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『無駄』『無人タクシー』『非常階段』|洒落怖名作まとめ【短編・中編】

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『無駄』『無人タクシー』『非常階段』|洒落怖名作まとめ【短編・中編】 中編
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程よく読みやすい長さの中編怖い話をまとめています。

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怖い話 中編 全3話

 

 

無駄

その友人は実家を出て一人暮しをするため引っ越すことになりました。

彼にしてみればやっと一人暮しをできるといううれしさでいっぱいの引越しのはずでした。
友人らに引越しを手伝ってもらい引越しそばなどを食べたり、他愛もない話で盛り上がっていました。
暗くなってきたので友人らは各々の家へかえっていきました。

初めての一人暮しの夜・・・新しい生活の始まりにわくわくしながら、眠りにつこうと畳の上に布団を敷き寝床に入りました。
しばらくしてふと目が覚めてしまったので、眠気眼で窓の外を見ていました。
そのアパートは結構古く築何年なのかもわかりませんが、彼にとってそんなことはどうでもよかったのです。
窓の外には青白く月明かりがてっていました。

 

(……寝るか)

そう思ったとき、彼は異変に気づきました。
布団の中から窓を見ると、誰かが窓枠に手をかけているでありませんか。
泥棒か? と思い近くにあった灰皿を手に持ち、慎重に窓際へと近づきました。

「!!」

しかし、窓際には誰もいません。

(寝ぼけてたのか……)

彼は再び布団に入り眠りにつきました。

次の日の夜、彼は布団に入った後に、昨日のことが気になったのか、視線を窓際へと送りました。
しかし、別段変わったところもなかったので、眠りにつこうと思い目を閉じました。
ところが、なぜか彼は目が覚めてしまいました。
彼は、上半身を起こし、ふと寝ぼけ眼で窓を見て驚きました。

今度は窓枠に上半身をのせ誰かが入ってこようとしているではありませんか!
彼もこれにはさすがにびびってしまい、なんともできず布団にもぐりました。
しかし「泥棒だったらまずい」と気を取り直し、布団から飛び出しました。
しかし既に窓には誰もいません。

(しまった、中にでも入られたか?)

と思い、彼は慎重に部屋の中を捜しましたが、人の気配も入られた様子もありません。

(だったら、あれは何だったんだ……)

彼はこのときほぼある確信を持っていました。
「あれは幽霊に違いない」と……。

次の日。
さすがに怖くなった彼は友人の一人に事情を話し、部屋に泊まってもらうことにしました。
しかし、その日は何事もなく朝を迎えました。

「夢でも見てたんだろ」

翌朝、友人はそう言って帰っていきました。

また次の夜。
彼が寝ようと思ったとき、異様な寒気に襲われました。

布団をかぶり、なんとか寝付こうとしたその時、また窓のほうが気になるのです。
彼は勇気を振り絞り窓に目をやると、髪はボサボサで青白い顔をした女が窓枠に手をかけ、今にも部屋に入ってこようとしています。

(あぁっ! もうだめだ!)

彼は頭から布団をかぶり、必死に考えました。

 

(こういうときはどうすれば良いんだ! 考えろ、考えるんだ!)

彼は必死でした。
気が付くと、いつの間にか気配は部屋の中に入ってきていました。
そして、ゆっくりと彼の布団の周りを歩き回っているのです。

「……!」

恐怖で何がなんだか分からなくなった彼は、

(そうだ、こういう時は南無阿弥陀仏だ!)

