『やなりが通る』『眠り稲』『実家の風習』【田舎の怖い風習・奇妙な風習】Vol. 4

『やなりが通る』『眠り稲』『実家の風習』【田舎の怖い風習・奇妙な風習】Vol. 4 田舎

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日本の地方・田舎の怖い風習・奇妙な風習 Vol. 4

 

やなりが通る

 

当方、九州の田舎出身。
で、その地域でよくある子供の脅し文句みたいに言われてた言葉が、
「夜に出歩くとやなりが通るよ」
『見つかる』とか『攫われる』とかじゃなくて、『通る』って表現が自分はとても不思議だった。
『やなり』というものについても近所の人たちに聞いたりしていたのだけれど、ほとんどわからないって感じで、
人っていうか家によって『やなり』に対しての考え方も違った。それ自体知らない家もあった。
悪いものだったり、良いもの(危害は加えない)だったり様々すぎて、
幼心に「これはただの地域特有の脅し言葉だ、勝手に想像してるだけだから考え方が違うんだ」って思ってた。

で、実際にそれらしきものを見たのが小学校低学年くらいの冬ごろの話。
友達と遊び場かどこかで遊んでて、5時過ぎになってしまい、同じ方向の友達2人で暗くなった道を帰るところだった。
九州は雪はあまり降らなくて、畑にできるあのザラザラした氷の粒とかを踏みながら進んでたと思う。
低学年で暗くなるまで遊ぶのは勇気がいることで、怒られるなあ、怖いなぁってそんなことを考えてた。
田舎は家がぽつぽつとしかなくて、街頭も少ない。ほとんど光が見えない。
そんな中、「あれなに?」って友達が右方向を指さした。
自分も何気なく振り返ると、遠く(といっても畑2つぶんくらい)のほうに青い物体が見える。
「動物?うごいてるよね」
「うん…でも青くない?」
「○くんちの犬が服でも着てるんじゃないかな」
その時はなんだかよくわからなくて、とにかく寒くて、そこまで興味もなかったから自分で納得しようとした。
「行こうよ」っていまだに右側を見ている友達の袖を引っ張ったとき、背筋が凍った。
友達の後ろにその青いものがいた。
スローモーションみたいに動いたと思ったら、自転車くらいの速度でそのまま左に消えていった。
こちらを向いていた友達もなんとなく察していたみたいで、自分と目を合わせ、ダッシュで逃げた。

とにかく誰かのところに行きたくて、自分より近い友達の家に一緒に入った。
ドタバタしていたからか「どうしたのー」と、ほわ~んって感じで出てきた友達のお母さんに今見たものを話すと、
「えなりさんが通ったのーあららー」とか天然まるだしな意見をもらい、あれが『やなり』なのかと妙に納得した。
その日は父に迎えに来てもらって帰った。

後日、家族にその話をしても、「へー、そういうのなんだ」とか「青いの?」とか、詳しい話は聞けなかった。
名前だけが伝わっていて、実際に見たというのは初めて聞いたらしい。
老若男女親しい人たちはみんな「すごい体験だね」とか言うばかりで全然役に立ちませんでした。

結局良くわからないままになったけど、これが自分が一番怖かった体験です。

 

 

眠り稲

 

祖父が未だ子供の頃の話。

その頃の祖父は毎年夏休みになると、
祖父の兄と祖父の祖父母が暮らす、田園豊かな山麓の村に、両親と行っていたのだという。
その年も祖父は農村へ行き、遊びを良く知っている当時小学校高学年の兄と、
毎日毎日、朝から日が暮れるまで遊んでいた。

ある日、田んぼ沿いの道を、兄と虫網を持ちながら歩いていた。
幼かった祖父は、眼前に広がる見事な青々とした稲達に感動して、
思わず「すげえ。これ、全部が米になるんか」と声に出してしまったのだ。
すると「そうじゃ。この村の皆が一年間食べる分じゃ」と言いながら、祖父の麦わら帽子に手を置いた。

しばらく二人でその景観を見ていると、不意に兄が口を開いた。
「なあ、健次(祖父の名前)。『眠り稲を起こすな』って知っとるか?」
突然の質問に祖父は戸惑いながらも、首を左右に振った。
「『眠り稲』は、この村に伝わる合言葉みたいな物でな。
『稲が眠ったみたく穂を垂れても、病気じゃないから変に心配はせんでいい』っちゅう意味らしいんじゃ」
「へえ」と、祖父は驚きと納得が混ざった様な返事をする。
この稲が全部眠る事があるのかと思うと、なんとも言えぬ不思議な気分になったという。

その夜、晩飯を食い終わり、祖父が縁側で心地よい満腹感を感じていた時、不意に兄から声がかかった。
「健次、花火せんか?」
振り向くと、大きな袋を掲げた兄が立っている。
祖父はすぐに「うん」と返事をした。
この年の子供達は、家の中では常に退屈している様な物である。
二人は履物をつっ掛け、「ぼちぼち暗なってきたから、気ぃ付けえや」の声を背に、外へ出て行った。

