『浮気騒動に法的に復讐』など 短編10話【43】修羅場 – 本当にやった復讐の体験談

『浮気騒動に法的に復讐』など 短編10話【43】修羅場 - 本当にやった復讐の体験談

 

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短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【43】

 

パチンコ屋でバイト

大学生の時の修羅場です。

大学生の頃、夏季休暇になるとひまなので、昼間だけのバイトを探していた。

自炊するのが嫌で、賄(まかない)付のをピックアップするといいバイトが。。

高給で2食付の高待遇しかも近所の徒歩5分のパチンコ屋に決めた。

朝9:00~18:00までのホール係り。

仕事はハードだが金は溜まるし昼夜のごはんも付くしウハウハ。

職場のみんなからも可愛がっていただき、中でも主任、主任の奥さん、班長には、飲み屋さんに連れて行ってもらったり、4人でカラオケなんか連れて行ってもらったりした。

夏休みも終わり、学業優先で皆さんとはさよならしました。

冬休みには、実家に帰ろうとしていましたが、パチンコ屋のオーナーから直接電話が掛かってきて、是非とも来てくださいとのこと。

迷いましたが、お世話になった主任、班長などもいたので再びバイトすることに。

すると班長も主任もおらず、主任の奥さんしかいない。

他のメンバーに所在を聞いても、軽くあしらわれたり、シカトされた。

あんなに仲が良かったのに離婚?それとも駆け落ちなんておもっていましたが、もやもやした気分を抑えきれず、賄を食べていた時に、賄のおばちゃんに思い切って聞いてみた。

「主任や班長」どこいったんですか?

すると賄おばちゃんは

「あんた知らんの?この間の社員旅行で班長が主任のこと殺したんやwミャハ」

「今は刑務所の中やわwwほれこれ見てみ新聞載ってとるわwミャハミャハ」

と笑いながら話してくれた。

笑って話すことかよーと思って青い顔をしているとタイミング悪く、主任の奥さんが部屋に入ってきた。

ヤベーと冷や冷やし目をそらしていると

「そやねんw慰謝料ガッポリ取ってやるねんwミャハミウフ」

「これから遊んで暮らせるねんwww」

オーナーからは強く引き留められましたが、その日のうちに実家に帰りました。

亡くなった主任の悲しい気持ちより、命の軽い職場のショックが大きく二度とパチ屋には行かないと心に決めた21歳の冬でした。

 

コトメコの面倒を見る

自分語りが入り長い話になりますがよろしくお願いします。

亡くなった私の夫がエネミーでした。
私と夫は10歳違い。

コトメが男性関係の激しい人で、小学生の娘(コトメコ)を置いて家出。

他に身寄りが無いのでうちで面倒を見る事になりました。

コトメコは気性が荒く、私はともかく、夫と合わず頻繁に喧嘩。

家出を繰り返したり、コトメコが暴力を振るう事もあり、かなり苦労しました。

夫は引き取ってもコトメコの事は丸投げ。

「女だから義務教育でいい」というのを、今は高校を出ていないと将来厳しいからと、何とか説き伏せてコトメコを高校までいかせました。

コトメコは頭がかなり良かったのと、コトメ譲りの美人だったので高卒でもちょっと良い企業に就職。

夫と折り合いが悪いので就職が決まると、離れた所で一人暮らしをして4年間一度も戻りませんでした。

そんなある日、夫が事故死。

不倫相手を車に乗せ、飲酒をした上での接触事故でした。

相手の方が大怪我を負い、過失がこちらにあるので、慰謝料で今まで貯めた貯金を殆ど使うことになり、高校生の息子と大学生の息子を抱え、何より、ずっと夫に騙されていた事がショックで呆然自失。

