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戦争にまつわる不思議な話・怖い話【全11話】『硫黄島での任務』など

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戦争にまつわる不思議な話・怖い話【全11話】『硫黄島での任務』など 戦争系
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戦争にまつわる不思議な話・怖い話

 

 

英霊

硫黄島関連の実際にあった心霊話

  • 航空自衛隊の飛行機に向かって、立入禁止になっているはずの山の上から、手を振っている人影が見える。噂では、機体の日の丸を見て、友軍が来てくれたと歓迎してる日本兵の霊らしい

 

  • 本土から飛んで来た定期便が、嵐で視界不良になり、飛行場が確認できずにいた時、地上からパッと誘導灯がついて、無事に着陸できた。
    パイロットが礼を言うと、基地の人間は誰もサーチライトなど点けていなかった。

 

  • 隊員が部屋で、「加藤隼戦闘隊」のビデオを見終わった時、「なかなか良いものを見せてもらった、ありがとう」という声がした。
    とっさに、英霊が来られてるんだなと感じた隊員は、酒と煙草を机の上に置いて、供養した。
    その後、その隊員は宝くじで一億円が当たった。

 

 

日本人としての誇り

知覧の特攻記念館にいった後のこと
ひどい鬱に見舞われて入院することになった
その時無職で情けない気持ちで一杯だった
軍ヲタなので特攻のことはそれなりに知っている

入院中、その特攻記念館の遺書等を思い出したり「宇垣指令長官(特攻隊の指令、8月15日戦死)こんな情けない自分で申し訳ありません!」などといってパニックを起こして数日わんわん泣いていた。
本当におかしかったのだろう、先人が命と引き換えに守った日本で働けない不甲斐なさで一杯だった。

そのパニックが納まりつつある夜、頭丸坊主に陸軍用の飛行服を着た20代前半くらいの若者が5人位ベッドの前に現れて
「俺達が支えてやるから気にするな」と言って消えていった
その時は恐怖心はなく呆然と見ていた

それから退院してから、体力に自信のない自分が倉庫内作業の仕事をすることになり、
おかげで肉体も精神も人並みに自信が付いた

やはり先人を大事にすることは大切と思い、日本人としての心と誇りを持っていこうと思った
パラノイアかもしれないのですみません

 

 

硫黄島での体験

俺が2年前に自衛隊基地施設建設の為に硫黄島へ
6ヶ月間行った時の話。

数か月もの間、島に閉じ込められると自然と顔見知りの
隊員さんが出来て、色々話すうちに硫黄島の心霊現象
なんかの話題になることがあるんだ。

隊員さんの話では、戦後~平成にかけて硫黄島の心霊現象は壮絶なものだったらしい、夜中に行進する兵隊なんかは当り前で、中には夜な夜な水を求めて徘徊する黒焦げの兵隊や窓の外に体の一部が無い兵隊が恨めしそうに見ていたりってのが
毎日あったんだと。

恐らく彼らの中では戦争はまだ終わって無かったんだな。
だけど、平成6年2月に天皇陛下が硫黄島を訪れた際に、慰霊碑に鎮魂と
日本を守る為に命を犠牲にして戦ってくれた事への感謝の意を捧げると
その日を境に幽霊がピタリと出なくなったらしいんだ
まあこの辺はよく聞く有名な話だよ。

 

んで、ここからが俺が体験した話。
隊員さんから心霊現象の話を聞いた夜、自室で布団を頭まで被って寝てると、誰かが揺すり起こしてきたんだ
寝たばかりで辛かったからシカトして寝ようとしたら、今度は激しく体を揺すってきた

そして、さらには

『おい!朝だぞ!!いいかげん起きろ!!!』

と、怒鳴る声、
そんなはずはないと思いながらも薄目を開けると、確かに布団の隙間から朝日が漏れていた。
今日は全然寝た気がしないなぁ~。なんて思いながら体を起こすと恐怖で体が固まった・・・夜なんだよ・・・

