはいえ、お前には重過ぎる役目。本当に、申し訳ない。
此処で匿ってやれれば良いのだが。」 当主様ご自身が、それは無理だと分かっておられる。
黒い術を仕込まれたLが此所で、『聖域』で長い時間を過ごせば自我の崩壊を招く。
「勿体ない御言葉。ですが、これは私自身がどうしてもと望んだ役目。
今更重過ぎるなどと恨み事を言えば罰が当たります。」

 

「ところで、Lの状態が一進一退と言うことは、効果が無かったのか。術による幻覚は。」
「はい。術だけ、代と術、協力者の少年と術、いずれの方法も効果は有りません。
L自身が『あの声』の持ち主、術による幻覚に耐性が有るだろうと予想はしていましたが。」
Lに仕込まれた黒い術、邪神が憑依する代として、Lの体を使うための外法。
16歳の誕生日に向けて、仕込まれた術の力がLの心と体を作り変えようとしている。
専門の術者もその術を解くことは出来ず、対抗してLの変化を遅らせるのが精一杯。
ただ、Lが誰かに恋愛感情を持てば、その間、その術は無効。
そのまま16歳の誕生日を過ぎれば、取り敢えずの危機は脱するだろう。
しかし、術はLの体と心の性的な成熟を阻害していて、Lは異性を避けたがる。
強い術で『恋の夢』を見せる事が出来れば、実際の恋愛感情と同様な効果が有る筈だった。
しかし術による幻覚に強い耐性を持つLに、幻覚を見せる事が出来る術者がいない。
「専門の術者に無理なら私にも桃花の方にも...他に打つ手は無い、という事か。」

 

「最後の最後まで、私があの子を護ります。もちろん失敗した時は御指示を、必ず。」
「先日の遭遇は偶然。しかしその日に向けて『過激派』の活動は必ず活発化するだろう。
かなり弱体化したとはいえ、未だ有力な術者が残っている。
『分家』の跡目を継いだ秋明、老いたとはいえ太星も。
そして誰より、あの、K。 何れも超一流の術者。
もしもお前の身に何か...あの子の母親が生きていれば、お前があの子のために
その身を捧げる事など望まず、今は最後の備えをするべき時だと言った筈だ。」
「それは...しかし『上』との約束ではギリギリまであの子を救う努力をしても良いと。」
「一族でも最高位の術者の1人、しかしお前の早とちりは相変わらずだな。
自分の情に正直にあろうとする時程、理を、他人の意見を聞かねばならん。」
「御意。肝に銘じます。」
「ならば良い。Lを護るためにこそ、住まいを移せと言っているのだ。
既にお前が義父から相続した、あの館へ。」

 

「しかしあの館は、もう6年も無人のままです。かなり痛みが。」
「無人だったからこそ都合が良い。それに、相続する際に聞いた筈だぞ。
あの館は自らの意思と命を持つ生物。主を待つ間に朽ちたりはしない。
Lを連れ、一刻も早くあの館に身を隠せ。
過激派はあの場所を知らぬ。地脈の力がお前の負担を減らしてくれるだろう。
早過ぎず遅すぎず、このタイミングなら丁度良い。」
義父から相続した土地。その力は巨大な結界となって、その土地に立つお屋敷を護っている。
しかし、其処に身を隠す時間が長ければ長いほど、探知される可能性も高くなる。
とは言っても、身を隠す前に探知されれば意味が無い。今は御言葉に従うのが吉、だろう。
「そしてS、Lを救うのは、間違いなく私と桃花の方の望みでもある。決してそれを、疑うな。」
不意に、胸が詰まる。温かい御言葉が、長い間心の奥に封じていた想いを。でも、駄目。
「有り難う存じます。御言葉に従い、なるべく早くに引っ越しを。」
「うん。一段落したら知らせをくれ、きっとだぞ。」 「はい、必ず。」

 

「あ~、ウチは小さな店なんで出張修理はやってないんですよ。
その間、店を空けるわけにもいかないから。済みませんね。」
「そうですか、有り難う御座いました。」
お屋敷に引っ越してきたばかりで、式を使っても掃除と荷物の整理には時間がかかる。
でも、昨日Lがこのお屋敷の倉庫で見つけた綺麗な自転車。
普段自分の希望を口にしない娘が、珍しく自分から言い出した願い。
だからどうしても叶えてやりたい、タウンページをめくる。
出張修理をしてくれそうな自転車屋さんは3軒、全て同じ言い訳で断られた。
『どうしても』と、Lは倉庫の自転車にこだわるかしら。あのデザインだし、無理も無いけど。
でも、そうでなければ、買い物のついでに郊外のショッピングモールで新品を買った方が早い。
それなら別料金で配達を頼むことも出来る筈だし。
諦めかけた時、ページの端の広告が目に留まった。
『何でも屋○○○ 家のリフォームからお子様の宿題まで。 お電話下さい。』
此処に電話して駄目なら諦めるしかない。電話に出たのは中年の男性。
「はい。自転車の修理なら心当たりがありますから、これから連絡してみます。
ええと、そうですね。夕方までには依頼を受けられるかどうか、分かると思いますよ。」
夕方までって、今まだ11時よ。悪い人では無いと思うけど、時間がかかり過ぎでしょ。
これじゃ心強いんだか頼りないんだか、判断に困る。

 

そろそろ荷物の片付けに一区切りつけてお茶の時間。
そう思った途端に玄関の電話が鳴った。既に『上』との連絡は済んでいる。
間違いない、この電話は何でも屋さんから。
「あ、どうも~。Nです、何でも屋の。自転車に詳しい大学生のスタッフを呼び出したので、
自転車の状態とか、Sさんに直接お話をして頂こうかと思いまして。」
「有難う御座います。ではその方に。」 「はい、変わります。」
受話器を渡す気配。その瞬間、微かな胸騒ぎ。これは?
「はじめまして、Rといいます。早速ですが、自転車の状態を聞かせて下さい。
どんな不具合でしょうか?ブレーキとか変速とか、原因は分かりますか?」
電話越しに聞こえてきた、一種異様な声。 いや、耳触りは悪くない、むしろ聞きやすい位。
要領よく話を聞き出す手際からして、頭の良い子なのだろう。でも、違う。普通じゃない。
何かが、それもかなり大きなものが欠落している。これ、本当に生身の人間の声?
修理の日時を決め電話を切った後も、その声が耳を離れない。思い出す度に胸が騒ぐ。
引っ越しの荷物は未だ片付いていないし、Lから目を離す訳にはいかない。
これは仕事じゃないのだし、今はこんな事考えている暇などないのに。

