本当にやった復讐 – 反撃編 全5話
□ 本当にやった復讐の用語集 □
男同士伝えたい事がある
近所に住む従姉妹とは姉妹同然に育った。
その従姉妹が婚約した。
お相手は真面目そうな年上の会社員A。会社の先輩だって。
おめでとう!とみんな喜んでいたんだけど
程なくAが強烈なエネだった事が判明。
結婚後は実家のある九州で親と同居、祖父と小姑小舅も一緒。
Aローンで三世帯住宅を新築するから大丈夫。
従姉妹は家事全般担当。空いた時間はパート。
近所でA親戚がやってる酒屋に話がついてるから大丈夫。
嫁としてのあれこれはA母に聞いて。
実家は甘えちゃうから余り帰らぬよう。
子供は出来るだけ早く、たくさん。
A実家で産めば良い、親戚に産婆がいる。
赤ちゃんのお世話は高齢毒小姑がするから大丈夫。
とにかくA母に従うこと、教えを請うこと、
一日も早くA家に馴染むよう今までの甘えた気持ちは捨てて。
様々な決定は僕と父がする。安心して。
君は僕だけじゃなく、A家の嫁になるんだよ。
最初は辛いと思う、でも頑張って。
文句は言わないでまずは10年耐えると僕と約束して。
愛してるよ、素晴らしい家庭を作ろう。
そう言われたそうっす。
従姉妹は東京生まれ東京育ち、仕事は念願の職。
それはAも知ってる(上司だったから)。
いきなり仕事をやめてA実家に入れとは?初耳ですが?
と従姉妹が尋ねると、Aは
「君が夢に向かって真面目に働く姿を見てこの人なら僕の実家でもやれると思った」
A母は
「さすが我が息子、いい娘をスカウトしてきた。
私はスパルタよ、ついてこれるかしら?」
と言ったそう。
その時点で結納は終わってた。
泣く従姉妹に従姉妹父が
「任せろ」
と。
従姉妹父は、従姉妹に
A家族に「了承致しました」と三つ指ついて言え、その後も言う通り従え。
と指示。
連休と有給をフルに使い、従姉妹はA実家にお試し奴隷をしに行った。
その間、従姉妹父はAを呼び、
娘を君にやるのだから君も私の期待に応えて欲しい、
男同士伝えたい事がある、時間とってくれ
と言う。
従姉妹という奴隷を得て上機嫌のAは了承。
それから、高校野球の監督である従姉妹父の特訓が始まった。
朝な夕なAをしごいた。
朝は部員が迎えに行き、終わるのは八時。
そのあとは従姉妹家で食べろ食べろ祭り。
このくらいの体力は必要だ!男なら!さあ牛丼もう一杯!
ってやったらAがA実家に泣きついた。
A実家は文句を言ってきたが、従姉妹父は
「娘はあなたがたの希望に従って、今までの仕事も実家も捨ててそちらに嫁ぐ。
息子さんにも是非男を見せて欲しい!