もうさ、部屋も外も真っ暗で、普段は五月蠅い同僚のイビキも虫の音も風の音も聞こえない無音だし、起きる瞬間まで体を揺すってた奴もいないし、中に鳥肌がブワーーって立って、混乱と恐怖で頭ん中いっぱいになっていると、ドアの前に暗闇よりもさらにもう一段階黒い人型のシルエットがあったんだ。

 

俺がその黒い人型に気付くと、そいつが一歩前に出て

『何をしている!!さっさと支度をせんか!!!バカ者!!!』

とハッキリと聞こえる怒声がした、
その時に気を失ったのかわからんが、気が付いたら朝で
相部屋の同僚が心配そうに

『なんか、メッチャうなされていたけど大丈夫??
顔も青いし、体調悪いなら今日は休めば?』

って言ってきた。

たしかにフラフラするし、体調悪かったから
一日布団の中で過ごすことに。

 

布団の中で昨夜のことを思い返すと怖いってより何か切なくなった・・・
米兵、日本兵問わず彼らの戦争は何時終わるんだろう・・・
(硫黄島ではもちろん米兵の幽霊も出る)
建設中に未だにあちこちから出てくる人骨や遺品
こんな状態じゃ、おとなしくなることはあっても成仏はしないな・・・とか
今の俺たちは彼らの命の上に立つ価値があるのか??とか
色々考えさせられてな。

以上が俺の硫黄島での体験談、まあ、他にもあったけど、
これが一番印象深いエピソードかな

終わり

 

硫黄島からの帰還

YS-11Mの機上整備員です
週1の定期便(硫黄~南鳥)で行くのですが
偶に山の上で手を振ってる人がいるんですよ。
硫黄の隊員かなと思ってたのですが
先輩、いつもあの山の上で手を振ってくれる人居ますね!
あ、お前も見たのか。。。。。下に降りたらローマスに
その話してみろ。
ロードマスターに上記の話をしたらどうも旧軍の霊らしいと
日の丸を見て友軍が来たと歓迎してくれてるようだと。
その翌日に鎮魂碑に手を合わせてから見ることが無くなりました。
今も、定期便時(厚木→硫黄)は内地から和菓子、水、酒
弁当を1組積んで飛んでいきます。

こういう話も、有る定期便か硫黄に向かうとき天候悪化で
滑走路が見えずもう1度トライしてだめなら帰ると言うときに
硫黄の滑走路端に灯りが見え無事にタッチ
Pが礼を言いに行くと誰もサーチライトとかを付けてないと

 

□ □ □

 

YS-11M機上整備員です。
実体験ですが
数年前の夏無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便
大きな荷物もなく便乗者は海保職員1名。
天候晴れ、風微風。定刻に離陸なのですがいつもより滑走距離が長い、Pも変だナーという顔。
夏の日差しの機内ほど程よい温度で弁当の後
やることもないので機内でお昼寝。
しばらくして人のざわめきというかひそひそ声で
ふと目がさめ機内を見回しても海保さんが寝てる姿しか。
改めて寝直すと
「これで国に帰れる」「友軍機が来てくれて助かった」
とはっきり。流石に目が覚めて後部貨物室を見回しても
なにも。。。。海保さんもやや青ざめた顔で
「聴きましたか?」と2人そろって前に逃げ込んでPにその事を報告。
Pが「それで重かったのか、お盆も近いし」と。
その後何事もなく厚木に。
機体点検をしてると耳元ではっきりと
「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」

 

硫黄島の方には冷たい水をあげるといい。
コップに入れて、どこでもいいから置いて、どうぞと勧める。

先日、関西ローカルのニュース番組で硫黄島の特集をやっていた。
暑い環境だったので、末期の水さえお湯だった。
それを知った人の中から、そう言うのが自然発生的に起こった。
中にはわざわざ冷蔵庫で水を冷やしてあげると言う。
それを聞いたレポーター(実はこの人の父は硫黄島で亡くなっている)が
もしよければと水をと言っていた。

冷たい水をあげてください。
その気持が向こうに届いて、救われると思います。

 

ちょうど冷蔵庫で冷やしていたペットボトル入りの白湯があるので、さっきコップに入れて勧めてきた。
『とり散らかっておりますけれどどうぞ』って。
横にはふたを開けたペットボトルも。
冷たい水くらいしか用意できない己としては、せめてたくさん飲んで貰える様にと思う。
英霊の方たちが渇きを少しでも癒してくれるなら嬉しいんだけどね。

