『チルドレン』
1573 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:47:12 ID:kgX5MNas0
前回の話の続きを。
少年の両親の許可を得て、俺達は彼を霊能者・天見琉華の許へと連れて行った。
詳しい事情の判らないキムさんは憮然としていた。
「まさか、お前が琉華と接触しているとは思わなかったよ・・・」
「いや、俺も好き好んであの人と関わっている訳では・・・俺だって、出来れば関わりは持ちたくないですよ」
「だろうな」
琉華の弟子の40代くらいの女性の仕切りによる儀式と琉華による少年の『霊視』が行われた。
霊視は3時間を予定していたが、40分ほどで琉華は瞑想から覚め、霊視を切り上げた。
事前に予想していた事だったが、少年からは何も得る事は出来なかった。
宿命通や他心通、天眼通といった『力』が全く通用しないらしい。
霊視が失敗に終わり、何も得る事が出来なかった・・・・・・が、それ自体が、収穫と言えた。
「・・・・・・どうでしたか?」
「そうね、この子は『新しい子供』で間違いなさそうね。封じられて切り離されてしまっているみたいだけど」
満を持してキムさんが尋ねた。
「その、『新しい子供』とは、何の事なんだ?」
俺は、琉華の方を見て訊ねた。
「話しても良いのですよね?」
「ええ、いいわ。彼にも聞く権利はあるからね」
俺は、呼吸を落ち着けてから話し始めた。
「キムさん、これはマサさんにも関わりの有る話なんです」
俺が琉華から聞いた『新しい子供たち』の話は大凡、以下のようなものだ。
『新しい子供たち』とは、一部の霊能者や宗教家、占術家などの間でかなり以前から出現が予想されていた特別な子供だ。
『子供たち』の出現は『旧世代の偉大な霊力』の消滅を期に3段階を辿るとされているそうだ。
第一段階は1989年、第二段階は2005年だったらしい。
その翌年をピークに『新しい子供達』は世界中で出生していると予想されている。
出生前から確実視された極少数の例外もあったが、霊能者集団や宗教団体の探索にも関わらず、その発見は困難を極めた。
『例外』についても、霊的にだけではなく現実的な強固な護りの中にあり、霊能者や宗教家が手出しする事は不可能だった。
何人かの霊能者が遠隔での霊視を試みたようだが、結果は悉く失敗に終わった。
しかも、事態は霊視の失敗だけでは済まなかった。
その子供の霊視を試みた霊能者たちは、霊視の失敗と同時にその『霊力』を失ったのだ。
天見琉華も『子供たち』の探索を行っていた。
そして、ある特殊な事例を通じて『新しい子供たち』の謎の一端に触れる事に成功していた。
俺とマサさんは、偶然、その事案に関わっていたのだ。
その日、俺とマサさんは、俺の旧い知人の店で一杯やっていた。
マスターを交えて取り留めの無い話をしていると、メールを受信した俺の携帯が鳴った。
メールの発信者は住職だった。
住職の呼び出し自体は、そう珍しい事でもなかった。
時々「たまにはアリサの墓参りに来い」だとか、「珍しい酒が手に入ったから飲みに来い」と言って俺を寺に呼びつけた。
俺自身、住職の事は好きだったので、呼び出されては寺を訪れていた。
住職はカルトに嵌ったり、誤った『行』の世界に足を踏み入れ『魔境』に陥った者に対する救済活動を行っていた。
考えてみると、俺自身が住職にとっては『救済対象』なのかもしれない。
だが、そのメールはいつもとは趣を異にしていた。
「是非、頼みたい事がある。出来ればマサさんも連れてきて欲しい」
住職が俺に頼み事をするのは初めてのことだった。
まして、面識の無いマサさんを連れてきて欲しいと言うのは只事ではなかった。
どうしたものかと悩んでいると、マサさんが「どうした?」と声を掛けてきた。
俺はマサさんにメールを見せた。
「お前の恩人なんだろ?まあ、俺もこの住職には興味があるしな・・・・・・いいよ。付き合うよ」
俺達は、指定された日に寺を訪れた。
寺に到着すると意外な人物が俺達を迎えた。
山佳京香・・・かつて、俺が『仕事』で関わった女だ。
元ヨガ行者だった彼女は、所謂『超能力』に魅せられ、薬物や『房中術』を濫用し、『能力』を悪用していた。
深い『魔境』に堕ちていた彼女は、天見琉華の手により『気道』を絶たれ『能力』を封じられた。
そんな彼女を俺は住職に紹介したのだ。
『能力』を封じられたはずの彼女は以前とは質の異なる強い『気』を発していた。
住職に引き合わせた頃・・・・・・琉華の手による『処置』と『行の反動』で憔悴し切っていた様子からは信じられない回復ぶりだった。
既に還暦に達しているはずだったが、見掛けは四十代くらいにしか見えない。
「なぜ、アンタがここに居るんだ?」
「住職にはお世話になっているからね。そちらが貴方の『先生』ね。
早速で悪いのだけど、一緒に来ていただけるかしら?住職が待っているわ」
京香の運転する車に15分ほど揺られていると旧い作りの民家に到着した。
寺で京香に出迎えられた時点で、俺は嫌な予感がしていた。
そして、その予感は的中した。
京香に続いて門を潜るとマサさんが言った。
「結界だ・・・この感じは、多分、琉華だな・・・・・・」
俺にとっても、マサさんにとっても天見琉華は、余り接触したい相手ではない。
「どうする?・・・・・・戻るなら、今のうちだぞ?」
「ここまで来て、そうもいかないでしょ。住職に挨拶だけでもしないと・・・・・・」
「・・・・・・そうだな」
門を潜ると妙な臭気が鼻を突いた。
何の臭いだろう?
