『雨音』『目覚め』『列』など全5話|【短編 師匠シリーズ】洒落怖名作

『雨音』『目覚め』『列』など全5話|【短編 師匠シリーズ】洒落怖名作 師匠シリーズ

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『雨音』

死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?177
454 :雨音  ◆oJUBn2VTGE:2007/09/26(水) 20:16:46 ID:gAYKdkL30

 

大学2回生の秋の終わりだった。
その日は朝から雨が降り続いていて、濡れたアスファルトの表面はもやのように煙っている。
こんな日には憂鬱になる。気分が沈滞し、思考は深く沈んでいる。
右手には川があり、白いガードレールの向こうもかすかに煙って見える。
カッチカッチと車のハザードランプの音だけがやけに大きく響く。それだけが世界のリズムになる。
すべてがそのリズムで成り立っている。
俺はもう一度川を見た。
あのガードレールのこちら側に雨は降り、あちら側にも同じ雨が降りそそいでいる。
道に落ちる水と、川面に落ちる水。
見上げれば暗く低い空から、それでも数百メートルの高さをゆっくりと落ち、
地表においてわずか数センチの違いで運命が分かれている。
このイメージが妙に可笑しくて、運転席でハンドルに頬杖をついている人に伝えた。
すると彼はめんどくさそうに口を開く。
「此岸と彼岸の象徴か。確かにこの世とあの世なんて、たったそれだけの違いだよ。
けど、地中に染み込んでも川を流れても、いずれは海にたどり着く」
海。
俺にオカルトを教えた師匠が言うその『海』は、きっと『虚無』と同義なのだろう。
彼は死後の世界を認めなかった。
ここでいう死後の世界とは、地獄とか天国とか、そういうこの地上以外の世界のことだ。
なぜか認めないのかはよくわからない。けれど、頑なにそう信じていたのは確かだった。
夕暮れにはまだ少し早い。
俺と師匠は路肩にとめた車の中でずっと待っていた。
先日、雨の降る日に、師匠はここでなにか面白いものを見たらしい。

「いい雨が降っているぞ」
そう言って俺は呼び出され、そしてここにいる。
まるで刑事の張り込みだ。
そう思いながら、アンパンをひと齧りし、牛乳のパックを傾ける。
左手には空き地があり、草むらの中で誰かが置き去りにした一輪車が雨に打たれている。
誰も通らない。
ふいに師匠が口を開き、
「仮に、生まれた時から地下室で育てられた子供がいるとして、
その子は地下室の外で自ら体験するまで、雨というものを知らないだろうか」
と、怖いことを言う。
「火よりも雨の歴史は古い。
人間が猿だった頃から、いやそれ以前から、
地表で生きるすべての生物に、雨の記憶が宿っているんじゃないかって思うんだ」
遺伝子の奥深くに……
そう言って、ガサガサとコンビニの袋を漁る。
もうアンパンしか残っていないのに、諦め悪くかき回している。自分がアンパンばかり買ったくせに。

雨の記憶か。
思考が再び、深く沈降していく。
動物は生得的に、自分にとって危険なものを見分ける力がある。捕食すべきものもまた。
それらに出くわした時、遺伝子に記憶された反応が起こる。
もっと原始的な生命にとっては、走光性や走水性がそれだろう。
同じように雨に対する反応も、生まれついてこの体の中に眠っているのだろうか。
気の遠くなるような過去から、連綿と受け継がれてきた記憶が。
はじめて雨を体験した時のことを思い出そうとする。

当然、そんなことを今の俺は覚えてはいない。
すべての人に聞いてみたい。
『はじめての雨はどうでしたか』と。
きっと誰も答えられない。誰もが体験したはずなのに。なんだか愉快だ。
もう一度、自分の記憶を探ってみる。
雨の匂いはいつも懐かしい。その懐かしさはどこから来るのだろう。
とりとめもないことを考えていると、師匠の欠伸にふと現実に還る。

「来たぞ」
雨の筋に霞む道の先に人影が現れた。
師匠は曇ったフロントガラスを袖で拭く。俺は目を凝らして前方を見つめる。
赤い傘が見えた。
続いて、その傘の柄を持つ女性の姿が浮かび上がって来る。表情まではわからない。
30がらみだろうか。服の感じからそう思う。そしてなにか嫌な感じがした。
すぐにその嫌悪感の正体に気づく。
傘をさして歩く女性のすぐ後ろに、5,6歳の女の子がついて歩いている。桃色の靴。黄色い帽子。
雨さえ降っていなければ、ごく普通の母親とその子どもに見えただろう。
だが、今は異様な光景だった。
傘をさす女性。その1メートル後ろを、俯きながら歩く傘を持たない子ども。
傘の下、寄り添うように歩いていれば、なんの違和感もないはず。
たった1メートルで、まるで此岸と彼岸だ。

