『ゴギョウ様』|洒落怖名作まとめ【長編】

『ゴギョウ様』|洒落怖名作まとめ【殿堂】 ○○様 ○○さん系

その昔、ここには城があった。今じゃ跡すらないが。その城は一風変わった作りになっており、ウグイス張りのような感じで、廊下を歩くと鈴がなる。そのことから、鈴城と呼ばれていた。そこの当主は、耳が大きく、おちょぼ口の男だった。

 

その男がもっとも嫌ったのは、競り(争い)だった。当時、農民は土地の
領有権?か何かで争っていたようで、それに怒った当主は土地を平等に振り分けた。
さらにそこの当主は、もとは唐の生まれだったようで、周辺に住む一部の農民たちは忌み嫌っていたそうだ。

 

ある日、一部の農民が反乱をおこし、鈴城を焼き払い、当主の一族を皆殺しにし、当主を縦掘りの洞窟に閉じ込めてしまった。

 

それからというもの、その地方には天災が続き、農民は飢え苦しみ、祟りだと言って騒ぎ始めたのである。

 

お察しのかたも多いと思うが、彼らはその怨念に、生け贄を捧げるようになった。
町(当時は村)の赤子から平等に生け贄を選出するため、赤子を対面させて、泣いた方を戦わせ、最後に残った泣き虫を生け贄に捧げた。

 

これが、泣き相撲の始まりである。
唐の人は、口が小さく、赤子をそのまま生け贄にすると大き過ぎるため、その唐の人が好きだったお粥に
赤子を切り刻んで混ぜたものを洞窟に流していたようである。
その腐敗したものが洞窟の一方に溜まり始め、徐々に底が斜めになっていったと言われている。
そして、皆はその怨念を忌むべき対象として○○○○○○○と名付けた。

 

しかし○○○○○○○は、その名前を良しとしなかったようだ。
その後数年の大飢饉と多数の死者はすべて○○○○○○○の仕業であると人は考えた。
そして人々は、○○○○○○○のことを「ゴギョウ様」と呼び、この地域の神様として奉った。

洞窟は岩によって封印され、それから生け贄の慣習はオモテジョウ、無く
なった。

 

じっちゃん「 ゴギョウ様はまだ生け贄を欲しておる。
ワシの友人のB、実は元々そうなる運命だったんじゃ。
山沿いの家があるじゃろ?いまはアパートになっているが、そこの住人は県外の者を敢えて斡旋しておる。そこの者はゴギョウ様について知らない。
だからすぐに泣きおる。Bもそこの住人だった。
泣いたら連れていかれるとも知らずにな。去年もあそこの坊主が行方不明になりおった。」

 

あれから数十年、未だに同じ時期に子供が行方不明になっている。毎年ではないが、俺が知ってるだけでも6人だ。
そのたびに、子供を捜索するが、絶対に見つからない。なぜなら皆あのナナゾコに落ちているからだ。

 

知っている人は誰もそこを探そうとはしない。
自分が喰われるのは嫌だから。だからだれかが犠牲になることは仕方ない、むしろ有り難いと思っている。俺もそう思う。

 

Aが行方不明になったのは、可哀想だ。しかし、だからといって代わりに俺があの岩ノ下に?そういうことだ。
○○○○○○○は何かはわからない。知りたくもない。知ったところで、もう関わりたくはない。

 

日本にはまだ、そういう場所がある。
セリ、ナズナ、
ゴギョウ、ハコベラ、
ホトケノザ、
スズナ、スズシロ
これぞ七草

 

 

当主は7文字の名前で
七草の中に1つゴギョウがある。
という事は他の七草の名前の中にその名前か…ゾワッ
鈴城がヒントになってるな

 

競り 泣くな
御業様はこの辺り
岩ノ下
鈴鳴る 鈴城
是ぞ七草
という御業様に気をつけろという警句になっている
仏の座は神道の磐座と結びつけているっぽい
と考えるとこれぞと言っている「春の七草」が答えかと思うけど
最後の句を逆から読むと「サクナナゾコ」
豊”作”を占うナナゾコのバケモノのことだろう
というのが自分の考察 非常に良く出来ていた面白い話だと思う

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