午後四時二十五分。稲野駅前交番に吉野さん夫妻は駆け込む。
警 察は失踪の可能性と古墳の周囲のお濠に転落した可能性の両面から捜索をしたが、美咲ちゃんは見つからなかった。
警察犬も広場から出ようとせず、臭いを追えなかった。
営利誘拐の可能性も考えられたが、犯人からの要求がなかったため警察は失踪事件として捜査している。
翌日の午前十時半ごろ、吉野さん宅に謎の電話がかかっている。
電話を受けたのは妻の美幸さんだった。電話の主は舌足らずな女性で、年齢までは分からないが、
娘ではないように思ったと美幸さんは語っている。
警察は、この電話の発信者の特定には至っていない。
◯補追
「御願塚古墳全体図」
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実際に足を運ぶと、現場は想像よりもはるかに小規模で、高さは7メートルとのことだが、実際の感覚ではもうすこし低く感じられる。
子どもの足でも頂上まで30秒はかからないだろう。
生い茂る樹も手入れがなされていて、仮に美咲ちゃんがいたずら心から一時的にどこかに隠れたとしても、その後も両親から隠れ続けることは不可能に思えた。
墳頂部の広場には社殿以外に何もなく、木の一本すらも立っていない。
社殿は広場の南西隅に建っていて東側は開けていた。社殿の裏
側も整然としていて、とくに隠れられるような場所は見当たらない。
社殿には金属製の戸がついており、社殿自体もそう古いものではなく、全体的にがっしりとした作りになっている。
内部は暗く確認できなかったが、きっちりと施錠されており大人でも進入は不可能だろう。
周遊路にも降りてみたが、上から見たときと同じく、意外にも視界は良い。
木立に遮られていても、人がいれば必ず分かると断言できる。
また、土を踏みしめる音や落ち葉や草を踏む音を立てずに歩くことも、子供には困難だろう。
古墳入り口の濠にかかる木作りの橋も、 踏むと思った以上に大きく軋み、これはある程度遠くにいても聞こえる。
両親の耳にこれが聞こえなかったことは考えにくい。
周囲を囲む濠の幅は約5メートルから10メートル。
もっとも狭い場所であっても、飛び越えることは大人でも不可能だろう。
水面は淀んでいて深さは分からないが、子どもが短時間でこれを渡ることも、到底不可能に思われた。
古墳の入り口(鳥居正面)は県道336号線に面しており、交通量は少なくはないが人通りはまばらだった。
美咲ちゃんの失踪が誘拐によるものだとすれば、車を横付けできるこの場所は犯人にとって好都合だったと言えるが、
失踪当時は鳥居の前に母親の美幸さんがずっと立っており、不審な車や人影は見ていないという。
古墳から美咲ちゃんが出て行くには正面の鳥居を通らざるを得ないことを考えれば、車による連れ去りの可能性は低いだろう。
なお、古墳の裏手は入り組んだ住宅地になっていて、細い生活道路に抜ける路地が東西に二本あるが、
こちら側は県道側の道路よりも主婦や小学生などの通行人が多く、美咲ちゃんがどうにかして濠を越えられたと仮定しても、
やはりこちらからどこかに出て行った可能性は低いように思われる。
御願塚古墳には、1991年頃から浮浪者が住んでいたという噂がある。
だが、実際に古墳に住んでいたのかどうか、ということに関しては疑問の余地が残る。
実際の目撃証言が多数あることから、御願塚・稲野近辺に浮浪者がいたことは確かだが、実際に寝起きしていた場所は別にあったと思われる。
古墳には雨風をしのげる場所がないからだ。
浮浪者の風体については誰も記憶しておらず、ただ古墳の周遊路でニワトリを飼っていたということだけは皆が覚えていた。
この浮浪者はある時期を境にぱったりと姿を消しており、
それと前後して吉野美咲ちゃん失踪事件が起きていることから容疑者ではないかとも目されているが、
それは単に古墳への警察の出入りが多くなったために居場所を失っただけだろう。
事件との因果関係は薄いと思われる。
美咲ちゃん失踪の翌日に吉野家には一本の奇妙な電話がかかっている。