 

次の日曜日、自転車の修理に訪ねてきたその子の姿を見て納得した。
五感以外の、『力』に関わる感覚を、ほぼ完全に封じられている。
封の種類からして、封じた術者は私たちと同じ系統。おそらく分家に縁の術者。
でも、これ程思い切ったやり方で。これでは他人とのコミュニケーションにも影響が出る。
言葉はともかく心の繋がりが上手く築けないから、周りからは影の薄い人間に見えるはず。
曰く『人畜無害』、曰く『昼行灯』。 折角の端正な容姿も、まともに認識されない。
それを承知で感覚を封じたとすれば...優れた資質に基づいて発現する強い『力』が、
逆にこの子の成長に悪影響を及ぼすことをを怖れたからに違いない。それは理解出来る。
しかし、不思議なのは、この子はもう十分に成長しているという事。
本来この種の封は相手が成長するにつれて力を失っていく。
大学生ともなれば術が解け初めていてもおかしくないのに。
未だこの封の効力を維持しているのは、もしかしてこの子自身の無意識?

 

「変速ワイヤの交換と調整、それからブレーキのワイヤも変えたほうが良いですね。」
我に返る。そう、今はまず自転車の修理。 「どのくらい、かかりそうですか?」
「1時間もあれば。」 上の空だったから、言葉足らず。だからこの子は時間を聞かれたと。
他愛ない行き違いが新鮮で、何だか愛しい。思わず笑顔が浮かぶ。
「いいえ、あの、部品代です。」
「あ、聞いてませんか?うちは一件いくらで仕事受けますから。
基本、ワイヤみたいな消耗品は無料なんですよ。」
笑顔が眩しくて、ついその心を読む。今まで何度も、それで嫌な思いをしてきたのに。

『なんて綺麗な人』 『会えて嬉しい』 『もっと見詰めていたい』

流れ込んでくる熱い好意。私と関わりを持ち続けたいという、純粋な想い。
その無邪気さに驚いて思わず鍵を掛けた。胸に響く早鐘、一体この感覚は?
「じゃ、普通の自転車屋さんに頼むよりお得なのね。」
何とか言葉を絞り出して踵を返した。たかが会話で、何でこんなに心が乱れるの?
それも今会ったばかりの、年下の男の子が相手なのに。

 

最初の電話以来、集中力を欠いているのは自覚してた。
だから今朝作った式は2体だけ。なのに、そのコントロールすら上手く行かない。
1体は一度解いた荷物をまた荷造り。
もう1体は窓に張り付いて外を見詰めている。玄関の向こう、ウッドデッキの方向。
溜息をつき、柏手を打って術を解く。式は紙の人型に戻った。
荷物の整理を諦めて、丁寧に濃い麦茶を淹れる。たっぷりの氷でキンキンに冷やし、
昨日ショッピングモールで買ったクッキーを添えれば見栄えはそこそこ。
でも、これを持って行って、あの子に何気なく勧める自信なんて無い。
「L、ちょっと来て。」 「はい。」 廊下を歩く、軽い足音。

 

何か大事なものが欠落していると言えば、この娘も同じ。いいえ、もっと深刻。
その体に仕込まれた厄介な術は魂を蝕み、この娘の性的な成熟を阻害している。
もう私より背は高い。でも、私が殊更に女の子らしさを強調した服と長い髪がなければ、
きっと華奢な男の子にしか見えない、細い体。
「今、自転車修理の人が来てるの。何でも屋さんの大学生。
だからこれ、麦茶とクッキー持って行ってあげて。ウッドデッキよ。」 「はい。」
Lは一旦自分の部屋に向かった。戻ってきた時には、大きな麦藁帽子。
私の言葉から、それが男の子だと感知したのだろう。
目深にかぶった大きな麦藁帽子で顔を隠すつもりなのだ。
お盆を持ってゆっくりと歩く後ろ姿。 御免ね。私、狡い。

 

柱時計のチャイム。あ、私今まで何を。
あれからもう30分近く経っているのに、Lの姿がない。
ぼーっとしていて、時が過ぎるのに気付かなかった。大事な時に、なんて迂闊な。
慌てて玄関を出る。少し俯いてウッドデッキに座るLの姿。安堵。
私の姿を認めたLが駆け寄ってくる。耳元の囁き。
凡そ感情を露わにする事の無かった娘の、小さな、そして嬉しそうな声。
「もう修理は終わっていて、今は私の体に合わせた調整をしてくれてるんです。
サドルとか、ハンドルの高さを。『元のままだときっと乗りにくいから』って。」
左手で、そっとLの右頬に触れる。「そう。じゃ御礼、しなきゃね。」
歩きながら深呼吸、飛びっ切りの笑顔を作る。
鍵なんて掛けなくても大丈夫、あの子に悪意はないのだから。
「オプションの作業もして下さったのね。」 「あ、これも無料です。」
「一件いくらで仕事を受けてくれるから?」 「今後も何でも屋○○○を宜しくお願いしま~す。」軽いやりとりを通して伝わってくる無邪気な、温かい想い。
『この人が好き』 『次の依頼があればまた会える』 『手の届かない人』
そして、この子の封は解け始めている。こんな短時間で。
私への想いがこの子の心のあり方を変えた。
それはこの子が本当に私を好いてくれているという、何よりの証。
嬉しい、嬉しくて心の奥が震える。でも駄目、応えられない。心に鍵を掛け、想いを遮断した。
後は代金を渡す時、あの子の手に触れて私に関わる記憶を軽く封じるだけ。

 

一人きりの、深夜のリビング。グラスの氷が揺れる、涼しい音。
冷たいハイボールが、少しだけ心の熱を冷ましてくれる。
あれから半日、気持ちはかなり整理できた。
きっとこの感情が、『恋』。25年生きてきて、初めての感情。
私には恋なんて出来ないと、してはいけないと考えていた。
私を本当の妹のように大切にしてくれた人の、
あまりに純粋で真剣な恋愛を間近で見てしまったから。
あんな風に人を愛することなんて出来ない。
それに、私の手は既に人の血で汚れている。
強い『力』を持って生まれた天命に従い、術者として働き始めたのは12歳の時。
術で、初めて人を殺したのは16歳になってすぐ。
非が有るのは相手、殺さなければ殺されていた。しかしそれで心の痛みが消える訳じゃない。
この手で人を殺した者が幸せになってはいけない、だから私は恋をしてはいけない。
そう考えていた。ほんの半日前、今朝までは。

 