玄関を開けると家主だという若い男性が俺達を迎えた。
強烈な臭いが屋内を満たしていた。
獣臭とも屍臭ともつかない、吐き気を催す類の臭いだ。
家主はこの臭気に全く気付いていない様子だった。
俺達は奥の部屋へと通された。
居間では、品の良さそうな老夫婦と住職が俺達を待ち構えていた。
老夫婦に挨拶してから俺はマサさんを住職に紹介した。
「彼が、何度かお話した事のある『マサさん』です」
「そうか、この方が・・・・・・無理なお願いを聞いて頂いて、かたじけない。よく来て下さった」
暫くマサさんと話をした後、住職は襖を開け隣の部屋に俺達を通した。
12畳ほどの和室の中央に一人の男が横たわっていた。
住職は俺に尋ねた。
「お前さん、彼をどう見るかね?」
「生きているのが不思議な程に精気が抜け切っていますね。
・・・・・・これに似た状態の人間を以前に見た事がありますよ。
その人物は、質の悪い行者に房中術で精気を抜かれていたんですけどね。
・・・・・・そう、アンタの被害者の松原にそっくりだよ。何でこうなった?」
俺は、住職の傍らに座っていた山佳京香に向って言った。
一目見て判った。
質の悪い『世界』に繋がっている・・・・・・そして、彼を『通路』にして『魍魎』が湧き出していた。
「判る?・・・・・・彼はね、以前の私と同じなのよ。それが、私が送り込まれた理由。経験者ってことね」
何となくだが、事情は理解した。
だが、彼は既に手遅れに見えた。
虚ろな目は開いているだけで何も見てはおらず、精気の抜け切った身体は死体のようだった。
俺達の前に横たわる男、それが、寺尾昌弘だった。
寺尾昌弘は30代後半の日本人男性だった。
彼は、特殊な経歴の持ち主だ。
中学生の頃から『行』の世界に興味を持ち始め、没頭してきたのだ。
彼が多くの『修行者』と異なっていたのは、敢えて『師』を持とうとはせず、自らの手で『行法』を組み立てたことだった。
中学生ではあったが、『宗教的師弟関係』や『教祖的個人信仰』の欺瞞や危険性に気付いていたのだ。
だが、自己流の『行』に邁進した結果、彼を待っていたのは深い『魔境』だった。
寺尾の両親の話では、彼が『修行』にのめり込む切っ掛けが何だったのかは良く判らないようだ。
だが、中学生だった彼は急にオカルトやスピリチュアル系の書物を読み耽り、収集するようになった。
寺尾の両親は多忙を極めており、寺尾の学業成績はトップクラスをキープしていたので『変なものに興味を持ったな』と思ったくらいで特に干渉はしなかったようだ。
しかし、高校生になると、寺尾の『修行』は奇行と呼べるレベルに達した。
部屋に引篭り、日によっては10時間以上も『修行』に没頭した。
学校も欠席しがちとなり、出席日数は進級・卒業に必要なギリギリの日数だったようだ。
だが、目覚めている時間の殆どを『修行』に費やしている感のあった彼は、第一志望の難関大学に現役で合格した。
周囲は彼の『快挙』を喜ぶよりも、何故?と薄気味悪く思ったそうだ。
大学生となった彼は益々『修行』にのめり込んだ。
さらに、アルバイトで資金を貯めては、一回数10万円もする海外のセミナーにも参加するようになった。
寺尾は留年を重ね、両親は彼の将来を半ば諦めていた。
だが、大学6年生の時、寺尾は何か憑物が落ちたように『修行』をキッパリと止め、今までの遅れを取り戻すかのように勉学に励んだ。
放校寸前の8年生でどうにか卒業し、大学のブランドも効いたのだろう、大手企業への就職も決めた。
やがて同じ職場の女性と結婚し、海外赴任中に長女にも恵まれた。
曲折はあったが寺尾の人生は順調そのものに見えた。
だが、海外赴任から戻った息子と再会した時、寺尾の両親は戦慄した。
一時帰国時には気付かなかったのだが、寺尾は以前の彼に戻っていたのだ。
案の定、寺尾は『修行』を再開していた。
寝る時間も惜しんで『修行』に没頭し、無断欠勤を重ねて会社を解雇された。
失業後、暫くすると寺尾は失踪した。
寺尾の失踪後、妻は娘を連れて実家に戻った。
だが、実家に戻って暫くすると、寺尾の妻は幼い娘を残して自殺した。
更に、娘が事故死し、孫娘を引き取っていた寺尾の妻の両親も死亡している。
事故とは言え、孫娘を死なせた事を苦にしての覚悟の心中では?と噂されたようだ。
妻の実家が死に絶えた数ヵ月後の事だった。
寺尾夫妻に警察から連絡が入った。
失踪していた息子が保護されたというのだ。
入管が不法滞在の外国人女性宅に踏み込んだ際、その女性の部屋に心神喪失状態の寺尾がいたらしい。
財布に入っていた、期限切れの運転免許証から身元が判明したようだ。
複数の医師に掛かったが、寺尾は心神喪失状態から回復しなかった。
やがて、自宅療養する寺尾の周りで、妙な現象が多発するようになった。
『怪現象』だけではなく、夫妻は連日悪夢に襲われるようにもなった。
寺尾が大学生の頃、夫妻の相談に乗っていた人物がいた。
その人物を介して紹介されたのが、誤った『行』に嵌り込んで『魔境』に堕ちた若者を数多く救ってきた住職だった。
住職を尋ねてから、寺尾夫妻は息子の修行遍歴・・・・・・参加したセミナーや接触した組織について調査した。
調査を進めると次々と意外な事実が明らかになっていった。
職場結婚の筈だった寺尾と妻の出会いは、学生時代に参加したとある海外セミナーでの事だったようだ。
寺尾の妻は帰国子女だ。
驚いた事に、妻の実家の両親はセミナーの主催団体の有力幹部だった。
セミナー参加の為に渡航する度に寺尾は妻とその両親の家に滞在していたらしい。
そんな事実は息子からも、妻の両親からも聞かされていなかった。
寺尾の妻の両親はその団体の幹部であり、妻も会員だったが、寺尾自身は団体に加入していなかった。
妻の団体だけでなく、彼は『行』の情報を収集する為に各種のセミナーに参加し、様々な団体と接触していたが、特定の団体に所属する事は無かった。
あくまでも、自分で組み立てた『行』を補完し、改良する為であり、特定の人物に師事したり宗派に帰依する気は無かったらしい。
寺尾の両親は息子夫婦の海外赴任中の様子を元同僚などに当たって調査した。
海外赴任中の寺尾夫妻の評判は芳しくなかった。
特に、妻が駐在員の家族や現地人の同僚などを熱心にとある団体の無料セミナーなどに勧誘していた。
その勧誘は執拗で、苦情が入り寺尾は直属の上司から叱責も受けていたらしい。
「息子さん夫婦が参加していたのは、どういった団体だったんですか?」
「ヨガを元にした『人間を超越する瞑想修行』という触れ込みのセミナーだったようです。
セミナーの主催者は宗教団体ではなく、韓国系のフィットネス事業を展開する企業だったみたいですね。
『韓国発祥のヨガ』をベースにした『脳力』と『丹力』を開発すると言う触れ込みの『行』だったようです」
「韓国発祥のヨガって・・・・・・まあ、ヨガに似た『行』は無い事もないのですけどね・・・臭ぇ・・・詐欺の臭いしかしないな」
「ローンを組ませて法外な料金を請求したり、講師が受講者に性的暴行を加えたりして、向こうでは訴訟も起されているみたいですね。
息子夫婦が参加していたのは、その分派の団体だったようですが・・・・・・」
京香が言った。
「オウム事件の前、まだ日本経済が元気だった頃ね。
日本の大手企業が瞑想行や断片的な『行』を社員研修に積極的に取り入れていたことがあるのよ。
それに倣って、欧米の大企業でも瞑想セミナーが流行ったみたいね。
日本での『流行』が下火になると、向こうでも廃れていったみたいだけど・・・・・・最近、また流行り出しているらしいわ。
その団体も勤め先の企業に浸透する目的で息子さん夫婦に近付いたのかもね」
「私も、そう思います。
ただ、息子の場合、更にそこからいかがわしい連中と付き合うようになったみたいです」
住職が俺の前にi-podを差し出して言った。
「お前さん、これをどう思う?」
俺は、i-podの中身を聞いてみた。
日本人の男性の声・・・・・・寺尾本人の声か?
