本当にやった復讐 – 反撃編 全5話
□ 本当にやった復讐の用語集 □
さぁおしおきしなきゃね
今、私を虐待し続けたジジイ(血のつながりのない義理の父=養父だがジジイと呼んでる)に、徹底的に恩返ししてる。
こんなことが愉しくて虚しくなるが、ジジイの陰を拭い去る儀式と思ってやってる。
思わず大金を手にすることが出来たから言えるけど、この儀式はもう稼ぐことよりも大事なことだと思う。
こないだジジイが拘束解いて這って逃げ出し、近所のおせっかい連中に助けを求めやがった。
でもざーんねーんw
外ヅラの良いジジイの教え通り、ちゃーんと近所連中に根回しは済んでますw
ジジイ世代もだいぶへったから、おせっかいは変わらないけどみーんな私の味方だ。
「施設に放り込むような非道なことをしない出来た娘」
と良くわからない高評価だし、旦那に急死されたことにも同情的だ(再婚やら後添えやらのおせっかいには辟易だが)。
ニッコニコしながらジジイ連れてきてくれたよ。
こっちもペコペコしながらお礼言って、なにかお礼の品渡そうとして断られて…
子供のころ逃げ出したら連中に連れ戻されて、ジジイと連中が
「わがままな子供でして」
とか
「○ちゃん(私)もうお父さんに迷惑かけちゃだめよ」
とか言ってたこと思い出して涙ぐんでると、勘違いした近所連中が慰めてくれたw
近所連中が帰ったあと、
「さぁおしおきしなきゃね」
ってジジイのセリフ真似て言ったら、ジジイ漏らしやがった。
(こういうときは倍コースだっけなー)
と思い出したり。
ジジイの処分が終わったら、ジジイのコレクションから見つけた、クソ(ジジイの息子)が私に色々している写真を、関係各所にばら撒いて全部終わらせる。
クソの奥さんと娘にはなんの恨みもないから、
恨むならクソを恨めよ。
そしてだーれも知らないところへ行って、なーんも考えずに暮らしたい。
私はまだお母さんを信じたい
母は姉と弟は可愛がるのに、
私にはアレルギーの食材をわざと出す・女性なのに小学校のランドセルを黒にされる・受験当日の受験票をなくすとか、細かな嫌がらせをしてきていた。
40年前ってのもあるけど、親による虐待が取り沙汰されにくく、何より児相が力ない時代ってのもあってそこが動かない一線での嫌がらせが絶妙だった。
そんな環境ではあるが、姉と弟は私の為に母に抗議してくれた。
アレルギーの食材を入れないように監視するとか庇ってくれるから仲良かった。
黒いランドセルとか学校生活に外れたものを持たされても、友達や先生は良くしてくれた。
(先生が母に抗議したら、表面化しない程度の嫌がらせが始まったけど。)
高校生になったら出ていくことも考えたけど、
(そうしたら姉や弟に矛先向くのでは?)
と思ってそれはできなかった。
逆に姉と弟も、
「自立したら一層(私)への嫌がらせが酷くなると思い、出るに出られなかった」
と聞いて申し訳なかった。
こんな扱い受けて仕返ししないほど私はできた人間じゃない。
母が老いたときに復讐してやろうと思った。
社会に出て働きながら母が老いるのを待ち、そして老いてまともに動けなくなった頃に、姉と弟に
「母を優良介護ホームに入れたい」
と申し出た。
当然2人は
「母からあんな扱い受けてきたのにそんなことする必要はない、因果応報が帰ってきたんだよ」
と反対してくれた。
だから、
「あんな扱いうけてたけど、私はまだお母さんを信じたいし、最期には分かり合えると思いたい」
で押し切った。
信じるつもりも分かり合うつもりもないけどな糞ババア。
表向きは優良介護施設とあるが、オニオンブラウザのような身元隠せるインターネットで地域の裏情報探ってたら、その介護施設は実は老人虐待横行していて、『事故も実は職員が意図的に引き起こしてるのはないか』という情報があった。
そしてその職員のうち、
(AさんBさん辺りが主犯なんじゃないか)
という予想はあった
介護施設はお金かかるが、こちらから誰に世話してもらいたいか選ぶことができる。
だから速攻でAさんBさんその他、疑わしい人を指名したよ。
部屋に隠しカメラ仕掛けて数週後、案の定虐待が始まった。
あんな糞ババア介護してて数週間虐待しなかったの驚きだよ。
そのうち母は亡くなった。
最期は自分がしてきた以上のことが返っていて、ざまあみろだった。
カメラ仕掛けてあったから、ついでに裁判で虐待の賠償金を求めることもできたけど、むしろ想像以上の仕事ぶりで逆に職員にはこちらがボーナス与えたいくらいだった。
その介護施設は今は経営悪化で業者さん変わったそうだ。
私はオニオンブラウザでその介護施設について調べたのだが、実は普通のブラウザでも見れるサイトに黒い噂はいくらでも流れていた。
それでもその介護施設が虐待とかで訴えられなかったのは、私と似て親に恨み持ってる人が何人もいるからだろうか?