「雨のせいか、鼻が利かない」
師匠はそう言って、食い入るようにそのふたりを見つめている。
やがて車の横を通り過ぎて、ふたりは再び雨の中に煙るように消えていく。
「あれは、生きている人間だと思うか」
俺に聞いている。
わからなかった。師匠にもわからなかったらしい。
もう姿は見えない。
曇ったままのリアガラスを拭こうと、シートを倒して手を伸ばすけれど、その手は宙に惑うだけだった。
「母親も娘も生身。
母親は生身、娘は霊。
母親は霊、娘は生身。
母親も娘も霊」
師匠があまり感情を交えずにそう呟いた。
どれも悲しい。
なぜかひどく悲しかった。
息が詰まり、助手席の窓ガラスを少し下げる。
ザーッというきめ細かい雨音が、車の中に入り込んで来た。
ハザードランプのカッチカッチという、時を刻む音が小さくなる。
音も、風景も、心も、何もかもが雨に降り込められている。
こういう世界になってしまったみたいだ。
はじめて体験する雨がいつかは止むなんて、その時知っていただろうか。
ふと、すべての人に聞いてみたくなった。

 

『目覚め』

死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?253
952 :目覚め  ◆oJUBn2VTGE:2010/12/17(金) 23:26:24 ID:1sx/PKqt0

 

大学一回生の冬だった。
そのころアパートで一人暮らしをしていた俺は、寝る時に豆電球だけを点けるようにしていた。
実家にいたころは豆電球も点けないことが多かったが、
アパートでは一つだけあるベランダに面した窓に、厚手のカーテンをしていて、夜はいつもそれを隙間なく締め切っていた。
だから豆電球も消していると、夜中目が覚めた時に完全に真っ暗闇になってしまい、
電球の紐を探すのも手探りで、心細い思いをすることになるのだ。
それが嫌だったのだろう。

ある夜、いつものように明かりを落とし豆電球だけにして、ベッドに倒れ込んで眠りについた。
夜中の十二時くらいだったと思う。
それからどれくらい眠っただろうか。
意識の空白期間が突然終わり、頭が半分覚醒した。目が開いていることで、自分が目覚めたことを知る。
あたりは夜の海の底のように静かだ。天井の豆電球が仄かに室内を照らしている。何時くらいだろうか。
壁の掛け時計を見る。眼鏡がないと針がよく見えない。
短針が深夜の三時あたりを指しているようにも見えるが、
枕元のどこかにあるであろう、眼鏡を探すのもおっくうだった。
頭は覚めていても、身体はまだ命令を拒んでいる。
ぼんやりとどうして目が覚めたのか考える。
電話や目覚まし時計の音が鳴っていた痕跡はない。尿意もない。
最近の睡眠パターンを思い出しても実に規則的で、こんな変な時間に目が覚める必然性はなかった。
いつも割と寝つきは良く、夜中に何度も目が覚めるようなことはなくて、朝までぐっすりということが多かったのだが……
それでもたまにあるこんな時には、得体の知れない恐怖心が心の奥底で騒ぐのを感じる。
理由はない。
あるいは、無防備に意識を途絶えさせることに対する原初的な恐怖、ただ夜が怖いというその本能が蘇るのかも知れない。
ベッドで仰向けのまま、もう一度眠ろうとして目を閉じる。
深く息をつくと、まどろみは自分のすぐ下にあった。

翌日、師匠に会った時に、ふと思いついたことを言ってみた。オカルトに関して師と仰いでいる人だ。
「目が覚めるとき、目を開けようと思ったかどうか、ねえ」
師匠はさほど面白くもなさそうに繰り返した。