自律訓練法に似た手法で肉体の緊張を取り去った上で、瞑想上の指示を与えているようだ。
自己催眠とも言えるか?
自分の音声を利用して、一定の瞑想手順を反復して、一種の『条件反射』を形成させる目的のモノのようだ。
条件反射化されるものには瞑想中の生理的反応、『丹光』のようなビジョンも含まれていた。
「面白いだろ?
元々は日本人の瞑想家が開発した手法らしいが、これはその応用だな。
色々と工夫が凝らされているようだ」
京香が続けた。
「言葉じゃなくて、バックグラウンドの音声を注意して聞いてみて。
・・・・・・多分、貴方には判るはずよ?」
バックグラウンドには脈動するような独特な金属音が流れていた。
・・・・・・深い瞑想状態に入ったときに聞こえてくる『音』
マサさんから『導通』の儀式を受けた時に聞いた『音』にも良く似ている。
「聖音か?」
「そう。・・・・・・呼び名は色々有るけれど、これを作った人たちはアストラル・サウンドと呼ぶらしいわ。
個人の脳波や心拍をサンプリングしてシンセサイザーで作った音のようね。
機械的な反復による瞑想の条件反射化に加えて、外部から強制的に深い階層まで瞑想をコントロールする目的のようね・・・・・・
自力の瞑想では、薬物を使っても同じ瞑想状態を再現する事は難しいから・・・・・・これは、良く出来ているわ」
「しかし、どうなんだろう?そんなことで瞑想をコントロール出来るのかね?
仮に出来たとしても、肉体的なコンディションを無視して無理やり深い瞑想に入るの危険なのでは?
例えば、間違って『三昧』に入り込むと戻って来れなくなるんじゃないかな?」
「そうね。・・・・・・その、成れの果てが今の彼ね」
寺尾の部屋からは、『瞑想指示』を吹き込んだ大量のカセットテープが見つかっている。
どうやら、似たような手法の『行』を行う団体と接触して、寺尾は再び『行』の世界に引き込まれたようだ。
住職は言った。
「彼の陥っている魔境は深い。
一度『行』の世界にのめり込むと、逃れても逃れても『行』が人を引き戻しに掛かってくる。
彼はその典型例と言えるだろう。
全てを奪い尽くしながら人を捕らえ、場合によっては命までも喰らい尽くす・・・・・・
一度堕ちた魔境から逃れることは、一生を掛けた大事業なのだよ」
救済活動に勤しむ住職や寺尾の両親を前に口にこそ出さなかったが、俺には寺尾の『救済』は不可能に思えた。
見たところ、既に彼は『向こうの世界』から戻って来れなくなっており、戻ってくる生命力も残っては無さそうだった。
そして、マサさんに続いてi-podの音声を文章に書き起こした物を読んだ時、俺の背中に嫌なものが走った
俺もマサさんも敢えて口に出す事はしなかったが、寺尾の『行』には非常に危険な、一種の『奥義』に属するものが含まれていたのだ。
「マサさん、あれは・・・・・・」
「ああ、『移入の行』だ。自己流であそこまで到達したのなら大したものだ。とんでもない天才だよ。
・・・・・・だが、全くの自己流だったとしたら不味いな。行の『禁則』は知らないだろうからな」
『移入の行』は、俺がイサムとパワースポット巡りのツーリングに出た際、『治療』の最終段階として行ったものだ。
『行』の内容を簡単に言えば、イメージの力によって『もう一つの体=幻体』を作り出し、『幻体』に意識を移入するというものだ。
『幻体』とは、瞑想により没入した精神世界における肉体といった存在だ。
この幻体を使って『行』を行うのだ。
俺は、この『幻体』を用いた行で、厳しく禁じられていた『丹田から尾底に気を送り込む行』を行い、『二次覚醒』を起こす事に成功した。
要するに、これまで起こらないように必死に抑え続けてきた『二次覚醒』に伴う肉体的損傷を『幻体』に肩代わりさせたのだ。
マサさんやキムさんの元で続けてきた修行や、シンさんに指定されたパワースポットを巡っての『気の取り込み』はその為の準備と言えた。
この『移入の行』によって、ようやく俺は修行を辞めても大丈夫な状態に戻る事が出来たのだ。
『移入の行』により没入する世界は、現実世界と殆ど見分けの付かない非常にリアルな世界だ。
視覚や聴覚だけでなく、味覚や触覚・・・肉体に備わった全ての感覚があるのだ。
むしろ、その感覚は現実世界のそれよりも冴えてクリアでさえある。