そう思い大きな声で

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

と必死に、何度も何度も唱えました。
しばらくすると、彼の周りから足音は消えていました。

(……よかった)

そう思った瞬間、バサッと布団がめくられ、さっきの女が彼にニヤリと笑いながらさげすんだようにこう言いました。

「ソンナコトシテモ無駄ダヨ」

彼はその後すぐに気を失ってしまったそうですが、今も元気だそうです。
もちろんすぐに彼が引っ越したのは言うまでもありません。

 

 

無人タクシー

俺はドライブが好きなんだ。

よく走ってた道が、青木ヶ原樹海に面した道。
まぁアレな場所なんだけど、結構いい道なんだ。
車も少ないし、道もちゃんとしててな。走りやすい。

俺はよく、友達を連れて、その道をドライブしてたんだ。

そうあれは2年前かな。友達2人と夜にドライブしたいって話になってね。
行ったんだ、河口湖インターを降りて数分走った道。青木ヶ原樹海に囲まれた道。

たしか夏の終わりの9月中旬だったな。やたら蒸し暑かった。
時間は、たしか深夜2時を回ったあたりだったかな。

 

俺と友達は、バカな話をして騒ぎながら、結構スピードを出して樹海の真ん中を突っ切る道をドライブしてた。
俺が運転、もちろん周囲は真っ暗。うん、本当に真っ暗なんだ。

そんな道を車で走ってたんだ。そして、その時、瞬間的に森の中であるものを見つけたんだ。
俺はその時、パトカーを見たんだ。

真っ暗な森の隙間。道路に向かって止まっているパトカー。
ライト、赤灯なんてついていない。ただそこに止まって、道路の様子を伺ってるような気配のパトカー。

 

俺は最初、スピード違反のねずみ取りかと思ったんだ。
結構スピード出ててね、ちょっとやべぇな~なんて思ったけど、一向に追ってくる気配はなかった。

少し安心した気持ちで、友達に笑っていったんだ。
「こんな場所でもねずみ取りやってんだな、警察も大変だな」ってさ。

そしたら友達2人共さ、こんなこと言ってんの。「パトカー?? いねぇよそんなもんwwww」

 

何??パトカーじゃねぇの??見間違えだったか?まぁ周りは真っ暗。街頭なんてほとんどない場所だ。見間違えでもしたんだろう。
俺はそう思った。

でもね、その後すぐに、もう1台見たんだ。
真っ暗な樹海の中、道路の方を向いて止まっているパトカーを。

2回目は、はっきり見えた。うん、間違えなくパトカーだったんだ。
俺はまた友達に聞いた。

「おい、今度こそパトカー見たぞ、本当だって」

2台目のパトカーも何も灯りは付けていなかった。
それでも、あれはパトカーだ、と思えるほどはっきり確認できたんだ。

俺の問いに、友達2人は答えた。

「あ、今はマジでいたねパトカー。本当にこんな場所でねずみ取りやってのかよ」

樹海をまっすぐに通る道。時間は確か、2時半を回っていた。こんな時間に、こんな場所で警察が待機してるものなんだろうか。

「知らねぇよwww、ここの警察はこうなんだろwwww」友達は笑って答えた。俺もそれで納得した。

 

確かに、この道は絶好のドライブコース。
特に深夜なんて、他に走る車もない。だからスピードも出る。
それか、スピードを出すために来る人もいるかもしれない。そう思った。

それに、ここに住んでる人たちはこんな環境に慣れてるんだろう、だから樹海の中でジッとしていても平気なんだろう。
そう、思ったんだ。

 

俺は少しスピードを落とした。
せっかく気分のいいドライブ、それを違反でブチ壊したくない。
それに、こんな場所、しかも深夜に車を降りて切符を切られるなんて、はっきり言って気味が悪かった。
そう、確かに、あの時は気味の悪さを感じた。
そんな自然と沸いてくる気持ちを感じ、俺は運転しつづけた。

 

