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『倒れない日本兵』『川岸の戦友』『回天』など短編5話|洒落怖名作まとめ【戦争系】

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『倒れない日本兵』『川岸の戦友』『回天』など短編5話|洒落怖名作まとめ【戦争系】 戦争系
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遺骨

 

じいちゃんが戦争で南方にいってた時の話。実話です。
日本軍は兵站を軽視していたから、餓死とか病死ばっかで、本当に悲惨だったらしい。

友軍が死ぬと、遺族のために遺骨を作らなくてはならないから、指を切って持ってくのね。
ある日、敵の奇襲を受けて仲間が一人撃たれた。ああ、死んだと思ったじいさんと上官
は危険だったが駆け寄って、指を切ろうとした。すると、死んでると思った仲間がうー
うー唸りだした。

じいさん「ま、まだ生きてます。」
上官「なに!」

けれども、銃弾が飛び交う中、迷ってる訳にはいかない。死ぬのをまってたら、こっちが
撃たれる。ほったらかして逃げたら、ご遺族に遺骨が届かない。やはりご遺族に遺骨を
届けるのが優先だ。と、言う事になった。

それで、生きたまま指一本切ってったんだが、さすがに切られる方は滅茶苦茶痛そうだ
ったそうだ。

終戦後、昭和30年位の事、用事があって東京に来てたじいさんは、東京駅で、あの仲間
が歩いてるのを見かけた。あっ、幽霊だ。と思ったが、リアルすぎる。他人の空似にして
は似すぎている。話しかけたらやっぱりあの仲間だった。

仲間「おおっ、生きてたのか。いやーこんな処であえるとは、うれしいな。」
じいさん「それは、俺のセリフだ! お前腹撃たれてたじゃないか!」

話を聞くと、弾は本当に偶然、内臓を押し分けて背中に貫通してたらしい。それで、イ
ギリス軍の捕虜になって助かったと。

その仲間は手をひゅっと挙げて、指の一本ない手を見せ、
仲間「いやー、あの時は痛かったぜ、はっはっはっはっは。」

仲間は恨んでる風もなかったが、じいさんは顔を引きつらせながら笑ったそうな。

 

 

誇り

 

うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。

婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。

当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。

その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。

「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」

婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを
毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。

 

 

倒れない日本兵

 

日露戦争時、ロシア兵の捕虜が『白い服を着た日本兵はいくら撃っても倒れなかった』と口々にいってたが、
当時白い服を着た日本兵などいなかった。 遠野物語に載ってる話


この話には実は続きがあり、岩手県花巻市大迫町にその話の顛末が残っている。
この赤い服を着た日本兵は、伝承によると皇国を守るために日本本土から出征した八百万の神々だったという。
このとき、遠野市だけでなく大迫町からもさまざまな神々が出撃したが、唯一金精様という神だけが。
「お前は日本に留まって祖国のことをよろしく頼む」と皆に言われ、ロシアからトンボ帰りしてきたらしい。

その金精様とは大迫町の山奥に祭られている男根の形をした神様で、子宝、安産、腰痛の神様である。
要するに戦争後の日本では人口が減少するから帰って子供を増やせということだったらしい。

 

 

川岸の戦友

 

俺の死んだ爺ちゃんが戦争中に体験したって話だ。

爺ちゃんは南の方で米英軍とドンパチしていたそうだが、
運悪く敵さんが多めのとこに配置されちゃってジリジリ後退しながら戦う毎日があったそうだ。

話を聞いていた当時厨房の俺には、
日本軍なんて「突撃!」とか「玉砕!」とかやっているイメージだったので、
作戦で米英軍が進んでくるところをちょいちょい襲撃して進撃を遅らせながら、
こちらの被害は抑えて後退しながら戦うなんて意外だった記憶がある。

そうやってジリジリ後退していた爺さん達だが、
ある日、とうとう敵さんに部隊の位置を補足されちゃって、
爆弾やら砲弾やらがガンガン打ち込まれる事態になったそうだ。

必死で友軍陣地を目指して逃げたので、
仲間も一人二人と生死も判らないままはぐれて行き爺ちゃんも死を覚悟しながら移動したが、
後1日も移動すれば安全圏ってところで、近くに爆弾がさく裂して吹っ飛ばされたそうだ。