現実世界と異なるのは、精神世界に属する世界であるが故に時間感覚が存在しないこと。
そして、望みさえすれば何でも叶うと言う事だ。
宗教的修行者は、この精神世界で『師』を得る事が出来る。
そして、この精神世界における『師』を得る上で、宗教的な信仰が大きな力となる。
祈りを捧げ続けた『神』の存在が『師』を生み出すのに必要なイメージの核となるからだ。
他方で、精神世界であるが故に、その人の持つ欲望がダイレクトに反映される。
いや、欲望の反映された世界が『移入の行』により『幻体』が活動する世界と言えるだろう。
それ故に、宗教的修行者たちは持戒し、厳しい行や宗教的修行によって欲望を昇華し、止滅させなければならないのだ。
俺の場合は、宗教的な『行』としてではなく、肉体の代用、或いは身代わりとして『幻体』を利用したかっただけなので、持戒や欲望の昇華は問題ではなかった。
繋がった『世界』が地獄であろうが餓鬼であろうが問題はなかったからだ。
唯一つ厳重に注意されたのは『移入の行で没入した世界で肉体的な欲望を果たしてはならない』と言うものだった。
『幻体』を用いて没入した『世界』は精神世界に属することから、欲望を果たす事による『快楽』は肉体次元とはまるで比較にならないのだ。
その強烈な『快楽』ゆえに、食欲や肉欲といった肉体的欲望を果たすと『幻体』に移入した意識・・・魂が幻体に定着し、現実世界に戻って来れなくなるのだ。
マサさんの言う『禁則』とは、この事を指す。
そして、心神喪失状態のまま意識の戻らない寺尾は、『禁則』を知らないまま瞑想世界の『快楽』に囚われてしまっている可能性が高かったのだ。
大凡の事情が説明された後、山佳京香に俺は言った。
「それで、俺にどうしろと?俺に出来る事は無さそうだけどな」
京香が答えた。
「琉華『先生』の指示を伝えるわ。
先生が準備を整えて此処に来るまで、貴方には『それ』を使って瞑想を行っていて欲しいと言う事よ。
私はそのフォローの為に此処に送り込まれてきたの」
「?」
怪訝な顔をする俺にマサさんは言った。
「鉄壷の供養を覚えているか?以前お前に遣らせた『同化の行』の初歩だ。
琉華がお前に遣らせようとしているのは、恐らく、その応用・・・『移入の行』との合わせ技だな。
彼と同じ瞑想行を行って『慣らし』てから、彼に対する『同化の行』をやらせようとしてるのさ」
「そんなことできるんですか?」
「そう難しい事じゃない。霊能者や霊媒師にとっては初歩的な『技術』だ。
・・・・・・だが、これは俺が遣らせて貰う。
ダメだと言うなら、この話はご破算だ。俺は、コイツを連れてこの場を立ち去る」
「私の一存では決められないわ。琉華先生に聞いてみる」
京香は天見琉華に電話を掛けた。
どうやら、天見琉華は、マサさんの申し出を飲んだらしい。
マサさんは寺尾のi-podを使って瞑想を開始した。
この瞑想法の原型は、今では余り見かけなくなったテープレコーダーを利用して行うものだった。
瞑想状態に誘導する基本的なシナリオから、個人の瞑想段階に応じて編集を重ねる。
テープの編集を繰り返して『育てる』ものらしい。
寺尾のそれは、かなりの段階まで『育った』完成形に近いものだったようだ。
一回の瞑想に要する時間は2時間弱。
他人のリズムや音声によるものだった為か、マサさんをしてもかなり消耗が激しかった。
俺と京香による気の注入を行いながらでも朝晩1回づつ、1日2回が限界だった。
だが、10日ほど繰り返すと慣れてきたのか、1日3回をそれほど消耗する事無くこなす事が出来るようになった。
半月が経過した、天見琉華が来る前日の事だった。
マサさんが言った。
「琉華がお前に、本当は何をさせようとしていたか判るか?」
「いいえ」
「お前にも判っているんだろ?
彼の両親には悪いが、寺尾はもう助からない。俺達が此処に来た時点で手遅れだった」
「でしょうね・・・・・・。
で、琉華のオバサンは俺に何をさせようとしていたんですか?」
「文字通り『同化』だよ。同化と言うよりは『入れ替わり』だな。
思考や精神を持った『人間』に対する『同化の行』は、お前が思っている以上に危険なんだよ。
狂人と接触している人間の精神が徐々に狂って行くって話を聞いたことはないか?
