『不安定な毎日』など短編5話【90】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『不安定な毎日』など短編5話【90】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【90】

 

 

あのコールは彼の葬式の誘いだった

金持ちで顔もまあまあ。
何より明るくて突っ込みが上手く、ボケた方が
「俺、笑いの才能あるんじゃね」と勘違いするほど(笑)。
彼の周りには常に笑いが絶えなかった。

そんな彼を怒らせた。
彼が好きな女の子にノリで無理やり電話させ、ふられたのを見てゲラゲラ笑った最低な俺達。
彼と一番仲が良かった俺が、一番彼に怒られた。
それ以来、疎遠になった。

周りの友達が仲直りさせようと同窓会だ、飲み会だと何回も機会を作ってくれても、俺が意地を張り謝罪もしなかった。
『何で俺にだけ、あんなにぶちギレやがったんだ』
という気持ちがあったんだろうな。
終いには周りの友達とも、疎遠になった。

ある日、その疎遠になった周りの友達の一人から電話があった。
でも出なかった。
なかなかコールは終わらず、『うざい』『しつこい』としかその時は思わなかった。

その年、年賀状辞退の葉書が来た。
彼は夏に亡くなっていた。
あのコールは彼の葬式の誘いだったのだと、やっと解った。
葉書に住所は無かった。

俺は恥も外聞も無く、亡くなった彼の(疎遠になっていた)友達に頼み、彼の家に連れて行ってもらった。
頼まれた友達は嬉しそうに、「お前に久しぶりに会えて嬉しいわ」と言ってくれた。

亡くなった彼の家へ行くと、彼は結婚していたらしく奥さんが応対してくれた。
風の噂で結婚したのは知っていたけど。
まあ、喧嘩して20年以上経っているのだから、結婚していても当たり前か。

奥さんに会った早々、いきなり
「○○さんですね(笑)。会ってみたかったんですよー」と言われた。
俺が「へ?」と首を傾げていると、
「夫が、あなたが友達の中で一番面白かったよって(笑)」
その場で涙がボロボロと落ちた。

ここに連れて来てくれた友達も、奥さんも泣いていた。
奥さんが俺に、彼の伝言を教えてくれた。

「○○は絶対来てくれるから。俺が死んだら(笑)」
そして、
「これで仲直りですよ(笑)。○○さん」と奥さんは言った。

何でもっと早く来られなかったんだろう。
いつか俺もお前のところへ行ったら、また突っ込んでくれよな。

 

 

先生のおかげで乗り越えられています

私がその先生に出会ったのは中学一年生の夏でした。
先生は塾の英語の担当教師でした。
とても元気で、毎回楽しい授業をしてくれました。
そんな先生の事が私はとても大好きでした。
その頃、私は友人から嫌がらせを受けたり、家族関係が上手くいかなかったりと悩んでいました。
嫌がらせは学校だけに留まらず、塾や、放課後、色々なところでされました。
私はとても精神的にダメージを受けていて、死にたいとすら思っていました。
でも、怖くて周りには相談できませんでした。

そんなある日、授業後に先生は落ち込んでいる私を呼び、こう言いました。
「最近元気ないけど、何かあったのか?見ていて薄々気付いてはいるけど、言える範囲でいいから言ってみて?」
あんなに元気な先生からは到底考えられない優しい声でそう言ってくれました。
そして私は『この人なら私を支えてくれる』
そう思い、今まであったことを全て相談しました。

感情的になり過ぎて泣いてしまうこともありました。
その時も先生は、
「ゆっくりで良い、焦ると上手くいかなくてもっと辛くなる。俺はお前が笑顔でいる事が第一だと思ってるからな」
そう言ってくれました。そして先生は毎週私の話を聞いてくれました。

そんなある日、先生は私にこう告げました。
「後3週間で俺は講師を辞めて、地元の大阪へ帰る。もっと側にいてやりたかったけど、ごめんな」
その瞬間、私は頭が真っ白になりました。
悲しくて何回も泣きました。

そして最後の日、私は
「私は先生に出会えて良かった。今までありがとう。先生がいないとどうしたらいいか分からないけど、自分らしく進めるように頑張る」
そう誓いました。
それを聞いて先生は、ほっとしたような、少し寂しそうな顔でこう言いました。
「俺もお前と一緒だったんだ。
家族関係も悪くて、友達にもいじめられてた。
そんな経験があるからこそ、同じ立場に立っているお前を助けられるような存在になりたかったんだ。
お前は出来る子だから辛くても、苦しくても乗り越えられるように頑張れよ?
いつかお前が笑顔で頑張ったよって報告してくれるのを、俺は何年先だろうと待ってるから」
そう言って涙を零しました。
元気な先生の最初で最後の涙でした。
みんなに元気に振舞っている先生もこんなに辛い思いをしていたんだ。
そう思うと何だか頑張れる気がしたんです。