高校生がやっている程度のトレーニングは出来なければ困る。男じゃない。」
そう突っ張ねた。
そう言われると後に引けない九州男児で、Aはもうちょっと頑張ったがギブアップ。
従姉妹父は許さず、
「じゃあじっくり時間をかけて体幹を作ろう。男なら当然だ。
結婚はそのあとだ、なあに、半年で見違えるようになる」
で、Aは婚約破棄を申し入れた。
従姉妹に落ち度はなく一方的だということで、結納金は勿論慰謝料も頂き、
会社では土壇場で婚約破棄した酷い男として知れ渡り。
婚約者の父が野球に誘ったら即、音を上げた根性無しとも言われ、結局Aは実家に帰った。
A実家は真面目に奴隷を演じた従姉妹を気に入っておりAを凄く責めたそう。
AからもA実家からも復縁メールがたくさん来るけど
「私は尽くすに相応しい家の嫁になりたいです。
Aさんは弱過ぎて尽くす気になれません」
従姉妹父は
「娘は女性として嫁として素晴らしいのにA君は男として夫として貧弱すぎ」
と、狂ったメールを返しているそうだw
従姉妹父は普段は絶対に男女差別しない公正な人。
勤める高校は時々甲子園に出場してます。
どの面下げて言ってんだ
じゃあ自分がやった復讐話を。
話が犯罪級なので苦手な人はスルーで。
多少フェイク入ってます
俺は小・中学と親と姉に虐待されていた。
会社・学校で嫌なことがあったら八つ当たりで殴られ、
雪の降る中半袖半ズボンで半日近く外に出されたり、
1日おにぎり1つなんてのもしょっちゅうだった。
高校生になって嫌になり俺は家を出た。
まぁ実質絶縁だ。
こんな状態だったが、いい友人や先生に恵まれ、
中学前半で止まっていた俺の知識を頭が悪い高校生位までにしてくれた。
そして大学を卒業し無事就職出来た。
しかしここからまた狂い始めた。
親が俺に連絡してきたのだ。
なぜ俺の電話番号を知っているかは分からなかった。
要約すれば、
「(父親)がリストラされ(姉)もニートなので金の援助をして欲しい」
と。
どの面下げて言ってんだコイツは……と思ったがここで復讐を考える。
俺はある条件で金の援助をした。
それが、
「俺が今までやられた事をやり返す」
ということ。
何故かわからないが奴らはそれを承諾した。
俺はそれからずっと復讐し続けた。
奴らが死ぬまで。
仕事でミスし上司に怒られてイライラしたので殴り、
雪の中裸足で外に出したりした。
たとえ病気にかかっても病院には連れていかなかった。
奴らに
「お願いします……病院に……」
と言われても
「俺が死にかけてた時に殴ってたのは誰だ?」
と言ったら黙った。
人の道に反しているのは分かっているが後悔はしていない。
奴らが死に数十年経ち、嫁が妊娠3ヶ月とわかったので厄落としカキコ。
夢の中でやっつけよう
俺がやったわけじゃないし昔の話だけど、いちおうフェイク入れてます。
夜中、腹減ってコンビニ行って帰ってた時。
道端に、行きには無かった自転車が倒れてた。
近所の女子高生(A子ちゃん)の自転車だった。(オーダメイドで一目でわかる)
(あれ?)
と思ったら、横の空き地(元田んぼで今は1mくらいの雑草が生い茂ってる)で
ガサッと音がする。
「A子ちゃん?」
って声かけたら
「ムーッ!」とか「ウーッ!」とか聞こえた。
慌てて雑草が分かれてるというか、踏まれてる?ようなところをかき分けると
誰か(A子ちゃんだった)がゲホゲホ言いながらえづいてた。
「大丈夫!?」
と聞いて助け起こして道路まで連れだした。
どうやら男に襲われてたらしく、俺が雑草分け入る音聞いて男は逃げていったらしい。
ちなみにまだ何もされてなかった模様。
警察は呼ばなくていいとか言われて、仕方なく家まで送っていった。
(誤解した親父さんに殴られかけたw)
その後。
何度かA子ちゃんと会ったら一緒に帰ったりしてたら、
俺んちのポストや庭に変なものが投げ込まれるようになった。
枯れ葉や泥のときもあれば、拳大の石だったり、生ごみが入ったビニール袋だったり。
いちおう交番に行って相談しておいた。
ある時、
『A子と別れろ』
と、いまどき新聞の文字を切り抜いて貼り付けた紙が入ってた。
A子ちゃんの名前はあまり使われない文字があったので、
そこは手書きだった。(切り抜きにする意味は…)
まあこれも交番に届けた。
ちなみにA子ちゃんと付き合ってる事実はない。
たぶん一緒に帰ったりしてて誰か誤解したんだろう。
迷惑な嫌がらせもおそらくそいつ。
(どうしたもんかなー)
と思ってたらA子ちゃんに会ったんでその話をした。
「心当たりは全くないけど、例の襲ってきた男じゃないか」
って話になった。
「やっぱ警察に言って見まわってもらおうかー」
って話しながら家に向かってたら、
うちの庭になんか投げ込んでる男がいた。
(え、何コイツ?犯人?オイオイ、暗くなってるとはいえまだ夕方だぞ。)
そう思って唖然としてるとA子ちゃんが
「ごるぁああああああ!」
って叫びながら突進していった。
ギョッとしたけど、男も同じで、えって顔してた。
ちなみに男は毛糸の帽子被ってたけど顔すら隠してねぇ。
で、A子ちゃんが飛び蹴りみたいな感じで片足上げて突っ込んだら、
股間のあたりにHIT!
