『絶対行ってはいけない小島』など 全5話|洒落にならない怖い話【短編・オカルト】

『電話機』|洒落怖名作まとめ【怖い話・都市伝説 - 長編】 厳選

 

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絶対行ってはいけない小島

私は23歳で、海女(海女歴2年)をしています。

泳ぐのが好き、結構儲かる、という理由でこの仕事をしてますが、不思議な体験をした事があります。

海女になりたての頃、付いてた人に「絶対行ってはいけない」と言われてる場所がありました。

その場所は離れ小島のような所で、岸から距離にして300m位だと思います。他の海女も絶対そこの小島には行きません。

私は勝手な思い込みで、そこの小島に行く途中で結構潮の流れの速い所があり、海女って結構年寄りが多いので、危ないから行ってはいけない、と言う事だと思ってました。

仕事は潮の満ち引きにもよりますが、ほとんど午前中で終わります。しかしこの日は、体調もよくまだまだ潜れそうだったので、午後も1人で潜ってました。

そして波も穏やかだった為、ふとあの小島にいってみようかなーと思いました。

潮が速いと思い込んでいたのですが、そんな事もなく、あっさりその小島に到着しました。

「な~んだ楽勝じゃん」などと独り言をいいながら潜ってみると、普段人が来ない為か、もう大きなアワビ、サザエがゴロゴロしてます。アワビなんて30センチ位、サザエもほとんど20センチ。もう夢のような光景です。

「なに~ここ宝島じゃん」などと思いながら取りまくっていると、小島の海底のほうに、ぐるりと綱が巻いてありました。

ちょっと気味が悪くなり小島に上がると、小島の側面には数体のお地蔵様が彫ってありました。何~ここ、なんかヤバイ所~?なんて思ってると、声がしました。

「・・・・・ちゃ・」
えっ?何っ?ちゃって・・・
その声はだんだんハッキリと聞こえて来ました。

「お・・ぇちゃん」
「おねぇちゃん」
後ろを見ると、10歳位の男の子が立たっています。
(えっ何処から来たのと思いつつ、かなりビビッた顔してたと思います)

しかし何かが変だ・・・話しかけようにも怖くて声が出ませんし、海に囲まれた小島なのに洋服着てるし、しかも濡れてないし・・・

ヤバイと思った時、男の子は言いました。

「おねぇちゃん何処から来たの?」
私は怖くて叫びたいんだけど、声が出ないで口をパクパクするだけ・・・
男の子はどんどん話を進めます。

「僕さぁーお家帰りたいんだけど、どう帰ればいいか分かんないし、足も痛いし、頭も痛い、お腹もすいたし喉も渇いたし・・・助けてよおねぇちゃん」

いままで普通の姿だった男の子が、しゃべった内容に変化していきます。

足が痛いと言うと足が血まみれに・・・
頭が痛いと言うと顔が血まみれに・・・
お腹がすいたと言うとガリガリに痩せて・・・
喉が渇いたと言うと老人のように変化しました・・・

・・・ヤバイ絶対ヤバイ神様ーナンマイダーなどと唱えると、ブチッと音がして自由になりました。

転げるように海に入ると、普段とは違いどんどんどんどん海底に沈んで行きます。と言うより、引き込まれる感じです。何よこれーっ。

海って言うのは、黙ってても浮くんですよ、普段は。実際、浮くよりは潜る方が大変なのに・・・

結局、海底まで引き込まれました。すると、そこには小さな洞穴みたいなものがあり、そこに水中眼鏡をした骨の遺体がありました。

恐らくさっき見た少年だなと、直感で分かりました。そして少し悲しい気持ちになったとたん、ふぅーと吸い込まれる力が弱まり、浮き始めました。

水面まで出ると冷静さを取り戻し、岸まで泳いで帰りました。

岸に着いてからは、あの小島で採ったアワビとサザエを買い取り業者に置いて、すぐ警察に遺体を発見した事を届け出ました。

そしてまた業者に戻ると人が集まってきて、「凄いね~今日は大漁じゃん」などともてはやされました。

そして受け取った金額は、自分でもビックリするほどの額でした。なんか嬉しいやら悲しいやら、複雑な気持ちで帰路につくきました。

そしてその夜、『あの小島に行ってはいけないよ』と教えてくれたおばさんが来ました。

あがってもらいお茶を出すと、おばさんはこう言いました。

「あんた、あの小島にいったんだって。まったく、あんなに行っちゃいけないって言ったのに、まぁ無事に帰ってきたからいいけどさ・・・ところで、遺体を発見したのは聞いたけど、他に何か見なかったかい?」