自我の弱い普通の人間の精神が、強烈な『狂人の精神』に侵食されて起こる現象だ。
深い瞑想状態・・・・・・潜在意識の階層では人間の自我の境界、防壁は曖昧になる。
寺尾の瞑想法は・・・・・・多くの瞑想行がそうなんだが、あの手法は自我の境界が消失するような深い瞑想状態でも自我を保つ為の訓練だ。
顕在意識での思考を潜在意識、或いは集合的無意識の階層まで送り込む手法でもある。
寺尾は長年『瞑想行』を続けていて潜在意識下で『意識』を保つ力が強いんだよ。
そんな奴に、精神的に丸裸のお前が『同化』したらどうなると思う?」
「さあ・・・・・・寺尾の性格に近くなるとか?」
「そんなに甘くは無い。
奴に精神を『乗っ取られる』ぞ?並みの憑依なんて生易しいものじゃない。
『あっち側』から戻って来れなくなってる奴には渡りに船だ。逆に、お前が奴の繋がっている世界から戻って来れなくなるだろうな」
俺の背中にゾクッと冷たいものが走った。
「何のためにそんな?」
「さあな。実際遣ってみなければ判らない。
ただ確かなのは、琉華はお前を寺尾から何かを得る為の道具に仕立て上げようとしていた。・・・・・・使い捨てのな。
俺を呼びつけたり、お前と『気の交流』のある山佳京香を寄越している時点で薄々感付いてはいたんだが・・・・・・」
マサさんは深刻な表情で言った。
「恐らく、俺の力だけでは寺尾の繋がっている世界からは戻って来れないだろう。
そこで、お前に頼みたい。寺尾の中から俺を引き上げて欲しい。
やり方は簡単だ。俺に対して『移入の行』を行って、俺とお前が共有する強烈なイメージを利用して俺を引き上げてくれれば良いのだ。
イメージは・・・・・・あの『井戸』を使え」
更にマサさんは続けた。
「もし、俺が戻って来れなかったら・・・・・・目覚めなかった時は、俺を置いて、お前は直ぐにこの場から立ち去れ。
逃げるんだ。出来れば、この国から立ち去って二度と戻ってくるな。
もしもの時の事は、『ヤスさん』に頼んである。
琉華はお前を使い捨てにしようとした。つまり、組織はもうお前に利用価値はないと判断しているという事だ。
組織にとって無価値なだけではなく『邪魔』と判断されたら、場合によっては消されるぞ?」
翌日の夕方、天見琉華はやってきた。
深夜0時に向けて、儀式の準備が着々と進められた。
寺尾を囲むように四体の仏像が置かれた。
住職によると「四天王だな」と言うことだった。
東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天・・・四方を護る守護神の視線が寺尾に集中していた。
琉華がマサさんに技法の説明をしている。
寺尾にi-podのイヤホンを嵌め、マサさんも同様に装着した。
マサさんが琉華を挟んで寺尾の横に横たわった。
琉華が中央で二人の胸に手を置いて座る。
深夜0時、同時に2台のi-podのスイッチを入れ、琉華が『マントラ』を唱え始める事によって『儀式』は開始された。
儀式開始2時間が経過しようとした頃、『瞑想終了』の指示が流れる前にi-podは停止された。
此処からが本番だ。
午前3時を過ぎた頃、琉華のマントラ詠唱は止まった。
やがて、部屋の中に異変が起きた。
この民家の玄関を潜った時に感じた臭気・・・・・・獣臭とも死臭とも知れない悪臭が漂い出したのだ。
この悪臭には、家主や寺尾の両親も気付いたようだ。
寺尾の母親が不意に「ひぃっ!」と悲鳴を上げた。
壁際の本箱のガラス戸に人影が写っていた。
真っ青な顔をした血塗れの女の姿だった。
家主の男性が「うわっ」と声を上げた。部屋のあらゆる物陰から、気味の悪い顔をした沢山の男女がこちらを睨んでいた。
こんなあからさまな『霊現象』は俺も初めてだった。
俺の頭は混乱の極みだった。
悲鳴を上げたり失禁しなかったのは我ながら上出来だ。
もし、一人でいるときにこの状況に遭遇したら正気を保っていられる自信はない。
俺は琉華達の方を見た。
寺尾の体から、目では捉えきれない『何か』が湧き出していた。
これは見覚えがある・・・『魍魎』・・・以前、山佳京香の体から湧き出してきたものと同質の物の怪だ。
寺尾の体から湧き出した『魍魎』は床と壁を伝って天井に集まった。
そして、家主も寺尾夫妻も、京香も俺も天井に目を奪われた。
天井一杯に巨大な人の顔が浮き出していた。
俺達はパニック寸前だった。
その瞬間、『ぱぁん!』と大きな拍手の音が室内に響いた。
住職だった。
拍手の音が響いた瞬間、部屋からは臭気も『顔』も、魍魎も消え去っていた。
寺尾を中心に漂っていた嫌な空気の全てが霧散していた。
ガラッと変った部屋の空気に俺達は困惑した。
住職によると『場の空気』に飲まれて、俺達は同じ幻覚を見ていたらしい。
住職の拍手によって『夢見』の状態から目覚めさせられた、と言うことのようだ。
俺は住職と京香に寺尾と琉華の処置を頼んで、マサさん対する『移入の行』を行った。
『移入の行』自体は事前にシミュレーションしていた事もあってすんなり進んだ。
『リンガ・シャリラ』の瞑想状態に入って道を辿った。
だが、井戸が見つからない。
そう、俺は『井戸の地』への道筋を知らないのだ。
焦った。
だが、心が乱れれば『移入の行』は解けてしまう。
俺は「落ち着け、落ち着け!」と自分に言い聞かせた。
道を辿っていると、いつの間にか見覚えの有る砂利だらけの道を歩いていた。
何処からか複数の子供の笑い声が聞こえる。
声のする方に向って歩いていると、不意に背後から、耳許に『アッパ』という生々しい男児の声が聞こえた。
驚いて振り返ると、其処には、あの井戸があった。
俺は井戸に蓋をしている黒い石を抱えた。
恐ろしく重かったが何とかどける事が出来た。
恐る恐る井戸の中を覗いた。
井戸の中には、真っ黒なドロドロとした『闇』が詰まっていた。
俺はマサさんの名を有らん限りの大声で呼んだ。
井戸の闇の中から白い人間の腕が出てきた。
俺は、その腕を有らん限りの力で引き上げた。
だが逆に、俺は井戸の中に引きずりこまれた。
無数の手が俺を井戸の底へと引き込む。
目の前が真っ暗になって、俺は意識を失った・・・・・・。
どれくらいの時間が経ったのか、俺はマサさんの胸に手を置いた状態でマサさんの横に座っていた。
何時間も経った気がしたが、俺がマサさんに対する『移入の行』を始めてから1時間も経ってはいなかった。
マサさんは、未だ目覚めてはいない。
『ダメだったか・・・・・・』そう思った瞬間、マサさんが目を見開いた。
琉華がマサさんに声を掛けた。
「どうだった?」