どうしていいか解らず、今までの人生は何だったのだろうかと思うと悲しさと悔しさでやりきれない気持ちで死ぬ事さえ、考えていました。

そんな時に、葬式にコトメコがやってきて私に聞きました。

「叔父さんの遺産、どれぐらいあるの?」

私はコトメコが遺産の分け前をもらいに来たと思ってついカッとなって

「ある訳ないじゃない!慰謝料を払ったら何も残らないわよ!」

と怒鳴ってしまいました。

コトメコが悪い訳では無いのに、怒鳴ってしまった私にコトメコは怒らず、静かに通帳を差し出して「これ使って」と。

中を見たら200万入っていて、コトメコが一人暮らしをしながら4年間貯めたお金でした。

もらえないし、使えないと断ったらコトメコが笑って言いました。

「叔父さん(夫)は嫌いだったけど、叔母さんには本当にお世話になった。素直になれなかったけど感謝している。だからこれは使って欲しい」

と。

その途端、夫と喧嘩をして飛び出したコトメコをサンダルで追いかけた事、小学生のコトメコがずっと口を利いてくれなかった事、仲良くなるきっかけを作りたくて毎日好きなものを作った事、そんな事を思い出して泣いてしまいました。

私のやってきた事は全部無駄じゃないんだ。

感謝される事、報われる事もあったんだと・・・。

コトメコにもらった200万と私のパート、息子もバイトをして何とか二人とも社会に出す事が出来ました。

この前、コトメコから電話があり、今度の10月に結婚するそうです。

コトメコから「本当のお母さんだと思っているから出て欲しい」と言われました。

もちろん、喜んで出席する予定です。

夫が亡くなって8年。

今から思うと夫はエネミーだと思うことが沢山ありますが、コトメコの事は良かったと思っています。

 

浮気騒動に法的に復讐

これは友人の話であり、私はその経緯を一部始終見ていただけの者です。

先に言っちゃうと、浮気騒動に法的に復讐した話で、すごく現実的で、それ程華やかな復讐ではないですし。

似たような、いや更に上を行く復讐は過去にも沢山あったかもしれません。

そう言った点では物足りない報告かもしれませんが、色々勉強になったので書き込ませて頂きます

(身バレ特定回避の為、地味な部分は設定に若干嘘を混ぜましたが、大筋は現実の話です)

女友達Aは同じ会社内で出会った別の部署のBと結婚しました。

AはBより入社が早く、幹部の座につき、Bより年収も良く、Bは元から若干の引け目は
感じていたようです。

しかしAは田舎育ちで化粧もロクにしない為どこか垢抜けず浮いた話のない女性で、Bはそこそこにイケメンでプレイボーイ然としていましたから、BがちょっとモーションをかけたらAはイチコロでBのものとなり、Aは文字通りBにぞっこん状態で、何もかもを差し出しました。

AもBも家柄はそれなりであり、Aの押しで結婚へと相成り、決してデキ婚という浮ついたものでもありませんでしたが、Bはどうも最初からあまりノリ気ではなかったが、家族の説得などもあり結婚に踏み切った、というのは後で聞きました。

(それに加え二人共当時は30手前で、お互い結婚は体裁的にも妥当であった、という雰囲気でした)

しかし結婚後間もなくで二人の結婚生活には暗雲が立ち込めました。

Aはそれまでと変わりなくBにぞっこんで、しかしBは段々Aから気が無くなり、二人は子宝にも恵まれず。

Aは仕事を続けながら家事もこなし、女性にとっては辛い不妊治療にも取り組んでいました。

そんな中、ある日AはBの浮気を疑う事実を色々と発見してしまいました。

Bの部署のみで行われる飲み会のあった日には、帰れないと連絡してきましたが、実際には早々に引き上げていなくなっていたのに帰らなかった、等色々です。

その後、Bの部署に最近入ったCという新入社員の女性と親密だという噂を聞きつけ、それまでに壊れかかっていた心が完全に壊れてしまい。

Aはうつ病に陥り、会社にもまともに出勤できなくなり、しかしBのAに対する態度は日増しに冷たくなっていきました。

Aはある時決起しました。

まずはAは探偵を雇いました。

BとCの浮気調査をお願いすると、見事に浮気現場の撮影に成功したのです。

(ハレンチにも青姦だったそうです)

(しかしその撮影までにはなかなかに時間も費用も要し、二人の収入や貯金を鑑みても、かなりの出費となったと聞きました)

