『クズ教師』など 短編5話【6】本当にやった復讐の体験談

『クズ教師』など 短編5話【6】本当にやった復讐の体験談

 

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短編 – 本当にやった復讐【6】

 

 

母親と絶縁

 

ずっと母親と母親の男に虐待されてた。

小学校に上がったと同時にどっからか社長と名直る男を連れてきて、「マンション買ってもらったから引っ越す」と。
(うちは母子家庭)
週に2・3度その男がやってきて父親面してた。
自分の部屋が出来たのと、仮にもお父さんと呼べる人が出来て嬉しかった。
ある時から、きっと私が邪魔になったんだろう。
二人で旅行に行っては一週間も帰ってこない(その間小学校低学年の私は一人で留守番)
食事は満足に与えられず、脚気になった。
男が首を絞める。
窒息寸前まで布団を被せる。
プロレスと称して服を脱がせそれを母親が写真に撮る。
書ききれないほどあった。

数年後その男の会社が倒産。男はトンズラ。

それからというものチンピラから脅しの電話が鳴り響いた。
その頃私は中学生だったのだが、母は電話に出なくて(逃げてた)私が対応してた。
雇われたというチンピラが「居所を知らせないとブッ○ロスよ~」とか「あんたも一緒にタヒぬよ」とか散々脅すので、居所をさっさと教え、どうぞやって下さいとお願いした。
それから虐待男は放浪したあげく、アボンした。
結婚してから母親とは絶縁。夫には母とは性格が合わないとだけ話した。
たいした黒歴史じゃないけど、その男をチンピラに売った事は墓場に持っていく。

 

 

計算通り

(※編注:トメ…姑のこと。義母。 ウト…舅のこと。義父。 大ウト…配偶者の祖父のこと。)

 

去年亡くなった大大トメ(ウトの父方祖母)の新盆で大ウト兄宅に集まった時のこと
孫曾孫世代の女衆で台所仕事をしていると急にお腹が痛くなった
何度もトイレに駆け込む私をトメは汚い汚いとpgr
心配したウト姉さんが酒の入った旦那の代わりに車で家まで送ってくれた
(大ウト兄宅から私宅まで車で20分弱)
到着するなり家のトイレにこもった私に「病院言く?」とウト姉さん
私「心配かけてごめんなさい。大丈夫です。トメさんが言うように私はお腹が弱いみたいなのでよくあるんです」
ウト姉「そうなの?」
私「はい。せっかくトメさんがいろいろと持ってきてくださるのに私はすぐお腹を壊してしまって・・・せっかく昨日もいろいろと持ってきていただいたのに・・・
ウト姉さんも申し訳ありませんでした。私は大丈夫なので大ウト兄さんのお宅にお戻りになってください」
ウト姉さん、昨日しまい忘れて玄関にうっかり出しっぱなしだった昨日のトメからの土産物を見ちゃったみたい
旦那曰くウト姉さんが戻った後の宴会会場は大騒ぎだったらしいけど、私は家で休んでいたのでよくわかりません
どうやらウトがトメと離婚するとかいう話になっているようす
何年も前のベーコンとかハムとか賞味期限切れのイヤゲモノ詰め合わせ見ちゃったんですね
ウト姉さん、それを親戚中に話してしまったようですね

ここまで計算通りにいくとは思いませんでした
目的のためとはいえ古代の食品を口にする勇気はなかったので便秘薬を飲んでわざとお腹を下したのがDQNですね

 

クズ教師

 

前の人と比べたら小さい話だけど、小学校のころ大嫌いだった先生(以下そいつ)がいた
そいつのことで特に印象に残ったこと

 

・私はよく人から変わっているといわれていた。
あるとき、何やったか自分でも忘れたけどそいつの前でなにかやって「宇宙人」と言われた。
そしたら男子が私のこと宇宙人とからかってきやがった。
男子は○○先生が言ってたからとか言ってきやがった

 

・女の子(私じゃない)が男の子に意地悪なこと言われて泣いちゃったときに、その意地悪なことは私から見てもすごく些細なことだったんだけど、そんなことは重要じゃなくて嫌がる女の子に泣くまで言い続けたことが問題だと思ってた。
そしたらそいつ女の子に「そんなことで泣くな」とか言って、男の子には一切叱らなかった

 

・ある日、そいつが突然「自分はこのクラスにいらないと思う人手挙げて」と言ってきた。
手を挙げてない子に向かって「○手を挙げろ」とか言ったり、△□☆の順で座って手を挙げた子達に対して「△はいるな(□ちゃんを飛ばして)☆もいる」とか言ってたこと

 

それから、小学校を卒業して数年たったある日、駅の階段を降りようとしたとき、階段の隣にあるエスカレーターでおっさんが上ってきた。
そのおっさんは私に向かって「覚えてる?」と言ってきて私はそいつに気づいた。
ニコニコしながら言ってきたので私は思いっきりの『え?なにこのおっさん話しかけてくんなよ、きもいんだけど』という顔でそいつを見て後ろを振り向かずに階段を降りた。