「ええ。昨日の夜中に急に目が覚めて思ったんですけど。
目を開ける前に先に意識が覚醒していて、その覚醒した意識で『目を開けよう』と思っているのか、
それとも、目を開けた瞬間に意識が覚醒しているのか。
どっちなのかと思いまして」
『どっちでもいいんじゃない』という顔をしたが、一応考えているようだ。
「個人的には、目を閉じたまま『あ、今夢から醒めた』と思ったことはないなあ。でも人によるんじゃない?」
「脳のどこかの反射で目が開いて、その目が開いたことで意識が覚醒する、とか」
「さあねえ。でもそれなら、目が見えない人はどうなるんだ」
そうか。そういう人たちは、夢から覚めても暗闇の中だ。つまり、目が覚める切っ掛けは視覚的なものではない。
でも普段視覚に頼っている自分たちが、その視覚を塞がれていたらどうだろうか。
眼球が外気に触れないように、完全にテープか何かで開かないようにしてから眠ってみると、
目が覚める瞬間はどのように知覚されるのか?
考えていると興味が湧いて来て、今度試してみようと思った。
「目が開くことが覚醒の切っ掛けなら、ずっと目覚めないかもよ」
師匠がいやらしいことを言う。でも、それはそれで面白いと思う自分がいた。
「でも」と師匠が言葉を切り、そして何気ない口調で続けた。
「普段熟睡できている人が、夜中急に目が覚める理由なら知っている」

その冬休みに、俺は実家に帰省した。
洗濯や食事の準備などしなくて済むという、実家の有りがたさを味わう日々だった。
ある夜、自分にあてがわれていた和室に布団を敷いて寝ていると、夜中に目が覚めた。
天井に木目が薄っすらと見える。豆電球に照らされているのだ。
だんだんはっきりしていく頭で、ここがアパートではなく実家だったことを思い出す。
また目が覚めてしまった。ここしばらくはなかったのに。
頭を動かすのもめんどくさくて、眼球だけで周囲を見回す。すべて布団に入った時のままだ。
俺が家を出たのを幸いに家族が荷物を放り込み、ちょっとした物置状態になっている。
そのごちゃごちゃした衣装ケースや段ボール、使わなくなった棚などが、時が止まったようにひっそりとたたずんでいる。
それを見るともなしに見ていると、自分の中にある感情が湧いてくるのを感じる。
まただ。

どこからともなくやってくる、正体の分からない恐怖心。なにが、ではなく、ただ、怖い。
そんな時は、枕元の眼鏡を探したくない。
何かが見えてしまうよりも、ぼんやりとした夜の海の底の世界の方がまだましだった。
しかし次の瞬間、師匠の言葉が脳裏に蘇る。
『夜中急に目が覚める理由なら知っている』
…………
確かにそう言った。
夜中に目が覚めて、どうして目覚めたのか分からない時がある。
レム睡眠とノンレム睡眠の繰り返しの中で、目が覚めやすい時間があるのか。
あるいは、自分でも気づいていない疲れで、眠りが浅くなることもあるのかも知れない。
しかし師匠はこう言うのだ。
『夜中に急に目が覚めるのは、家の外に誰かが訪ねてきているからだよ』
その言葉には、世の中の目に見えない真理を照らしているかのような、妖しい響きがあった。
布団の中で固まったまま、呼吸が少し早くなる。
静かだ。
何時くらいだろう。壁の時計は部屋の奥だ。豆電球の明かりでは暗くて見えない。
師匠の言葉の意味を考える。
誰かが家の外にきている。だから目が覚める。
そんなことを考えたこともなかった。
夜中目が覚めても、理由がなければまた眠るだけだ。わざわざ外を見に行くこともなかった。
なのに。
心臓の音が体内に響く。布団が重い。のしかかるように。
俺はゆっくりと身体を起こす。眼鏡はすぐそばにあった。空気が粘りつくように部屋を覆っている。
恐怖心。
いつもの、ただ夜を恐れる原初的なものではない。もっと、なにか、忌わしいもの。
ゆっくりと立ち上がり、摺り足で畳の軋む音を聞く。
キシ……キシ……キシ……
庭に面した窓のあたりは板張りになっている。窓に掛かった重いカーテンが外と内とを閉ざしている。
息をのんで、そっとカーテンの生地を掴む。窓の端から外を覗き込む。