でも、その考えは間違っていた。
私の考えに関係なく、止めようもなく沸き上がる激しい感情が『恋』。
きっと5つは年下のあの子に会って、二言三言言葉を交わしただけで、それが分かった。
荷物の整理を依頼して、もう一度あの子に会いたい。その想いを抑えるだけで精一杯。
今はLの事だけを考えてやらなければならない時期なのに。
このまま16歳の誕生日を迎えたら、Lは魂を失った抜け殻になってしまう。
そうなれば、Lの体を代として邪神が憑依する前にLを処理する。つまり、この手でLを殺す。
それが『上』との、そして当主様との約束。だから今はこの想いを凍らせる。
何も難しいことじゃない。皆が言うように、私は『氷の姫君』なのだから。

 

しかし凍らせた想いはあっけなく、三ヶ月も経たない内に、融けた。

「私、もう一度あの人に会いたいです。自転車修理の...」

自分の気持ちを上手く言葉に出来なくて逡巡するLを根気強く励まして、促して。
ようやく聞き出した一言。頬を紅に染め、俯くL。
黙り込んでじっと外を見ていたり、急に饒舌になったり。
この所Lの様子が変化したのに私も気付いていた。
それがこの娘の想い、あの子への恋愛感情からきたものだったなんて。
自分自身の想いを凍らせていたから気付かなかったけれど、
これはLを救う絶好の、そして多分最後のチャンス。
例えば街でLとあの子が再会、あの子もLに好意を持ってくれたらそれが何時か恋愛に...
ううん、駄目。上手く行く保証が無いし、どれだけ時間がかかるか分からない。
時間をかけるほど過激派に探知される可能性は高くなり、折角の転居が無意味になる。
何よりあの子がLを拒絶したら、事態は間違いなく今より悪化する。それならいっそ。
そっとLの肩を抱いた。

 

「私もあの子が大好き。だから、あなたの気持、良く分かる。
きっともう一度、あの子に会わせてあげるから、私に任せて。」
「本当に?でも、どうやって?」
「何でも屋さんに恋愛ごっこの相手を依頼するの。あの子を指名して。
そうね、出来れば今後半年間。そしたらその間あなたは何度でもあの子に会える。」
「恋愛ごっこ、ですか...」 途端に曇った、少し不満そうな表情。
「あなたがあの子を大好きでも、あの子があなたを好きになってくれるかどうかは分からない。
もしあなたが失恋して、心の傷がこれ以上深くなったら、
もう、あなたに掛けられた術を抑える方法は無い。それに、恋愛ごっこを続ける間に
あの子があなたを好きになってくれたら、それは『ごっこ』じゃ無くなる。
そうなるように、あなたも頑張って。応援するから。」
それはLだけでなく、私自身を説得するための言葉。
この計画が実現すれば、Lだけでなく私も、あの子に会える。やっぱり、私、狡い。
「Sさんも、あの人が大好きなんですよね?」 「そうよ。」
「あの人も、Sさんが大好きです。会って直ぐに分かりました。
私の事が好きじゃなくても、Sさんが頼んでくれたら、きっと引き受けてくれると思います。
それに、私もSさんを応援します。だから、お願い...」
俯いたLの横顔はとても可愛い。密かな胸の痛みを堪えてその肩を抱く。
恋をする娘は、こんなにも変わるもの?それなら私も、少しは。

 

毎日の恋愛ごっこ、メールのやりとりは端で見ていても本当に微笑ましい。
Lの変化は眼を見張る程で、阻害されていた性的な成熟が少しずつ、
でも確かに進み始めたのを確信できた。
このまま2人の仲が進んでデートに出かけるようになれば、
私もあの子の顔を見ることが出来る。しかも、Lの状態を心配する必要はない。
少し前まで感じていた焼け付くような焦りは、綺麗さっぱり影を潜めた。
Lの誕生日に向けて、このままの状態を保つ努力をすれば良い。怖い程、順調。
Lが嬉しそうに私の部屋に飛び込んで来たのは一週間ほど経ったある日の夜。
「Sさん、『明日、会って一緒にいたい。』って、Rさんが。さっきメールで。」
「そう。良かったわね。返事して直ぐに寝ないと寝坊するわよ。」 「あ、そうですね。大変。」
正直、少しだけ胸が痛いけれど、Lの喜ぶ顔を見るのは、素直に嬉しい。
だから、デートに使う車を管に護衛させるのも、管を通して二人の様子を知るのも、
もしもの場合に備えて二人を護るため。
それは疚しい気持ちからじゃない、そう、決して嫉妬なんかじゃない。

 

管の感覚を通して伝わってくる映像と会話。はるか遠い場所にいる、2人。
「『好き』には、色々な種類と大きさがあると思うんです。」 「それは解ります。」
「例えばある女性の心の中で一番大きな『好き』の相手が彼女の子供だとしても、
それを知った彼女の夫が落胆するとは思えません。」 「それも解ります。」
「それなら、今ここで僕の心を覗いても、貴方が悲しむ事はありません。」
「...Rさんの心の中で、一番大きな『好き』の相手が、私、だからですか?」
「そうです。今は、間違いなく貴方が一番好きです。」

 

分かっていた事。だけど、やっぱり少しだけ胸が痛い。
『管、有り難う。こんなに大事にされてるなら大丈夫。後は護衛だけで良い。ご苦労様。
でも、もし何か妙な事が起きたら直ぐに知らせて。お願いね。』
『御意。』
胸の痛みは嫉妬じゃ無い。ただ、羨ましいだけ。
あなたが最初に好きになったのは私。忘れないで、私の事も見詰めて欲しい。
そう、それだけ。他に思う事なんて有るはずが無い。だって今夜はあの人に会える。
心を込めて夕食を作って、三人一緒にそれを食べるだけで充分、そう思っていた。
でも、これ以上あの人がLを好きになったら、その心に宿る現代の倫理観が私を拒絶する。
その前に、あの人の心に私の居場所を確保したい。『一番』じゃ無くても良い。
きっちり一時間待ってLにメール。
『予定変更。宿泊の用意をしてから帰るように伝言して。』
少しでも長く引き留めて、その間にどうすれば良いか考える。今はそれしか。

 

「もし、このまま2人の関係が進展してくれたら、とても有難いと思ってるわ。」
食事の後、深夜のリビング。とうにLは寝ている時間。
Lの心と体の事、この依頼をするまでの経緯。
Lの前では話難いことも、今なら気兼ねなく詳しい説明が出来る。
本来この人を巻き込むのは筋違いだけれど、過激派が直接危害を加える可能性は低い。
その説明に納得して貰えたら、少しは私の負い目も薄れると思っていた。
その人の、思いがけない言葉を聞くまでは。