(あとで聞いたら胸のあたり狙ったけど距離が空いてて下の方に当たってしまったらしい)
男、悶絶。俺、うわぁ痛そう(´;ω;`)
それからA子ちゃん、なんか言いながら
イモムシみたいに横になって丸まってる男をゲシゲシ蹴ってた。
A子ちゃんを止めて、男に
「おーい生きてるか?」
って聞きながらA子ちゃんに
「俺とA子ちゃんの親呼んできて」
って頼んだ。
結局、A子ちゃん襲ったのも俺に嫌がらせしてたのもその男だった。
知らなかったけどA子ちゃんはやっぱりトラウマになってて、
夜中に夢見て飛び起きたりしてたそうで。
よく分からんが友だちに話して、
「そいつを夢の中でやっつけよう!」
みたいなノリで盛り上がってたそうな。
それもあって、男に突進したらしい。
ホントにトラウマだったんだろうか、分からんけど、A子ちゃんが悩んでたのは分かった。
ちなみに親呼んできた後A子ちゃんは泣きじゃくってて、
A子ちゃんの親父さんが怒り心頭でまた男にお仕置きしてた。
男、結局玉は大丈夫だったけど、お仕置きで顔を腫らしてた。
警察の人もA子ちゃんを慰めてて、
男に対する憎しみが掻き立てられてたのか扱いがなかなかぞんざいだったw
あ、投げ込んでたのは犬の糞包んだコンビニ袋で、5つくらいあった。
その時知ったけど警察にはA子ちゃんの親父さんが相談してたらしく、見回りもしてたそうだ。
そういやたまに自転車でお巡りさん見かけたわ…
そっから先はだいぶ後で聞いたんだけど、
その男は自転車で颯爽と登下校してたA子ちゃんにストーカーしてたらしい。
なにやら存在をアピールもしてたらしいが、
A子ちゃんは気付いてなかった。まあ自転車で走ってたし。
それで強行手段に出た、と。
もちろん逮捕されてた。
詳しくは知らないけどどうやら執行猶予ついたみたいで、
男の両親も出てきて男を殴り飛ばし、性根を叩き直す、
ということで生まれ故郷に連れ戻されたそうな。
働いたら危険だ
モラハラをモラハラで制した?話。
元夫はモラハラ糞野郎だった。
加えて浪費がすごい。借金しないかわりに使いきってしまう。
「俺が働いた給料だから」
と私は一切管理させてもらえず、貯金をしなければという私の言葉には
「俺を信用できないのか!」
と怒鳴られ、そうされる度に
(私が信用できないから管理を任せてもらえないんだ)
と病んだ。
数百円の化粧水買うにもお金を貰わなければならず、
食材なんかも夫が会社帰りに調達してしまう。
もちろん作るのは私。
先にメニューを考えさせてもらえない、買い物に行かせてもらえないのはかなり苦痛だった。
私が買い物に行くと言えば
「お前の負担を減らす為に買い物してやってるんだ!」
と言われ、むしろそれが負担なんだと正直に言えば私が
「人の好意を踏みにじる人間のクズ」
なんだそうだ。
「子供もいるし、毎月お金を使い切る生活は本当に怖い、
先の事を考えてパートに出たいんだけど」
と言えば
「働きたいと言ったのはお前、子供の保育園代もお前の稼ぎから出せ。家の事も今まで通りに」
と言われ、そうしたら働くのを諦めるしかなかった。
それなのに
「お前も少しは働いて家計を助けようと思わないわけ?」
と、主婦でいる事を責める。
恐らく働いたとしても夫が管理するに違いない。
だからこの時には
(何を言われてもこの人と結婚してるうちは働いたら危険だ)
と思ってのらりくらりと働かない事にした。
そして
(あぁもうこの人はダメだな)
と、夫となんとか頑張ろうと思うより離婚後をイメージするようになった。
まわりに相談しようにもそこは根っからのモラハラ。
一歩外に出れば人望はそれなりにあり、機嫌が良ければお金もくれたので他言は私をかえって不利にしてしまう。
元夫は
「子供にお金を使う事に関しては遠慮するな」
という人だったので、
「子供にせがまれてゲーセンで千円分遊んでしまった」
と言ってもそれは【子供の為に使った】と見なされ咎められる事はない。
子供には本当に今でも申し訳ないけど、