しかもその上、BとCの最悪な言質まで押さえられたそうです。

B「Aなんて金ヅルみたいなもん。勿論愛してないが、体裁的にはこの結婚は悪くないw」

C「Aさんブスだしね。稼ぎがなかったらなんも残らないよあの人w」

Aは悔しくて苦しくてパニック発作まで発症し、ついに会社を辞めざるを得なくなった。

あの頃のAは見ているだに痛々しい程にやつれた。

そしてAは絶対の復讐を誓い、弁護士を雇った。

BにもCにも、まさか探偵にも、その頃には既に弁護士まで雇っていた、というのを億尾にも出さず。
ある日突然Cに対して浮気による慰謝料裁判を申し立てた。

BもCも晴天の霹靂、勿論二人は認めなかったし、Cはまさか証拠写真まで押さえられてる事も知らず、弁護士を雇って対抗してきた。

Bもまた、まさか証拠を握られてるとは思わず、厚顔無恥な真似はよせ!とAを牽制した。

しかし当然の事ながら証拠のあるAは強く、見事に裁判に勝利し、Cに大打撃を与えた。

Cは二度とBに近付かない念書まで取らされ、尻尾を巻いて逃げ出したという表現通り、裁判以降Bに近付く事もなくなった。

一方Bは己の失態が会社中に知れ渡り、直属の上司らと会議の結果、左遷される形で、今よりもっと待遇の悪い地方に飛ばされる事となった。

(Bも既に社員として長く、一応の昇進も経ているのと、再就職の目処が立たず、辞められなかったので、会社としては最大限の配慮だった)

そして色々条件が揃い、運良くAは再び会社に再就職が決まった。

Bの左遷のせいでAとBは別居を迫られたが、Aは強かった。

Aは一人暮らしを続けながら、Bから婚姻費用という名の生活費から保険料からむしれるだけむしり取り続けた。

Bは一度離婚調停を申請するも、Aは浮気裁判でお世話になった敏腕弁護士を立て徹底抗戦に出、離婚調停不成立に持ち込み、今なお、自分の稼ぎの他に、Bから取れるものを取り続けながら悠々自適な一人暮らしを満喫している。

Bは既に愛するどころか憎悪までする、一緒に暮らしてさえいない実質的に彼女以下の存在に金をむしり取られ自分は極貧一人暮らしという、とんだ疫病神を背負って生きているようなものだ。

Aは言う「万一この別居中に新しい彼女でも出来たら、それはまた浮気として訴えるだけ」

私や何人もの友人や調停に関わった人たちははこう言った。

「気が済んだら、Aもまた新しい道見付けていかないとね。実質破綻してる婚姻関係なわけで、一生続くわけじゃないだろうし」

しかしAは言った。

「ううん、一生でも続けるよ。私達は夫婦、夫婦は一心同体でしょ?私はBを今も愛してるもの」

復讐は成功したが、何か言いようのない恐怖を感じた出来事でもあった。

 

ひいじいちゃんが大往生

ひいじいちゃんが大往生した。

ちなみに、自分の名前はひいじいちゃんから貰っているので、名前が似てる。

一郎か一朗の違い。

施設に入っていて、一緒に住んではいなかったけど、葬式をうちのじいちゃんが出すので、お悔やみ欄はうちの住所だった。

自分はインフルエンザで学校を欠席してた。

欠席中だけど、母ちゃんが学校に不幸があったので休みます。と連絡した。

受けた事務の先生が気を利かせて、お悔やみ欄チェック。

担任に、俺君のうちで不幸が、名前が俺君何ですけど。

この時点で、家に電話がたくさんあったらしいが、誰もいなかった。

そして、通夜には学校から花輪と校長、担任まで来たそうだ。

自分はおばさんとこで隔離されてた。

在校生がいきなり死んだと思った学校も修羅場だけど、通夜に行ってみたらヨボヨボのじいちゃんで、参列した校長、担任も修羅場だと思う。

ただ、ひいじいちゃんは学校を作った時にグラウンドとか、石でゴロゴロしてたのを普請したとか、通学に便利なように橋を作る陳情をしたとかよく聞いていたので、校長が来てくれたのは、良かったと思う。