 

「だからこそ、一応聞いて置きたいんですが。」
「この際だから何でも聞いて頂戴。」
「アイツ等が、僕に直接の危害を加えないだろうという事は解りました。
でもSさん達にとって、確実に目的を達成したいのなら、むしろ僕を」
「やめなさい!」 自分でも驚く程の大声でその言葉を遮った。
...やっぱり。
あの時のLの姿と言葉が否応なく蘇る。 『あなたの術の全て、その的は私。』
この人はLに似てる。
他人との心の繋がりが弱いせい? それとも『欠落』による自己肯定感の欠如?
どちらにしろ、2人の生への執着はあまりにも薄い。
必死で引き留めても、誰かの為という名分さえ有れば、きっとあっけなく彼岸へ逝ってしまう。
どうして分からないの?あなたたちを失ったら、立ち直れない程悲しむのは私だけじゃない。
第一、大義のためにあなたを殺したとして、それを知ったらLは?
それに私が、あの娘にそれを隠し通せるとでも?
胸騒ぎ。絶対に、絶対にこの人を失いたくない。
この人を現世に繋ぎ止める事が出来るのは心と心の、あるいは体と体の絆。
その絆を1つでも、少しでも早く増やすことが出来るなら...そのためには。
心を、決めた。

 

「今できる説明はこれでお終い。他に質問は?」 「いいえ、ありません。」
グラスに少し残っていたハイボールを一気に飲み干して、立ち上がる。
「じゃ、5分後に此処で。寝室に案内するわ。洗面所の場所は分かるでしょ。」 「はい。」
部屋に戻り、パジャマに着替えて寝支度を済ませた。 深呼吸、心を静めて、リビングに戻る。
大丈夫。急だけど、初めて会ったときから何となく予感は有ったから。 きっと『この人』だって。
「あの、此処は?」
「私の寝室、さっき言ったでしょ。今夜は私と此処で寝て貰います。もちろん朝まで。」
「いや、だってそれは。」 左手の薬指を舐め、その指でその人の額に触れる。
御免ね。私も初めてだし、勿論あなたが大好きだけど、少し怖い。
だから少しだけ、時間を頂戴。その間あなたを抱き締めて、あなたが見ている夢を通して
どうしたいのか、どうされたいのか、それが分かれば心の準備が出来る。きっと体の準備も。
「でも、こんな事。Lさんに知られたら。」
思わず溜息、ホント腹が立つ程、ストレートな物言い。
でもこれからは、私達の一族の倫理にも、慣れて貰わなきゃ。

 

「今夜一緒に寝る事はあの娘にも話してあります。
何をするか詳しく話した訳じゃないけど。それに。」
この人の罪悪感が少しでも軽くなるように、悪戯っぽく笑顔を作る。
「私への『好き』より、あの娘への『好き』の方が大きいなら、何も問題無いでしょ?」
その人の顔が一瞬で紅に染まった。
「何故それを。」
その問いには答えず、耳元で囁いた。 「だから余計に羨ましいの。」
そう、『私を見て、私の事も忘れないで。』。 それが私の、正直な気持ち。
何処にも行かずに、いつまでも私の傍にいて欲しい。
部屋の灯りを消して、その人を強く強く抱き締めた。
とても嬉しくて幸せで、少しだけ悲しい。でも、朝までは2人きり、それで充分。

 

痛...何? 唇の、鈍い痛み。 そっと目を開ける。
背後から私の右肩を抱く、筋肉質の細い右腕。首の左下にも腕が、これ、腕枕?
朧気な記憶、それとも、私はまだ夢の中? ううん、夢じゃ無い。
唇の痛みだけで無く、全身に散らばる微かな痛みがその証拠。
ゆっくりと、でも確かに戻ってくる愛しい記憶。
その右腕を浮かせて、そっと寝返りを打つ。やっぱり夢じゃない。
少しだけ日焼けした可愛い顔。安らかな寝息。
さらさらの黒い髪、長い睫毛。 紅を引いたように形の良い唇。 まるで、女の子みたい。
愛しさが込み上げて、唇を重ねる。もう歯が当たらないように、そっと。
「ん...」 折角の眠りを邪魔して御免ね、でも確かめたい。だからもう一度。
二度目のキスで、その人は目を開けた。ボンヤリと寝惚けた瞳、可愛い。
「Sさん、どうして?これは、夢?」
ふふ、私と同じ。やっぱり今の幸せは、夢みたいよね。
「夢かどうか、確かめて。」
その人の右腕に力が篭もり、私を抱き寄せた。幸せを噛み締めて、目を閉じる。

 

ダイニングで朝食の準備を始めた時からずっと、一番遠い椅子に小さな白い影。
300年も前から術者との契約を更新し続け、一族有数と称される式。
それがまるで拗ねた子供のように背を向けている。これはこれで見物なのだけれど。
「言いたい事があるなら今の内よ。もうすぐLを起こす時間だから。」
「今朝はL殿を起こす前にもう1人、起こさねばならぬ者がおりますな。」
「管、らしくないわね。一体何が不満なの?」
「不満?合点がいかぬは当然。如何に資質があろうと何処の馬の骨とも知れぬ男を。
炎殿との縁談を断ってあんな男を選んだとなれば、○△姫の立場も危うくなりましょうに。」
「あの縁談は『上』から勧められたものじゃなかったし、あなたも反対だったでしょ。
今まで『誰とも結婚する気はない。』って、縁談を断ってきた跳ねっ返りが、
『結婚して子供も欲しい。』って気になってるのよ。
将来の術者が増えるなら、『上』だって大喜びだわ。
私の立場が悪くなるなんてあり得ない。それにね。」
未だ背を向けた沈黙は、話を聞いているというサイン。
「術者になってずっと一緒だったから、管が一番この縁を喜んでくれると思ってたの。
だから、ちょっと哀しいな。私の大好きな人を『馬の骨』だなんて。」
控え目な、溜息が聞こえた。
「今後はあの男に、○△姫の夫君としてふさわしい言動を期待すると致しましょう。では。」
椅子の上の白い影は、一瞬で消えた。

 