私は経験した事を全て話しました。すると、「やっぱりかい・・・」と言いました。

そして、おばさんが話してくれた話はこうです。

終戦後のある夏、男の子3人が海水浴をしていました。波が高かったせいか男の子達は流されて、あの小島に辿り着いたのです。

しかし、波が高いせいで、なかなか救助の船を出せません。そして、小島を飲み込む程の波が来て、男の子3人はまた海に・・・

それを見かねた1人の漁師が船を出しました。

漁師は男の子を1人助け2人助け、3人目を助けようとした時、船が小島に激突して沈没。

男の子3人と漁師は次の日、遺体で発見されたそうです。

海底に巻いてある綱と小島の側面のお地蔵様は、その時のものらしいです。そしておばさんも昔、その小島の上で遊んでる男の子を見たことがあるそうです。

次の日、警察は捜索したけども、遺体は発見できなかったそうです。

その年のお盆の波の静かな日。

少し怖かったけど、おばさんと2人で船を出し、その小島に線香とお供え物をあげに行きました。

帰りの船でふと、「ありがとう。おねぇちゃん」と言う声が聞こえたような気がしました。

 

猛スピード

俺にはちょっと変な趣味があった。

その趣味って言うのが、夜中になると家の屋上に出て、そこから双眼鏡で自分の住んでいる街を観察すること。

いつもとは違う、静まり返った街を観察するのが楽しい。 遠くに見えるおおきな給水タンクとか、酔っ払いを乗せて坂道を登っていくタクシーとか、 ぽつんと佇むまぶしい自動販売機なんかを見ていると、妙にワクワクしてくる。

俺の家の西側には長い坂道があって、それがまっすぐ俺の家の方に向って下ってくる。

だから屋上から西側に目をやれば、その坂道の全体を正面から視界に納めることができるようになってるわけね。

その坂道の脇に設置されてる自動販売機を双眼鏡で見ながら、「あ、大きな蛾が飛んでるな~」なんて思っていたら、坂道の一番上のほうから、物凄い勢いで下ってくる奴がいた。

「なんだ?」と思って双眼鏡で見てみたら、全裸でガリガリに痩せた子供みたいな奴が、満面の笑みを浮かべながらこっちに手を振りつつ、猛スピードで走ってくる。

奴はあきらかにこっちの存在に気付いているし、俺と目も合いっぱなし。

ちょっとの間、あっけに取られて呆然と眺めていたけど、なんだか凄くヤバイことになりそうな気がして、急いで階段を下りて家の中に逃げ込んだ。

ドアを閉めて、鍵をかけて、「うわーどうしようどうしよう、なんだよあれ!!」って怯えていたら、ズダダダダダダッって屋上への階段を上る音が。

明らかに俺を探してる。

「凄いやばいことになっちゃったよ、どうしよう、まじで、なんだよあれ」って心の中でつぶやきながら、声を潜めて物音を立てないように、リビングの真中でアイロン(武器)を両手で握って構えてた。

しばらくしたら、今度は階段をズダダダダッって下りる音。もう、バカになりそうなくらいガタガタ震えていたら、ドアをダンダンダンダンダンダン!!って叩いて、チャイムをピンポンピンポン!ピポポン!ピポン!!と鳴らしてくる。