ゲーセンとかの証拠が残らない形でコツコツ小金を作った。
元夫は家族旅行にも連れて行ってくれたし、
離婚を考えるのは私の我慢が足りないのかと悩んだりもした。
けれどよく考えてみたら、私や子供に行きたいところを聞くわけでもなく。
(いつも勝手に行き先から何から決めていたな、家族サービスのようで勝手な事してたんだな)
と離婚する頃にそれらを恩に着せられて気付いた。
子供は可愛いがオイシイところしか関わりたくなかった人だったから、
離婚しても養育費を出し惜しみするのもわかってた。
養育費は一括で取るしかない。
どうしたらいいか考えた。
私は旦那に
「家を建てて社宅を出ないか」
と提案した。
最初は渋った(浪費はするくせに借金は嫌だから。社宅は家賃安いし)が、
なんとかモデルハウスに引っ張る事に成功。
ここまでに二ヶ月近くかかった。
元夫、勤め先はそれなりに名の知れた所で
信用もあったから営業が必死に頑張る。私より頑張るw
単純なのでもう新築する気満々。
しかし貯金はないからもちろん頭金もない。
そこに多少の不安を覚えたようだが、営業も
「ご主人の勤め先ならフルローンも通るでしょう。
他の借り入れもないなら余計大丈夫!」
トドメに
「子供が留守番できるようになったら私もフルタイムで働くから」
と囁いたら一発。
それから七ヶ月後、家が完成した。
環境が変わって元夫のモラハラは影を潜め、
もしかしたらこのままの日々が続くのかなとも思ったりした。
しかしやっぱりと言うべきか、
「ここは俺の家なんだから」
と元夫の本性が遺憾なく発揮されるようになった。
そんな時、元夫が某有名通信講座を契約。
約60000円…もちろん私に相談なんかあるわけない。
「この資格持ってたら俺カッコいい、国家資格だし」
と言われた時は目眩がした。
元夫の性格からして真面目に取り組むわけないのがわかってた。
案の定ほったらかし、
「学習は進んでませんか?」
と催促まで届くw
もったいないので私が勉強する事にした。
元夫は出勤したら翌日まで帰らない。
それを利用してテキストをコピーしにせっせとコンビニに通い、
独身時代の貯金の残りはコピー代ですっからかんになった。
テキストには触りもしないから私がコピー取ったのは最後までバレなかったw
めちゃくちゃ勉強した。
今みたいにスマホで便利に調べられず難航する事もたくさんあったけど、
毎日夜中二時に起きて朝六時近くまで勉強した。
元夫と寝室が別でよかったと思った。
帝王切開の腹見ると萎えるからセクースなしなw寝室別でヨロ!してくれて
かすかに残ってたプライドが粉砕されてしばらく立ち直れなかったけど今は感謝してる。
(でも浮気や風俗はなかった、むしろあってほしかったのに。チッ)
架空のゲーセン代から貯めたお金から受験料を捻出した。
まったく勉強しないのに何故か元夫は受験した。
「明日試験あるから」
と高らかに言った。
明日私もその会場行くんですがね。
で、子供を一時保育に預けて私もいざ試験会場へ。
元夫ったら((((;゜Д゜)))こーんな顔してさ。
あんまりにビックリしたのか話かけてもこなかったわw
結果は私が合格で元夫はもちろん不合格。
なんか口パクパクしてた。
ここからがようやくモラハラ返し。
「私ごときがこんな家に住むなんて申し訳なくてできない」
「私なんかが住まわせてもらってる分際で…」
と誠心誠意、ねw
「嫌みか」「仕返しのつもりか」
とか言ってきたけど、
「何言ってるの?あなたが言った事を肯定してるだけなのにこんな言い草あんまりだよ!エーン」
って黙らせた。
前に元夫からボーリョク振るわれた時に元姑から
「喧嘩両成敗」「妻は家庭の太陽でいなきゃならないのよ」
とアザのできた私の顔をじっくり見ながら言った立派なオカーサマの事を褒めるのも忘れなかった。
まだちらちらモラハラを出してきたから、
「いいんだよ気にしなくても。あなたがそんな人間になったのはあなたが悪いんじゃない!