それから早三ヶ月…私は自分らしくがむしゃらに今を生きています。
先生がいなくなって寂しいけれど、辛い事も苦しい事も先生のおかげで乗り越えられています。
先生のくれた言葉や優しさは私の一生の宝物です。
そして、私はこれからも頑張り続けます。
「頑張ったね」その一言が聞けるように…。

 

一冊のノート

会社に入って3年目に、マンツーマンで一人の新人の教育を担当する事になりました。
実際に会ってみると覚えが悪く、何で俺がこの子を担当するんだろうと感じました。
しかし仕事ですから、現場で教えて行きましたが怒鳴る事多々。

半年が過ぎようとした時に彼は元気がなくなり、会社を休むようになりました。
休むようになって2週間後に、この子の両親から小生と当時の部長へ会って話したい連絡がありました。
小生が怒鳴る事が多々だったので、その子に精神的ダメージがあり両親が訴えているのかと思いましたが、その子の両親から、その子が癌が発見され余命2年は持たないとの報告がありました。
両親は体調を見ながら癌だからと小生の指導の手を抜かないでと哀願されました。
一人前の社会人として旅立って欲しいとの事でした。

彼の一時復帰後に、小生は必死に色々なことを教えました。
しかし、先が短いから色々な事を覚えて欲しくて強く対応してしまいました。
いつも会社が終わった後、居酒屋で強く当たり過ぎたんじゃないかと、酒を飲みながら泣いていました。
そしたら、たまたま同じ部署の女の子が泣きながら飲んでいる小生を見つけて、声をかけてきました。
以前女子会で、その居酒屋で小生を見たそうです。
訳を話してしまいました。
だから辛いから酒を飲んでいるんだと。

すると彼女は怒鳴り始めました。
「社会では、辛い事を一杯抱えてている人がいる。
酒を飲んで解決するなら皆べろべろになるまで飲んでる。
それに、あなたは明日から二日酔いに近い状態で、あの子に指導するの!」
目が覚めました。
もっと心身とも万全であの子に指導しようと決めました。

しかし、若いから癌は進行します。
彼は3ヶ月を過ぎた頃に体調が悪くなり入院しました。見
舞いに行くと彼はベットから、
「復帰したら、また色々と教えてください」
小生は両親からのお願いを思い出し、
「あ~、もちろんビシビシいくよ」
と言って病院を去りました。

その後、約10日後に彼はこの世を去りました。
お通夜に彼の両親から一冊のノートを手渡されました。
小生が彼に教えた事をノートにまとめていたのです。
最後に入院した際にも元気な時はノートをまとめていたそうです。
涙が出てきました。
でも小生は、そのノートを受け取る事ができませんでした。
彼の両親に、彼の得たノウハウは彼が行った天国に持って行ってくださいとお願いしました。
ノートは棺に入れて火葬されました。

一冊のノート。
今でも忘れられません。

 

 

特別な子だって思った

今まですれ違いが多くて、なかなか時間を取って話す機会のなかった父。
そんな父と時間を取って話す機会を得たのは、恥ずかしながら仕事でミスを連発して会社から叱責を何度も受けていた時だ。
家に帰り、何気なく「もう仕事がしんどい…」と呟いた自分に、父は今週末飲みに行こうと言った。

近所の居酒屋で父と酒を飲む。
家で飲むことは今までにもあったが、居酒屋で二人で飲むというのは今まで生きて来て初めてのことだった。
仕事のことなど、自分の話を一通り聞いた後、父が言った言葉。
「お前が生まれた時な、何とも言えない不思議な気持ちになったんだよ。
初めての子どもだったからな。
この子は特別な子だってその時思ったし、今でもその気持ちは変わらん。
だからいくら辛いことがあろうが、苦しもうが俺、そして母さんがお前のことをそう思ってると思っていてくれ」
自分に自信が無くなっていた自分にとって、凄く染みた言葉だった。

今でもその言葉を思い出してよく泣いてしまうことがある。
父さん、今も苦しいけど、生き辛いけど、あなたの言葉で今も必死に人生にしがみつけています。

 

 

不安定な毎日

これを書いている私は今、38歳の会社員です。
私は30歳の時にうつ病を患いました。
父が自殺、その後、高校の同級生である友人が自殺。
仕事は忙しく、三ヶ月休みが無い中で、長男が産まれました。

そこから三年間、病と戦っていた時の話です。
長男が二歳の時。
東日本大震災の影響で、次男が切迫流産をしかけて妻は入院。
長男と実家の親との暮らし。
計画停電で、不安定な毎日。
病で自分の気持ちすら、思うままにならなかった私。

長男が泣き止まなかった時、気付けば怒鳴っていました。
二歳の子に、大の大人が本気で、です。
自己嫌悪の嵐でした。

その日の寝る時、2歳の長男が、
「パパ、だいじょうぶ?」
と言ったんです。
怒鳴りつけた私にです。
涙が止まりませんでした。

その後、次男は先天性心疾患で生まれましたが、今は後遺症はあるものの元気です。長男は生意気になりましたが、誰よりも優しい自慢の息子です。他の体験談ほどの感動は無いかもしれませんが、私が最も泣いた話です。

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