「ウッ、ンーッ!ウッ、ンーッ!」って感じで、奴のうめき声も聴こえる。

心臓が一瞬とまって、物凄い勢い脈打ち始めた。さらにガクガク震えながら息を潜めていると、数十秒くらいでノックもチャイムもうめき声止んで、元の静かな状態に……。

それでも当然、緊張が解けるわけがなく、日が昇るまでアイロンを構えて硬直していた。あいつはいったい何者だったんだ。

もう二度と、夜中に双眼鏡なんか覗かない。

サヨちゃん

俺は小学校に入るまでは、広島の田舎の方に住んでいた。その時に知り合い(仲良しではない)だった、「サヨちゃん」の話をしよう。

俺の母方の実家は、見渡す限り畑ばかりのド田舎で、幼稚園も保育園も無い。俺は母親と祖母とともに家で遊んでは、父親の帰りを待っている毎日で、退屈しきっていた。

近くの町に出かける時だけが楽しみで、よくお決まりの公園に行っては、買い物をしている母親を待ちながら、遊んでいたものだ。

ある日、公園に同じ歳くらいのかわいい女の子がいて、一緒に遊ぶようになった。

その子は「サヨちゃん」といって、この町に住んでるらしく、一人で遊びに来てるらしい。

黒いスカートと白いシャツを着た、オカッパのかわいい子で、俺はすぐに打ち解けて砂遊びを始めた。

乾いた砂場をスコップで掘り返し、大きな砂山を作って、二人で両方の側面から穴を掘っていく。

手で砂をかき分けながら掘り進み、ちょうど山の内部でお互いの手が触れ合えばトンネル開通だ。

俺はそろそろサヨちゃんの手に触れるかな?と、真ん中あたりまで掘り進んだ時、何かが俺の手を掴んだ。

そのまま俺はすごい力で引っ張られて、頭から砂山に突っ込んだ。しっかり押し固められた砂山は崩れず、俺は砂山に押し付けられる形で窒息しそうになり、

「やめてよ!サヨちゃん!」と叫んだ。

すると「え?な~に~?」と、サヨちゃんが砂山の向こう側からこちらを見ていた。サヨちゃんは中腰姿勢で手を砂山に突っ込んだまま、俺を見ながらニヤニヤしていた。

それはどう見ても5、6歳の少女の手の長さとは考えられず、俺はわけのわからないまま、「やめて!やめて!」と連呼した。

そこにタイミングよく母親が帰ってきて、俺はサヨちゃんの手から解放された。しゃっくりをあげ始めていた俺の横をすり抜けて母親に礼をすると、サヨちゃんは走って去った。

子供ながら、母親に話しても信じてもらえないと考えた俺は、結局何も言えずに家に帰った。

それ以来どうも俺は、彼女に目をつけられたらしい。母親は町に出かけるたびに俺を公園にほっぽり出し、俺はその度にサヨちゃんと遊ばなくてはいけなかった。

彼女はいつも黒いスカートと白いシャツの一張羅で、親が付き添って来た事は一度も無かった。

丁度母親が公園から出て行くのを見計らうように、入れ違いに現れるのだ。

公園には他の子供が先に遊んでいる時も多々あったが、サヨちゃんが公園に入ってくるだけで、俺と同じくらいの年の子はおろか、小学校の高学年らしき子さえもコソコソ逃げ出していく。

俺は何よりサヨちゃんに逆らう事ができず、サヨちゃんのいいなりだった。公園の片隅に落ちていたライターを、サヨちゃんがちょん、と触るだけで、いきなり火がついた事があったし、塀の上を歩いている猫に向かって、サヨちゃんが枯葉を丸めて投げつけると、猫が受身もとらずに背中から落ちた事もあった。

サヨちゃんに会うごとに信じられない事が度々起こり、俺は彼女に会うのに恐怖を感じるようになった。

色々あったが、書ききれねーや

ゴメン。細部まで全部思い出すと鬱になるんで、最後だけ書かせてくれ。

俺は前述通り、公園で毎回怖い目に会ってたんだ。

その内、自然と家に篭もりがちになり、母親の買い物にもついて行かなくなった。子供ながら、サヨちゃんから逃げようとしたわけだ。

公園に行かなくなって一ヵ月くらい後、久々に父母ともに親子揃って買い物行こう、という事になった。親父が車を出すというので、ならサヨちゃんに会わなくても済む、と思って俺は快諾した。