今後の対応について作戦会議を開いたのは、その日の昼食後。
会議が一段落したタイミングで、その人は小さく右手を挙げた。
封が解け始め、その感覚が覚醒しつつあるのだから当然の事。私とLの予想通り。
「もし、失敗してLさんがアイツ等の手に落ちたら、
アイツ等はLさんを使って一体何をするつもりなんですか?」
Lの顔を見た。大丈夫、Lにも迷いの色は無い。
酷かも知れないが、この戦いに臨む覚悟を伝える時。
「それは私も予想できない。でも、ひとつだけ確かなのは、
『もし失敗しても絶対にLをアイツ等に渡してはならない』と言うこと。」
その人の顔面が蒼白に変わった。そう、この戦いの重さを知れば誰だって心が揺れる。
でも、その覚悟に少しでも甘さがあれば、この戦いを勝ち残れない。だから。
「失敗が確実になったら、この手でLを殺す。それが、『上』から私への指示。」
両手で両耳を覆ったその人の体が、ソファの上でゆっくりと傾く。一体、何故?
「Rさん!」 Lがその人の体に縋り、手を握る。そして。
Lの体の下から小さな白い影が飛び出して、消えた。 管? どういうこと?
呼びかけても管の反応はない。 突然、蘇る言葉。

 

『今後はあの男に、○△姫の夫君としてふさわしい言動を期待すると致しましょう。』

必要な覚悟の重さを目の当たりにして揺らいだ心を『ふさわしくない』と判断したら、管は?
まさか。 「L、R君をお願い。私も出来るだけの手を打ってみる。」 「了解です。」
階段を駆け上り部屋へ戻った。引き出しから紙を取り、管の、真の名を書く。そして魔方陣。
部屋の床、中央に大きな白い影が浮かんだ。巨大な体躯の白狐。
「お呼びですか?わざわざ緊急の回線を使う程の事では」
「黙って!あなた、あの人に何をしたの?」
「さっきの話で、あの男の心が揺らぎました。」 「人間なら、それは当たり前だわ。」
「文字通り恋は盲目。○△姫様も例外ではないという事ですな。」 「どういう、事?」
「あれが、只の人間ですか?」 「...それは。」
「話を聞き、畏れをなして逃げ込もうとしたのですよ。自らの心の闇に。
あれ程の資質を持った者が闇に入り、万が一にも敵の手に堕ちれば戦いの趨勢が変わる。
この戦いに敗れた時、○△姫様にはL殿とあの男を、ともに葬る覚悟が御有りか?」

 

確かに、作戦会議で確認した通り、今後敵からの攻撃が激しくなるのは間違いない。
このお屋敷が探知されるのも恐らく時間の問題。もしアイツ、Kの攻撃であの人の心が。
「あの男の心を『薄暮』に封じ、無論○△姫様の夫としての心構えも説きました。
もし相応の覚悟が出来たら勝手に出てくるでしょう。それが出来ぬのなら、
この戦いが終わるまであの男はそのままに。その方がむしろL殿の心も。」
涙が、溢れた。管の言う通り、私は浮かれていたのかも知れない。
でも嫌、こんなの納得出来ない。沸き上がる想いを抑えるなんて。
「管の馬鹿!あの人はそんなに弱くない。見てなさい、『薄暮』なんか直ぐに。」
「...貴方様にお仕えすると決めて本当に良かった。本当に人とは、不思議な生き物。
たかだか100年しか生きられぬ身で、貴方様もL殿もあの男も、何と鮮やかな輝きを。」
ノックの音? 我に返る。
「Sさん!Rさんが目を覚ましました。すぐに来て欲しいって。」
涙を拭うのも忘れてドアを開けた。廊下を走る。あの人の待つ、リビングへ。

 

少し悔しいけれど、私たち3人の心が以前に増して1つに、強く纏まったのは管のお陰だろう。
その人はお屋敷で暮らし始め、心の繋がりを深めながら、3人でその日に備えた。
Lとその人、2人を何度も街に出すのはさすがに危険過ぎる。
当然、日々必要なものの買い出しは私の役目。
その内、手間暇かけて作った食事を一緒に食べるのが、3人の数少ない楽しみになった。
出来るだけ質の良い食材を使い、毎回の食事を工夫する。
驚いたのはその人の料理の腕前。飲食店でのバイトは、主に食器洗いだった筈なのに。
和食、特に魚を使った料理はそれこそ玄人裸足という他に言葉が無い。
綺麗に面取りをした飴色の鰤大根が食卓に並んだ時、私とLは唖然とした。
「こんな良い魚使えたら美味しくて当然です。え?どうやって料理を?
...う~ん、父と釣りに行ったら、釣った魚を捌いて料理するのが当たり前だったし。
夕食は結構母の手伝いをして食材の下拵えとかしてましたから。
全部、見よう見まねです。父と母が料理上手だって事ですかね。」
「もしかして、Rさんの実家は料亭ですか?」
「まさか。父は私立大学の講師で、母は専業主婦です。料亭なんて。」
言葉を交わしながら、その手は休まずに動き、大皿にヒラメのお造りを盛り付けていく。
本当に、美味しそう。そしてその人は別に小さな皿を1つ用意した。
「これは管さんに。ええと、そう、陰膳。」 本当に、勘が良い人。
あれは昨夜の事。

 

「管、仕事よ。」 Lの誕生日まで、既に一ヶ月を切っている。
呼びかけて数秒後、ソファの上に小さな白い影。「管は此処に。何なりと。」
「今日、『上』から要請が有ったの。対策班に協力して欲しいって。」
「炎殿の指揮下に入るのに異存は有りません。しかし、この屋敷の護りは。」
「私が何とかする。それに、対策班がアイツ等を処理できれば護り自体が必要なくなるわ。」
「御意。」 白い影は消えた。
陰膳に込めたその人の想いは届いているけれど、私の判断は正しかったかしら。
『過激派』の、残った精鋭の術者たちは頻繁に移動を繰り返していると聞いた。
何度か探知には成功したようだけれど、どうしても対策班の対応がもう一歩間に合わない。
結局、対策班が手を下す前に、アイツ等はこのお屋敷を探知した。
最初の干渉があったのは、管を対策班へ派遣して数日後。それを防ぐ事は出来なかった。

 