一瞬、窓ガラスの表面から夜の冷気が流れてくる。吐く息でガラスが白く曇った。
パジャマの袖でそれを拭うと、ささやかな庭と植木、そしてブロック塀の向こうの道路が見える。寝静まる住宅街。
豆電球の暗い黄色の明かりとは違う、細い針のような月の光が、かすかにそれらを照らしている。
庭を横断する石畳の筋。それを囲む背の低い芝生。その向こうに玄関の門。
誰かいる。
冷たく高まる鼓動を聞きながら、ガラスに顔を近づける。冷たい空気が頬を撫でた。
門の石柱の前に立たったまま、チャイムを鳴らすでもなく、庭に入り込もうとするでもなく、その誰かは身動き一つしない。
『夜中に急に目が覚めるのは、家の外に誰かが訪ねてきているからだよ』
…………
一度も外を覗いたことはなかった。
本当はその度ごと、こんな風に誰かが外に立っていたのだろうか。
吐く息が冷たい。身体中が悪寒に震えている。
雲の切れ間が変わったのか、一瞬、その誰かの顔を冴えざえとした月光が浮かび上がらせた。
虚ろな顔。男。覚えはないが、なぜか懐かしい。
そう言えば小学校の同級生に、似た顔の子がいたような気がする。大きくなればこんな顔だろうか。
男は月の光に怯えたように、顔をゆっくりと左右に振る。
そして後ろを向くと、肩を落として歩み去って行った。闇の中へ。消え入るように。
近くの森に棲む山鳩の、ほうほう、という声が聞こえる。
自分が眠ってさえいれば、そして寝床から出さえしなければ、誰も知らなかったはずの光景が、そうして終わった。
カーテンを戻し、窓際を離れてもう一度布団に向かう。
知らなくていいことは、知らずにいよう。
そう思った。

 

『列』

【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ14【友人・知人】 255 :列  ◆oJUBn2VTGE:2010/09/04(土) 23:07:32 ID:e+ha2oiV0

 

師匠から聞いた話だ。

大学に入ったばかりの頃、学科のコースの先輩たち主催による新人歓迎会があった。
駅の近くの繁華街で、一次会はしゃぶしゃぶ食べ放題の店。
二次会はコースのOBがやっているドイツパブで、僕は黒ビールをしたたかに飲まされた。
三次会はどこに行ったか覚えていない。

ふらふらになり、まだ次に行こうと盛り上がっている仲間たちからなんとか逃げおおせた頃には、
夜の十二時近くになっていただろうか。
同じようにふらふらと歩いているスーツ姿の男性と、それにしなだれかかるような女性、
路上で肩を組んで歌っている大学生と思しき一団、
電信柱の根元にしゃがみ込む若者と、背中をさする数人の仲間……
そんなごくありふれた繁華街の光景を横目に、
僕は駅の方角に向って、液体のように形状の定まらない足を叱咤しながら歩いていた。

前掛け姿の店員が看板を片付けている、中華料理屋の前にさしかかった時だった。
自分が進んでいる道と垂直に交差する道が視界の前方にあり、その十字路の上を奇妙なものが歩いているのが見えた。
それは街路灯に照らされているわけでもないのに、ほんのりと光を纏っている。
人間のようにも見えるが妙にのっぺりしていて、顔があるあたりは眼鼻の区別が定かではない。
そういうものが何体も、前方の道を右から左へ通り抜けて行く。
この世のものではないということはすぐに直感した。
元々他人より霊感が強く、幽霊の類にはよく遭遇するのであるが、こうして街なかで群をなしているのを見るのは珍しかった。
ゆっくりと十字路に近づいていくと、その歩いてる連中が行列をなして同じ方向へ進んでいるのが分かった。
その数は十や二十ではきかない。
無数の人影がぼんやりと繁華街の夜陰に浮かびながら、そろそろと歩いている。
寒気のする光景だった。
『霊道』という言葉が思い浮かんだ。
蟻が仲間のフェロモンをたどって同じ道を列をなして通るように、なにかに導かれて彷徨う霊たちが通る道だ。
こんな繁華街の真っ只中に……
恐る恐る十字路に出て、行列の向かう方向を窺う。
どこまでもずっと続いているような気がしたが、道の向こうに列の先頭らしきものが見えた。

その瞬間だった。列の中からこちらに手を伸ばしてくるやつがいた。
間一髪でその手をかい潜り距離を取る。
思いもかけない攻撃に焦って足を挫きかけた。心臓がバクバクしている。
異様に長い白い手が、波打つように揺れながら列の中に戻っていく。
周囲の人々は誰もその光景を見ている様子がない。
行列を横切ろうとする人はおらず、十字路にさしかかった人も何気ない歩調で左右に折れていく。
元々そちらに向かう人なのか、それとも無意識に霊道を横切らないように迂回しているのか……
そんな中、彼らの存在が『見えて』いる僕に反応したのだろう。
それでも、列から離れてこちらを追いすがってくる様子はない。
列に添って進むことは、抗いがたい何かを秘めているのか。

