『黒猫』
1661 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:23:54 ID:GbxTGrZM01 / 4 話:黒猫』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】2/ 4 話:『呪いの井戸』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】3/ 4 話:『日系朝鮮人』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】4/ 4 話:『傷跡』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】
俺の住んでいたアパートは、築50年ほどの古い建物で、1階は元店舗、2階は4部屋で風呂なしトイレ共同の昭和の遺物のような物件だった。
1階のスペースを自由に使って良いのと、家賃が月2万8000円と激安の『昭和価格』だったことが決め手となって、結構長い間借り続けていた。
週に1度か2度、寝に帰るくらいの俺にとっては格安の物置兼屋根付きバイクガレージとして好都合だったのだ。
アパートには、耳の悪い爺さんとネパール人の若い男が住んでいて、トイレ前の部屋が1部屋空いていた。
猫好きの爺さんは、そろそろ尻尾が二つに裂けそうなヨボヨボの三毛猫と、どこからか拾ってきた黒白の毛足の長い洋猫を飼っていた。
爺さんが拾ってきたときは今にも死にそうな小さな子猫だったその猫は、数年後、体重10kg近くの巨体に成長していた。
特に肥満と言うわけではなく、ノルウェーなんとかキャットという元々デカくなる品種だったようだ。
この猫は俺にも良く懐いていて、俺が部屋にいる時には窓をガリガリとやって中に入ってきた。
体重10kgの『猫マフラー』は夏場には勘弁して欲しかったが、たまにアパートに帰るときはカリカリやお気に入りの『黒缶』を土産に買っていった。
そのお返しだろう、生保暮らしの爺さんは毎日のように出かける釣りで大漁だったときは、魚を良くくれた。
ネパール人の男、アナンドに言わせれば『猫のお下がり』らしかったが。
そんな爺さんがアパートで火事を出した。
俺の携帯にアナンドから、アパートが火事で全焼し、爺さんが病院に運ばれたと連絡が入った。
アナンドは夜勤に出ていて無事だったらしい。
火事の原因は、爺さんが消し忘れた仏壇の蝋燭が倒れて燃え移ったようだ。
耳が悪いうえに寝ていて出火に気付かなかった爺さんを洋猫の『ヤマト』が廊下まで引きずって助けたらしい。
長い付き合いの『ミケ』の方は素早く逃げ出し、火事のあと近所の『別宅』で見つかった。
爺さんは足と背中に火傷を負って一時危なかったらしいが、どうにか命は取り留めた。
アナンドと共に爺さんを見舞ったとき、爺さんは燃えてしまった俺のバイクのことをしきりに気にしていた。
実際のところは、部屋にあったパソコンや資料の方が痛かったのだが、金額的な損失はさほどではなかった。
俺のバイクは92年型のカワサキの1100ccだった。
モデルチェンジ直前に値下がりしたところを初めて新車購入した大型だ。
当時は世界最速。
その後、ホンダやスズキから同じカテゴリーのもっと早いバイクが出たが、いまひとつ気に入らず、結局20年近く乗り続けていたのだ。
爺さんは買って返すと言ったが、価格はともかく、中古市場にコンディションの良い車両など殆ど残っていないだろう。
よしんば有っても、生保暮らしの老人にそんな出費はさせられない。
俺とアナンドは爺さんに「気にするな」と言って、病院を後にした。
病院を出るとき、爺さんは『ヤマト』のことをしきりに気にしていた。
火事のあと『ミケ』は直ぐに見つかったのだが、爺さんを助けた『ヤマト』は行方不明のままだったのだ。
『ヤマト』はアパート前の道路を通学路にする小学生たちのアイドルだった。
「近所の家に保護されているんじゃないかな?見かけたら連絡するよ」と言ったが、『ヤマト』の行方は結局判らないままだった。
親や学校に隠れて16歳で中免を取って以来、事故って入院していた期間を除いて、俺のバイクなしの生活は最長になっていた。
ある日、俺は仕事帰りに、ぼちぼち次のバイクでも、と馴染みのバイク屋に立ち寄った。
「久しぶり、ダブジー燃えちゃったんだって?」
「ああ。だから、そろそろ次を探そうかなと思って」
「どんなの探してるのよ?」
「あんまりピピッと来るのがないんだよな。
俺もいい年だし、実用的で楽な奴が良いな。S1000RRとかZX10R辺り?」
「お前、サーキットや峠なんかもう殆ど行かないだろ?