「R君、一体どういう事なの?説明して頂戴。」
自分の声、その冷たさに身震いする。まさか、こんな事になるなんて。
強張った顔、その人の心は私とLを拒絶している。もう、私の想いは届かない。
その人の隣にはLと良く似た美貌。この女が、K?
「Sさんの説明が真実だとは限らない。最初からそれを考えておくべきでした。
僕はSさんに騙されていた。僕の気持ちがLさんから離れるのは当たり前の事。違いますか。」
Kの術は既にこの人の心を。 もしLがそれを知ったらその時点で...もう策はない。
「Lを見捨てるというなら仕方ない。でも、君ほどの資質を持った人間を敵の手に渡したら、
この戦いに勝つのは更に難しくなる。」 悲し過ぎて、涙も出ない。
「言ったとおりでしょ?この人は真実に気付いた貴方が邪魔になったの。
でも心配要らない。貴方は私が、必ず守ってあげる。」
初めて会った、Lに似た人。この人が術者でなかったら、私はLの親戚を見つけたと喜んだ筈。どうしてこうなったの? 何故、私たちは長く無益な身内の争いに否応なく巻き込まれて、
互いに憎み合い、時には殺し合わなければならないの?
分からないし、考えている時間もない。
ただ1つ確かなのは、愛する人の心を取り戻さなければいけないということ。
そのためなら、どんな手段を使っても。
「そうね。Kと言う名、その力を聞いた時から、いつか必ず戦うことになると思ってた。
あなたを倒して、この人の心の呪縛を解く術を見つける事が出来れば、もしかしたら。」
「もう手遅れ。この人の心は私のもの。それに、私には勝てない。たとえ『氷の姫君』でも。」
「それじゃ、試してみましょうか。」 ゆっくりと立ち上がる。 Kの姿がゆらりと薄れた。

 

目が、覚めた。そうか、夢。 私の心の弱さが見せた幻。Kは私より若く、Lより女性らしい。
もしあの人の心が動いたらと怖れる心が...待って、どうして私はその姿を?まさか。
飛び起きてカーディガンを羽織り、ドアを開ける。早く、あの人の部屋へ。
微かな、残り香のような気配。 間違い無い、敵の、Kの干渉。とうとう此処を探知して。
深呼吸、騒ぐ心を必死で静めて笑顔を作る。ドアをノックした。
「起きてる?」 「はい。」 小さな返事の後、ドアが開いた。
「話が有るの。良い?」 その人は黙って頷いた。
良かった。揺れてはいるが、この人の心は私を拒絶してはいない。
「寒いから、上着を着てダイニングに。今、温かいお茶を淹れるわ。」 俯いて踵を返した。
キッチンへ向かう廊下、零れる涙を拭う。本当に、良かった。

 

お茶を一口飲み、その人の心がすっと落ち着いたのが分かった。
その人の目をしっかり見詰める。その人も、目を逸らさない。 もう、大丈夫。
「さっき、何を感じた?」 「感じた、って言うか。変な夢を見ました。」 「どんな夢?」
その人が話した夢の内容は、かなりハッキリしていて複雑なイメージだった。
初老の男、顔に大きな傷跡のある若い男。今より若い私。
Lの面影がある小さな女の子。 そして、彼女たちの最後の言葉。
「その男性2人に見覚えはある?」
「いえ、全然見覚えはありません。知らない人達でした。」
これは、かなり厄介。相手の記憶すら利用しない、大がかりな幻視。
初めての干渉でそんな事が出来るのは、この人とKの間に『共振』が起きている場合だけ。
この人が一族の血縁だとすれば、恐らく分家の系統。つまりこの人とKの血が、共振の原因。
ちゃんと説明をしておかないと、この人の心を繋ぎ止めるのは難しい。
「君は、さっきの夢を見てどう思った?正直に聞かせて。」
「...もしあれが真実なら、Lさんを守るのは正しい事なのか、そう思いました。」
「君、本当に優しいのね。『Sさんに騙されているんじゃないか?』って思ったんでしょ?」
「正直、騙されているのかも知れない、とは思いました。済みません。」
「謝る必要は無いわ。細かい事まで説明していなかったのは私の方だもの。
でも、結局は君が何を信じるかって所に行き着く。それを承知の上で聞いてね。

 

相手の精神的な弱みに付け入る敵の手口について、Kの年齢とその『力』について。
そしてこの人とKの間で起きた『意識の共振』について。
その人は真っ直ぐに私の眼を見詰めたまま、注意深く話を聞いていた。
本当に勘が良いから、理解も深い。これなら大丈夫。もう、その心は揺らがない。
「どんな術でも、そしてそれが強い術であればある程、術には術師の個性が滲み出る。
相手が女性だと判っていれば、術に対応する方法を選択する手がかりになるかも知れない。」
心は揺らいでいない。でも少し疲れた、滅入ったような表情。術者ではないんだし、それも当然。
「あの、今後はああいうのが何度も起こるんですか?」
「度々『本体』を侵入させたら確実に居場所を特定されるから、
そんなに何度も起こるとは思えない。でも、対応策は必要ね。」
この人の心が揺らがないのなら、敵の干渉を逆に利用できるってこと。
干渉しようと此所に侵入してきたら、その経路を辿って敵の居場所を特定する。
この人に『鍵』の掛け方を教えておけば干渉される事はないし、
夜の間は私が敵の侵入を完全に遮断すれば良い。
優れた資質から予測できたけれど、その人の覚えは早かった。
初歩的な術とはいえ、たった1時間強。本当に素晴らしい、これなら安心。
そしてその安心こそが、危険な陥穽。 私はKの力を甘く見ていた。

 

Lと一緒に夕食の支度をしている途中、それは起こった。
微かな、残り香のような気配。この感じは。
「Sさん、今何か変な感じが。」 「L、R君は何処?」
「ええと、シャワー。いいえ部屋かも。さっき着替えを取りに行くって。」
全力で走る。一刻も早くあの人の部屋へ。大失態。
信じているけれど、もし干渉があの人の心を変えてしまったら私は。そしてLは。
部屋のドアは開いていた。床に膝を着き、PCデスクに寄りかかるその人の姿。
良かった。この人の心のあり方は変わっていない。そっと、その人の肩に手を掛けた。
「大丈夫?今、アイツの気配を感じたから。」 「...今回のはキツかったです。」
遅れて駆けつけてきたLに後を任せて、リビングでホットウイスキーを作った。手が震える。
落ち着いて。落ち着け、私。 確かに大失態だけど、これは逆にチャンスでもある。
この規模の干渉。間違い無くその痕跡から侵入経路を辿れる。
私はKの力を甘く見ていたけれど、それはKも同じ。
炎は独断で対策班を動かせる。敵の居場所を特定したら『上』を通さずに管に伝え、
管からの情報で炎が指示を出す。対策班が急行すれば、敵は逃げられない。
ホットウイスキーを少し飲んで、その人の顔色は大分良くなった。
リビングに移動し、ソファで横になったからもう安心。あとはLに任せておけば良い。
部屋に戻り、準備を調える。アイツの痕跡が薄れる前に。
極薄の和紙で小さな鳥を切り出した。尖った翼、二股の尾羽。親指の爪ほどの、白い燕。
それは燕と同じ速度で飛ぶ『眼』。 アイツの痕跡を辿り、その居場所まで。
掌に載せ、息を吹きかける。 それは躊躇無く飛び去った。 これで良し。
灯りを消し、ソファに身を沈める。 深呼吸。 ゆっくりと、眼を閉じた。