体勢を立て直し、道の中心を通る彼らからなるべく離れたままで、その進む方向へ足早に歩を進める。
ぼんやりと光る彼らに横から目をやると、
その着ている服がうっすらと見えたり、無表情な横顔や砕けて開いたままの顎から垂れる血糊、
左の肩が落ち込んで鎖骨が覗いている姿などが垣間見えた。
はっきり姿が見えるものや、闇に消え入りそうなものもいて、
そんな『見え方』はバラバラで一貫性はなかったが、どれも一様に歩を乱さず歩いて行く。
僕は小走りに駆け、ふたブロックほど先でその先頭に追い付いた。
その時に見た光景をなんと表現すればいいのか。
その光景は、僕の生涯の中で忘れることのできない輝きを持って、様々な瞬間に幾度となく蘇ることになるのだ。
明かりの落ちた薬局の看板の前で思わず立ち止まり、その横顔に見とれていた。
霊道の一番先端を行くのは女性だった。
白いジャージの上下を着て、ポケットに両手を突っ込み、少し猫背で、睨み上げるように前を見据えて歩いている。
その相貌は怒気を孕んだように白く、眼は……
眼は、そこに映るすべてのものを憎悪し、唾棄し、苛み、
そしてそれでいて全く興味を喪失しているような、そんな色をしていた。
苛立ちを撒き散らし、自分を不機嫌にさせたすべてを呪いながら彼女は歩いている。
その後にぼんやりと光る死者の行列が音もなく続く。
僕は息を止めて見つめている。

葬列にも似た荘厳な行進は、夜半を過ぎて狂騒の冷めかけた繁華街の夜の底を行く。
この世のものならぬものたちを従え、そして、そのことに気づいているのかどうかも分からない表情で、
振り返りもせず、ただ前方を睨み据えて彼女は歩き続ける。
いったい彼女の何が、まるで誘蛾灯のように彼らを惹きつけるのだろう。
僕はその幻想的な光景に一歩足を踏み出し、通り過ぎようとする彼女に声をかけようとした。
「あの……」
挙げかけた右手が虚空を掻く。彼女は足を止めようともせず、そしてこちらを一瞥もせずに、ただ短く口を開いた。
「後ろに並べ」
そして次の瞬間、彼女は今自分が言葉を発したことさえ忘れたように、表情を変えず歩き去ろうとする。
すべてがスローモーションのように映る。
今自分に話しかけたものが、この世のものなのか、そうでないのか、まったく関係がない。そんな声だった。
そうした区別もなく、ただ、どちらにも等しく価値がないと、他愛もなく信じているような。
僕はその声に従いそうになる。
深層意識のどこかで、彼女につき従う葬列に混ざり、意識を喪失し、個性を埋没させて、
ただひたすら盲目的について行きたいと、そう思っている。
だが現実の僕は、目の前を通り過ぎていく寒々とした列を、呆けたような顔で見送っている。
その時僕は、彼女の横顔に涙が流れていくのを見た。
いや、それは涙ではなかった。左目の下、頬の上あたりに、仄かに光る粒子が溢れている。
それが風に流れる水滴のようにぽろぽろとこぼれては、地面に落ちる前に消えていく。
その粒子の跡を追って、無数の死者たちが光の帯となって進む。静かな川のようだった。
僕はそれに目を奪われる。
その情景に、自分の感情を表現するすべを持たない自分がひどくもどかしかった。

気が付くと行列は去り、やがて再び繁華街のざわめきが戻ってきた。
さっきまでの異様な空気はもうどこにもない。
何ごともなかったかのように、酒気を帯びた人々が道を横断していく。
遠くで客の呼び込みをしている嗄れた声が聞こえる。
終わりかけた夜の残滓が、アスファルトの表面をゆっくりと流れている。
我に返った僕は、棒立ちのまま左目の下に指をやる。
もう一度、どこかであの人に会うだろう。
そんな予感がした。

 

『木』

死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?226
788 :木  ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:16:46 ID:4o0HgrnU0

 