そんなふうにあなたを育てたオカアサンが悪いんだもの」
元姑は亭主が外に女作って出て行かれたらしいんだけど、
「きっとオカアサンが自分の魅力のなさを受け入れてあなたのオトウサンを解放してあげたのね。
だから私にも魅力がないんだから潔く引くのもデキた女の勤めと教えてくださったんだわ!」
他たくさん。
すべて事実に基づいてるので、私は一つも嘘をついていない。
その後はなんか知らないけど元夫の暴言が録音された物や日記、
保存されてたメールが見つかり、
元姑からの香ばしいメールが保存されてるのが見つかって
パニックになった私は弁護士のところに行ってしまい。
そんな私を見て慌てた弁護士が築二年ちょいの家を売却したお金を
養育費として分取ってきてしまった。
開発が始まった時に買った家だったから築二年経ってたのに
買った時とほぼ同じ値段だったのは運がよかったとしか言えない。
元夫、この時には完全に精神衰弱してたが、
私が試験に合格したのにプライドの高い元夫が
不合格だったショックを引きずってるで片付けられた。
録音されてたモラハラを聞き返した時は吐いた。
麻痺してる状態がいかに恐ろしいかわかった。
当時はまだモラハラなんて言葉が今みたいに認知されてなかったけれど、
そんな時代でトントン拍子に離婚成立したのはラッキーだったと思う。
養育費貰った手前子供に会わせないわけにもいかないから
要求があった時は会わせようと思っていたが、
子供に発達障害があるとわかるとピタッと連絡来なくなった。
今はどうしてるか知らない。
私は例の資格を生かした仕事で生計を立てている。
そこも元夫に感謝しなきゃなw
子供(当時3歳)が父親の顔を覚えておらず、
モラハラしてた父親を知らないのは唯一の救い。
子供は友人に恵まれ幸せなようだ。
このたび第一志望突破したので記念カキコ。
返り討ち
私が小3の時、父が交通事故に遭って入院。
小4に上る直前、母も激務で倒れたため、
私と1歳年上の兄は東北地方の親戚の家に預けられることになりました。
その町は本当に山の中にあって、今でもクマ撃ちの猟師がいるようなところ。
一番困ったのは言葉。
兄も私も、東京生まれの東京育ちでわからない言葉ばかり。
そんな中で、気が小さい私はイジメられるようになりました。
きっかけは些細なことでした。
なにか方言で話しかけられた時、意味がわからなくて
「え?」
と何度か聞き直したのが生意気だ、と。
「田舎者だと ほいどさ(バカに) してる」
と……。
東京の方が勉強も進んでいて、テストの成績も良かったのが面白くなかったんでしょうね。
私は足も遅く運動神経もあまり良い方ではなかったので、
ドッジボールで標的にされたり、こちらの方ではほとんど売ってなかった
サンリオなどのファンシーグッズを隠されたり、シャープペンを壊されたり、
ランドセルの中に虫やトカゲの死体を入れられたり……。
ある日、小学校に行こうとして親戚の家を出て、
10分ほど歩いたところで泣いて兄に訴えました。
「もう、学校に行きたくない。イジメられてる。東京に帰りたい」
と。
兄は、私だけを親戚の家に帰すと、職員室に一人で乗り込んで
「うちの妹がイジメられています。どうにかしてください」
と訴え出てくれました。
すると、私の担任は
「うちのクラスにイジメはない。妹さんが溶けこまないのが悪い」
と。
そして、兄に向かって
「子供のくせに、大人に意見するなんて、本当に東京の子は生意気だ」
と。
