ほっこりする話『貧乏育ちのお調子者』など短編5話【1】 – 優しい話・体験談まとめ

ほっこりする話『貧乏育ちのお調子者』など短編5話【1】 - 優しい話・体験談まとめ ほっこりする話

 

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ほっこりする話 短編5話【1】

 

 

女の子といちごのケーキ

俺がケーキ屋で支払いをしていると、自動ドアが開いて、幼稚園児ぐらいの女の子がひとりで入ってきた。

女の子は一人で買い物に来たらしく、極度の緊張からか、ほほを赤く染め真剣なまなざしで店員に「けえきください」と声を発した。

いかにもバイトといった感じの女子高生らしき店員は、
「一人で来たの?ママは?」
と問いかけた。

すると、女の子は、どもりながら必死で、一人で来たこと、今日が母親の誕生日なので驚かせるために内緒で自分の小遣いでケーキを買いに来た、という趣旨のことを長い時間かけて何とか話し終えた。

店員は戸惑いながら
「そうー、偉いねー。どんなケーキがいいの?」
と一応注文をとった。
「あのねー、いちごがのってるの!」

どう見ても女の子が大金を持っているようには見えない。
手ぶらだ。
財布が入るような大きなポケットもついてない。
まず間違いなく、小銭を直にポケットに入れているだけだろう。

俺はハラハラしながら事態を見守った。
店員も女の子がお金をたいして持っていないことに気づいたらしく、イチゴが乗っているものの中で一番安いショートケーキを示し、
「これがイチゴが乗ってるやつの中で一番安くて380円なの。お金は足りるかな?」
と問いかけた。

すると、女の子の緊張は最高潮に達したようで、ポケットの中から必死で小銭を取り出して数え始めた。
俺は心の中で神に祈った。どうか足りてくれ!

「100えんがふたつと・・・50えんと・・・10えんがいち、にい、さん・・・」

俺は心の中で叫んだ。
ああっ!ダメだ!280円しかないっ!!!

店員は申し訳なさそうにお金が足りないからケーキは買えないという趣旨の説明を女の子にした。
それはそうだろう。
店員はどう見ても単なるバイトだ。
勝手に値引いたりしたら雇い主に怒られるだろうし、女子高生にこの非常事態を大岡越前ばりのお裁きで丸く納めるほどの人生経験はなくて当然だ。

かといって、赤の他人の俺が女の子のケーキの金を出してやるのも不自然だ。
女の子が自分の金で買ってこそ意味があるのだから。

女の子には買えないことが伝わったらしく、泣きそうなのを必死で堪えながら、というより、声こそ出してないが、ほとんど泣いていて、小銭を握ったままの手で目をこすりながら出て行こうとした。
すると、ろくに前を見てないものだから、自動ドアのマットにつまづいて転んだ。

その拍子に握っていた小銭が派手な音を立てて店内を転がった。
きっと神が舞い降りる瞬間とはこういう時のことを言うのだろう。

俺は女の子が小銭を拾うのを手伝ってあげた。
小銭をすっかり集め終わった後で、女の子にこう話しかけた。
「ちゃんと全部あるかな?数えてごらん」

女の子は「100えん、200えん、300えん・・・?あれ!380えん、あるーっ!」

俺が「きっと最初に数え間違えてたんだね。ほら、これでケーキが買えるよ。」
と言うと女の子は嬉しそうに、
「うん!ありがとう!」
としっかりお礼を言い、 イチゴショートを一つ買っていた。

俺はそれを見届けてから店を後にした。

 

 

1000円札 – 手を差し伸べてあげて

学生時代、貧乏旅行をした。
帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。
家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。
すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で声を掛けてくれた。
わけを話すと、持っていた茹で卵を2個分けてくれた。
さらに、私のポケットに千円札をねじ込もうとする。
さすがにそれは遠慮しようと思ったが、お婆さん曰く、
「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら手を差し伸べてあげなさい。社会ってそういうものよ」
私は感極まって泣いてしまった。

お婆さんと別れて列車に乗り込むと、同じボックスにはお爺さんが。
最近産まれた初孫のことを詠った自作の和歌集を携えて遊びに行くという。
ホチキスで留めただけの冊子だったので、あり合わせの糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。
ただそれだけなんだが、お爺さんは座席の上に正座してぴったりと手をつき、まだ21歳(当時)の私に深々と頭を下げた。
「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。
せめて弁当くらいは出させて欲しい。どうか無礼と思わんで下さい」
恐縮したが、こちらの心まで温かくなった。

結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、駅でお婆さんに貰ったお金は遣わずじまいだった。
何か有意義なことに遣おうと思いつつ、その千円札は14年後の今もまだ手元にある。
腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど、こういう人たちと触れ合うことができた私は物凄く幸運だ。

 

貧乏育ちのお調子者

飲んだくれ親父のせいで貧乏育ち。
だから小さい頃は遠足の弁当が嫌いだった。

麦の混じったご飯に梅干しと佃煮。
恥ずかしいから

「見て~!俺オッサン弁当!父ちゃんが『お前の方が旨そうだ』って取り変えるんだよ~!」

とクラス中でネタにして凌いでいた。
貧乏に負けない為にはクラスのお調子者になるしかない。
そう思っていた気がする。

その賜物か、破れた服を着ていても自転車が無くてもそんなキャラクターなのだと、からかわれる事も虐められる事もなかった。
むしろ一人っ子の同級生が服とか自転車くれたりして。
本当は悲しかったけどね。