大学二回生の春だった。
近くを通ったので、オカルト道の師匠の家にふらりと立ち寄った。
アパートのドアをノックしてから開けると、
部屋の中では師匠が畳の上にあぐらをかいて、なにかをしきりに眺めている。
近づいていくと、後ろ向きのままの師匠と目が合った。
「よお」
卓上にしては大きく、姿身にしては小さい中途半端な大きさの鏡だった。
軽く嫌な予感がする。
「鏡ですか」と言わずもがなのことを訊くと、
「うん」と頷いたきり、鏡の中の視線を外して、正面をまじまじと見つめている。
俺はその横に座って、そんな師匠をじっと観察する。
なにをしているのだろう。
まず普通に考えると、オカルティックないわくつきの鏡を入手したので、ご満悦の図。
次点で、ただ自分の顔を見ている。
どっちかだろう。
鏡は縦に長い楕円形をしていて、陶器のように見える台座の中央から支柱が伸び、リング状の枠につながっている。
鏡は枠の左右から出た棒で支えられており、上下にくるくる回る仕組みになっているようだ。
古そうにも見えるが、そんなにおどろおどろしい印象は受けなかった。
「なにしてるんです」
鏡を見つめ続ける師匠にしびれを切らした俺が問いかけると、ようやく前のめりの重心を戻した。
「考えごとをしていた」
そう言って息を吐く。まるで呼吸することをようやく思い出したという体で。
「鏡について?」
そう訊くと「ふ」と笑い、ゆっくりとこちらに向き直る。
「こんな話がある」
片手で鏡をくるりと裏返しながら。
「だれもいない森の奥で、木が倒れた。さて、そのとき音はしたのか、しなかったのか」

あ。聞いたことがある。
だれもいない森の奥で木が倒れたのなら、その音を聞いた人もいなかったということだ。
観察者である人間を介さずに、音が存在しうるかという問題。
「それ、なんかよく分かんないんですよね。音がしたに決まってるんじゃないですか。
だって本来、観察者がいないんだから、木が倒れたっていう部分からして疑ってかかるべきなのに、
そこを前提にされてるんなら、音だってしたでしょうよ」
「それでも月はそこにあるって言ったのは、アインシュタインだったかな。……まあいい。
この命題は、『音』を振動そのものとしてとらえるか、
振動が生物の聴覚器官に知覚されたものととらえるか、によって考え方が違ってくるけど、
音はしたっていうのが、ほとんどの人の回答だろう」
師匠はそこまで言うと、また鏡に手を伸ばして、人さし指で裏面を押し回転させた。
「では、次の問題はどうだ」
鏡面がこちらに向いた状態でぴたりと止める。
「だれもいない森の奥で木が倒れた。その木の前には鏡が置かれていた。
その鏡に、倒れる瞬間は映っているかどうか」
これは初めて聞いた。
とりあえずイメージしてみる。
森の奥。朽ちかけた木。木の前の鏡。鏡には左右逆の姿になった木が映っている。
木が倒れる。鏡の中の木も倒れる。
倒れた木。
だれもいない森の奥で。
分かった。
「どう考えても映ってます。音と同じですよ。人が見てなかろうが、映っていると考えるのが自然です」
それを聞いた師匠がニヤリと笑う。
そして、どこからかキリンの人形を出してきて、鏡の前に置いた。
見たことがある。最近出回ってる食玩かなにかだ。
鏡を指さして言う。
「どうだ。なにが映ってる」
鏡の前に、キリンがこちらにお尻を向けて立っている。
そして鏡の中では、キリンがこちらに顔を向けて立っている。

「キリンです」
「そうだね」
師匠はキリンをつついて転ばせた。
鏡の中のキリンも倒れる。
なにがしたいんだろう。
師匠がイタズラを隠しているような表情で俺の肩を叩き、
ちょっとずれろ、というジェスチャーをするので、腰を浮かして座っている場所を変えた。
鏡の正面から、五十センチくらい右に移動したことになる。
「どうだ、なにが映ってる」
鏡に向かうと、斜めから見ることになるので当然映っている景色が変わっている。
「ゾウです」
いつのまに置いたのか、左手の方にゾウの人形が立っていてそれが鏡の中に映っている。
「じゃあもっとこっち」
師匠はさらに、俺の座る位置を右にスライドさせた。
「なにが映ってる」
今度はかなり鏡面の角度がきつくなり、見にくくなっているが、ワニが映っているのが分かる。
「ワニです」
そう答えた瞬間、なんだか不思議な空間に迷い込んだような錯覚があった。
あれ?どうしてワニが映っていていいんだろう。
左手側を見ると確かに、鏡に映っているあたりにワニの人形が置かれている。
なのに、奇妙な違和感が身体の内側から湧き出してきた。
ポン、と肩に手が置かれてビクリとする。部屋の隅まで移動するようにという指示がある。
言われるまま壁際に座った俺は、胸がドキドキしている理由を考えまいとしていた。
師匠の声が昏いトーンを帯びる。
「さあ、なにが映ってる」
鏡の角度がなくなり、今自分はほとんど真横と言っていい位置にいる。
鏡面は平面というより線分に近づき、暗い金属色だけが見てとれる。
ワニもゾウも、もちろんキリンも映っているない。