パトカーだ、そう直感で思った。
またしても、森の中でパトカーを見たんだ。3台目のパトカー。
前の2台と同じく、道路を正面に見て樹海の中で停止していた。

「なんだよ、今日はやけに多いな。族でも警戒してんのか?」俺はボソッと言った。

「おい、ちょっと戻ってみろよ」ふいに友達の一人がそう言った。

「は? なんでだよ、めんどくせぇ・・・」

もう一人の友達も「悪い、一回だけ頼むって。一回だけだ」なんか面白いものを見たような様子。

「なんだよ、じゃあ戻るよ」そして、決定権がある俺。
俺は来た道を戻った。

引き返せと言った友達が、何か落ち着かないようだ。
面倒だ、と言った友達は、スナック菓子を食っていた。

俺は来た道を戻った。けっこうな距離を戻った。

「おい、こんだけ来たけど、もう満足か??」

「ああ、もういい・・」

「そう、んじゃ先進むぞ」

「そういやパトカー、いなかったな」スナック菓子を食っていた友達が、さらっと言った。

「は?? 車線が違うから見えなかったんだろ??」

「違う、俺は見てた。本当になかったって」

友達2人でのふざけた論争。

「また元の道に戻ったんだから、このまま行けばまた見えるだろ」俺は言った。

最初に向かっていた方向へ、車を進める。

「おい、ゆっくり行けよ、本当に無かったんだからよ」

「めんどくせぇ~、しょうがねぇなぁ・・・」

俺は友人の指示通り、かなりスピードを落として車を走らせた。

「ほら、いるじゃねぇかよ」

 

樹海には先ほど見たパトカー。姿勢もまるで変わっていない。

「あ~、やっぱ見間違えかよ。やられたよ」

3人で騒がしくなる車内。
しかしこの一言でまたしても沈黙。

「誰も乗ってねぇぞ、あのパトカー」

「・・・は??」

けっこうな低スピードで来た、まただんだんと暗闇に目が慣れたせいか、パトカーの様子が見えたらしい。

「マジだって、誰も乗ってねぇって・・・」

「本当かよ、このままバックで見に行って怒られたらどうするよ」

「本当だって、マジでバックしろよ」

俺は渋々、道路をバックで運転し始めた。
パトカーを見た地点から、約10mの地点。そこからゆっくりバックで運転する。
そろそろだな・・・。

「おい、どうだよ、見えたかよ」

「いねぇ・・・」

「は??人いねぇのかよ??」

「いや・・パトカーがいねぇ・・・」

パトカーは消えていた。
俺たちは見た。うん、3人共確かに見た。ほんの1分前、いや数十秒前に、確かに見た。
しかし、今はいない。パトカーが運転してどっかに行ったのか??

 

いや、それはないと思う。
俺だって、ふざけて運転してたわけじゃない。
たった数十秒の間、しかも後方10mの地点で、車が走れば気づくはず。
ライトが消えてたとか??いや、何でそんな無意味な運転をする??
しかも時間は深夜3時前、ライトを付けないで周りが見える時間じゃない。

消えた??いやいやいやいや、そんなはずない。
樹海の中に向かった??それは無理だ。樹海の中は車なんて通れるような道じゃねぇんだ。
じゃあなんでいない??俺たちが見間違えたのか??いや、そうじゃない。そうじゃないと信じたい。

「もう行こうぜ」

友達がボソッと言った。

「あ、あ~、もう行くか」

「行こうぜ、もうつまんねぇし・・・」

3人共、なぜか先に進みたがった。少なくとも、俺は早くこの場所から去りたかった。
多分、友達2人も同じ気持ちだったんだろう。
そして車は先に進んだ。

車を運転している俺。
少しボーっとしている友達2人。
車は、深夜の樹海を進む。

「あ、パトカーだ・・」

俺は瞬間的に口に出していってしまった。
あの時、言わなければよかった。本当にそう思う。
友達2人は言った。

「おい!!スピード落とせよ!!次は見てやるから!!」

一度火がついたら収まらない友達2人。
しょうがない。俺はいやいやだがスピードを落とした。
低速でパトカーの横を進む車。左側を向く車の中の3人。

「人乗ってるよ!!おい人乗ってる!!」

友達がでかい声で言った。

「乗ってる!!本当だ!!やっぱ検問か何かだったんじゃんかよwww」

若干、安堵の感情を含めた友人2人の声。
薄気味悪い気持ちを吹き飛ばすような、心からの声。

その後、友人2人はテンションが上がり、車内は一気に騒がしくなった。
もちろん、俺もだ。騒がしかった。いや、違う、どっちかっていうと俺は、無理にでも騒ぎたかった。
俺は友人が人がいる、と言う直前、こう言おうとしたんだ。