担任はおれの母ちゃんに、ツンデレだとばれた。

 

姑が末期癌で死んだ

姑が末期癌で死んだ。

苦しんで苦しんで死んだ。

実の母親の病気に向き合えない旦那は、私に付き添いを任せて逃げた。

私は毎日欠かさず、一日朝から晩まで付き添った。

姑の地元病院から、私たちの近場の病院に転院させるまで旦那にガンガン私が責められていた。

賭けは苦しくて全て私にぶつけていた。

「ひとでなし人の親だと思って冷たい女だ結婚しなければ良かった鬼畜」

病気が発覚するまで私と姑は絶縁していた。

姑の借金問題で、それまで色々とトラブルを起こされては私が処理するのに疲れたから。

それも旦那に「お前がおかんを癌にした」と責められ、最終的に引き取りOkした。

意地もあった。

最後まで迷惑かけられてと命を盾にしてと、仕事を早退して洗濯物持って花を買って付き添った。

最初にこちらにうつれた病院は姥捨て山みたいだった。

ただ死を待つのみで、声も出せない姑は粗相をしたと怒鳴られてた。

姑は私が何か言うたびに小さく笑って「ここでいい」と死ぬ覚悟だった。

流動食すら、もうとれなくて目も見えず体も半身不随だった。

それでも必死でペコペコと私に頭を下げる姿を見て

「あーこの人は、ただ自分で小さな問題を処理する事ができない弱い人なんだ」

と今までの恨みが半分に減った。

別の病院の相談室に毎日私は「こちらで姑を引き受けて欲しい」と頼み込んだ。

そしてやっと移動できた。

姑は泣いた。

旦那も「ありがとう」とは言ってくれた。

やっとプライバシーのあるカーテンの大部屋にうつり、オムツも体も拭いてもらえた。

看護婦さんも優しい言葉をかけてくれ、テレビも備えてあった。

少し回復した姑は声が少し出るようになった。

笑顔も増えた。
「あんたに一番迷惑かけた。あんたのお陰、本当にありがとう」

その言葉で私が一番救われた。恨みが消えた。

いつ死んでもおかしくなかった。

娘がバァバにと猫の写真をとっては話していた。

体が痛いと言えば体を撫でた。

「薬増やしてもらおうね」と慰めた。

もう死しかなくて痛みに耐える必要はなかった。

あとは意識混濁だけが問題だった。

10回近い手術に耐えた姑が、私にだけは弱音を吐いた。

「桜見に行こう、近くにほら窓から桜の木が見えるよ。あれを見に行こう」

段々と痛みが強くなっていった。

モルヒネにも耐性がつき限界が近づいていた。

「もう頑張りたくない」そう言った姑に

「もう頑張らなくていいよ、よく頑張ったね」と言うと泣かれた。

年末に既に体が動かせない、寝返りすら補助のいる姑が錯乱しながら

「死にたくない、帰りたい」
と廊下に這っていたらしい。

「息子さんを付き添わせてください」
と夜中に呼び出しを受けた。

旦那は「眠い」と嫌がったが、叩き出した。

そして朝、交代する時に

「死にたいと泣かれた…辛い」
と旦那は自宅に帰った。

意識もロクにない姑は外を見たがったのでベットの上をあげて座らせた。

ずっと手を握っていた。

私がトイレに行って帰ると、虫の息だった。

大声で私は叫んだ。

記憶があまりないが、ずっと姑に謝ってた。

「がんばらなくていいと言ったけど、せめて旦那がくるまで頑張って!!ごめんね、がんばれっていってごめんね」

そして死んだ。

旦那は娘を連れて来た。

趣味の洗車をしていたらしい。

「なんで俺を待ってくれなかったんだ」
という言葉がむなしく響いた。

葬式の間も旦那は役に立たなかった。
ただ俺の身内を動かすな、お茶くらいいれろと私に怒鳴った程度だった。

晴れていたのに出棺の時だけ雪が降った。

雪なんて珍しい地域なのに綺麗だった。

葬儀が終わって旦那が言った。

「おかんが死んだら離婚しようと思っていた。でも結婚続けよう」

私の中で姑の「息子がバカでごめんね」という言葉が浮かんだ。

昨日が姑の一周忌だった。

離婚して仏壇はもうない。