 

私も、ベランダに冷たい水とタバコをお供えしたっす。
硫黄島で亡くなられた方達だけじゃなく、全ての英霊にと。
本当に、ほんの少しでも癒しになれたらいいな。

 

□ □ □

 

こういう話も
YS-11Mはもうよぼよぼの機体であっちを直すと
こっちが壊れるというような機体で整備員泣かせですが
厚木から向かった機がハイドロ漏れを起こしどうやっても治らない。
Pと硫黄島管制が戻るか戻らないという話を始めた
少し後に漏れがぴたりと止まった。
この状態ならと言うことで硫黄島に到着。
エンジン部分を開けて点検をすると当該ハイドロポンプの
漏れていた配管箇所に手の跡がくっきりと。
このときのPは霊の類は信じない人でしたがそれ以来
硫黄島に行くたびに慰霊碑に手を合わせるようになったそうです。

 

 

開かずの島

硫黄島が未だに、民間開放されてないのはなぜか。
社会常識としては、硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。
真相は単純。その原理は、旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。
夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。
硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。

新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。しかも、出るのが英霊。
オカルトだけでなく、政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。
それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。

こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけどアラスカ州のアリューシャン列島にもある。
こちらの方は、島の面積も広いし要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。
硫黄島の海みたいに、大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。

もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら今頃どうしてるところだったのかな。
だから、硫黄島から基地が移転することは無い。
何十年経っても、たとえ防衛省が民営化される日が来ようと
海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。

 

俺の姉の旦那が海自で2年間硫黄島に出張だったがかなりでるらしい
なんか自衛隊でも幽霊対策のルールがあるんだってさ
寝る前は窓の外に水をいれたコップを置いておく
朝になるとコップは空っぽになるらしい
幽霊信じない若い奴がこれやらなかったら初日深夜に
「熱い~熱い~」と気が狂った様に部屋の壁叩いてたって
あと土掘るとすぐに人骨がでてくるらしい、これの回収も仕事
昼間誰もいないのに軍隊の行進の足音が迫ってくる事があるらしい
その時は上官が「撤収!」って叫んでみんな逃げるらしい
ちなみに戦艦の幽霊は見たことないって

 

 

米軍の大失態

まとめサイトに、硫黄島の内情や対外事情の話が載ってた。
そのレスではアリューシャンにも少し触れてたけど、
ある意味でキスカ島の方が凄いかもしれん。

ソースは未確認だけど、1943年の守備隊撤退作戦で
米艦隊が不可解な大失敗をして日本軍の守備隊が助かった
という噂がある。

米艦隊は、居もしない敵艦隊に砲撃して
弾薬を失って一時撤退をした。
その隙に、制海権を失って久しい日本海軍が守備隊を救出した。
米艦隊の、レーダーやソナーのゴーストでは説明がつかない
大誤認。

初歩的な偵察装置を誤魔化せる、巨大な何かが在った。
とにかく、音波か電波か知らないけど反射できる何か。
あるいは、その何かを生成できる別の何か。

仮にもWW?Uで米国が運用した最新兵器をコケにしたんだから、
まとめサイトでも報告例がある狐狸の類よりスケールは上だろう。
あるいは、幻術のようなものとは別の何かだったのかもしれない。

詳しいリソースなど、ご存知の方いたら補完や反証をお願いします。
キスカやアッツでも守備隊が玉砕したという話があったから、
守備隊撤退の話は都市伝説かもしれません。
しかしもし本当だったら、日本国は海神の加護を受けたことがあるという
輝かしい見直すべき戦史になります。

 

兵隊さんと分け合ったミロ

子どもの頃、いつも知らない人が私を見ていた。
その人はヘルメットをかぶっていてえりあしに布がひらひらしてて、
緑色の作業服のような格好で、足にはほうたいが巻かれていた。
小学生になってわかったが、まさに兵隊の格好だった。