マサさんが頭を抑えながら言った。
「沢山の子供達が・・・・・・何だったんだ、あれは?寺尾はどうなった?」
俺とマサさん、住職は琉華に促されて部屋を出た。
マサさんは青い顔をしてまだグロッキー状態だった。
再度、琉華がマサさんに何を見たか尋ねた。
マサさんは暫し考え込んでから答えた。
マサさんが見たもの・・・それは、数十人の子供達だった。
寺尾=マサさんは気付かれないように子供達を観察していた。
子供達は何かを話していたが、何を話しているのかは判らなかったようだ。
『瞑想世界』で見聞きした事を顕在意識下に持ち帰る・・・・・・覚醒後も覚えているには一定の精神操作が必要だ。
マサさんは『精神操作』を行った。
その瞬間、子供達の視線がマサさんに集中した。
『しまった!』と思ったのと同時に突然『何か』が現れ、マサさん=寺尾を喰った。
喰われた瞬間、マサさんは意識を失ったと言う事だ。
マサさんは琉華に尋ねた。
「あれは、何だ?」
「はっきりした事はまだ言えない・・・・・・敢えて言うなら『新人類』・・・私達とは違う新しい人間。
肉体的・物質的には判らないけれど、霊的・精神的にはホモ・サピエンスとは別種の人類かも知れない、そう言う存在よ」
琉華は、事のあらましを話し始めた。
天見琉華は、知り合いの霊能者からある老夫婦の紹介を受けた。
面会した時、その老夫婦は何かに酷く怯えていた。
老夫婦の『恐怖』の対象は、まだ幼い孫娘だった。
孫娘の父親は失踪していた。
夫の失踪後、娘が子供を連れて実家に戻ってきたが、間もなく自殺している。
実家に戻ってきた頃からノイローゼ気味で、孫娘に酷く怯えていた様子だった。
そして、老夫婦もまた、娘の自殺後、孫娘の『異常さ』に気付いた。
ある宗教団体の祈祷師に孫娘に取り憑いた『悪霊』を祓う為の祈祷を依頼した。
だが、孫娘の異常さは『憑依』によるものではなかった。
祈祷師に紹介された霊能者を通じて天見琉華が紹介された。
孫娘を視た霊能者が、この娘が琉華達の探している『新しい子供』ではないかと疑いを持ったからだ。
老夫婦と面談した琉華は、知り得る限りの情報を老夫婦から聞き出した。
そして、孫娘との面談の日を取り決めた。
老夫婦は一刻も早く、出来ればその日のうちにでも孫娘を琉華に引き渡したい様子だったらしい。
だが、『霊視』を行う約束の日の直前、孫娘が事故死した。
マンションのベランダから転落死したらしい。
琉華たちは老夫婦と接触しようとしたが、警察の取調べが続き、なかなか接触できなかった。
ようやく面談のアポを取ったが、老夫婦は台風で増水した川に乗っていた車ごと転落し、死亡してしまった。
周囲では、孫娘を死なせた事を苦にしての心中ではないかとも噂されたようだ。
『新しい子供たち』を知る為の糸口は失われた・・・と思われたが、意外な所から切れた糸が繋がった。
山佳京香から、住職の許を訪れた寺尾夫妻の話がもたらされたのだ。
彼らの息子こそが、問題の孫娘の失踪した父親、寺尾昌弘だったのだ。
「俺にはいまひとつピンと来ない話だが、要するにアンタが寺尾から娘について・・・・・・『新しい子供達』の情報を得ようとしていた事は判った。
だが、何で俺とマサさんが呼び出されたんだ?
俺では明らかに力不足だし、マサさんには関わりの無い話だろ?
其処の所の納得のいく説明をして貰いたい」
「それには、まず、彼に目を覚まして貰わないとね。
とりあえず、彼を現実世界に引き戻す為の道筋は付いたわ。
京香にマサ、それにアナタにも手伝って貰うわよ。
彼は『旧世代』の大人で、『新しい子供達』と精神世界で接触した、私の知る範囲では唯一の人間だからね」
マサさんの『術』によって『道筋』を付けられた寺尾は、琉華の術によって意識を取り戻した。
だが、衰弱が激しく、話の出来る状態に回復するには俺とマサさん、京香による三交代で三日三晩『気』の注入を行い続けなければならなかった。
大量の『気』の注入によって一時的に回復した寺尾は琉華の質問に答える形でこれまでの経緯に付いて話し始めた。
寺尾家は厳格な教育一家だったようだ。
物心付いた頃から勉強ばかりで、同年代の子供たちと遊んだ記憶は殆ど無かった。
多忙な両親は寺尾を同居していた父方の叔母に任せ切りで、彼の記憶では父に褒められた事も、母に甘えたことも無かった。
更に、寺尾の叔母には家族も知らなかった『特殊な性癖』があった。
頼るべき両親には勉強勉強と責め立てられ、叔母からは異常な欲望の捌け口にされた寺尾にとって、安らぎの場所であるべき家は牢獄だった。
いつの頃からか、そんな『牢獄に閉じ込められた』昌弘少年の許を毎晩のように訪れる女性が現れるようになった。
彼女は話し疲れるまで彼の話を聞き、父の代わりに褒めてくれた。
彼は母の代わりに彼女に甘え、話し疲れると彼女の胸に抱かれながら眠りに就いた。
少し考えてみれば、その女性が実在しない『幻影』であることは子供だった彼にも判った。
だが、彼女の『存在』が昌弘の救いとなっていたのは確かだった。
寺尾は言った。
「彼女の存在が無ければ、僕は生きてはいられなかっただろう」と。
長ずるに従って『彼女』の出現頻度は少なくなっていき、中学受験が終わるとピタリと現れなくなったそうだ。
難関を突破して、厳格な父親が彼をはじめて褒め、母親が彼を抱きしめた夜だった。
『幻の女』が消えてから、寺尾は『魂の渇き』に苛まれた。
自分を追い込めば再び彼女が現れるかもしれない、そう思って猛勉強に励んだ。
全国的な秀才揃いのその学校でもトップクラスの成績を維持し続けたが、『彼女』が姿を現すことは無かった。
そんな彼が、偶然一冊の本を目にした。
クラスメイトが持ち込んだオカルト系の雑誌だったようだ。
普段の彼なら「くだらない」と言って、直ぐに読むのを止めただろう。
だが、その中に印象的なストーリーが書かれていた。
山で一人暮らしする孤独な男が、寂しさの余り女の『幻影』を生み出し、やがて『幻影』に魂が宿った。
男は魂の宿った『幻影』を妻として幸せに暮らしていたが、ある日突然に妻は姿を消した。
悲しみに打ちひしがれた男は人里に下り、悟りを開く為に仏門に入った。
やがて、修行を重ねた男は妻の魂と再会を果たした・・・・・・と言った話だったらしい。
他愛の無い話だが、寺尾には強烈なインパクトを与えたようだ。
『彼女』が自分の精神が生み出した『幻影』であるなら、自己の『精神』の探求によって再会を果たせるのではないか?
彼女の『幻影』に宿っていた『魂』と接触する方法が有るのではないか?
