感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【12】
悪口を書かれた机
僕は小さい頃に両親に捨てられて、いろいろな所を転々として生きてきました。
小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」とかいろんな事言われました。
たまに同級生の子と遊んでいて「○○君の家に行こう!」とかなっても、僕が遊びに行くとそこの家のお母さんが
「○○君と遊んではいけないっていったでしょ!」
とそこの家の子供を叱ってる声が聞こえ、僕を汚い物を見るような目で
「○○は今日遊べないの・・」というようなことが日常茶飯時でした。
僕は弱い人間なので、そんな事が重なるうちに独りでいる事が一番傷つかず、一番楽なのだと思いました。
けど、僕にも言いたい事は一杯あった。
汚い服、同じ服着ていても僕は、僕は人の物盗ったり、傷つけたりはしてない。
両親はいないけど、僕にはどうする事もできないんだよ!
僕だっておとうさん、おかあさんが欲しいんだよ。
僕はなるべく人と接しないように生きてきた。
自分の精神、心を守る為にそうせざるを得なかった。
独りで生きていく、誰にも迷惑をかけずに・・・
高校に進学した時だった。朝学校につくと僕の机に「死ね」「乞食」「貧乏神」「親無し」等あらゆる悪口が書かれていた。
僕は目の前が暗くなった。僕が何かしたのか?僕がなにか・・・・ただ立ち尽くすのみだった。
その時僕の目の前から机が無くなった。
クラスでも人気者のYが僕の机をかかえあげていた。
僕は机で殴られるのかと思い、目を閉じた。
「いくぞ!」
とYがぶっきらぼうにいい廊下に出て行く。
僕はあとに従った。
Yは技術室に行き、紙やすりで僕の机の落書きを消し始めた・・・・
Yはただ一言だけ
「つまんない事に負けんなよ。」と言い。
黙々と紙やすりで落書きを消している。
「放課後もう一回ここでニス塗ろうぜ。そしたら元どおりだ。」
といってにっこり笑ったYを見て僕は泣いた。
Yは照れ笑いをしていた。
右足のない親友
親友からの電話。
『たいしたことはないから一週間くらいだって』
笑いながらの連絡だった。
『そっか、がんばれよ』
まあ日常的な会話。
その時たいして気には止めなかった。
一週間後。
まだ入院してるとのこと。
エロ本を土産に病院を訪ねた。
病室に入るとそこには右足のない親友がいた。
いっきに視野が狭まり親友が見えなくなった。
その日の夜久しぶりに自転車で一緒に通った高校まで走ってみた。
16年前と景色はさほど変わりない田んぼ道…。
涙が溢れて止まらなかった。
今はもうその親友はいない。
癌だった。
足を切断しても全身への転移は止められなかったらしい。
でも親友は死ぬ直前まで生きることを諦めてはいなかった。
死ぬ前の日
『足が痛いんだ…
退院した後困るからさすってよ。
今まで親に迷惑かけたからさ
退院したら家業を継ごうと思うんだ。
帳簿だけでもつけれるようになりたいから簿記教えてくれよ』
がんばってた。
すごくがんばってた…。
その日から自分自身
【がんばる】って言葉を
使わなくなった。
というか使えなくなった。
親友に失礼で…。
何十年後かに親友に会うことがあるだろう。
『いい人生送れたか?』
と聞かれたら
『うん、がんばったよ』
と言えるようなそんな人生を送りたい。
弟が鏡の前で一人で笑っていた訳
もう何年も前になる。
中学生の弟が鏡の前で一人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。
服や髪に気を遣いだし、彼女が出来たと喜んでた時期だった。
だから、今度は笑顔を作る練習でも始めたのか?と考えた。
9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、あの赤ん坊が大きくなったもんだと、兄貴面して見なかったことにしてやった。
その後もそういう姿を幾度か見掛けた。
どれだけ経ってか、弟と喋るうちにやっと理由が分かった。
前に法事で親戚が集まったときに、みんな口を揃えて「○○(弟)は笑ったらお父さんにそっくり!」って言ってたんだよ。
俺から見ても、確かによく似てる。
父が死んだのは弟がまだ幼いときで、弟は父の顔を憶えていない。
父は写真を撮られるのが苦手だったから、笑顔の写真が一枚もない。
弟は普段、誰かが父の話をしても、大して興味なさげにしてるだけだった。
だから、記憶に残ってなきゃこんなもんかと寂しく感じたこともあった。
でも、そんなわけないんだよな。
弟は、ああやって父に会ってたのかと思うと、なぜか弟に申し訳なく切なくなる。
あの時、からかわなくて良かった。
まっとうに生きる
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。 今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なん
ていってた
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。
あの味噌汁が食いたかった
昨日の朝、女房と喧嘩した。というかひどいことをした。
原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。
「仕事行くの嫌だよな」とか呟く俺。
そこで女房が何を言っても俺は切れただろう。前例もあったし。
あいつもそれを良く知ってるから何も言わなかった。
それも分かってたけど、なんだか馬鹿にされてるような気もして、八つ当たりしてしまった。
すごく美味そうだったのに、せっかくあいつが作ってくれた味噌汁もおかずも全部ぶちまけて暴言を吐いてしまった。
あいつは泣きながら残りの味噌汁の鍋を流しに捨ててた。
ものすごく後悔したけど、用意してあった弁当も持たず、虚勢をはったまま謝りもしないで俺はそのまま会社に出掛けてしまった。
夜になって、気まずい思いを抱きながら帰宅した。
もしかしたら女房は実家に帰ってるかもしれないと内心不安だった。
が、部屋の灯りはともっている。
しかもなにやらいい匂いもする。
思い切ってドアを開けると、女房は俺の好物のビーフシチューの鍋を抱えて出迎えてくれた。
「これで仲直りしよう」と笑顔で。
俺の方こそ、朝のお詫びに気の利いた土産の一つや二つ買って来るべきだったのに。
もう、自分の勝手で女房に八つ当たりをしないようにしようと心に誓った。
本当はあの味噌汁食いたかったんだ。俺は。
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