その兵隊さんは私が1人で遊んでいる時だけでなく、校庭で遊んでいる時や
母と買い物でスーパーに行った時、いつでも現れた。
少し離れたところで立って、私を見つめている。
自分以外には見えていないし、いつもいつの間にか消えている。
私も少しはこわがってもよさそうなものだったが、何せ物心ついた時から
そばにいるし、何よりその人から恐怖心を感じるようなことは全くなかった。
きりっとしてて優しげで、古き良き日本人の顔って感じだった。

やがて中学生になった。ある日いつもと違うことが起きた。
テストを控えた寒い日、夜遅くに私は台所でミロを作っていた。
ふと人の気配がしたので横を見ると、兵隊さんがいた。
けれどその日は手を伸ばせば触れるくらいそばにいた。
ぼけた私が思ったことは「意外と背低いんだな」くらいだった。
―それは何でしょうか?
体の中に声が響いたような感じだった。兵隊さんを見るとまじまじとミロの入った鍋を見ている。
ミロって言ってもわかんないよね・・・と思った私は「半分こしよう」と言って
ミロを半分にわけて、カップを兵隊さんに渡した。
―失礼します。
そう声が響いて、両手にカップを持ってふうふうしながら兵隊さんはゆっくり飲んでいた。
その時の兵隊さんの顔は、柔らかくてすごくうれしそうだった。
飲み終わって、また声が響いた。
―こんなにうまいものがあるんですね。
少なくて悪いかな、と思った私は「おかわりする?」と聞いたが、
兵隊さんはカップを私に手渡して、敬礼してふっと消えてしまった。

別の日に1人で家にいる時、クッキーを作っていた。
焼きあがり、冷まそうとお皿に並べていたら、人の気配がしたので窓を見ると、
庭先に兵隊さんがいた。
私はおいでよ、と手招きをしたが、兵隊さんはにこっとして首を横に振った。
あれ?と思っていたら兵隊さんは敬礼して、ふわっと消えた。
ヘルメットから出てる布がふわりとしたことを覚えてる。
それきり、兵隊さんは私の前には現れなくなった。

今でも兵隊さんのことを思い出す。
美味しいものを食べた時や料理が美味しく出来た時、
兵隊さん、どこかで美味しいもの味わえているかなあと。

 

 

兵隊さんの意地

大学時代に旅行で沖縄行って、旅行終わって帰宅した夜、部屋に日本兵が出た。
目茶苦茶怖かったが、ただ立ち尽くしてるだけで暫くしたら消えた。

痩せてたし顔色悪かったし、戦争でお腹へって亡くなったのかな~と思い、
翌日はお茶とおにぎりを用意して待った。
その日も出たが、やっぱり立ってるだけで暫くしたら消えた。

数日お茶とおにぎりを用意して観察したが、同じ事が続いた。
私も「何が気に食わないんだろう」と思いながら
おにぎり増やしたり漬物付けたり味噌汁付けたりしてた。

そんな事が一週間くらい続き、連日夜中まで起きていた私はそろそろ眠気に勝てなくなった。
そこで、もはや和食フルコース(お茶、おにぎり、味噌汁、漬物、焼き鮭、煮物、お饅頭)と化した食事を用意し、
その日は早めに就寝。

夜中に気配で目が覚めて、コッソリ見たら、日本兵ガツガツ食ってた。ちょっと泣いてた。
全て飲み食いした後に立ち上がり、私に向かってビシッと敬礼して消えた。
以後は来なかった。

朝、日本兵が食べたと思った食べ物は一応形は残ってたけど、
どれも一晩じゃ考えられないくらい水分が抜けてカラカラになっていた。
お茶と味噌汁は無くなってた。

祖父(徴兵経験は無い)に話したら
「男ってのは生きてても死んでてもそういうもんだ。変な意地がある。
若い娘に飯がっついてる所見られたくなかったんだろ」
と言っていた。
最初毎晩観察してた私が生殺しにしてたのか……と思うと少し申し訳ない。

 

 