姑が生きていたら、こうなってなかったなと、少し寂しい気持ちで昨日は過ごした。

今度、桜が咲いたら娘と約束の桜を見に行こう。

病院の先生も看護婦さんも、相談室の女性も優しくしてくれた。

まだまだ人って捨てたもんじゃないなと、強く生きていこうと思う。

死んだその日に姑が夢に出てくれたんだ。

「ごはん食べてる?痛みはない?」

すると姑は笑って「猫と遊んでるから、だいじょうぶだニャン」と元気な時みたいに笑ってくれた。

もう手も合わせられないけど、痛みも空腹もない場所で良かった。

 

節分の鬼を頼まれた

今日はうちの町内の子供会が節分のイベントを行う日で、俺は役員さんから鬼役を頼まれたんだ。

で、予定通り赤の全身タイツに虎の模様っぽいカラーリングのバスタオルを腰に巻き、鬼の仮面(スーパーとかでもらえるやつ)と新聞紙で作った金棒を装備して子どもたちの前に現れて豆をぶつけられていたんですよ。

そしたら急に眉の辺りに激痛が走って、何かと思ったら足元にピンポン玉くらいの大きさの石が落ちてた。

投げたのはAと言う4年生男子で、「タヒねー」などとほざきつつさらに2、3個の石を投げてきた。

慌てて子供会の人たちが止めに入ったが、こっちはすでに流血。

でもここでキレたりしたら他の子まで怖がらせてしまうと思い「うわー、やられたー」と言いつつ退場、そのまま病院に行った。

結果としては3針ほど縫う羽目になった。

病院から自宅に戻ると、なにやら騒がしい。

どうしたんだろうと思ったらA母がうちに怒鳴りこんできてた。

内容としては

・豆なんかで鬼が退治できるか、うちの子は悪くない

・役員に怒られたせいで心に傷を負った、どうしてくれるんだ

・お前のとこのガキ(俺の事)が余計なことをしなければこんなことにはならなかった

みたいなことを言っているらしい。(いわゆるファビョるってやつ?)

会館に集まったのは俺、カーチャン、A母、町内会長、子供会役員数名。

俺としては治療費さえもらえればいい(と言うよりこれ以上関わりあいになりたくなかった)と思っていたんだが、ここで新たな事実発覚。

A母、子供会の会費を払わずに無理やりAを参加させてた。

A母、そんなことは今は関係ない、うちの子に謝れとギャンギャン喚いて話にならないのでA旦那も呼ぶことに。

しかし所詮は似たもの夫婦で、旦那もうちの子は悪くないと主張。

ここでカーチャンが「てことは治療費を払う気は無いってこと?」と馬鹿夫婦に聞いた。
すると

・当たり前だ

・そんな大げさにガーゼなんか貼りやがって、どうせ大したことないんだろう

・むしろ被害者はこっちだ

などとトンチンカンな事を代わる代わる口にした。

それを聞いてカーチャンが「なら請求書は○○さんとこに回しておく。会長、○○さんもよんでくれる?」と町内会長に話した。

それを聞いてA父の顔色が変わった。

○○さんと言うのはA父が働いている左官屋の社長さんで、うちのトーチャンや町内会長の飲み友達。

基本的には気の良いおっちゃんだが、曲がった事が大嫌いで怒らせるとめちゃくちゃおっかない人。

○○さんの名前が出たとたん、A父はペコペコと頭を下げてきたが、

「あんたは払う気が無いんでしょう?だったら給料から治療費の分を引いてもらうしかないでしょ」
と一蹴。

しかしA母は納得がいかないらしく、ふざけるななどと喚きながら大暴れ。

会館内の物を壊しまくり結局警察にお持ち帰りされた。

その後は事情聴取やらなんやらで時間がとられたが、俺がAにされた事に関しては治療費プラス慰謝料を貰うという形で示談。

会館内での器物破損についてはキッチリ被害届をだすらしい。

本当ならこっちも被害届をだす所なんだが、まぁ貰えるものは貰ったし制裁は十分受けることになるんだしよしとすることにした。

以上が今日起きた出来事。

やっぱりカエルの子はカエルなんだと実感しました。

後出しになりますが自分はまだ学生です。

まぁトーチャンカーチャンではなく父母と書くべきでしたね。

 