「おい、人乗ってねぇじゃねぇか」

確かに、人は乗っていなかった。俺は確かにそう思った。いや、確かに見た。
本当に人は乗っていなかった。だが俺の声が出る直前に友達は言ってしまった。

「パトカーに人が乗っている」

と。
俺は何も言わなかった。言いたくなかった。俺の勘違いだと真剣に願った。
そう、あれは俺の勘違い。そうだよ、人は乗ってた。乗ってた。乗ってた。

 

――結局、夜が明けるまでドライブは続いた。
その間、俺は8台の無人のパトカーを見た。
友達2人にはそのことは何も言わなかった。
それに、俺がこのことを言っても友達2人は信じなかっただろう。

だって、そうだろ??樹海にパトカーを放置してるヤツがどこにいる??
無人で、しかも8台も。

 

非常階段

数年前、職場で体験した出来事です。
そのころ、ぼくの職場はトラブルつづきで、大変に荒れた雰囲気でした。

普通では考えられない発注ミスや、工場での人身事故があいつぎ、クレーム処理に追われていました。
朝出社して、夜中に退社するまで、電話に向かって頭を下げつづける日々です。
当然、ぼくだけでなく、他の同僚のストレスも溜まりまくっていました。

その日も、事務所のカギを閉めて廊下に出たときには、午前三時を回っていました。

O所長とN係長、二人の同僚とぼくをあわせて五人です。
みな疲労で青ざめた顔をして、黙りこくっていました。

 

ところがその日は、さらに気を滅入らせるような出来事が待っていました。
廊下のエレベーターのボタンをいくら押しても、エレベーターが上がってこないのです。

なんでも、その夜だけエレベーターのメンテナンスのために通電が止められたらしく、ビル管理会社の手違いで、その通知がうちの事務所にだけ来ていなかったのでした。

これにはぼくも含めて全員が切れました。ドアを叩く、蹴る、怒鳴り声をあげる。
まったく大人らしからぬ狼藉のあとで、みんなさらに疲弊してしまい、同僚のSなど、床に座りこむ始末でした。

「しょうがない、非常階段からおりよう」

O所長が、やがて意を決したように口を開きました。

うちのビルは、基本的にエレベーター以外の移動手段がありません。
防災の目的でつくられた外付けの非常階段があるにはあるのですが、浮浪者が侵入するのを防ぐため、内部から厳重にカギがかけられ、滅多なことでは開けられることはありません。

 

ぼくもそのとき、はじめて階段につづく扉を開けることになったのです。

廊下のつきあたり、蛍光灯の明かりも届かない薄暗さの極まったあたりに、その扉はありました。
非常口を表す緑の明かりが、ぼうっと輝いています。

オフィス街で働いたことのある方ならおわかりだと思いますが、どんなに雑居ビルが密集して立っているような場所でも、表路地からは見えない「死角」のような空間があるものです。
ビルの壁と壁に囲まれた谷間のようなその場所は、昼間でも薄暗く、街灯の明かりも届かず、鳩と鴉のねどこになっていました。

うちの事務所は、ビルの7Fにあります。
気乗りしない気分で、ぼくがまず、扉を開きました。

重い扉が開いたとたん、なんともいえない異臭が鼻をつき、ぼくは思わず咳き込みました。
階段の手すりや、スチールの踊り場が、まるで溶けた蝋のようなもので覆われていました。
そしてそこから凄まじくイヤな匂いが立ち上っているのです。

「鳩の糞だよ、これ…」

N女史が泣きそうな声でいいました。

ビルの裏側は、鳩の糞で覆い尽くされていました。
まともに鼻で呼吸をしていると、肺がつぶされそうです。

もはや暗闇への恐怖も後回しで、ぼくはスチールの階段を降り始めました。

すぐ数メートル向こうには隣のビルの壁がある、まさに「谷間」のような場所です。
足元が暗いのももちろんですが、手すりが腰のあたりまでの高さしかなく、ものすごく危ない。
足を踏み外したら、落ちるならまだしも壁にはさまって宙吊りになるかもしれない…。