「さあ部屋を出ようか」
師匠は言葉だけで誘う。
目を開けたまま幽体離脱したように、俺は師匠に連れられて部屋を出る。身体は部屋に残したまま。
街の中を師匠はどんどんと歩く。俺はついていく。
立ち止まるたびに師匠は俺に訊く。
「なにが映ってる」
答えられない。アパートのドアしか見えない。
「なにが映ってる」
答えられない。アパートさえもう見えない。
「なにが映ってる」
答えられなかった。
やがて二人は森の中に入り、だれもいないその奥で、朽ちた木の前に立つ。
木の前には鏡が置かれている。木の方に向けられた鏡。
師匠は訊く。その鏡の真後ろに立って。
「なにが映っている」
鏡の背は真っ黒で、なにも見えはしない。
「さあ、なにが映っているんだ」
分からない。分からない。
俺の目は鏡の背中に釘づけられている。
その向こうにひっそりと立っている朽ちかけた木も、視界には入っているのに、
鏡の黒い背中、その裏側に映っているものをイメージできないでいる。
分からない、分からない、分からない。
頭の中が掻き混ぜられるようで、ひどく気分が悪いような、心地良いような……
ポン、と肩を叩かれた。
「もう一度訊く」
一瞬で師匠のアパートに帰ってきた。自分が壁際に座ったままだったことを再認識する。
「だれもいない森の奥で木が倒れた。その木の前に置かれていた鏡に、倒れる瞬間は映っているかどうか」
さっきとまったく同じ問いなのに、その肌触りは奇妙に捩れている。
鏡の前にはキリンが、さっきと同じ恰好で倒れている。
「分かりません」
ようやくそれだけを絞り出すと、師匠は満足したように、キリンとゾウとワニを拾い集めた。

 

『墓』

【僕】 師匠シリーズを語るスレ 第十夜 【俺】
734 :墓 ◆oJUBn2VTGE:2009/08/16(日) 11:08:59 ID:yWlHCO0/0

 

暑い。
我慢ができなくなり、上着を脱いで腰に結んだ。
一息ついて、山道を振り返る。
林道が何度も折れ曲がりながら山裾へ伸びている。
下の方にさっき降りたバス停が見えるかと思ったけれど、背の高いスギ林に隠されてしまっていた。
右手に握り締めた紙が、汗で柔らかくしなっているのがわかる。
街を出るときは今日は冷えそうだと思って、それなりの服装をしてきたのに、
思いのほか強い日差しと山道の傾斜が、日ごろ運動不足の身体を火照らせていった。
「よし」
たった一人だ。誰に咎められるわけでもないけれど、早く先へ進もうと思った。
足を踏み出す。
そのとき、遥か高い空から一筋の水滴が頬に落ちてきた。ハッとする。
山の天気は変わりやすいというけれど、見上げる彼方にはただの一つの雲もない。風を切る鳥の翼も見えない。
指で頬を拭う。
大気中の水分が、様々な物理現象の偶然を通り抜けて結晶し、落ちてきたのだろう。
ふいに、そうして立ち止まって空を見ている自分を、
もう一人の自分が離れた場所から見ているような感覚に襲われた。
このごろはそういう、自分で自分を客観的に見てしまうのを止められない、ということがたまにあった。
本で調べたことがあったが、離人症という病気の症状に近いようだった。
そら。
首を捻るぞ。
不思議だな。そう思う。
そうしてまた歩き出すだろう。
ちょっと不思議でも、しょせんただの雨粒なのだから。
そんなことより、わざわざこんな山の中までバスを乗り継いできたんだ。
早く進もう。
どうしたんだ。
立ち止まったまま。

そんな取るに足りない出来事に、なぜ心を奪われる?
無意味だよ。
考えたって、きっと意味なんてない。
それでも君は待っている。
誰かが静かな声で問いかけるのを。
『…………って、知ってるか』
そして、日常のすぐ隣にある、奇妙な世界を覗かせてくれるのを。
目に映っているのに、そんな場所にあるなんて思いもしなかったドアを開けてくれるのを。
けれど知っている。
今はそれも無意味だと。
さあ先に進もう。いくら待っていても、その人はドアの向こうに消えてしまったのだから。

