『山間部にオフロードバイクツーリング』|洒落怖名作まとめ【長編】

『山間部にオフロードバイクツーリング』|洒落怖名作まとめ【長編】 長編

そしてこの衝撃に俺は明確な意思を感じる事ができた。

それは怒り…
圧倒的な圧力には憤怒の波動が込められていた。
それがバックミラーに触れる事もなく上半分を抉るように破壊したと知れた。

ひょっとして先ほど林道でTが感じた不可解な転倒の原因も?…
Aがヘッドライトに受けた衝撃も?…

もう指一本動かす事もできなかった。
その時の俺の心の中は人智を超えたものに対する畏怖の念で塗り固められており、
この後俺はどうすればいいのかさえ判らなくなってしまっていた。

憤怒の呪縛に絡め取られた俺は、割れたバックミラーを呆然と眺めるしかできない。
すると割れて下半分だけになったバックミラーに先ほどの翁面を着けた
小柄な老人を思わせるものがゆっくりと横切るのが
妙に歪んだ鏡像の中に見て取れた。

そしてそれはゆっくりと俺とバイクから離れて行き、凛とした清らかな鈴の音を残して
滝つぼの中へと消えて行った。

幻を見ていたかのように茫然自失している自分をようやく自覚したとき…
それが滝つぼに消えていった事がきっかけだったかの様に急に周囲の音が戻ってきた。
滝を流れる水の音・秋の虫たちの声・バイクのエンジンは止まったままだったが、
いつの間にか点灯していたヘッドライトが眩しすぎるほどに周囲を照らし出していた。

計器類のバックライトも正常に点燈している。全てが夢幻だったのかとも思えたが、
紛れもない現実である事を割れた右のバックミラーは雄弁に物語っていた。

「一体なにが起きたんだ?」現状を冷静に受け止めようとするあまり、俺は思わず
声に出してこう言ってみた。

ふたたびあの鈴の音と静かな祝詞が幽かに頭の中に響く…
「彼の地を乱すな…彼の地を清めよ…か…を…鎮めよ…」

その時、初めて俺は悟った気持ちになった。
たぶん人間が入り込んではいけない聖域のような場所に…
不浄の者は立ち入る事が許されない幽玄の神楽に…

秋の夕暮れが作り出した「逢う魔ヶ時」の不思議な力が
俺を禁断の場所へ入り込ませてしまったんだという事を。

しかし、とうとう幽かな鈴の音を最後にその祝詞も
遠く霞んで聞こえなくなってしまった。

この時ばかりは頼もしいはずのヘッドライトがやけ強すぎる様に感じた。
俺はごく自然にバイクのメインスィッチをOFFに回し、サイドスタンドで
バイクを立てると姿勢を正して滝に向かって一礼をした。
「ここが私より上位の方達の土地であるという事を、知らずとはいえ
不浄の者なる私が不用意に立ち入った事をお許しください」と心の中で唱えた。

その時幽かに鈴の音が聞こえた様な気がしたがあまりにも幽かだったため
本当に聞こえたかは自信がない。
が、ここは不浄の者が立ち入る事が許されざる土地であるという
事はなんとなく感じたので、すぐにエンジンはかけずに
ヘッドライトだけを点灯させた状態に戻すと
バイクを押して広場から出て行った。

広場の入り口には鳥居の様な、薄くくすんだ朱色の木造物が
半壊した状態で朽ち果てていた。
そこにも小さな石柱が建っており、側によって確認してみると
「……先…(読解不能)泉…ず…境」とだけ読めた。

多分ここから奥は遠い神代の昔から何かしらの聖域になっており、
それを知る誰かがかなりの昔、それも石柱の表面が風雨で侵食され、
刻まれた碑文が判別できない位の昔に建てたのだと思う。

それから十分に広場から離れた事を確認し、バイクのエンジンをかけてゆっくりと…
本当にゆっくりと下の方、TとAが待つ転倒地点まで降りていった。

林道の途中、コーナーを曲がる度に「ひとつの宮」・「ふたつの宮」・「みつの宮」・「よつの宮」と読める石柱が
等間隔で建っていた。

夢から覚めたような、まだ夢の中にまどろんでいるかの様な有様だったが、
ハンドルだけはしっかり握り、必ず2人の許に戻るんだと心強く思いながら俺は坂を下っていった。

暗闇のなかヘッドライトを頼りに林道を進んでいると
遠くから懐中電灯の光と懐かしい声が聞こえてきた。

「おーい!○○(俺の名前)、そこにいるのか!大丈夫か!」という声が聞こえる。

視線を向けると転倒現場である下の方からTとAが走ってこちらに来ているのが見えた。
ふと気づくとそこにも石柱があり、そこにあった石柱には「うつつの宮」と書いてあった。