デパートをまわって楽しい一時を過ごした後、俺の乗った車は帰り道で公園の前に差し掛かった。

公園の入り口はこちらの車線の歩道にあって、タイミングの悪い事に、車は丁度その入り口近くで信号機に止められた。

俺は内心サヨちゃんに見つからないようにドキドキしながら窓からこっそり公園の中を窺った。

すると彼女は居た。一人で。何か指差しながらゲラゲラ笑っていた。よほど可笑しいのか、まるでのたうち回るように、地面に這いつくばって笑い転げていた。

俺は唖然となったが、その時信号が青に変わって車が発車した。サヨちゃんの姿が流れて行った。しかし、サヨちゃんの指先は俺の車の動く方向へスライドしていった。

彼女は俺の乗った車を指差して笑っていたのだ。俺は、なぜ俺が乗っていたのがわかったのか、と考えるより先に怯えた。

次の日、親父は車の激しい追突事故でカマを掘られ、頚椎に損傷。ほぼ一生入院生活が決まり、九州の病院へ。

母親と俺は共に九州に行き、父方の実家の世話になり、そこで小学校に入学した。サヨちゃんと会う事はもう無かった。

俺は、親父の事故は彼女のせいだとは思っていない、というか思いたくない。俺まで連帯責任を感じてしまうし、何よりあの女の仕業かも、と考えるだけで恐ろしく、忌々しく感じて、今でも腹が立つからだ。

当の話。

 

別の世界へ行く方法

私が小学生だったの頃の話しです。

私達の遊び場の一つに、神社公園という所がありました。単に神社の隣に公園がある、というだけです。

他にも遊び場はありますが、たまに神社公園に行くという感じですね。

ある日、私達はいつものように神社公園で遊んでいました。いつもと違う事は、昼間でもほとんど人がいないのですが、その日はおばさんが石段の所に腰をかけて、私達の遊ぶ風景を観察していました。

私達も少し気になっていたのか、遊びながらチラチラとおばさんの方を見ていました。

少し疲れた私達は、石畳の所に座ってペチャクチャと話していました。そこにおばさんが近付いて言いました。

「今はいないけど、私にもあんた達ぐらいの子供がいたんだよ」

しばらく会話をした後、おばさんは笑顔でこう言いました。

「面白い遊びを教えてあげようか」

正直、私達は興味がなかったのですが、断るのも悪いので教えてもらう事にしました。

「別の世界へ行ける方法」

おばさんはこう言いました。

私達は子供でしたが、さすがにそれは信じられません。私達は少し小馬鹿にした感じで、その方法を聞きました。

「皆で手をつないで目を閉じ、ある呪文を繰り返せばいい」

このおばさんは、私達が実際にそれを試して、嘘だと分かったらどうするのだろう、と思いました。

「で、その呪文はどういうの?」と誰かが聞きました。

「すしろこいしろのいくしに」とおばさんは言いました。

急におばさんの声が、脅すような低い声に変わりました。
「別の世界と言っても、楽しい世界ではない」

私はその時に分かりました。おばさんは私達を怖がらせようとしてるなと・・・。
おばさんは別の世界について説明しました。

「あの世界では、恐ろしき者に追い掛けられる」
「恐ろしき者は、お前達が怯えれば強くなり、お前達が強気ならば弱くなる」
「痛みなども本当のように感じるし、夢のようには逃げられない」
「帰る為には、全員が揃って呪文を唱えなければならない」
「『しおぬけ』と皆で手を繋いで唱え続けなさい」

初めは半信半疑だった私達も、おばさんの話しが本当なのではと思い始めました。そして、そんな怖い所へは行きたくないという気持ちがありましたが、同時に試してみたいという、強い好奇心がありました。