帰還

先日、曾祖父の七回忌があった時に、祖父から聞いた話です。
もしかしたら、よくある戦時中の話かもしれません。

第二次世界大戦が終戦する1年ほど前の話です。
代々うちの家は神主の家系で、免許みたいなのが出来るずっと前から神主を営んでたそうです。
平安時代の神祇官(?)ぐらいまでさかのぼるんだとか。(流石にこれは信じてませんけど)
そう言うわけですから、地元ではいわゆる名士の部類に入る家でした。

それを目に付けたのか、単に手近な神主だったから科は知りませんけど、曾祖父は軍の従軍神主として招致されたそうです。
そんなこんなで数日経ったとき、曾祖父は作戦の成功祈願を行うために軍の飛行場へと呼ばれました。
何の成功祈願かは、言うまでもなく特攻だったようです。
曾祖父は皇室を尊敬して、陛下に忠誠を誓っていた、右翼の様な人でした。

そんな曾祖父でも、特攻には反対だったようで、一応全身全霊を込めて祈願をしたそうですが、特攻に向かう若い兵に
「怖かったら帰ってきてもいいんだよ」
と小声で言ったそうです。
当時曾祖父は30代半ばぐらいでしょうか、自分より若い前途ある青年を死地に追いやるのが忍びなかったのでしょう。
その時特攻に赴いたのは三人だったらしく、全員に優しく諭すように言ったそうです。
ですが、結局翌日になっても、翌々日になっても、三人が帰ってくる事はありませんでした。

それから一カ月ほど経ったときの事、突然曾祖父が歩兵の中隊を率いる事になりました。
階級は低かった(元々軍人じゃないから当然)ですが、温厚な性格と日ごろから兵たちに優しく接していたせいで慕われていたせいか、急に任命されたと聞きます。
それで、出立の前日、いろいろ準備している最中に、ボロボロの服を着た兵士が歩いてきました。
見おぼえがある顔だと思って、暫く眺めていると、一か月前に特攻した若い兵の一人だと気付いたそうです。

「よく帰って来た」
と曾祖父が言うと、
「先生のおかげで帰ってこれました」
と若い兵は言ったそうです。
(曾祖父は当時軍中で兵たちに先生と呼ばれていたそうです)
曾祖父はその後、九州へと派遣され無事帰還する事が出来ました。

それから、日本が戦争に負けて数年経った頃の話です。
相変わらず曾祖父は神主を続けていたそうですが、ある日ふと若い特攻兵の事を思い出し、あって話をしようと考えたそうです。
いろんなところにかけあった結果、住所を知る事が出来ました。
翌日に、曾祖父はその若い特攻兵の実家へと向かったそうです。
そこで、田植えをしている特攻兵の母親に曾祖父は会いました。
名前を告げると、母親は
「貴方が息子の言っていた神主の先生ですか」
と言って、家の中に招き入れてくれました。

そのまま母親が案内したのは、仏壇の前。
其処には、あの若い特攻兵の写真が飾られていました。
曾祖父は驚いて、母親に尋ねました。
「急な病気で亡くなったのですか」
母親は、泣きそうな顔で、ですが笑って言ったそうです。
「息子は、貴方の祈願して下さった特攻で亡くなっております」

曰く、曾祖父が特攻兵と話した翌日に、田植えをしている母親の前にふと、息子が現れたそうです。
息子の帰還を喜ぶ母親に、息子は
「自分は親不孝者で、先日の特攻で死んでしまったが、神主の先生のおかげで最後に帰ってこれた」
と告げて、ふっと消えてしまったそうです。
その後、曾祖父の前に姿を現す事はなかったのですが、彼の墓に参った時に「ありがとうございました」という声が聞こえたと言います。

戦時中に国外で亡くなった人の魂はなかなか日本に帰れなくて、
生きてる人間についてくるしかないっていうよね。
過去スレでもそういう話がいくつか出てた。
(硫黄島への定期便に乗務してる自衛隊員さん?の話とか、
海外旅行に行ったら連れてきたとか)

その兵士がまっすぐ家に帰れたのは本当に稀有なことだと思う…
導いてあげられたおじいさんも素晴らしい人だ。

神主を呼んでの祈願って、やっぱり無事帰還を願ったんだろうか。
でも、帰りの燃料を積んでなかった話もあるし、まさか成仏祈願?はないし。
(神道では神様って事になる?無知ですみません)