 

...駅が見える。県内の地方都市。そして、町外れの小さな雑居ビル。
数ヶ月前、最後に敵の活動が探知されたという場所よりもずっと近い。
まさか、こんな近くに。 これまで探知された敵の活動は陽動作戦だったってこと?
でも、見つけた。もう逃がさない。 柏手を打って術を解く。 いつも通り、軽い目眩。
あとは管への連絡。対策班には炎の他にも有力な術者がいるし、今は管も。
相手の術と代を封じれば、武器の扱いに長けた男達が存分に働く筈。
あの場所にいる過激派は恐らく全員。 正直、その結果を招く事に躊躇いもある。
しかし、長い争いは相手から仕掛けて来たもの。 今、私の仕事はLとあの人を護ること。
深呼吸、『通い路』を開く。
『管。今、敵の居場所を探知した。良く聞いて炎に伝えて。場所は...』

「昨夜の侵入経路を辿って、アイツ等の居場所を特定したわ。
既に『上』にも報告済みだし、今日中に対策班が踏み込むでしょうね。」
朝食後のコーヒーにふさわしい話題じゃないけれど、配慮している余裕はない。
コーヒーカップをそっとテーブルに置き、その人は私を見詰めた。
「アイツ等の計画は挫折して、Lさんを守りきれる、という事ですか?」
「対策班がアイツ等を完全に始末できれば良いんだけど、アイツ等だって
何とか逃げ延びて計画を完成させようとする筈だわ。だからおそらく今夜までが
山場になる。もう侵入の痕跡を残すのを怖れる必要も無いし、
一か八かで、R君に最大の干渉を仕掛けてくる筈。」

 

「だから罠を掛ける。敢えて意識のコントロールを外す時間を作り、
アイツからの干渉を待って反撃する。」
「怪しまれませんか?第一、最大の干渉に僕の意識が耐えられるかどうか。」
「コントロールを外す時間をランダムにすれば怪しまれないし、
今度は私が付いてる。君の意識に私の意識を繋げておいて、
干渉があった瞬間に全力で反撃する。一気に決着を付けるわ。」
「干渉があるまでは、待っていなければいけないのでしょう?」
「当然、そうなるわね。」
「じゃ、私の意識も繋げてお手伝いします。
そういうのは得意だし、2人より3人の方が、お互いの負担は小さくなりますよね。」
Lの真剣な表情、でもその人は微妙な顔になった。
「あの、SさんとLさんの意識を僕の意識に繋げたとしたら、
干渉を受けた時の、え~とその、幻視は2人にも見えるんですか?」
そう言うこと、ね。その人の幻視の内容によっては、Lに刺激が強過ぎるかも。
「見えるけど、君が見ているものと全く同じかどうかは。」
「全く同じように見えた方が好都合ですよね。その方が反応し易いし。」
無邪気な微笑。 もしも...いいえ、きっと大丈夫。 愛しているから、受け容れられる。
第一、その人が幻視を見るまでもなく結着が付く。何の問題もない。
「分かりました。宜しくお願いします。」 うん、良い返事。 それは4時開始と決まった。

 

リビングで代の配置を確認した後、時計を見た。 2時丁度。
配置した代は4つ。あの人の意識に悪意が干渉した瞬間、代に蓄えた力が発動する。
あの人の気配を探すのに集中している相手には、この罠が見えない。
普通なら1つで十分な代を4つ配置したから、力が発動すれば結界も同時に完成する。
逃れる事も出来ず、反撃する間もない。
相手が相手だから、万全の準備をしたけれど、さすがに疲れた。
だらしないけど少しだけ部屋で休んで、3時にはあの人が声を掛けてくれる筈。

微かな芳香...これは、ジャスミン。 夢?
待って、この香りは! 飛び起きる。 3時少し前、部屋を飛び出した。
今日はお茶の当番だから、きっとあの人はリビングに。

 

「あれ?」 「え?」 「君、何ともないの?」 「はい。」 その人の、怪訝な表情。
「何かあったんですか?」 「確かにアイツの気配を感じたんだけど、おかしいわね。」
「僕は何も。」 突然、その人の表情が変わった。 「あああ、あの、姫、いやLさんが。」
また、走る。廊下を曲がってLの部屋へ。 干渉の相手はL? どうして?
ドアをノックした。 「L!L!」 返事がない、ドアを開けて部屋の中へ。
後から部屋に入ったその人は、Lの枕元に屈み込んだ。
「息をしてます。」 「そうね、良かった。」 生きてはいても、もし心が。
その時、Lが身じろぎをして眼を開けた。
「あれ、Rさん。Sさんも。私、寝過ごしちゃいましたか?」
「L、あなた何ともない?」 見たところ、何も変わった様子は無いけれど。
「本を読んでいたら急に眠くなって、いつの間にか寝ちゃいました。
でも、何だかすごく良い気分です。」 姫は小さく伸びをして体を起こした。
「とってもお腹がすきました。昨日のケーキ、残ってましたよね。」
昼寝をしたからか、むしろ午前中より元気に見える。
でも、確かにアイツの気配が。一体何のために?
立ち上がったLはあの人に抱きついて、頬にキスをした。
「お茶の用意、手伝います。あ、その前に顔洗わないと。行儀悪いですね。
じゃ、行きましょう。ほら、Sさんも。 ケーキ食べたら、私頑張りますから。」

お茶の時間を終え、私達たちはリビングで臨戦態勢に入った。
あの人は『鍵』を掛ける時間と外す時間をランダムに繰り返している。
ひたすら繰り返し、そしてKが干渉してくるのを待つ。只、じっと待つ。
何度それを繰り返したのか、不意にLが私を人差し指でそっと突付いた。
「さっきから微かに気配を感じます。それに、段々気配が濃くなってる気がします。」
Lの感覚をなぞり、その気配に集中する。微かな、芳香。
「多分、間違いない。...R君、あと2分経ったらコントロールを外して。」 「了解。」
眼を閉じて深呼吸。意識を集中し、『力』を貯める。
じりじりと時間が過ぎていく。あと1分30秒、1分、30秒、20秒、10秒。
時計の秒針が直立した瞬間、その人は『鍵』を外した。
通い路が開き、イメージが一気に流れ込んで来る。決着の時。

 