街乗りやツーリングじゃ持て余すだけで良いこと無いぞ・・・それに、同じバイクに長く乗るタイプにSSは余り薦められないな」
「じゃあ、1400か?新ブサはイマイチ好みじゃないんだよな」
「いい加減、世界最速とか最高馬力は辞めとけよ。いい年なんだしさ。
もう少し大人しくて、まったり乗れる奴にしておきな」
「それもそうか・・・何か良いのある?」
「あるよ!お前好みの奴が。そろそろ来る頃だと思ってキープしてあったんだ」
バイク屋の店長はガレージから問題のバイクを引っ張り出してきた。
初期型のZX12R・・・最高速規制前の350km/hフルスケールメーターの付いたA1型と言う奴だ。
「ちょっと待て、コレのどこが大人しくてまったりと乗れるバイクなんだよwww」
「年式は古いし、少々距離は走っているがナラシは完璧で、しっかり回された極上物だよ。
出物の中古はコケてフレームが怪しいのや、碌に回さないでエンジンが腐ってるのが多いんだけどな。
Dタイプも駄目、ブラバやブサも気に入らなかった偏屈野郎には丁度良いと思うぞw」
「あんまり良い評判は聞かないけどね」
「乗れば判るよ。どうせ暇なんだろ?1週間ほど貸してやるから試しに乗ってみなって。
レンタル料3万。購入の場合は車両価格から引くからさ」
「OK。借りてくよ」
ZX12R・・・発売当時は同じカワサキから出ていた9Rの方に興味があったので試乗経験は無かった。
ZZRに比べると車重は軽いが、かなり腰高で重心が高い。
違和感を感じるほどにスクリーンも近い。
だが、ぱっと見とは違って意外にハンドルは近くて高く、操作はし易かった。
直線番長で曲がらないと聞いていたが、開けさえすればしっかり曲がった。
ただ、開けないとどうにも言う事を聞いてくれないので、万人向けではなさそうだ。
直ぐに手放すオーナーと乗り潰すまで長く乗り続けるオーナーの両極端だと言うのもうなづけた。
得意とされる高速走行は圧巻だった。
以前、出たばかりの初期型ブラックバードに試乗したとき、200km/h以上の速度でのレーンチェンジの軽さに感動したものだった。
ブレーキの違和感さえなければ乗り換えていただろう。
ZZRのD型やハヤブサは、加速力はともかく、この速度域での動きはブラックバードに比べると鈍重だ。
車列を縫ってのレーンチェンジはちょっと遠慮したい鈍さだ。
だが、この初期型ZX12Rは250km/h以上の速度域で200km/hでのブラックバードよりも更に軽快にレーンチェンジが決まった。
硬すぎるとも言われるモノコックフレームの剛性の高さもあるのだろうか、速度が上がるほどに車体の安定性が増して行くようだ。
店長が言ったように、まさに俺好みのバイクだった。
俺は連日、高速に上がって上機嫌でバイクを飛ばし続けた。
そして土曜日、バイクを返しに行く前日の夜がやってきた。
その日は道場に寄った所為もあったのだろうか、肩や首が妙に重たかった。
今夜は走りに行くのを辞めて、コイツに決めてしまおうかな・・・とも思ったが、スピードの誘惑には勝てず深夜の高速に上がった。
土曜の晩だというのに嘘のように他の車両を見かけなかった。
覆面もいない。
最高速アタック、行っちゃいますか!