大学三回生の冬だった。
オカルト道の師匠がいなくなってから、
ようやくそのことを、自分の中で整理をすることができるようになりはじめたころ。
俺は師匠のことを知るある人物から、一枚の地図を手渡された。
市販のものではない。半紙に手書きされたものだ。
「一度行ってみるといい」
他に客のいない喫茶店は、自分の知らない過去の匂いがして居心地が悪かった。
「なんですかこれ」
目立つ矢印のついた地図に目を落としながら訊いた俺に、彼はよれたネクタイの先をいじりながら言った。
「墓だ」
彼岸は過ぎちまったけどな。彼はそう言ってカウンターのマスターに向き直ると、ジェスチャーで水を頼んだ。
誰のとは訊かなかった。すぐにわかってしまったからだ。

加奈子さんという、師匠のそのまた師匠にあたる人だ。
俺は師匠や他の人から、彼女にまつわる様々な話を聞くにつれ、まるで古くからの知人のような親近感を抱いていたのだが、
よく考えると、彼女の写真一枚見たことがないのだ。
人となりを知った気になっても、俺の中にいる彼女は輪郭だけの存在だった。
お墓があるなんて思いもしなかった。もっと非現実的な、遥か遠くへ消えてしまったような気がしていた。
「行ってみますよ」
そういって頭を下げた。

風は乾いている。もう雨粒一つ落ちてきそうにない空の下を、ようやく歩き始めた。
地図をもう一度広げる。目指す場所はもう少し山の上の方のようだ。
登り続けると、やがて道路の舗装がなくなり、轍の抉れた悪路になった。
途中、前から軽トラがやってきたので、山側にへばりついて避けたのだが、
その軽トラは片方のタイヤを、中央の盛り上がった部分の端に引っ掛けるようにして走っていった。
車体が斜めに傾いて不安定な格好に見えたので不思議に思ったが、
よく考えてみると、抉れた二本の轍にタイヤを合わせれば、真ん中の抉れていない部分で車体の腹を擦るのだ。
なるほど。これも土地柄と、そこで暮らす知恵か。
俺はその道の盛り上がった真ん中に乗っかって歩いた。
崖側には、向こうの山の中腹に広がる段々畑が見える。
紅葉の季節は終わったけれど、空気は澄んでいて、心地よい山あいの風景が遠くまで見渡せる。
もう少しすれば、雪が木々を化粧するだろう。

汗を滴らせながら歩き続けると、わかれ道になっているところに出た。
片方に、名所になっている滝があるという控えめな看板がある。ナントカの滝。読めない字だった。
地図の通りだ。滝がない方の道を選ばなくてはならない。それが少し残念だった。
遠くで山鳩の声がする。

水筒で喉を潤しながら歩き続けて、ようやくそこにたどり着いた。
山の斜面を登ったところに立っている、ささやかな墓石。見晴らしのよい場所だ。

眼下には麓の集落とそこを割って流れる川が、細い身体をくねらせる蛇のような姿を湛えている。
俺は木の根っこを手すり代わりにしながらなんとかそこへ登ると、「はじめまして」と言った。
応えるように気持ちの良い風が吹き抜ける。
「よいところですね」
狭い足場にただ一つ、ひっそりと佇む苔の生えた石。
その両脇には花を供える竹筒があり、枯れたしきびが顔を覗かせていた。
師匠もここへお参りすることがあっただろうか。
黒ずんだお供え物の跡を見ながら、ふとそう思った。
背負ってきたリュックサックを下ろし、線香を取り出す。マッチを擦って火をつけ、すぐに手を振って消す。
そして、それを持って墓石に近づいたとき、俺はハッとして立ち止まった。
え?なんだこれは。
すぐには気付かなかったが、予想だにしなかったものがそこにあった。
その意味が脳に染み込むまで墓石を凝視する。
だんだんと心臓の拍動が早くなってくる。
え?え?え?
記憶のカギが音を立てる。半ば見落としてきた違和感の正体が、連鎖するように形を成していく。
じゃああれは?じゃあ、あのときは?君は。
混乱する頭で、一つ一つを整理しようとする。
線香の香りが立ち上り、ゆらめく不安定な過去へといざなわれる。
君は腹を立てる。なにも知らなかった自分に。そんな生き方をしたその人に。
君は悲しくなる。なにも知らなかった自分が。そんな生き方をしたその人が。
手から線香が落ちる。スニーカーのミシン目にそって蟻が一匹這っている。
綺麗な色の羽をした鳥が、垂れ下がる木の枝にとまっている。
どこからか湧き水の流れる音が聞こえてくる。
涙が一筋だけ空に落ちていく。
そうして君は最後に優しくなる。
「あのバカ」
そう。あのバカに。

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