寺尾は心霊や瞑想、超能力開発関連の書籍を読み漁った。
『方法』を模索する中で興味深い手法に行き当たった。
例のテープレコーダーを利用した瞑想法だった。
本に従って瞑想を行ったが、中々上手くは行かなかった。
試行錯誤の上、瞑想中に様々な光やビジョンを目にするようになったが、それと同時に強烈な恐怖心が沸き起こった。
瞑想を行う事に底知れない恐怖を感じるのだが、瞑想を辞められない。
『恐怖心』は瞑想を行っていない時にも沸き起こった。
やがて、彼は自殺未遂事件を起した。
得体の知れない何かに追われ、近所のマンションの廊下から飛び降りたのだ。
再三の両親の説得と『瞑想』に対する恐怖心から、瞑想行を辞めようと思い立った翌日の事だった。
寺尾は『瞑想』を止められなくなった。
恐怖から逃れる為に恐怖の対象である『瞑想』を続ける・・・・・・理解し難い、まさに『魔境』に嵌った状態と言えるだろう。
寺尾は『瞑想法』の効果自体には確信があった。
この『瞑想法』は透視能力・・・・・・所謂『天眼通』を得る事を目的とした手法として紹介されていたが、『願望達成法』としても効力があった。
寺尾の手法は、所期の目的は得られていなかったが、『願望達成法』としては目覚しい効果があったからだ。
彼は手法自体ではなく、中身・・・・・・『シナリオ』に改善の余地ありと考えた。
彼は、自分の『瞑想法』をカスタマイズする為に更に様々な書籍、様々な団体の修行メソッドを研究した。
その過程で後に妻となる女性とその家族にも出会った。
やがて、幾つかの能力が開花し、宗教団体や修行団体の勧誘を受けるようになった。
だが、寺尾は特定の宗教団体に所属したり、特定の人物に師事しようとは思わなかった。
特定の宗派や教義、『指導者』と結び付いた『瞑想』は強烈な『洗脳』に成り得ること・・・・・・特に、自分の行ってきた手法が強烈な洗脳手法であることに気付いていたからだった。
やがて、寺尾は自らの『瞑想法』を完成させた。
『瞑想世界』で懐かしい『彼女』と再会したのだ。
寺尾は『瞑想世界』に耽溺した。
やがて、瞑想世界が彼の『生活の場』となった。
だが、ある日を境に寺尾は瞑想行を止め、現実世界に生きるようになった。
何故、瞑想行を止め『瞑想世界』から戻ってきたのかについて、寺尾は中々話そうとはしなかった。
だが、やがて寺尾は重い口を開いた。
先に述べたように、修行者の『瞑想世界』における禁則事項が幾つか有る。
その中で特に重要なものとして、根源的な生物的欲求・・・・・・食欲や性欲を『瞑想世界』で満たしてはならないというものがある。
精神世界に属する『瞑想世界』での快楽は、肉体と言うフィルターを通さない分ダイレクトで強烈な快感となり依存性が高いのだ。
いや、依存性などと言う生易しいものではない・・・・・・垣間見た『世界』に魂のレベルで結び付いてしまうのだ。
この性質を逆用しようと言う宗派も存在する。
『神』と交歓して神界と繋がろうという邪宗だ。
だが、『行』のみで『持戒』や『功徳』の無い者が繋がる世界は、殆どの場合『地獄』や『餓鬼』といった低い世界となる。
寺尾は『瞑想世界』で、再会した『女』と夫婦になった。
現実世界で女性経験の無かった寺尾は瞑想世界での『妻』との行為に耽溺した。
だが、かつての山佳京香がそうだったように、やがて寺尾も自分の繋がっている『世界』の本当の姿を思い知る事になる。
瞑想世界で寺尾は子を設けた。
『行』により瞑想世界と現実世界を行き来するたびに、『娘』は驚くほどの速さで成長した。
そして、娘が12・3歳の姿まで成長した時にそれは起こった。
『娘』が『妻』を殺して喰ったと言うのだ。
それだけではなく「お父さんも食べて」という娘の言葉に逆らえずに、娘と一緒に妻の『肉』を貪ったというのだ。
血の滴る妻の『肉』は恐ろしく美味で、一度口にすると止まらなかったそうだ。
更には、妻の肉を貪りながら寺尾は娘とも交わった。
妻の時とは比べ物にならない快楽が寺尾を捕らえた。
妻の肉を喰らい尽くし、娘の中に精を放ちつくした瞬間に、恐ろしいほどの渇きと共に寺尾は『正気』に戻った。
自分の居る『世界』の本当の姿を目の当たりにしたのだ。
マサさんが静かに言った。
「餓鬼道だな」
寺尾は瞑想行を止め、現実世界に戻った。
放棄していた学業を再開し、遅れ馳せながら就職活動を行い、就職後は仕事に邁進した。
寝る間も惜しんで・・・・・・いや、眠りから逃げるように。
瞑想を止めても寺尾は悪夢に襲われ続けた。
毎晩のように『娘』が現れ、寺尾と娘は交わりながらお互いの肉を貪り合っていたのだ。
そんなある日、寺尾は数名の派遣社員の中に知った顔を見出した。
海外のセミナーに参加した折に世話になった日本人家族の娘だった。
再会は偶然ではなかった。
寺尾の能力に目を付けた『団体』がこの女性を送り込んできたのだ。
寺尾の勤め先の会社は、この女性の所属している団体の背後にいる宗教団体の信者が多数潜り込んでいた。
女は、寺尾の置かれている状況を有る意味寺尾本人以上に把握していた。
女を通じて、女とその家族の所属する団体の幹部に寺尾は面会した。
幹部の女性は寺尾に言った。
寺尾が繋がった『世界』と、向こうの世界で設けた『娘』との縁を切る方法を教えようと。
その対価として、寺尾が完成させた『修行法』の全てを提供し団体に協力しろ・・・・・・それが、『団体』と寺尾の契約だった。
契約に従い寺尾は『修行法』を提供し、団体の指示に従って結婚した。
結婚して初夜を迎えると、それまでのことが嘘のように悪夢を見なくなり、夢の中に『娘』も現れなくなった。
やがて寺尾は妻を伴って海外に赴任した。
「赴任中、何があったの?」天見琉華の質問に寺尾は答えた。
寺尾はある人物に引き合わされた。