1速落として『カチッ』と当たるまでアクセルON。
5速からだが凄い勢いでメーターの針が上がる。
全開から『チョン』と一瞬スロットルを戻して6速にシフトアップ。
もたつく事無くレッドまで一気に回り切る。
すっげ~楽しい!
上り線を降りてUターン。下り線に乗ってしばらく140km/hほどで巡航。
気持ちよく真ん中の車線を流していると、バックミラーが黄色い強烈な光を反射した。
大型トラックか何かにハイビームで煽られたか?
うぜえ・・・追い越し車線に入ってさっさと抜いてけよ、と思ったが、光の主は一向に追い越し車線に入ろうとしない。
一向に煽りを止めない光に『ハイハイ、開けてやるからさっさと行けよ』と左の車線に移ったが、光は俺を追尾し続けた。
・・・なんだこいつ?
光を振り切るべく、俺はシフトダウンして一気に加速した。
一瞬でスピードメーターの針は真上を超し200km/hの速度に達した。
だが、背後からの光を一向に振り切れない。
馬鹿な?!
背中に嫌な汗が流れ出した。
俺は更にスロットルを捻った。
メーターの針は250km/hを超えていただろう。
前方の闇に赤いテールランプが見える。
まずい、そう思ってスロットルを戻そうとした瞬間だった。
ゾクリと俺の背中に悪寒が走った。
前方から伸びた二本の手が俺の両手首を掴んだのだ!
思わず俺はスクリーンに伏せていた上体を起こした。
強烈な風圧に上体を持っていかれそうになった。
そして、スクリーンの向こう側を見た俺は凍りついた。
確かに見た。
顔面が半分石榴のように潰れた男の顔を!
男の残った片目と視線の合った俺は金縛り状態だった。
赤いテールランプは物凄い勢いで接近してくる。
『終わった・・・』
そう思った瞬間、首筋にふわふわした感触を感じ、耳元で『にゃあ』と猫の声を聞いた。
見覚えのある、フサフサの黒い長毛に覆われた、先の白い猫の前足が男の顔面を引っ掻いた。
その瞬間、フッと男と手が消え、俺の金縛りが解けた。
だが、恐らくミラーを見ていなかったのだろう、左車線を走っていた車がウインカーを点けて俺の走っていた中央車線に車線変更してきた。
俺は咄嗟に左レーンにレーンチェンジした。
ぶつかった!と思って、俺の体は硬直したが、間一髪、俺は衝突を免れた。
恐怖に震える手足で減速操作をして、俺は路肩にバイクを止めた。
足が震えてサイドスタンドが中々出せない。
難儀してやっとサイドスタンドを出してバイクを降りた俺は、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。
どれくらいの時間がたったのだろう、東の空が明るくなり出していた。
俺は、バイク屋の店長の携帯に電話を掛けた。
留守電に現在位置を吹き込むと、5分も待てずに再び電話を掛け直した。
そんなことを5・6回も繰り返すと眠そうな声の店長が電話に出た。
「何だよ、こんな時間に!」
イラッとした店長の声を聴いた瞬間、なぜか俺は激しい笑いの衝動に襲われた。
ゲラゲラ馬鹿笑いしながら「XX高速下り線の**辺りの路肩にいるからバイクを引き取りに来てくれ!」
「おい、何があった?事故ったのか?」
「いいから早く来いよ!大至急な!」
かなり急いできたのだろう、1時間ほどしてバイク屋のトラックが到着した。
店長の顔見ると先ほどまでの異様なテンションが水が引くように冷めていった。
そして、ガタガタと俺は震えだした。
「大丈夫かよ?」そう言って店長はお茶のペットボトルを渡した。
俺はうなづいて受け取った飲み物を飲み始めた。
その間、店長がトラックにバイクを載せる準備を始める。
「なんだよ、動くじゃねえかよ。足回りにも問題はないし、何があった?」
無言のまま、俺は店長の積み込み作業を横目にトラックの助手席に座った。
リフトを操作してバイクを積み込み、固定作業を終えた店長が運転席に乗り込んできた。