インフルエンザで静養中

現在私はインフルエンザで静養中。

私の実家が遠いのもあって、旦那と子供は義実家に行ってもらってる。

なので、今自宅に居るのは私だけなんだけど、昨日の夜に、子供と同じ幼稚園のAさんとAさんの子供がやってきた。

移っても行けないので扉越しに対応したが

要約すると「A息子がインフルエンザだった、私も旦那も移りたくない。だから、私が治るまで面倒見るべき」みたいな訳分からん主張。

まだ薬が効いておらず意識朦朧としていた私は「え?なんで?」と素で聞き返して其の儘ベッドに行ってしまった。

それから一時間位で起きた。

(A型?だからか咳が酷くて喉の痛さで長く寝られない)

寝室が二階なので、お手洗いに下に降りると玄関のガラスに何やら黒い大きな物体が。

熱で変な物見てるのかな?と思いながら玄関開けてこっそり除くと、ぐったりしたA息子くんと、メモが。

ガラガラの声で小さく悲鳴を上げて近くのメモを見るとそこには「よろしくー」と走り書きがあり唖然としましたが。

とりあえずA息子君を中に居れて水分補給させて、警察に事情とか色々話して迎えにきて貰った。

此処でよく書かれてる何とか一日だけでも面倒を、とかは言われず。

それは大変でしたね、と即に来てくれてA息子君は保護された。

でも其処からは有りがちで、夜中にAが怒鳴り込んできて色々騒いで(どうも、A息子君がインフルだから実家で面倒見るねと言って、浮気相手と旅行に行くつもりだった?らしい)警察呼んで引き取って貰った。

A旦那から謝罪をしたいと電話をもらったけど、調子悪いし、もう関わり合いたくないと切った。

他に比べたらプチかもしれんがインフルの苦しさとA息子君が可哀想だった。

カプセルホテル

去年の年末に出張で横浜のカプセルホテルに泊まったのよ。

最近の女性向けカプセルって中々小奇麗で過ごし易いので、普通の旅行者も泊まってるし、就活生やイベント帰りや、様々な人がいる。しかしそんな中で異様な二人組がいた。

なにやらロビーで受付の人と揉めている、20代とおぼしき女性二人。

場にそぐわぬ華やかなパーティーワンピースを来ている。

ロビーで寛いでいた私は聞くとは無しに聞いていたんだけど、どうも、自分たちの部屋はどこだ、ここはホテルじゃないのか、カプセルホテルに予約なんかした筈は無いと揉めている。

この建物は上が高級ホテル、地下がカプセルになっている。

入り口や名称は同じなんで、間違える人もいる。

その二人はどうやら会社の先輩の結婚式に来たようで、明日ホテルで挙式するから前泊して欲しい、費用はこちら持ちで予約しておくから現地に来てね、と先輩(多分新婦だと思う)に言われていたそうだ。

で、自力で来てみたらなんとカプセルの方だったと。

それで、まさかそんな筈は無い…って吃驚していたようだ。

でも結局間違いなくて、二人は一泊2000円のカプセルに推し篭められる事になった(一番安いブース)。

その後、大浴場でも一緒になってしまい、又二人組の話を聞いてしまった。

どうも元々その先輩が好きではないらしく、結婚式にも出席したくなかった。しかし断れなかった。

(会社員的に?関係性的に?断れる状況ではなかった模様)

女性の出席者は直接の後輩である自分達二人の他には、社内でも美人で評判の若い子達5人、彼女達には振り袖で来るよう命じていて、やはり前泊するように言っていた。

が、このカプセルにいない所を見ると上に泊まっているのではないか。

又、自分たちにもだが、上司にもご祝儀の額を指定していた。

そして自分達には地味めのワンピースを着てくるように命じ、極力目立たないように華やかにならないようにしながらも自分(新婦)を盛り上げるような間の手を入れろと要求。

スピーチとかじゃなくて、間の手らしい。なんだそりゃ?