中学に入ると毎日弁当だったがもはや

「いや~毎回この弁当だとかえって親しみ湧いてさw」

と笑って食べていた。
そう思うしか無かった。

母親はよく言っていたっけ。

「いつもニコニコ笑っていなさい」って。

せっせとやりくりして給料日に作ってくれるコロッケとふわふわの甘い卵焼きが母ちゃんの味。

そんな母には感謝しているが、今でも弁当だけがトラウマで、嫁さんと幼稚園児の坊主の弁当は俺が作ってる。

もう毎夜仕込みが楽しいのなんのってw

三角おにぎりに、たこさんウィンナーに、ピカチュウの蒲鉾。
甘めに炒めた金平に、更に甘々の卵焼き。
可愛いピックまで付けてやる。

全部あの頃“憧れた世界”だ。

嫁さんは「乙女かw」と笑い、息子は「あのね、父さんの卵焼き甘くて美味しいよ。」と喜んでくれる。
あの頃の俺みたいに。

今はもう心から笑える。
毎日幸せです。

 

 

長女の絵

私は長女が3歳になった時に長男を出産した

長男が生まれるまで私と長女はほとんどずっと一緒にいた
夫がいない平日の昼間は2人だけの時間だった

でも子供が2人になるとどうしてもずっと長女だけという訳にはいかない
出来るだけ寂しくないように長女を見ているつもりでもどうしてもそれまでより長女と一緒に遊べなくなっていた
それでも長女はワガママも言わず長男の面倒を見たりしてくれていた
私が長男の面倒を見ている時は大人しく1人でお絵かきをしていた
それがとてもありがたく助かっていた

夫は育児に協力的だし、子供たちも良い子に育ってくれていた
ストレスが無い位に幸せな日々だったと思う
それでもきっと疲れが溜まっていたのだろう
ある日風邪で寝込んでしまった

夫は数日有給を取って子供の面倒を見てくれた
夫は元々結婚前は一人暮らしだったので家事全般こなすことが出来る
子供の世話も良く手伝ってくれていたので安心して任せられた

1日目は本当に起き上がれない状態でほとんどずっとうとうとしていた
熱が下がってきた2日目はあまり眠れず横になったままずっと生活音を聞いていた
ドアの向こうから夫や子供の声、遊んでいる音、食事の音などが聞こえていた
見えなくても3人の様子が目に浮かんだ

夫が持ってきてくれたお粥を食べながら早く元気にならなくちゃと思った
子供に移さないように、と数日子供に会っていないだけですごく寂しく感じた

1時間程経ってから夫が食器を下げに来てくれた
トレイを片手に持つと、左手に持っていた紙を私に渡して部屋から出て行った
私は夫から受け取った数枚の白い紙を見つめていた
画用紙のような真っ白な紙を裏返した
裏返すとそこには夫の字でメッセージが書かれていた

「ママ、早く元気になってね」

紙は3枚あった
次の紙を裏返すとそこには落書きのようなものが描かれていた
きっと長男に色鉛筆を持たせたのだろう

最後の紙はきっと長女からだ
そう思って紙を裏返した

「ママ だいすき」の言葉と家族4人の絵が描かれていた
長女の絵は一緒にお絵かきをしていた頃よりもすごく上手になっていた

元気になったら絵を飾るための額を買いに行こう
そんなことを考えて私は笑顔になった

 

 

俺たち家族の方が幸せ

兄も兄嫁も甥っ子だけが生きがいみたいな所があったんだよね
甥っ子は本当に頭が良かったんだ。
勉強は教科書読めば全て頭の中に入ってくる。
スポーツも出来て人気者だったらしい。
長女は甥よりも出来が悪いと判断されて、ほとんど放置されていたらしい。
そのとき小学生だったけど、幼稚園生?と思えるぐらい細くて小さかった。
風呂には一か月に一回しか入れてくれなかったみたいで、そりゃ汚かった。

お風呂に入れてやったら、一緒に入っていた嫁が泣き出すんだよ
「頭を洗ってあげただけで「ありがとう」って泣くんだよ。暖かいお風呂だねって泣くんだよ」って。

食事を出せば
「おいしいね、暖かいね」って言うんだ。

これはもうダメだって思って、兄貴に言ったら
「100万よこせばそいつはやる」って。

嫁さんが「…100万。子供をなんだと思ってる!」と怒った。
俺は怒りを通り越して呆れしか出てこなかった。
こんなのが兄貴だったんだって。

次の日、俺が自分の貯金から100万おろして嫁さんに渡すと
「実は私も」って嫁さんも100万準備していた。
200万兄貴に渡して「これで俺たちの子供だな!」って。

金で子供を買ったみたいでなんだかあの時は何とも言いようのない気持ちだったな。
俺たち、その時まだ22歳だったんだよね。
突然できた子供に近所の人も驚いていたけど、優しい人たちばかりだったから色々助けてもらった。

長女が12歳の時に次女が生まれた。
不安もあったけど、長女はたくさん次女をかわいがってくれた。
お陰で次女はお姉ちゃんっ子に育った。

昨日は俺の誕生日だったんだけど
「お父さん、誕生日おめでとう」って手作りの煙草ケースをくれた。
これがまた凝ってるんだわ。
木と革で出来てるんだけど最高に使い心地がいい。
「吸いすぎないように」って書かれてるけど…

引き取った時とは比べ物にならないぐらい明るい子に長女はなった。
友達もたくさんいて、良く家にも遊びに来る。
勉強だって俺に似ないで嫁さんに似たのか良くできる子だ。
そのかわりに次女はアッパラパー(お調子者で今の自分を存分に楽しんでいる人)だけど、友達もいるし元気なら良いや。
そのうち目覚めるでしょう…。

これから二人とも大きくなっていって結婚して家を出ていくのかなと思うとなんだか寂しいなw
久しぶりに兄から年賀状が今頃届いて昔の事を思い出したので書き込み
「東大に受かったよ。息子。幸せな家族です」なんて書いてあるけど

俺たち家族の方が全然幸せで暖かい家庭だわ。

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