お互い無言のまま高速を降り、一般道に入った所で俺は店長に話しかけた。
「あのバイクさ、何か曰く付きのシロモノなんだろ?」
「・・・いや、そんな事はないよ・・・あのバイクにはな・・・」
俺はついさっき起こったことを店長に話した。
「まあ、こんな話、信じられないかもしれないけれどな」
「まあ、普通ならばな。でも、信じるよ・・・」
店長はタバコに火を点けた。
やがて、トラックは店の前に到着した。
バイクを下ろすと店長は俺を店の奥に誘った。
事務所の壁に額に入った何枚かの写真が飾られていた。
ショップ主催のツーリングやサーキット走行会の集合写真が飾られていた。
草レースの記念写真らしき写真も何枚かあった。
その中の少し古い1枚を指して言った。
「その写真の左側の男があのバイクのオーナーだよ」
写真の男がスクリーンの向こう側から俺の腕を掴んだ男かは判らなかった。
答えは判っていたが聞いてみた。
「この男はどうなったんだ?」
「死んだよ」
「あのバイクで?」
「いや、別のバイクだ・・・ホンダの250、VTだよ。古いバイクだ」
「事故で?」
「ああ、自損事故で・・・お前が停まっていた、あの辺りだ」
「本当に自損だったのか?」
「判らないよ・・・昔はむちゃくちゃに飛ばす人だったけどね。
結婚してからは大人しく走っていたし、子供が生まれてからは更に慎重に運転するようになっていたよ。
お気に入りだった、あの12Rだって手放そうとしていたからね。
でもさ、箱の付いた緑ナンバーで最高速アタックする奴はいないだろ?」
「・・・」
「警察に言われても、カミさんは信じちゃいなかったけどね。まあ、直線区間のあの場所で単独事故は普通に考えたら有り得ないよな。
でも、他の車両が絡んだ証拠もないしな。死人に口なしだよ」
「・・・」
「奥さんはダンナのバイクを処分せずに残してあったんだけど、今度再婚することになったんだ。
それで、もう一台と一緒にね。
もう一台のガンマは古くてパーツもないし、外装もぼろぼろだったから廃車にしたんだけどさ」
あの晩の男が彼だったのか、それとも他の何かだったのかは俺には判らない。
だが、あの12Rに二度と乗る気は起こらなかった。
男の幽霊?云々ではなく、乗り手を異常な速度域に引っ張り込む魔力のようなものを感じて怖くなったのだ。
連日連夜、あのバイクで飛ばしていた自分の行動の異常さに、今更ながら気が付いたのだ。
バイク屋の店長には「タンデムの楽しいバイクがいいな。女の子のおっぱいが良く当たるヤツ」と言っておいた。
だが、俺の中では、バイクそのものに対する欲求は萎んでいた。
ところで、あの晩、潰れた男の顔を引っ掻いて俺を救った主は、行方の判らなくなった爺さんの猫『ヤマト』だと思っていた。
一宿一飯の恩義と言う奴なのか?
猫の恩返し、そんなこともあるのか・・・あの猫、やっぱり、あの火事で死んじまったのかなと、少し寂しい気分になっていた。
だが、火事から大分時間の経った、オム氏の娘のガードの仕事が終わった後のことだった。
意外な所で『ヤマト』は見つかった。
火事の直後、『ヤマト』は大家に保護されていたらしいのだが、遊びに来た孫が気に入って連れて帰ってしまったらしい。
まだ、爺さんが入院中で意識が戻っていなかった頃だ。
一応ペット禁止のアパートだったが、住人のペットを勝手に連れ去る形だったので口を噤んでいたらしい。
色々と悶着も有ったらしいが、爺さんが飼い続けることは不可能になったので、治療費は大家持ちという事で、大家の孫に譲られることになったのだ。
礼という訳ではないが、俺は無事の確認された『ヤマト』に、大家を通じて黒缶プレミアムまぐろを贈った。
2/ 4 話:『呪いの井戸』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】
コメント