こっちの幸せを祈ってろ
母親が再婚して、義父になった屑男から虐待された。
屑男と母親の間に子が出来てからはもっとひどくなった。
高校生になって体格で互角になるとそれは無くなったが、屑男からは
「進学の金は出さん、はよ出ていけ」
と言われた。
母親は屑男のいいなり。
なので、
「金出さなかったらオマエが溺愛してる妹を刺す」
って言ってやった。
激高して殴りかかってきたけど、初めて反撃したら驚いてた。
「いつでも刺せる、今日でも明日でも、来月でも来年でも、十年後にいきなり妹が刺されてもいいんか?」
「こっちが家を出てオマエらがどこに逃げても、いつ見つけて刺すか分からんぞ」
「通報したけりゃしろ、いずれ出られるし、オマエらが逃げたら探す」
「24時間妹守れるんか?妹が子供産んだらそいつ刺す」
「刺されたくなければ大学の費用と卒業後の手切れ金用意しろ」
その日は寝れず、包丁と木刀握りしめて布団にくるまってた。
屑男の逆襲に備えるのがキツイので、条件を了承した屑男にアパート借りさせてそこに住んだ。
変な気起こさないよう念入りに脅して、いままでされたことををやりかえして鬱憤晴らしもした。
「自分が幸せになったらオマエらのことも忘れる、いつまでも恨んでるエネルギーもなくなるからな、だからこっちの幸せを祈ってろ」
って最後に言った。
その頃には屑男は白髪も増えて20歳くらいは老けてみえた。
別れ際にすり寄ってきた母親を
(気持ち悪い)
と思ったことを憶えてる。
ちなみに妹とは仲がよかったし、嫌いじゃなかった。
でも屑男の虐待の記憶がどんどん増大してて、幸せそうな妹が憎くて、ああしなければ本当に刺したと思う。
またパワハラかますようなら
以前勤めていた会社での出来事。
Aと言う三十代前半の男性営業社員がいた。
仕事はすごく出来る人で、大口の仕事をいくつも取ってきて社内表彰もされてるし、上司には素直な態度で受けが良い。
その代わり、Aは年下の社員には横柄で嫌われていた。
ある年に入社してきたB君と言う新卒の男性社員がいた。
B君は私ら他の社員から見てもごく普通の新入社員で、特に『今時の…』と言われるようなこともないし、仕事を早く覚えようと頑張ってるふうに見えた。
もちろん挨拶もちゃんとするし、明るくてきちんと躾けられた子だなと言う印象もあった。
だけど何が気に入らないのか、AはB君を酷く嫌っていた。
何かと言うと太腿の外側に蹴りを入れ、B君がみに蹲るとそれを見て笑ってた。
Aは、上司がいるところでは絶対そう言う事はしない。
上司に
「Aに注意して欲しい、B君が可哀想だ」
と進言した人もいたが(私も言った事ある)、とにかく仕事に関して実績がありすぎてAに強く注意できない様子。
そしてB君には
「仕事で見返してやれ」
と言う昭和な激励しかしなかった。
ある日のこと、仕事中に電話が入り、B君が慌てたふうに早退して帰った。
翌日、
「昨日はすみませんでした」
とみんなに謝ったが、聞けば母親が職場で倒れたらしい。
B君は母子家庭で母一人子一人。
「そりゃあ心配だろう」
とみんな理解し、
「気にするな」
と言った。
が、Aだけは
「かーちゃんが倒れたぐらいでアホか。これだから母子家庭は」
と言い、それからはB君を苛める時
「ママーママーおっぱい飲みたい~ってかw」
等と馬鹿にした。
Aは周りがどんなに諫めても止めなかった。
それから何ヶ月か経って、B君のお母さんが亡くなった。
倒れた時にはもう癌があちこちに転移してたらしい。
忌引休暇が明けて出勤してきた時、Aが
「ママが死んだ気分はどうだ~」
と言いながら太腿に蹴りを入れようとした。
その足をB君が両手で受け止めて振り回し、Aが派手にひっくり返った。
B君はそのAの顔を踏みつけて、
「俺にはもう守る人がいないんっすよ。
それがどう言う事か分かりますか?