田んぼ沿いの道を、花火を持ちながら歩く。
赤や黄の火花に見とれながら、度々着火の為に止まる。

そのまま一帯を散歩しようかとなっていた時だった。
祖父が特別大きい花火を喜んで振り回していたら、近くの民家の窓が開き、祖父さんが怒鳴った。
「くらあ!餓鬼共!そないな物振り回して、稲が燃えて駄目になりでもしたらどないしてくれる!」
いきなり知らない大人に怒鳴られて、祖父は勿論、兄もびっくりし、涙目になって逃げだしたという。
祖父は今でも、家に帰り着いてから兄が、
「糞親父。今に見とき」と呟いたのを覚えているという。
――深夜、祖父は自分を呼ぶ声で目を覚ます。
目を開けると、徐々に輪郭を持ち始める闇の中に、兄の顔が見えたという。
「なあ、面白い事考えたんじゃ」
一体何をこんな夜中に思い付いたのだろう。
「今からあの糞親父の田んぼ行って、案山子を引っこ抜いたるんじゃ。健次も来るか?」
祖父は余りに驚き、必死で首を振って拒否した。
「そうか、行かんか。それでもええんじゃ。けだし、大人達には俺じゃって事、ばらしてくれるなよ?」
祖父は頷いた。
兄は一人で行って来るのだろうか?

兄が部屋を出て行く気配を感じたのを最後に、また祖父は深い眠りに落ちて行った。

――翌朝。
何か悪い夢を見た気がする。
祖父は目を擦りながら、家族が待つであろう一階へ降りた。
異様に静かだ。というより、誰もいない。
祖父は嫌な予感がした。
兄が取っ捕まったのじゃないだろうか?
寝間着のまま急いでわらじを履いて、外へ駆け出した。
田んぼ沿いの道を走る。

やがて例の農家が近付くと、異様な人だかりが見えた。
嫌な予感はますます強まり、人だかりを必死でかき分けて、祖父は田んぼを見たという。

――そこには、案山子があった。
いや、それは兄だった。
両足を田んぼの泥に突っ込み、両手をバランスでも取る様に水平にしている。
口からは涎が垂れ、目の焦点はあってない。
「兄やん……?」
祖父はそう言うのがやっとだった。
家族は兄を家に引きずる様にして連れ帰り、深刻な顔で話始めた。
「眠り稲を起こしよったな…」
「あれは気が触れてしまってるのう…」
幼い祖父には、なんの事か分からない。

結局祖父には何も分からないまま、その年は早く地元へ帰り、
もう毎年兄の住む農村に帰る事はなくなったという。

『眠り稲を起こすな』
この言葉の真意を祖父が知ったのは、兄の葬儀の為に最後に農村へ帰った時。
これが意味するのは、決して稲が穂を垂れても~という事じゃない。
『草木も眠る丑三つ時、田んぼに行ってはならない』という、村の暗黙の了解の様な物だったのだ。

丑三つ時の田んぼに行った兄。
タブーを犯してしまった兄に、あの夜何が起こったのかは分からない。
もしかすると、化け物に襲われたのかもしれない。

とにかく、人間には想像すらできない様な正体を持つ伝承は、
日本のあちこちに、ひっそりと息を潜めているのだという。

 

 

実家の風習

 

実家の風習?というか慣習なんですが、
『年を越す時に自分の姿を見てはならない』というのがあります。
鏡はもちろん、水に映った姿も、例えば塗りのお盆に自分の姿が映ったものでもいけないらしいです。
『見てはいけない』というのはよくある話なのですが、映った姿は死ぬ時の姿なので見てはいけないそうです。
だから実家では、年越し蕎麦は早い時間にいただいて、遅くには眠ってしまうのが常でした。
小さい頃はそれでもよかったのですが、
大きくなるにつれ深夜まで見たいテレビがあったり、友達と弐年参りにいってみたかったり、誘惑は多くなっていきます。

ある年、どうしても年越しでテレビを見たかった私は、一人で23時過ぎまでおきていました。
親には24時までに寝るように言われていましたが、風習なんて信じていなかったので大丈夫だと思っていました。
テレビを見ながら、PHSで私は時報を聞いていました。テレビの中でもカウントダウンをしていました。
私は初めての夜更かしでどきどきしていました。
『23時59分40秒をお知らせします・・・・・・50秒をお知らせします・・・・』
時報が50秒をお知らせしますと告げた時、急にリモコンに触っていないのにテレビが消えました。
その時、私は自分の姿がブラウン管に映ったのを見ました。
反射的に目を閉じると、時報が0時を告げました。
0時が過ぎると何事もなかったかのようにテレビがふっとつきました。
1回だけなら偶然だったかもしれません。

その次の年もやはりテレビを見ていました。
日付が変わるその直前、やはりテレビがふっと消えました。
年が変わるとテレビは元通りになりました。
他の年、弐年参りにいった時日付が変わる少し前に、私の前で車が急停車しました。
車の窓に自分の姿が映った、と思った瞬間私は目を閉じその場から動けなくなりました。
他の年は、急に窓のブラインドが上がったこともあります。

まるで何かが年を越す時に自分の姿を見せ付けたいかのように、
日付が変わる時間におきていると何かアクシデントが起こるのです。
寝てしまっていれば何も起きていないようです。

4年前に結婚し姓が変わったのですが、
相変わらず日付が変わる時までおきていると、テレビが消えたり、マグカップが割れて水がこぼれたりしています。
『ガキの使い』が見られないのは寂しいので、録画して見ていますが、録画のほうには何も異常がありません。

年が変わるときに自分の姿を見たら何が起こるんですかね・・・
もし普段通りの自分の姿だったら、私は次の年を迎えられないのでしょうか・・

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