初老の日系人男性だったが、寺尾夫妻が所属する団体の『親団体』でかなりの地位に在る人物だったようだ。
団体の幹部は興奮気味に「直接面会できるだけで、非常に名誉な事だ」と言ったそうだ。
寺尾夫妻は、その人物に命じられて日にちと場所を変えて3人の霊能者・・・西洋風に言うなら『魔道師』或いは『魔女』といった類の人物と面談させられた。
そして、再び日系人紳士に呼び出されて命じられたそうだ。
『儀式と手順に従って子を設けろ』と。
団体の指示に従って結婚した寺尾夫妻だったが、夫婦仲自体は悪くなかった。
自由意志ではなく他人の命令で結婚した事に後ろめたさを感じていた夫婦にとって『子を設けろ』と言う命令は、口実としてむしろ望む所だった。
複雑な儀式を繰り返しながら、一定の手順による子作りに励んだ寺尾夫妻は念願の子を授かった。
娘は儀式を行った『魔女』の予想した日に、月足らずだったが自然分娩により誕生した。
喜びに包まれながら寺尾は保育器の中の生まれたばかりの娘に会いに行った。
だが、寺尾の喜びは次の瞬間、恐怖と絶望に変った。
寺尾が近付くと眠っているはずの娘が目を開き、頭の中に直接響く『不思議な声』でこう言ったというのだ。
「見つけたわよパパ。今度は逃がさないわ」
恐怖に慄いた寺尾は『魔女』に相談した。
『魔女』は寺尾に言った。
寺尾の娘は、『特別な子供』だと。
この『特別な子供』は同じような子供たちと精神の深奥で繋がっていて、相互にコミュニケーションを取っている。
この子供たちから『情報』を引き出せば、解決の糸口が掴めるかも知れない。
『瞑想行』を行い、子供たちが『精神の深奥』で何を話し合っているのか探りなさい・・・と。
寺尾は、再び瞑想行を開始した。
瞑想世界で寺尾は17・8歳くらいに育った『娘』と交わり続けた。
悪夢のような『苦行』だった。
だが、『夢』ではなかった。
まだ言葉も覚束ない幼い娘が頭の中に響く『不思議な声』で言ったそうだ。
「昨夜は良かったわ、パパ。今夜も抱いて・・・」
寺尾は、幼い我が子に対する恐怖と殺意を徐々に蓄積させて行った。
そして、遂に限界に達した寺尾は娘の首に手を掛けた。
間一髪のところで妻に見咎められた寺尾は、そのまま妻子を捨てて出奔した。
出奔と同時に寺尾は瞑想行を止めた。
だが、長年の『行』の成果、いや後遺症の為、最早、『行』を行わなくてもちょっとした切っ掛けで寺尾は深い瞑想状態に落ち込むようになっていた。
ナルコレプシーのように瞑想状態に落ち込む寺尾は、偶然知り合った外国人ホステスの部屋に潜り込んだ。
やがて、寺尾は落ち込んだ『瞑想世界』で『魔女』の言っていた『話し合う子供たち』を見つけた。
だが、同時に『瞑想世界』から戻ってくる事が出来なくなった。
心神喪失状態の寺尾は、外国人ホステスが入管に摘発されるまで彼女の介護を受けながら『肉体の死』を待つだけの存在に成り果てていたのだ。
「瞑想世界であなたは何を観たの?子供たちはどんな事を話していた?」
琉華の質問に首を僅かに振りながら寺尾は弱々しく答えた。
「思い出せない・・・・・・だけど、あの子供たちは僕たち大人に対して敵意を持っている。
そんな気がする。
恐ろしい。あの世界には戻りたくない!助けてくれ!」
寺尾は何度か『瞑想世界』と『現実世界』を行き来した後に昏睡状態に陥った。
その後、2週間ほど収容先の病院で生き続けたが遂に目を覚ます事無く息を引き取った。
極度に死を恐れていた寺尾の魂の行き先は誰にも判らない・・・・・・。
琉華と俺の話を聞き終わるとキムさんが言った。
「そうか・・・・・・
マサの奴が姿を消したのはその後だな?マサの行き先に心当たりはないのか?」
「ありません。『ヤスさん』にも問い質しましたが、マサさんの行方は判らないそうです」
キムさんの視線に琉華が答えた。
「私が知る訳ないでしょう?」
「だろうな・・・アイツは、アンタ達から逃げたかったのだろうからな」
暫しの沈黙の後、キムさんが琉華に尋ねた。
「どうにも判らない・・・アンタ達の言う『新しい子供達』って何なんだ?
俺達みたいな『大人』に敵意を持っているって、どういう訳なんだ?」
「私にも判らないわ。
でもね、精神構造・・・『魂の基本構造』が私たちと根本的に違うような気がする。
私たち旧世代の『能力者』の力が全く通用しないからね。
でも、判ってきた事もあるわ」
「彼らが前世の記憶を持って生まれてきている事、現実世界と深い階層の精神世界の境界がない事。
個人としての意思のほかに、彼ら全体として一つの意思を持っていること・・・・・・
彼らには、私たち大人の意思や思考の全てが、潜在意識の段階から全て見えていること。
・・・・・・彼らにとって、私たちの意思や行動をコントロールする事など、造作もない事かもね。
それと、人為的に彼らのような子供を作ろうとしている集団があること」
「厄介だな・・・・・・そんな連中が俺達『大人』に敵意を持っていると言うのか?
そもそも、なんで現れたんだ?」
俺は、思いつきで言ってみた。
「進化だとしたら、『新しい種』だとしたら、『古い種』である俺達を淘汰する為じゃないかな?
アウストラロピテクスやネアンデルタール、新人類の登場と共に旧人類は滅んできたわけだし・・・・・・
ホモサピエンスだって・・・・・・取って代わろうとする『新しい者』が、『古い者』に敵意を持つのは当然なんじゃないかな?」
キムさんは黙り込んでしまった。
天見琉華と弟子の女性が俺の顔を見ていた。
寺尾昌弘の葬儀に出席して別れた後、マサさんは突然に姿を消した。
木島氏や組織の人間が血眼になってマサさんの探索を続けたが、マサさんの行方は未だに判らない。
[完]
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