以上です
復讐というには小さい話ですかね

さいっっってぇな教師だな
そんなクズでも教師になれるのか

 

 

駄目な母親

 

それでは
人によっては多少不快になるかもしれない話。
うちの母親は俺が中学2年くらいの時に急に出ていった。
浮気の末、離婚届に自分の名前だけ書いて荷物もって消えた。
仕事人間とまではいかないが、帰りが遅く、まじめで寡黙な親父に飽き飽きしていたらしい。
それ以降親父は酒浸りになるし、時には暴力もふるわれるようになった。
それから紆余曲折あって、大学3年の時に酒が原因で肝臓をやった親父が他界。
多少の遺産と、保険のおかげで何とか大学は卒業。
幸い小さいが、面倒見のよい就職先も見つかった。
(これも親戚の間でずいぶん人間不信になるようなことがあったが、まあ別の話w)

で、何年か前、携帯にしらん番号から電話。
どこできいたのか母親からだった。
今更なんの用かとおもったら、どうやら浮気相手(夫)が死んだらしい。
(あとで聞いた話によると、浮気相手も不倫でその関係で親族から縁切られてたらし、ざまぁw)

なんだかんだ理由をつけてたが、ようするに養ってほしいらしい。
いろんなことがフラッシュバックして、正直はらわたが煮えくりかえった。
自覚してなかったけど、母親に対する憎しみがあったことに気がついた。

もうそうなったら止まらない。俺、復讐を決意。
たびたびかかってくる電話に吐き気を覚えながら対応。
さも面倒は自分が見る、みたいな態度をとった。
で、電話じゃらちがあかないってんで、実際に会うことに。

母親の写真やらなんやらは親父がすべて処分していたので、俺はもう顔すら覚えていない。
はじめて(気分的に)みた母親は、まあ年齢的にはきれいな方だった。
つばを吐きかけたい気持ちを必死に押さえて話を聞く。

 

曰く、
今高校生の息子(腹違いの弟)がいて、大変優秀だけどお金がなくて進学させてあげられない。
お父さんが悪かった。
ちなみに謝罪は一切なし。
ひたすら自分かわいそう!みたいな話を延々聞かされる。
あなたのことは一日たりとも忘れたことがなかった。立派になっていてくれてうれしい。
これからは親子三人で暮らそう

↑この変でいい加減我慢の限界。
コップの水ぶっかけて、呆然とする母親を相手に俺のターン。
「今更どの面下げて会いに来た」
「おまえみたいな股の緩い女に息子と呼ばれたくない」
「おまえも息子もどうなろうがしったこっちゃない、勝手にのたれ氏ね」
そのほかにも覚えてないが、ひたすら思いつくだけの罵詈雑言を並べたと思う。

最終的に「二度と連絡してくるな、せいぜい苦しんで後悔しながら氏ね(漫画の受け売りw)」
と、言い捨てて万札を机にたたきつけて帰ってきた。(この辺も全部受け売り)
周りからものすごい目で見られてたと思うが、まったく後悔はしていない。

速攻で携帯変えて、それでも連絡がくることを考えて職場にも恥を承知でうちあけた。
(何度か会社に電話がかかってきたが、全部俺まで通じたことない。会社の人テラいい人)
で、そのときいろいろと支えになってくれた事務の女の子と結婚する運びになった。
なので、事情を義父母に改めて説明。

正直いやがられると思ってたが、義父母(まだだけどw)テラいい人。
義母なんて涙目で「私たちを親と思ってくれていい」なんて話までしてくれた。
恥ずかしいけどすげーないた。
一生妻と家族を守っていきたいと思った。
婿入り結婚式の日取りが決まったので、カキコ。

 

 

石を大切に

 

大した恨みでもないのに復讐かどうかもわからないけど…オカルトっぽい事を。

小1の時、通学路の墓地で綺麗な石を見つけた。
気に入ってランドセルの中に入れてお守りにしてたりみんなに見せびらかしていたりした。
2年生になった時、机の中に入れておいた石がなくなっていた。
翌日、クラスメイトのAがその石を皆に自慢しているところを見て、
「返して」と言ったが「同じ石を見つけた」と言って返してくれなかった。
んでもって数ヶ月たって親父と一緒に学校から帰っていた道中
(親父はPTAの何か)また同じ墓地で綺麗な石を見つけた。
親父に見せたら「墓地て拾い物をするとバチが当たる。すぐ返して来なさい」と言われたので渋々返した。
Aの家はコンビニ経営してたんだけど石を奪った半年後潰れた。
さらに4年の秋に借金苦で一家夜逃げした。

半年前にAにあった。少しボロボロの服をきてた。
お金がなく大学はいけず就職したけどいじめられ、バイトしてはやめを6年繰り返してるらしい。

まだあの石をAは大事そうに持っていた。
その石を一生大切にね!

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本当にやった復讐短編
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