振り返って同僚たちをみると、みんな一様に暗い顔をしていました。
こんなついていないときに、微笑んでいられるヤツなんていないでしょう。
自分も同じ顔をしているのかと思うと、悲しくなりました。

かん、かん、かん…

靴底が金属に当たる、乾いた靴音を響かせながら、ぼくたちは階段を下り始めました。

 

ぼくが先頭になって階段をおりました。
すぐ後ろにN女史、S、O所長、N係長の順番です。

足元にまったく光がないだけに、ゆっくりした足取りになります。
みんな疲れきって言葉もないまま、六階の踊り場を過ぎたあたりでした。

突然、背後からささやき声が聞こえたのです。

唸り声とか、うめき声とか、そんなものではありません。
よく、映画館なんかで隣の席の知り合いに話し掛けるときに話しかけるときのような、押し殺した小声でぼそぼそと誰かが喋っている。

そのときは後ろの誰か、所長と係長あたりが会話しているのかと思いました。
ですが、どうも様子がへんなのです。

ささやき声は一方的につづき、ぼくらが階段を降りているあいだもやむことがありません。
ところが、その呟きに対して、誰も返事をかえす様子がないのです。

そして、その声に耳を傾けているうちに、ぼくはだんだん背筋が寒くなるような感じになりました。

この声をぼくは知っている。
係長や所長やSの声ではない。でも、それが誰の声か思い出せないのです。

その声の、まるで念仏をとなえているかのような一定のリズム。ぼそぼそとした陰気な中年男の声。
確かに、よく知っている相手のような気がする。でもそれは決して、夜の三時に暗い非常階段で会って楽しい人物でないことは確かです。
ぼくの心臓の鼓動はだんだん早くなってきました。

いちどだけ足を止めて、うしろを振り返りました。

すぐ後ろにいるN女史が、きょとんとした顔をしています。
そのすぐ後ろにS。所長と係長の姿は、暗闇にまぎれて見えません。

ふたたび階段を下りはじめたぼくは、知らないうちに足をはやめていました。

何度か、鳩の糞で足をすべらせ、あわてて手すりにしがみつくという危うい場面もありました。
が、とてもあの状況でのんびり落ち着いていられるものではありません…。

五階を過ぎ、四階を過ぎました。
そのあたりで、背後から信じられない物音が聞こえてきたのです。

笑い声。

 

さっきの人物の声ではありません。さっきまで一緒にいたN係長の声なのです。
超常現象とか、そういったものではありません。

なのに、その笑い声を聞いたとたん、まるでバケツで水をかぶったように、どっと背中に汗が吹き出るのを感じました。

N係長はこわもてで鳴る人物です。
すごく弁がたつし、切れ者の営業マンでなる人物なのですが、事務所ではいつもぶすっとしていて、笑った顔なんて見たことがありません。

その係長が笑っている。
それも…すごくニュアンスが伝えにくいのですが…子供が笑っているような無邪気な笑い声なのです。

その合間に、さきほどの中年男がぼそぼそと語りかける声が聞こえました。

中年男の声はほそぼそとして、陰気で、とても楽しいことを喋っている雰囲気ではありません。
なのに、それに答える係長の声はとても楽しそうなのです。

係長の笑い声と、中年男の囁き声がそのとき不意に途切れ、ぼくは思わず足を止めました。
笑いを含んだN係長の声が、暗闇の中で異様なほどはっきり聞こえました。

「所長…」

「何? …さっきから、誰と話してるんだ?」

所長の声が答えます。その呑気な声に、ぼくは歯噛みしたいほど悔しい思いをしました。
所長は状況をわかっていない。答えてはいけない。振り返ってもいけない。強く、そう思ったのです。

 