で、その日から、教師公認のような形で、兄へのイジメが始まったのですが……。
うちの兄、凄いヤンチャというか暴れん坊というか、喧嘩大好き少年だったんです。
小学3年生の時に、6年生をぶっとばしちゃったり。
同級生をいじめる不良中学生にも向かっていって、
ボロボロになりながらも負けを認めないような。
私は登校拒否状態になり、昼間は親戚の家の手伝いをして
兄が帰ってくると勉強を教えてもらい、ドリルや参考書を毎日こなしていたのですが、
兄はほぼ毎日喧嘩三昧の日々。
まず、兄に喧嘩を売ったのは
私のクラスメートの兄弟(小学5年生)たちだったそうです。
毎日、日替わりで誰かしら兄に喧嘩を売ってくる。
しかし、喧嘩慣れしてる兄で毎回相手が返り討ち。
次は、その兄である小学6年生たち。
「東京モンが生意気な!」
と。
それも相手を返り討ち。
兄いわく
「力はあるけど、東京の喧嘩のほうがレベルは上」
だったそうで……。
そして、喧嘩をするたびに兄は職員室に呼び出されて説教されるのですが、
兄は
「納得いかない説教は聞かない」
といって、職員室の窓から逃げたり、教師のすきを見て逃げまくる。
そのうち向こうは4~5人の集団でやってくるようになったのですが、
兄は
「タイマンも出来ないなんてダッセー! だからイナカモンなんだよ!」
と挑発し、向こうがタイマンを承知すると、2連戦や3連戦をやって相手が返り討ち。
私が登校拒否してる約1ヶ月の間に、
兄は小学校の『喧嘩する気のある男子』ほとんどと喧嘩済み。
その全てに勝利。
つまり、兄は『○○小学校の番長』というランクになり、私も『番長の妹』ということに。
東京だったら番長なんて笑っちゃいますが、あの土地では番長と呼んでいました。
嫌がらせをしていた子たちは一気に優しくなって、
「ごめんね、ごめんね、お兄さんさ、言わねでけれ」
と私をちやほやし始める。
私は気が小さいのでそういうのも居心地悪く、
「普通にしてくれればいいから。
あと、お兄ちゃんは年下をいじめたりはしないから、絶対に」と。
ただ、兄の方は喧嘩の日々が終わっておらず、夏前には中学生が出張ってきました。
その中学生を兄は、親戚の家にあった竹の杖で殴って返り討ち。
兄いわく、
「中学生が小学生に喧嘩を売るのはアンフェアだから、こっちも武器ありにした」と。
以来、兄に喧嘩を売る子は誰もいなくなり、
わざわざ隣町の小学校の番長が喧嘩を売りに来ましたが、
これまた兄が返り討ちして兄は小学校の英雄的な立場に。
そうなると、男子たちはみんな、兄の子分のような状態になり、夏もみんなでワイワイと。
ちょうど1年間、兄と私はその地方にいて、
父が退院して母も体調が良くなったことから東京に帰ることになりました。
その時面白かったのは、兄に見送りがいっぱいいたことです。
多分、喧嘩相手であっただろう悪ガキっぽい子たちばかりが、おいおい泣きながら。
兄は悪ガキたちの前で偉そうにお説教。
「おまえら、イジメとかダッセーことするなよ。
ダッセーから、イナカモンだって笑われるんだからな」
悪ガキたちは泣きながら
「うん。わがった。イジメさしねぇ。ダッセーことさ、しねぇがら。
だべら、また、おざってけれ(来てくれ)」
兄も私も30代後半になりましたが、
今も一年に一度はあの土地へ行って同窓会のようなことをやってます。
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