二人は、信じられないよね先輩タヒネを繰り返していた。

翌朝、遅めの朝食をとりにラウンジに行くと、既に用意を済ませて着飾っている二人が隣のテーブルに座った。
そして又話し始めた。

どうやら早朝に新婦に呼び出されて打ち合わせをしてきたらしい。

曰く、振り袖組は自慢の後輩としてお飾り用、受付をして貰う。

あなた達には別に近くの席を用意しておくから、歓談中にスピーチやゲストインタビューなどで新婦の話になったら速やかに

「さすが先輩!」
「みんなの憧れ!」
「出来る女!」

などなど間の手、あとは嘘の新婦ageエピソードなどを色んな所で声高に話して回るように。

男性にお酌したり話し相手はするな、それは振り袖組にやらせる。

…と、言われたそうだ。

聞いてる私もビビった。酷い。隣の就活生も聞き入ってビビっていた。

もう本当に嫌だ、上司もみんな怒っている。帰りたいよ!!と嘆いていた。

後一つでも酷い事が会ったら、私爆発しちゃうかも、うん私も、二人で大声で全部ばらして走って逃げようぜ!なんて話していた。

私はもう出なければいけないのでそこで席を立った。

チェックアウトしてからふと気になって、ホテルの式場の方を見学してみた(中に入らなければ見学は自由だった)。

件の新婦はいなかったけど、振り袖姿の可愛い女性5人が受付にいて、おっさんに絡まれていた。

横には仏頂面の上司らしき男性。

本当だったんだなー…と思いながら披露宴会場を覗いてみたら、会場の後ろの奥の端っこに、二つだけ不自然な席があった。

四角い小さなテーブルと椅子、ややもすればスタッフ席?と思えるような。

置いてある名前カードには、新婦会社後輩・〇〇と、女性名二人分。

あそこから大声で新婦ヨイショしたらさぞ会場内に聞こえる事だろう。

トイレに立つ度に色んな席を通らなくちゃいけないから噂も流し易いよね。

あああ…。

二人は、さすがに席の事はまだ知らないだろう…。

端っこで、丸椅子に座らされて、いよっさすが先輩!というだけの役。

その後どうなったか知らない。

あれから一ヶ月経つけど未だに気になる。

心当たりある人がいたら教えて下さい。

厳密に「私が見た結婚式」じゃなくてすみませんでした。

勝手に他人の事書いちゃって済まんかったです。

しかしびっくりした。

 

帝王切開で出産

二人目を出産するとき、帝王切開になることがわかっていました。

入院前の説明&同意書サインの折、一緒にくっついて来た姑が

「うちの嫁は甘えが抜けなくて普通分娩できない」

という旨の言葉を口にしたとき、担当の先生(一人目のときも執刀してくれた)

「陣痛室で3日も耐えて、なおかつお子さんの為にすっぱり手術に踏み切ったAさんのどこに甘えがあるんです?」

姑「甘えているから陣痛がつかなくて、出産の痛みも知らないから母親になりきれない」

ここで明らかに顔色が変わった先生。

「甘えているから陣痛がつかない、などというのははじめて聞きましたねぇ。Aさんは促進剤も使って分娩を進めていましたから、痛みというなら十分に味わってらっしゃいますよ?」

姑、まさにそれだ!といわんばかりにまくし立てる。

「ですからねぇ、促進剤なんて使うから痛みが分からないんですよ。挙句のはてに孫を麻酔の脅威にさらしたんですからねぇ。したから産む痛みも知らないなんて母親失格ですよ!」

先生、深~いため息をついて、かなーり険しいお顔をお声で

「促進剤使って痛みが軽減するなんて話、聞いたことありません。

寧ろ増加することのほうが多いんですけどね。

少なくともAさんには痛みが増す結果になっていました。

痛みの度合いで母親かどうかを図るなら、うちの産院にいらっしゃる方の9割はお嫁さんの痛みの域に届いていません。

うちのほぼ全員が母親失格者で埋まっているとでも仰りたいんですか?