所長と、N係長はなにごとかぼそぼそと話し合いはじめました。
すぐうしろで、N女史がいらだって手すりをカンカンと叩くのが、やけにはっきりと聞こえました。

彼女もいらだっているのでしょう。
ですが、ぼくと同じような恐怖を感じている雰囲気はありませんでした。

しばらく、ぼくらは階段の真ん中で立ち止まっていました。

そして震えながらわずかな時間を過ごしたあと、ぼくはいちばん聞きたくない物音を耳にすることになったのです。

所長の笑い声。

なにか、楽しくて楽しくて仕方のないものを必死でこらえている、子供のような華やいだ笑い声。

「なぁ、Sくん…」

所長の明るい声が響きます。

「Nさんも、Tくんも、ちょっと…」

Tくんというのはぼくのことです。

背後で、N女史が躊躇する気配がしました。
振り返ってはいけない。警告の言葉は、乾いた喉の奥からどうしてもでてきません。

(振り返っちゃいけない、振り返っちゃいけない…)

胸の中でくりかえしながら、ぼくはゆっくりと足を踏み出しました。
甲高く響く靴音をこれほど恨めしく思ったことはありません。

背後で、N女史とSが何か相談しあっている気配があります。
もはやそちらに耳を傾ける余裕もなく、ぼくは階段をおりることに意識を集中しました。

ぼくの身体は隠しようがないほど震えていました。
同僚たちの…そして得体の知れない中年男のささやく声は、背後に遠ざかっていきます。

四階を通り過ぎました…三階へ…足のすすみは劇的に遅い。もはや、笑う膝をごまかしながら前へすすむことすら、やっとです。

三階を通り過ぎ、眼下に、真っ暗な闇の底…地面の気配がありました。
ほっとしたぼくは、さらに足をはやめました。同僚たちを気遣う気持ちよりも、恐怖の方が先でした。

 

背後から近づいてくる気配に気づいたのはそのときでした。

複数の足音が…四人、五人? …足早に階段を降りてくる。
彼らは無口でした。何も言わず、ぼくの背中めがけて、一直線に階段をおりてくる。

ぼくは悲鳴をあげるのをこらえながらあわてて階段をおりました。

階段のつきあたりには鉄柵で囲われたゴミの持ち出し口があり、そこには簡単なナンバー鍵がかかっています。

気配はすぐ真後ろにありました。
振り返るのを必死でこらえながら、ぼくは暗闇の中、わずかな指先の気配を頼りに鍵をあけようとしました。

そのときです。
背後で、かすかな空気を流れを感じました。

すぅぅ…

(何の音だろう?)

必死で、指先だけで鍵をあけようとしながら、ぼくは音の正体を頭の中でさぐりました(とても背後を振り返る度胸はありませんでした)。

空気が、かすかに流れる音。呼吸。

背後で、何人かの人間が、いっせいに、息を吸い込んだ。

そして…。

次の瞬間、ぼくのすぐ耳のうしろで、同僚たちが一斉に息を吐き出しました…思いっきり明るい声とともに!

「なぁ、T、こっちむけよ! いいもんあるから」

「楽しいわよ、ね、Tくん、これがね…」

「Tくん、Tくん、Tくん、Tくん…」

「なぁ、悪いこといわんて、こっち向いてみ。楽しい」

「ふふふ…ねぇ、これ、これ、ほら」

悲鳴をこらえるのがやっとでした。

声はどれもこれも耳たぶのうしろ数センチのところから聞こえてきます。
なのに、誰もぼくの身体には触ろうとしないのです!

ただ言葉だけで…圧倒的に明るい楽しそうな声だけで、必死でぼくを振り向かせようとするのです。

悲鳴が聞こえました。

誰が叫んでいるのかとよく耳をすませば、ぼくが叫んでいるのです。

背後の声はだんだんと狂躁的になってきて、ほとんど意味のない、笑い声だけです。

そのとき、手の平に、がちゃんと何かが落ちてきました。
重くて、冷たいものでした。

鍵です。

 

ぼくは、知らないうちに鍵をあけていたのでした。
うれしいよりも先に、鳥肌のたつような気分でした。

やっと出られる。
闇の中に手を伸ばし、鉄格子を押します。
ここをくぐれば、本の数メートル歩くだけで、表の道に出られる…。

一歩、足を踏み出した、そのとき。
背後の笑い声がぴたりと止まりました。

そして…最初に聞こえた中年男の声が、低い、はっきり通る声で、ただ一声。

 

 

「お い」

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