昔の帰還兵の小野田さんは、幾ら説得しても納得せず、
自分の上官だった人に命令を出してもらって、やっと日本に帰ったというよね。
逃げ帰ってはいけないと思っていた兵隊さんたちは、
亡くなっても勝手に日本に帰るのは許されないと思う気持ちがあるのかも。
曽祖父の方が「帰ってきていい」と言ってくれたから、すんなり日本に帰れたのだとしたら、
それこそご祈祷した意味があったのかも知れない。
むろん、生きて帰ってきてくれるのが一番だったとは思うが。

攻撃成功のための祈願だろうよ。
特攻が成功したのは自爆攻撃だということが気付かれてなかった極初期のみ。
その後は特攻する前に打ち落とされるのが多かったからな。
故障で途中で引き返すのもいたり、そのまま引き返さずに海に落ちたのもいたりしたらしい。

小野田さんも帰ってきたとき“恥ずかしながら”って言ってたもんな。
帰っちゃ行けないという思いのせいで今も帰れずにいる人たちがいるのかもしれないな…。
せめて魂だけでも帰ってこれて良かったと思う。
管総理が硫黄島や他地域の遺骨の回収の予算を増やすって言ってる事に対して否定的な意見を言っている政治家もいるらしいが、
確かに今生きてる人たちに直接の恩恵はないだろうが、かつて国の犠牲になった人たちをせめて迎えに行かなくてどうするんだ、と思うよ。
まあ、遺骸にこだわるのは日本人特有の考えらしいけどな。死んでしまった後の体はただの物体と考える国も多いらしい。

 

 

最後の抵抗

先日、現役のアメリカ海兵隊士官さんと仕事の都合で話をしたんですが、その時に聞いた話が結構えぐいので書いておきます。
新兵を訓練する際に何度も出る話だそうですが、いわゆる先頭慣れした頃に陥る自信過剰って奴の1つで、
敵方が逃げ出し始めた時に、戦線を崩して追いかけ始めてしまう奴が出るんだそうです。

戦線と言うより戦列と言うべきなんですが、銃を構えた兵士が横一列に並ぶのは味方同士が打ち合わない為に非常に重要な事なんだそうです。
そりゃ、だれだって味方に打たれて戦死なんていやですからね。パープルハート勲章も貰えないし。

時は1945年。小笠原諸島の南に浮かぶ絶海の孤島。硫黄島。
この島を巡って血で血を洗う激戦が行われたのは皆さんもよく知る所でしょうが、私が話をした士官さんはおじいさんが従軍されたそうで、
その時のエピソードをよく聞いたそうです。曰く『どんなに不利だと思っても日本兵は投降しない』とか、或いは『日本兵は最後の一人まで勇敢だったとか』
んで、その中に出てくる話ですり鉢山攻防戦ってのがあるんだそうですけど。あれです、映画、父親達の星条旗のあのシーンの山です。

最後の数名が頑強に抵抗するすり鉢山を包囲して、慎重にすり潰しながら前進し、最後の一兵が手榴弾で応戦している中、十字砲火を浴びせたそうですけど、
その後に星条旗を立てて占領をアピールしたんだそうです。ところが、翌朝になるとその星条旗が倒れてる。だからもう一回立てる。
ついでに、星条旗を立てるシーンを写真に撮ったり記録映画撮ったりしながら。でも、翌朝になるとまた倒れている。しかも、旗ざおが折れている。鉄製なのに。

で、事件はおこります。
ある晩、業を煮やした若手士官が小銃を持って星条旗のすぐ近くで歩哨に立ったんだそうです。見張りですね。
何度も何度も星条旗を倒されては海兵隊の名折れ。責任もって犯人を射殺しろって命じられてたんだとか。

その晩、歩哨にたった士官は真夜中に足音を聞いたんだとか。
複数名の足音が、慎重に距離をとって接近して来るんだそうです。
正直「来たな!」と思って、小銃の安全装置を解除し、近くに着たら斉射してやる!と銃を構えたんだとか。
ところが、指呼の間に接近した所で足音が止まってしまい、士官は「気付かれた!」と慌てたとか。

