川上喜代子は岡山県和気郡の生まれとなっているが、これは厳密には正しくない。
喜代子は物心付くか付かないかの頃に身売りされ、和気の川上家に引き取られた。
喜代子は七つになるまで愚鈍で感情に乏しい白痴のような子であったが、この歳を境に大層利発になり家族を驚かせた。
その一方で白昼に神懸りに陥るようになり、しばしば家族や村民の失せ物を見つけて見せ、怪我や病気などの凶事を言い当てた。
この川上と結城は遠縁にあたるが、両家には親密な交流があった。
川上の家が近隣の家と果樹園の二重譲渡で揉めたときに、間に入って収めたのが結城であった。
このことが縁で交流を深めた両家であったが、今度は結城の家に問題が持ち上がる。
洋酒の工場を建てるのに土地と資金を出さないかと持ちかける山師が頻繁に家に出入りし、
実質的な意味での家長である祖父の勘助は首を縦に振る寸前であったのだ。
この時喜代子は持ち前の神通力を発揮し、結城の家の没落を予言、
返事を一週間保留させたがその間に件の山師は別件での詐欺容疑で警察に逮捕され、結城の家は危うく難を逃れたといういきさつがある。
この時フクは喜代子の霊媒を間近で目撃し、その不可思議な力の虜になってしまった。
フクに言わせれば喜代子が霊魂を降ろすときには金色の光背が見えるという。
フクは日常生活には支障がない程度には健常であったが、統合失調症と思しき言動が多数見られた。
そのためフクの証言による喜代子の霊験は眉唾といわざるを得ないが、
喜代子の行う交霊には確かに現実には説明のつかないところも多くあり、結論は未だ出ていない。
◯交霊
ほんまはこんなこと頼める義理じゃあないんですが、今日この話をするんは、多少の罪滅ぼしと、亡うなったひとの供養になればと思うとるんです。
美幸さんには特にひでえことをした思うとるんで、できればほんまのことを誰かに伝えてあげてほしい思います。
それではどうか宜しゅうお願いします。
あれがあったんは一九九二年の、八月の十四日のことじゃった思います。
大きい忌み日を避けるんは邪魔が入らんようことじゃ言うとりましたけえ確かじゃ思います。
場所は美幸さんとこの二階の子 供部屋で、時間は五時を少しまわっとったでしょうか。
私は世話人いうことで、本来なら美幸さんと川上さんの間に入られとったフクさんが来ればええんですけど、
あの人は満足に読み書きができんのんで、代わりに私に行っちゃくれんかいうことになって、
私も川上さんとは知らん間柄じゃあなかったこともあって、特になんのあれもなく、旅行みてえなもんじゃ言われてつい受けてしもうたんです。
まさかあがあなことになるとは思わんで。
広島の駅から新幹線に乗って新大阪についたあと国鉄に乗り継いで、駅からタクシーを呼んでもろうとったのに乗り込んで、
美幸さ んとこのお宅へ伺うたんです。
ついたんはまだ日が高いうちでしたけえ、これから支度したらちょうどええ頃合いじゃあいうてお話をしたんを覚えとります。
美幸さんのお宅についてから、まず簡単に挨拶を済ませました。
家ん中は真っ暗でした。饐えたような臭いがしとって、旦那さんはもう随分と参っとってでしたけど、なんとか気を張っておられたようでした。
美幸さんのほうは旦那さんと違ってもう限界じゃいう感じで、ほとんど喋りもせんで、目もうつろで。
私と川上さんは二階の美咲ちゃんの部屋に案内されて、部屋に入ると川上さんが部屋の中を見て回られて、
美咲ちゃんの大切なもの、 なるべく長う使うとるものをひとつ貸してください言うちゃったんです。
そしたら美幸さんが、美咲が大切にしているぬいぐるみです言うて、それを川上さんに渡されて、それから私と川上さんで交霊会の支度を始めました。
まず、部屋の中央に下から卓袱台を運びました。その上に持ってきた蝋燭を立てて、私らみんなでお神酒をいただいて、塩をまいて、
川上さんが短いお経みたいなのを唱えられてから、お父さんお母さんお待たせしました、いまから美咲ちゃんをこの部屋に呼びます、言われました。
川上さんは持ってきた包みん中から、魂を降ろすんに使うとる板を取り出して、卓袱台の上に置かれました。
板には真っ赤な鳥居と、はいといいえ、あとはあいうえおかきくけこいう平仮名、
それに0から9までの数字、それらが彫りこまれとってでして、そこに川上さんがいつも使うとる、カコイサマいうやつを、
ご存知ですか、それを置かれてですね、川上さんと旦那さんと美幸さんと、三人とでそれに指を添えられて、
ぜってえ指を離さんといてください言うて川上さんが説明しておられました。私は川上さんの言うちゃることを帳面に記録する係ですけえ、
その間ずっと鉛筆をもって横で待機しとったんですが、そのうちに川上さんが言われました。
たいへん長うお待たせしました。お父さん、お母さん、いまから美幸ちゃんを降ろしますけえ、美咲ちゃんのことを心でじっと念じてください。
できるだけ楽しいことを思い出して、美咲ちゃんの顔をはっきりと心に映してください、いうて。
ほうで川上さんは美咲ちゃんに呼びかけるような言葉を呟き始めて、美咲ちゃん、美咲ちゃん、言うて、
なんとも居た堪れん気持ちになったのをよう覚えてます。
あのカコイサマいうんは不思議なもんで、あれはほんまにひとりでに動きおるんです。
私も実際信じとらんかったですけど、ありゃあそうとしか思えんのです。
じゃけ川上さんに聞いてみたことがあるんですね、一度。なしてありゃああなあなことになるんかいうて。
ほしたら川上さんは、あれは入り口なんじゃ言うちゃられました。
人の魂いうんは寂しゅうて仕方ないけ、あったけえところを見つけて入りてえんじゃ、あのカコイサマにはお地蔵さんがおられて、
それに誘われてするすると魂が入られるんじゃ言うて。そういうのは魂のほうも頭で考えとるんじゃのうて、
電燈に蛾が集まるみたいな、自然なもんらしいです。
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