ケーサツとか怖くないんで。
気が向いたら半殺しにしますんでよろしく」
と言い放った。
その日から完全に立場が逆転して、AはいつもB君の存在に怯えてて、いつも後を気にしてた。
私が後をそっと通っただけでもビクッとなる感じ。
仕事も全くできなくなった。
そうなってくると上司の当たりも強くなった。
B君の方はそれから一年ぐらい経ってから辞めていった。
下っ端社員だけで送別会やったんだけど、
「ちゃんとした会社に就職できたことを母が喜んでくれてたので、『一周忌が終わるまでは』と思ってた」
んだそうだ。
Aは再び辞令が出て別の営業所に異動していったけど、Aの素敵な過去はちゃんとネットワークで伝えておいた。
「また誰かに目をつけてパワハラかますようなら、気の弱いゴルゴだった頃のことを言ってやれ」
って。
ちなみに当時のことを思い出そうとすると、何故かAの顔が丸山穂高で再生される。
雰囲気は似てたなぁ。
同窓会のハガキ
頭が悪くて、地域のバカ高校に通っていた。
なんか知らないがヤンキーグループに目をつけられて、靴をトイレに浸けられたり、チャリをパンクさせられて押して帰るとこをからかわれたりしていた。
ある日、学校に行ったら、教室の机の天板が外されて、どこかに隠されてた。
流石に先生もひと目でわかったらしく、HRで怒ってたらヤンキーの一人が
「朝、それっぽいものが焼却炉の横にありましたァ~」
と。
(どうせコイツがやったんだろうな)
と思いながら、拾ってきて机に戻した。
ビスで止まってないのでガタガタした。
授業が終わって休み時間になった途端、後ろから蹴られて天板が足の上に落ち、すげー痛かった。
家に帰ってから確認すると爪が割れて黒くなっていた。
連中は天板が固定出来てないのがツボに入ったらしく。
何度か同じようにやられて、とうとう俺は初めてキレた。
黙ったまま、外れた天板を持って立ち、そのカドを後ろのヤンキーに向かって振り下ろした。
一発め、ハズレ。
すげえ大きな音がして、先生が何かを言いながらこちらに来る気配がした。
二発め、頭をかばったヤンキーの腕に当たる。
三発め、痛みに腕を下ろしたヤンキーの頭に当たる。
鈍い音と何とも言えない感触。
四発め、頭からちょっとズレて耳に当たってから肩へ。
裂けた耳からちょっと血が出たところで先生に羽交い締めにされて止められた。
それからイジメられなくなった。
が、クラス中から『やばい奴』という扱いで、Fラン大学に行くまではボッチだった。
それでも同窓会のハガキが来たんで出てみた。
そしたら天板で殴った元ヤンキーから
「殴られた方の耳が聞こえにくくなった」
と言われた。
なので
「殺す気だったのに」
と言ったら、周り中からドン引きされたんで途中で帰った。
(たぶん、来年からは同窓会の知らせ自体来ないんだろうな)
って思ったら、かえって気分が軽くなった。
もう気にしてないつもりだったけど、気にしてたのかも。
コメント