電話を受けたのは妻の美幸さんだった。電話の主は美幸さんが何か言う前に話し始め、
不思議なイントネーションの言葉で意味の分からないことを一方的に話し、
最後に「もしもし」と告げて電話を切った。こちらからの問いかけにも一切応答しなかったという。
警察ではこの謎の電話の主を探したが、発信者の特定には至っていない。
この時吉野家では、美幸さんが電話を受けている最中に玄関がどんどんと叩かれた。
インターホンを鳴らせば済むところをわざわざ門扉を勝手に開けて玄関先まで入り、
直接戸を叩くというのもおかしな話ではあるのだが、ともかくこの時祖母の絹江さんが応対に出ている。
絹江さんは戸が叩かれたあと間も無く戸を開けているが、そこには誰もおらず、
1メートル先の門扉もきっちり閉まっており、人が急いで隠れたような気配もなかったと、
このとき美幸さんに話している。
なお、本件との因果関係は定かではないが、絹江さんはこの日の夜半に突然倒れ、
そのまま近畿中央病院に搬送、脳溢血による下肢機能全廃と失語症と診断された。
そして一週間後の7月16日に、治療の甲斐なく死亡している。
奇妙なの電話は二年後、三年後の誕生日にもかかってきているが、 義弘さんも美幸さんもかたくなにその内容を伏せ続けている。
四年後以降のことは分からないが、もしかすると今でも誕生日の奇妙な電話は続いているのかもしれない。
◯霊媒
失踪から一ヶ月がたった後、吉野家の母方の親族(美幸さんの叔母)を通じて、霊媒と名乗る女が現れている。
川上喜代子と名乗るこの女は、なんでも失せ物探しや未来視を得意とするらしく、霊魂を下ろして会話をし、彼らの知恵を借りるのだという。
その方法は「こっくりさん」によく似ていて、白い紙に五十音のひらがなと、
1~9までの数字、はいといいえ、霊魂を呼び込むための入り口の役割を果たす鳥居を書いたものを用いて行われる。
「こっくりさん」とは、美咲ちゃんが失踪した当時、世間で爆発的に流行した交霊術の一種であり、漢字では狐狗狸とも書く。
西洋のテーブルターニングという交霊術に由来するものだが、実際はオートマティスムによる自動筆記や参加者の意思で動いている場合が大半である。
しばしば感応精神病や集団催眠によるパニックを引き起こし、社会現象にもなった。
喜代子の交霊術が「こっくりさん」と異なるのは、「こっくりさん」がその場にいる不特定な何者かに呼びかけるのに対して、
そこにいるはずの特定の霊魂に呼びかけて行われることである。
喜代子が言うには通常の交霊、いわゆる「こっくりさん」では、
動物霊と呼ばれる「人の魂のかたちを保てず動物に成り下がった」対話不能の霊を降ろしてしまう恐れがあるという。
そうした場合には守るべき手 順も意味をなさず、当然に求める答えも得られない。
動物霊とは人間の霊から理性が抜け落ち、動物的な本能、あるいは現世への強い執着のみが増大したものだからである。
執着の源が生命である場合は命や肉体をとられる恐れもあるという。
また、「こっくりさん」では交霊に10円玉などの硬貨を用いるのに対し、喜代子の交霊術では将棋の駒くらいの大きさの独自の木札を用いる。
直径が3センチほどの丸い板に、「人」という漢字が六つ輪を作るようにならんで書かれており、六芒星を形作っている。
作法としては初めに術者がどれかの「人」に指を置き、それ以外の参加者は残りの「人」のどこかに、
等間隔に木札を囲むようにして指を置いていく。
川上喜代子を吉野家に呼び寄せたのは、前述の吉野美幸の叔母、結城フクであった。
結城フクは川上喜代子の霊能に心酔しており、何度も吉野家に手紙をよこしては霊媒を勧めている。
美幸も当初は取り合わなかったが、一向に美咲ちゃんが見つかる気配も無いまま月日が過ぎていくことに耐えかねたのか、
或いは藁にもすがりたい気持ちだったのか、とにかく結城フクの勧めに根負けする形で、
ちょうど盆の半ばである八月十四日に(この日時は川上側からの提案であったと言われる)吉野家で交霊会は行われた。
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