気がつくと友軍陣地なのか兵士が大勢いるところだったそうで、
「助かったのか?」って思ったそうだ。

そこは川に近い広場の様なところで、見覚えはなかったが、
大勢の兵士が寝転がったり雑談したりと大分前線からは離れた様な和やかな雰囲気だった。

爺ちゃんは衛生兵に自分の隊はどうなっているのか聞いてみたら、
川岸にたむろしているのがそうじゃないかって言われたのでさっそく行ってみた。

川岸に行くと隊長の姿は見えなかったが、
退却中に別れ別れになった仲間がいて、
爺ちゃんは結構助かった仲間が多い事に嬉しくなった反面、
3分の1位は姿が見えない事に悲しくなった。

そして、特に親しくしていた仲間と雑談しながらくつろいでいると、
川の向こうに見覚えのある兵士が大声で叫んでいるのに気がついた。

その兵士は大声で爺ちゃんの名字を呼んでいるので目をこらしてみたら、
どうやら同じ隊のAって人のようだ。

爺ちゃんはAが川の向こうにいる事を仲間に教えた。

最初は皆きょとんとして川の向こうに人影を探している様子だったが、
あんなにハッキリとAが見えているのに見つけられないようだった。

そのうち誰かが「あ~そういう事か~」と言って、
皆で爺ちゃんを担ぎ上げて、
「お前はあいつのところまで行ってこい!」とか、
「しっかり泳げよ!」
と言いながら慌てる爺ちゃんを川に放り投げたそうだ。

爺ちゃんは怪我人に酷い事をするもんだと思ったが、
あの退却でAも助かったんだと思うと嬉しいので痛みをこらえて川を泳いでいった。

向かいの川岸ではAが自分の名前を呼び続けているので、
声を頼りに近づいていくと急に激痛がはしり、
しまったワニか??と思ったらしい。

激痛で意識が飛びそうだと思ったとき、今度はベッドの上で気がついた。

さっきまでいた所ともまた違うどこかの友軍の陣地。

爺ちゃんは激痛をこらえながら衛生兵に聞いてみると、自分の目指していた陣地よりも更に先の場所だった。

衛生兵に「君の隊は大変だったな、背負ってくれた仲間に感謝しろよ。」
って言われて、爺ちゃんは色々聞こうとしたが、
今は寝ていた方が良いと取り合ってはくれなかった。

次の日、爺ちゃんは痛みと疲れでぼんやりとしているところにAが訪ねてきた。

Aは開口一番「お前は隠れて何か喰ってたのか?重かったぞ。」
って笑いながら嫌味を言ってきたそうだ。

爺ちゃんはAが運んでくれたんだと思いながら、
これでも痩せたんだと言い訳をした。

言い訳をしながらも心に引っかかる言葉が言い出せずにいると、
Aの方から「ウチの隊は今の所7名だ」と言った。

爺ちゃんはあの川岸で会った何名かの名前を口にしたが、
Aは上げた名前の人は誰も来ていないと言った。

そして今この陣地に居るのは、Aに聞いたところあの川岸に居なかった人たちだったそうだ。

爺ちゃんはこの話をしたときに最後にこんな事を言っていた。

「戦場に行けば死に花咲かさなきゃいかんとか話にはなるけど、やっぱ戦友には生き残って欲しいものだよ。みんな同じ気持ちだよ。」

爺ちゃんは8年前に亡くなってしまったが、あっちでは川岸の戦友さんと仲良くやってんのかな?

 

 

回天

 

霊感はたぶんまったくなしの自分が体験した一番怖い話です。

山口の周南市(旧徳山市)に回天の基地があったことは、
映画にもなってるので知ってる人もいると思いますが、そこでの話。
ちなみに回天ってのは人間が操縦する魚雷の事です。

俺は釣りが好きで、光市やら周南市の漁港近くで普段から釣りしてたんですが、
回天の基地でいい釣り場があると言われ、興味を持ちまして、
フェリーで行ってみることにしたのです。

釣り場は魚雷を下ろすように掘り下げられた場所があり、その下が水深も深くて、
びっしりと生えてるカラス貝の周りに目で見えるぐらいの沢山の魚が泳いでいました。
すでに自分以外にも釣り人が着てて、
開いてる場所を陣取ってカワハギやらアジやらをサビキで釣りまくってました。