今考えると2人が近づいて来るのが見えた辺りからあの広場にあった独特の
雰囲気はわずかに薄らいでいた様な気がする。
後でわかった事だが、「うつつ」とは「現」のようで、実際にある事・正気といった
意味があるらしい。

この辺りから少し違和感が薄らいだ気もするが、今となっては判らないというのが正直なところだ。

俺は走ってこちらに来る二人にゆっくりとバイクにまたがったまま近づいて行った。

先ほどと違いボーっとしているを見取ったTが「大丈夫か?さっきからこの林道は
おかしな気配を感じてたんだけど…
俺の気のせいかもしれんがお前も判るか?…

お前が走り出してしばらくしたら、山間に響いていたエンジン音が
聞こえなくなっちまって…もしかして転落でもしたのかって心配になったんだ。
あんまりにも遅いから心配になって様子を見に来たんだが何かあったのか?」
と俺の肩に手を置きながらそう話しかけてきた。

「あぁ、それが…うーん、俺もなんだか自信が無いんだが…実は…」と
言いかけた時、「おい○○、ミラーが割れてるんじゃないか。
スッ転んで気でも失ってたんだろ?。それにお前一人で沢渡りでもしたみたいに
バイクがびしょ濡れじゃないか!その背中も何か濡れた荷物でも背負ってたみたいに
染みができてるぞ!?」
と懐中電灯を背中に向けたAが素っ頓狂な声を上げてこう言った。

言われて気がついたのだが、その時俺のバイクのシートと着ていたジャケットの
背中一面はベタベタに濡れていて、まるで沢に入り込んで
背中から水を被ったみたいになっていたそうだ。

察しの良いTから「お前も何かトラぶったみたいだしこの暗さだ、とりあえず
この先は行かない方が良いみたいだな。それにお前(A)もライトがやられているから
これでコケられでもしたらもっと面倒だ、それに何だかこの山は変な空気というか
雰囲気が気になるんだ。
癪だけど今日のところはあそこで一泊して明日また明るくなってから散策しようや」
という提案が出た。

転倒を予言されたAはあまり面白い気分にはならなかった様だが、俺がかなり
疲弊している事を感じてくれたのか黙ってTに従ってくれた。

俺も正直またあそこに戻るのは怖いというか複雑な気分だったので
Tの提案が有難かったのは言うまでもなかった。

この後の俺の朝までの記憶は曖昧としか言えない。
転倒場所に程近い場所に2人が気を回して俺のテントも設営されていた。
俺はそこに潜り込むと飯も食べずにすぐに寝てしまったらしい。
その夜遅くまで起きて酒を飲んでいたというTとAは、時折山の中に
シャリン…という鈴のような音がしたり、鼓のような音がしたと
口をそろえて話していたが、俺はまるで泥のように翌朝まで眠っていたため、
何も感じはしなかった。

翌日明るくなってから、Aたっての希望でピストン林道最奥部まで
単独トライに出かけて行った。

Aが出発したのを見送って、俺は昨日の転倒で右手を痛め、俺同様に留守番を
買って出たTに昨夜の事をわかる範囲で話そうとしたのだが、
自分でもなぜか判らないが話すのは止めてしまった。

昨夜の単独走行を俺は5分~10分程度に感じていたが、Tによると実際は
小1時間ほど経っていたらしい。
この間の全てを俺は不自然にならない程度で真実は伏せる形でTに話す事にした。

恐る恐る進んで行ったから余計な時間が掛かってしまった。
バイクと背中の水は途中の水溜りに気が付かないでもろに突っ込んだからこうなった。
バックミラーはぬかるんだ地面にバイクを立てて立小便していたら
スタンドがめり込んで割れてしまった
とこんな感じで話しておいた。

バイクの横に座り込み、最後まで黙って俺の話を聞いていたTは
「そうか、大変だったな。一人で行かせて本当にすまなかった。」と言うと、
テーピングしている痛めた右手首を庇いながら器用にパーコレーターでコーヒーを沸かすと、
熱い1杯を俺にご馳走してくれた。

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