!? 力が、発動しない。何故?
引き金を引く筈の、アイツの邪気を感じない。そして、むせるような血の臭い。まさか。
「駄目、『鍵』を掛けて!アイツはもう」
叫んだけれど、遅かった。あの人はイメージの中に、そして当然私とLの感覚も。
必死で自分を抑える。あの人にもLにも邪気は無い。今私が下手に小細工をして、
もし代に蓄えた力が暴発したら4人とも。何もしない、それが最善の策。
この私が、何も出来ないなんて。

目の前に開けた明るい景色。一面の、緑の草原。

 

 

その人の体を拭き清めて、新しい病衣を着せた。これは私の、私だけの役目。
掛け布団を調え、額にキスをして、その手を握る。
何かの拍子に、その手は私の手を握り返すのだけれど、それは多分反射の一種。
この人が自ら望んだ事だから、その心を中有から呼び戻す手は無い。
魂から引き裂かれた心。いいえ、魂との繋がりを無理矢理引き千切って、行ってしまった心。
Lも私も、全部置き去りにして。Lも私も、その心を繋ぎ止められなかった。
あの夜。Kと自分の心が流した血に全身を染めて呆然と座っている姿を思い出す度に、
どうしようもない無力感に苛まれる。心がゆっくりと乾涸らびていくような、虚しさ。
私とLは、3人で重ねた幸せな時間は、この人に取って一体どんな意味を?

「ねえ、どうして?」
何度も何度も、口にした問い。もちろんその人は答えてくれない。
ずっと、考えている。あれから、ずっと。

『私の事、愛してくれなくても、良い。一緒に来て頂戴、お願い。』
『分かった。行くよ、一緒に。』
『馬鹿、ね。本気でそんな事、言うなんて。ちゃんと、あの娘を守って、愛して、あげて。』

 

確かにあの人はKに頼んだ。『Lの術を解いてくれ。」と、『そのためなら何でもする。』と。
そしてKはその願いを叶えて、恐らくそれで、Kは命を落とした。
瀕死の状態だと知れば、あの人がKに同情するのは当然。とても、とても優しい人だから。
だけどKと一緒に行ってしまうなんて。 Lはどうなるの?私には何の未練も無かったの?
Lに仕込まれた術を解いたら、例え見捨てられても仕方が無い。それをK自身が分かってた。
だからこそあの時Kは『馬鹿、ね。』と。 そう、体良く断って同情するふりだって出来たのに。
いくら約束したからって...待って、約束。そう、そうだったのね。
私は、馬鹿だ。Kは敵だと、その考えに囚われていて、全く思いが至らなかった。
あの人を繋ぎ止めるのは『絆』、それは魂と魂の約束そのもの。
相手が誰であろうと約束は守る。だからこそ敵味方を越えて信頼され、愛される人。
私とLが、そしてKが愛したのは、そういう人だからじゃないの。 本当に私、馬鹿。
この人が約束を守ったからKの深い憎しみと悲しみは消え、
『不幸の輪廻』に取り込まれずに済んだ。
もし約束を守らなかったら、それは新たな、哀しい不幸を生み出す端緒になった筈。
計算も思惑も無い。私とLに対する時と全く同じ。ただ心のまま正直に、真剣に。
それが、1つの魂を闇から救い上げる奇蹟を現出した。
最後にKが浮かべていた、清らかで優しい笑顔。 この人を心から愛した女の子の、誠実。
例え敵であろうと、相手は私たちと同じ心を持つ人間。この人はそれを教えてくれた。
そして今この状態に留まっているのは、この人が私を、Lを未だ見捨てていない証。
そうよね、私も約束したわ。『全力であなたを護る』って。 何時までも、その約束は守る。
貴方が帰ってくるまで、ずっと。

 

「ホントに良いんですか?Rさんのアパート解約するなんて。」
「あの人はあなたと、そして一族の恩人。意識が戻ったら、ずっとお屋敷で暮らしてもらう。
もう決してあの人を一人にはしない。それに...」
不意に込み上げる激しい感情。 駄目、Lの前では。何とか涙を堪えた。
「意識が戻るまでの間は、ただ荷物を置いてるだけだもの。不経済だわ。」
意識が戻らなくても...
いや、絶対に意識は戻るし、それまで何年でも何十年でも私とLがあの人の世話をする。
私の一生を捧げても足りない、きっとLも同じ気持。 だからもうアパートは要らない。
今は何時あの人の意識が戻っても良いように、私たちに出来る準備を調えるだけ。
「それよりL。『聖域』へ行く仕度は出来たの?明日朝ご飯の後に出発よ。」
「はい。電話して詳しい日程を確認しました。でも結局いつ此処に戻れるかは分からなくて。」
俯いた、寂しそうな表情。この娘も、必死で感情を抑えている。
「もしあの人の意識が戻ったらすぐに知らせる。安心して。
それよりちゃんと『後の手当』を済ませて置かないと、あの人と暮らす時に困る。
将来子供が産めないなんて事になったら大変だから。」
「子供...って。」
「あら、大人になったらあの人のお嫁さんになるんでしょ?
それなら2人の間に生まれてくる子供のために、今から準備しないと。ね。」
「はい。何時か、必ず。」 そっとLの肩を抱き寄せた。

 

あ、居眠り、いつの間に? 既に陽は高い。 ベッドの様子を確かめた。
その人は安らかな寝息を立てている。 今日も信じて、帰りを待つ。それだけ。
手を握り、唇にそっとキス。暖かい、命の温度。 ...何だか喉が渇いた。朝から何も。
「愛してる。だから少し、待っててね。お茶、買ってくるから。」
一階の売店でペットボトルのお茶を買った。新聞は、パス。気分じゃ無い。
今日は一度お屋敷に戻って、お風呂に入って、着替えも沢山持って来なきゃ。
待ってるのがやつれて見栄えのしないお嫁さんじゃ、帰ってくる気になれないものね。
解けた術の『後の手当』をしてもらうために、Lも『聖域』で頑張ってる。私だって。
エレベーターの扉をくぐった。廊下を右に曲がって3番目の扉。
...微かな、気配。不意にチャンネルが合ったような感覚。部屋の中、これは?
慌ててドアノブを回す。その人がベッドの中で上体を起こしていた。
「R君!」 手から滑り落ちたレジ袋が、病室の床を転がっていく。
視界がぼやけて、膝から力が抜けそうになる。駄目、笑顔でお帰りを言うって決めていたから。
きっとこの人はLの事を聞きたがる。しっかり話して上げるのが私の役目。
震える足に力を入れ、一歩踏み出した。その人のベッドの傍ら、いつもの指定席に。

お帰りなさい、私、待ってたのよ。ずっと。

 

 

『追憶(結)』 完

 

藍物語シリーズ【全40話一覧】

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