麻酔の脅威と仰いましたがうちの麻酔医は有能です。

脅威にさらされるなどというのは非常に不愉快ですね。」

でも、とか昔は、とかアワアワしだした姑w

「明治大正時代の出産のお話は結構です。現代のお話がしたいので息子さん、(ボーっとみてた旦那=当時エネ)申し訳ありませんがご母堂をあちらにお連れになってくださいませんか。」

慌てて連れ出す旦那。

何で自分が追い出されるの!と憤慨しながらナースさんたちの白い目に見送られる姑。

後で見知ったナースさんに同意を求めたら「それ、冗談ですよね・・・?」と返されてたらしい(鳩旦那談

同意書サインの後に、姑は出産後のAさんに近づけないように言われて、やっと自分の母親が言う常識=一般常識ではないことを確信した旦那。

当時の産科婦長さんに、あんな姑さんだとAさん大変ね~、旦那君がしっかり防波堤しないとね~と後押しももらえてすごくスッキリ。

この後、姑が来るたびにナースさんがついてきて、それ、違いますよ~wとかそんな常識はじめてきいたーwとか、ぐぬぬな姑見てさらにすっきりw

20年前のお話でした。

当時姑は帝王切開って、痛いのが嫌で楽しようとした結果で我が子より自分かわいさでするものと言い切っていました。

旦那は職場で嫁姑の話して「そりゃオマイの嫁が悪いわw」って言葉引き出そうとして

反対に「うわー、嫁さんよく耐えてるね・・・」
「よく親元が怒鳴り込んでこないね」

という意見ばかりで・・・あれ?ってなってるトコだったらしい。

今は嫁に捨てられたらどうしよう;;ってなるほど矯正されたようですw
というか自分が文句言う前に、娘に

「お父さんサイテー、私が嫁に行ってそんなこと言われても当然だと思ってるんだ」

ここで鳩がそれは違う!というと娘達のこき下ろし合戦が始まるww

エネme時代は我慢してたけど、もう嫁は我慢しないということは気付いたらしいので、親孝行したいときは自分一人で行く。

どうしても嫁についてきて欲しいときは傍から絶対はなれない、壁になる。

↑が出来なかったら嫁&娘が動かなくなるだけっていうのは学習したようです。

時間とともに自分もぐっと強くなったのもあると思うw

 

バッグの中身は粉と草

何なんだろうね、置いてたバッグを通りすがりに自然体で持ってく人。

追いかけて肩つかんで振り向かせたら「キャー、痴漢!」って叫ばれたよ。

外見キモオタデブだから周囲も一変、俺悪者。

瞬く間に拘束される俺、ドヤ顔で踏ん反り返る泥棒女。

誰か通報したのかやってくる警察。

ヤバいヤバいヤヴァい
バッグの中身は粉と草
確実に怪しまれるんだよ、これ

俺「いや、だから私のバッグなんです」

泥「嘘よ、私のよ!」

俺「あ、じゃあ中身確かめましょう」

泥「私のなのになんでそんなことしなきゃいけないのよ!」

……

警「で、これは何です?」

泥「麻薬よこれ!だから奪ったのよ!捕まえて!」(と、愚かにも自供)

俺「漢方薬です。この場で私が飲み乾すなり、持って行くなりお好きに検証して下さい」
……

仮に麻薬だったところで窃盗は窃盗と連れてかれる泥女。

そして持って行かれる俺の商売道具。

そして顧客に怒られる俺。

通販しようぜ、健康志向者ども

通販なら郵送だからこんな手間かけずに済むんだよな。

でも薬品だから処方がややこしいのもあるしレクチャーしてくれとも言われる。

この日は持ってなかったが劇薬に類するものもあるから飲み干せと言われたら困ったろう(ないだろうけど)

見た目がアレだから職質にもかかり易いし、警察は無駄に騒ぐし。

薬剤師免許だけじゃ解放されないし(社会的信用度は0なんだよな、むしろ「だからこそ」と疑われる)

鍼灸やってる友人が長鍼で揉めた話も聞くし。

即効性はないけど東洋医療は効くんだよ!警察は知識つけろよマジで。

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