息を殺してジッと待っていると、何事かの会話が日本語でなされ、バタバタと斜面を駆け下りる足音が聞こえたそうです。
士官はその足音の方向へ数発射撃し、自分も身を晒して足音を追いかけたんだとか。
追撃戦って非常に危ないんですが、逃がすのも癪だと思ったんだそうですよ。
一緒に歩哨に立っていた海兵隊の兵士も走ったそうです。

走って走って射撃しながらまた走って、弾を撃ちつくして次の5発を押し込んでまた撃って走って。
で、前方で『ギャー!』と悲鳴が聞こえて、しめた!当たった!と思いつつ、日本語で『トマレ!』と叫んだんだそうです。
余談ですが、大戦中の米軍士官は「トマレ」「ジュウヲステロ」「トウコウシロ」など、簡単な日本語指示を学んでいたんだそうです。

ところが、今度はその敵側から凄い勢いでバンバンと撃たれ始めたんだとか。
士官の左右をシュンシュンと音を立てて銃弾が通過したんだそうです。
コリャヤバイ!と振り返り、斜面を走りながら逃げたらしいんですが、途中で何かに躓いて倒れたら、そこが日本軍守備隊の掘った塹壕だったそうで、
頭から落ちて側頭部を痛打。昏倒状態になっていたら下からバリバリと射撃しながら海兵隊が斜面を登ってきたそうです。
で、一緒に追跡していた筈の海兵隊兵士と同士討ち。翌朝、明るくなってから調べたら30人近く死んでたとか。
その日から星条旗は夜間になると取り外され、麓の前線本部で管理される事になったらしいですが、
朝になって山頂部へ星条旗掲揚へいくと、かならず足跡が残っていたんだそうです。それも、登ってくる足跡だけ。

硫黄島では1945年9月に最後の日本兵を収容したそうですが、終戦後まで散発的抵抗は続いていたんだそうです。
死霊とか幽霊とかそう言う話も恐ろしいですが、生きてる人間の執念とかも充分恐ろしいなぁと。
そんな話でした。

 

 

硫黄島での任務

硫黄島の話。
一般の人は立入禁止になってるが俺は6年とちょっと前まで硫黄島で某自衛隊で整備士として滑走路の整備など仕事をしてた。
元々青森県民の俺は地元で気楽に一生を楽しめる仕事は、自衛隊しかないと思って入隊。
5年目で移動先希望で
1,大湊
2、八戸
3、硫黄島
って書いた。3に硫黄島と書いたのには理由はない。けど自衛隊では硫黄島に行く人は手当等がが良いため、借金がある人は飛ばされるという噂が結構あって話題にはなる。(笑)

二ヶ月して上司に硫黄島に行けるぞ。・・・と言われた。(まじかよ)

硫黄島は雨水タンク以外真水が無く生活は非常に辛いと有名だったため現実を前にかなり沈んだ。
ソレに硫黄島に行ったことのある上司があそこは基地内外で適当に土掘れば骨出てくるからね~とか、天気のいい風のある日は滑走路に骨が飛んでくる事がよくあるそうだ。

この島に来て嫌なのが週に2~3回ある金縛り。
ソレに私が来てから夜中に国旗掲揚時に流れる音楽が隊舎に流れてびっくりする事が暫しあった。
しかし、びっくりするのは私だけで他の人達は部屋のスピーカーを小にしてまた寝るのである。

ある休みの日、天気もいいし島の中を散歩に出かけた。
俺は上司が言っていた適当に土を掘って骨が出るのか試した。そしたら2~3分で片手に余るぐらいに骨が出るのである。
そして頭部の骨も出てきた。その後タイミングが良く上司が来た。

上司は「その骨は◯◯のだな。よく見つけてくれた。これで皆揃った。」

・・・・・・◯伍長。無事任務を終えました

その骨をDNA鑑定した結果メモ帳に書いてある通り◯◯さんという硫黄島で亡くなった方で無事遺族に届けられ、このメモ帳は大切に硫黄島の隊舎に保管されてるのだという。

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