沢山釣れたのでそろそろ帰ることにしました。
次のフェリー到着までちょっと時間があるので
回天の実物を展示してるところを見てまわりました。

4メートルぐらいはある魚雷が博物館?の近くに展示してあって、
それを見てみようと近づいたとき、魚雷の中から「ゴンゴン」と音がしました。
気のせいかと思ってしばらく展示物の前にある説明文などを呼んでたら、
「うわああああ!」
とか中から叩く音と共に、明らかに叫んでいる声が聞こえたんです。
最初はどういう風に入ったのか、中に子供が閉じ込められてるって気がして、
「おい、大丈夫か?」とか言いながら外からゴンゴンと叩いても返答なし。
でも入り口が溶接してあって、入れるようには作られてない。

急に寒気がしたのと、何か不安になって(心拍数が上がりまくって)、
逃げるようにフェリー乗り場に行きました。
何故か周囲は真っ暗。自分は余裕を持って最終便の2個前に乗る予定だったのに、
何故か最終便にぎりぎり間に合ったという感じです。
あの場所に2時間近くいた事になる。

フェリーに乗ってからも、そのゴンゴンって音がしたような気がして
外には出れませんでした。ずっと客室でテレビを見てました。

これは5年ぐらい前の話なんですが、今年の夏に光市のフィッシングパークっていう、
桟橋を釣り用として作られた場所なんですが、そこで釣りしてたら、
明らかにゴンゴーンって音がしてました。

でもその時は、家族連れで来てた人達もその音を聞いてました。
そこの子供が、「なんか人が人がいるよ」って言って、
親がそんなわけないだろう、て笑っていた時には本当にびっくりしました。
自分には人の声までは聞こえませんでしたけど、
回天基地の事を思い出しましたよ。
っていうか、ずっと憑いてきたのか、とか思って本気で怖かったです。

ちなみに、その親子は、子供が「怖い怖い」といい始めたからか、
それから5分も立たないぐらいの間に、
釣エサの塊を放り投げた後に切り上げて帰ってしまいました。

自分はその釣エサの塊に魚が集まってきたのでしばらく釣ってたら、
気分が悪くなってすぐ帰りました。

 

 

汝は生かされたんだぞ

 

その方は特攻隊の教官だったので、終戦後すぐ捕まって裁判受けるハメになり、
有罪となってシベリア抑留されたそうです。
あまりの寒さに仲間が毎日死んでゆく中、ある夜、こんな夢を見たんだそうです。
それは雲海からぽっかり頭を出した杉の木の先、そのバックには富士山の頂上付近。
なぜかハッと目が覚め
「大丈夫だ!俺達は全員日本へ帰れるぞ!」
とみんなを奮い起こしたそうです。

すると間もなく本当に生き残った全員揃って日本に無事帰国。
地元に戻って兄弟の経営していた会社に入り、寝食忘れてバリバリに働いていたそうです。
生きるために、禍まがしい記憶を吹き飛ばす為に、その頃は割りと荒々しい生き方をしてたそうです。
そんなある日静岡から山梨へ仕事で行ったとき、なぜかふと身延山に登りたくなったんだそうです。
信仰してる訳でもなく、なぜか富士山でも他の山でもなく、なぜか身延山へ。
その頂上まで登り着いたとき。
自分がシベリアで見た夢と同じ光景が目に飛び込んできたんだそうです。
雲海から一本にょっきり飛び出した杉の木の先っちょと、その向こうに富士山。
その時
「汝、判ったか?
汝は生かされたんだぞ」
と耳元で声がしたそうです。
その声で、初めて生きて帰って来れた事を痛感し、また、死んで逝った戦友や仲間、指揮官達を思って帰国後初めて声をあげてワンワン泣いたそうです。
それまで生きてきて後にも先にも「感謝」で号泣したのは、その時が最高だったそうです。
80歳超えた今でも大変にお元気な方で、リアルに戦争の話を知らない私達に会う度に
「自分が生きてるんじゃなかよ。
生かされとるんよ。
その事だけは絶対に忘れちゃいかんですよ」
と、優しく説いて下さいます。

こういう語り部の方々には、いつまでもお元気でいて戴きたいものです。

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