しばらく相談した結果、私達は実際にやってみる事にしました。おばさんはもう一つ、注意を付け加えました。

「目を閉じていなければならない。一人でも目を開けていると恐ろしい目にあう」
恐ろしい目とはどんな事なのだろう、と思いました。

そして私達6人は直線に並んで、手を繋ぎ目を閉じ、「すしろこいしろのいくしに」と唱え続けました。

・・・しかし、ずっと唱えているのに、何も起きません。なんだ、やっぱり嘘か~、と私達は笑いながら目を開けました。

既におばさんはいませんでした。

「あ、嘘をついて逃げたんだ~」と私達は話しました。

私達は騙されたのですが、楽しかったので満足した感じでした。しかし、一人だけ暗い顔つきをしています。

「A君、どうしたの?」と誰かが訪ねました。
Aは言いました。

「実は薄目を開けていたんだけど、おばさんの顔が怖かった・・・」

さらに詳しく聞くと、おばさんは私達1人1人顔に近付いて、順番に睨んでいたそうです。

Aの順番になって、Aは怖くて目をつぶったので、立ち去る姿は見ていないとの事でした。

「・・・」
私達は、何か後味悪い雰囲気に包まれました。すでに日は落ちて来て、神社は薄暗くなっています。

「もう帰ろうか」と、その時です。
ザザザザザと、林の方から人が走ってきます。

「こっちに来る!」
私達は一目散に自転車に乗って逃げました。その後は何もなかったのですが、あの公園では遊ばなくなりました。

しかし、私は一度だけ行きました。高校生だった頃です。友達と学校をサボって映画を見に行った、帰りでした。昼の暑い時間帯は過ぎたのですが、まだ蒸し暑かったです。

ちょうど、その公園の近くに通りかかった私と友人は、近くの自動販売機でジュースを買って、木陰のベンチに座りながら映画の話しをしていました。

そこで私はこの事を思い出し、その友人に話して聞かせました。友人は自主制作映画を作ろうとしてて、そのテーマはホラー映画だったので、興味をしめしました。

友人はこの神社公園は使えるなといい、あちらこちらを歩きながら見てました。友人が林の方に入って行ったので、私も立ち上がって追い掛けました。林の中は日も入らず涼しかったので、心地よかったです。

そこで初めて知ったのですが、地蔵が3体程並んでいる場所がありました。私はしばらく地蔵を眺めていました。その時、友人が言いました。

「おい、この神社ってなんなんだ?気持ち悪いぞ」

え?と私が友人の視線の先を追うと、そこには、周りの木よりもふた回り大きな木がありました。

その木には藁人形が6体も並んで、釘で打ち付けてありました。
「こんな所、早く出ようぜ」
友人は言いました。

私達はそのまま神社を出て、他の人の多い場所に行きました。

しかし、あのおばさんは、何がしたかったのでしょうか?

アステカの祭壇

『アステカの祭壇』は、アンビリバボーで霊能者として登場していた立原美幸さんに端を発した物だったと思います。

経緯は

立原さんが、共通の特徴がある数枚の心霊写真を取り上げた事。撮影者も日時も場所もバラバラな写真なのですが、 それぞれに幾何学的な形の赤い光が写り込んでいて、 写真の向きを変えるとそのいずれもが同じ台(杯)の様な形になり、 立原さんはそれを「ある残酷な儀式に使う台」だと鑑定しました。

番組終了後、局にジャンジャン電話が掛かってきました。その中には霊能者の方からのものが含まれていました。

彼らの言い分は突き詰めれば同じ内容で 曰く「何というものを放送するんだ」と言う物。

詳しい事は誰も話さない様ですが、 只、口を揃えたかのように「2度と放送するべきではない」と。

その一方で番組宛には同じような光の写り込んだ写真が続々と送られてきました。「これはただ事ではない」 そう思い、一連の写真を霊能者に片っ端から見せて廻りました。

しかし皆がそろいも揃って「関わるのはイヤだ」と断る。しつこく食い下がると、その内の2人が渋々といった感じで口を開きました。

「この時期に、日本でアステカの祭壇がこれだけ多くの写真に写っていることがヤバい」
「こんな心霊写真は見たことがない。あり得ない。何が起こっているのか…正直怖い」

...確かこんなニュアンスだったと思います。

ぶっちゃけると、最初に放送した写真は実は鑑定者から持ち込まれたもので要するにあの日のコーナーはツクリに近い構成だったようです。

そこで、立原さんに詳しい事情を聞こうとしても、 案の定「この件にはもう関わりたくない」の一点張りで、 最後にはこの話を臭わせただけで3日ほど一方的に音信不通となりました。

只写真は未だに送られてきているそうです。しかも、その数は一向に減っていない…

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