『義理と人情』など全10話|ちょっと笑える切ない話まとめ【哀愁】Vol. 6

『義理と人情』など全10話|ちょっと笑える切ない話まとめ【哀愁】Vol. 6
スポンサーリンク

ちょっと笑える切ない話まとめ

 

 

カミさんがETCレーンでバーに突撃しやがった

 

オレの愚痴を聞いてくれ。

カミさんがETCレーンでバーに突撃しやがった
クルマの前から後ろまでサイドガリガリだぞ
「バーが開かなかった」とかぬかしやがる
ETCカード入れてねーのに開くかボケ!

帰りはちゃんとETCカード入れたか確認させた
なのにまたサイドガリガリっすよ
今度はカードの表裏逆に入れてやがんの
まじ女ってアホだろアホ

 

 

次の日の出来事が書かれた日記

 

とある小学校のクラスでは、宿題として毎日の日記が決められていた。
前日のうちに書かれた日記を提出し、それを毎日教諭がチェックする。
ある日、とある教諭は一人の女子生徒の日記がオカシいことに気づく。
はじめはふざけているのかと思っていた教諭だったが、
数日のうちにオカシさの理由に気づいた。
その女子生徒の日記には、次の日(教諭が日記をチェックする日)のデキゴトが
書かれていた。
女子生徒の日記は一日ずれていたのだ。
教諭はおどろくと同時に、これを金儲けに利用できないかと考えた。
株、先物、為替。
しかしそのどれもが小学生が日記に書くようなことではないし、
それを書くようしむけることもできそうになかった。
教諭があれこれ考えをめぐらすあいだにも、
女子生徒の日記には、翌日のTV番組のたわいない感想や、
翌日の友達との会話が書かれていく。
そんな、金にもならない未来の日記に、教諭は歯がゆいおもいをしながら目を通していた。

そして悩みに悩んだ末、教諭は「宝くじ」という結論を得た。
それは自分で好きな番号をえらび、
発売しめきりの翌日に当選番号を発表するたぐいのものである。
これなら数字を書くだけでいいし、しむけるのも簡単そうだと踏んだ。
しかし大金を得るためには、宝くじの発売が終わる前に――つまり日記を書くその日に、
女子生徒の日記を読まなければならない。
教諭はまず、女子生徒に宝くじの話題をして興味をもたせた。
はじめはうまくいかずに、いらだちを募らせたが、
数週間つづけた結果、女子生徒は日記に宝くじの当選番号を書いてきた。
それは確かに当選番号だった。

そして教諭は行動に移した。
宝くじ〆きり日のホームルームを使って、生徒たちにその日の宿題をするように告げた。
そのまま女子生徒の日記をみて、当選番号を知ろうとしたのだ。
算数ドリルや、漢字の書きとりをする生徒たちに、教諭は日記を書くことをすすめる。
生徒たちは次々と日記を書き始める。
が、女子生徒だけは日記を書かなかった。冷静さを装いながら教諭がうながすが、女子生徒は、
「書けない」「どうして書けないのかわからない」
と言うばかりで、一向に鉛筆を走らせない。
早くしないと売り場が閉まってしまう。あせりから徐々に語気が強まっていく教諭に、
ついに女子生徒は泣きだした。その泣き声で、その怒りは頂点にたっする。
「どうして書かないんだ!」
教諭は怒鳴りあげると、鬼のようなぎょうそうで女子生徒の首に手をかけた。

女子生徒は「書かなかった」のではなく「書けなかった」ことに、
元教諭は牢屋のなかで気づくこととなる……

 

 

夜中の大運動会

 

母に夜中の大運動会をいつも叱られていた飼いぬこ。
喧嘩は弱いし気だけ大きいし暴れん坊だし、マジ阿呆でバカな愛しいぬこ様。

少し前、母が末期癌になって、腫瘍がデカくなったせいで下半身が麻痺してしまい、
家の階段を一段一段腰掛けながら降りていた。するとぬこが無言のまま隣に来て、
階段を一段一段母に合わせてゆっくり下り始めた。

母が止まるとぬこも隣で止まって母の方を見る。
母がぬこの方を見るとプイッと顔をそらす。

そんな母が死んだ時、母の亡骸にぬこが近寄っていつも通りに鼻ゴツンをしようとして、
はっ…と何かに気付いたかのような顔をしてゴツンするのを止めた。

母が亡くなって3ヶ月、いつもずっと一緒に寝てくれた。
大運動会は雨天延期か知らんが、夜中はずっとお互い抱きしめて寝てた。
漏れはぬこの腹を、ぬこは漏れの顔を抱いていた。
漏れはちょっと息が出来なかったが。

今は夜中の1人大運動会が復活して、全く一緒に寝てくれない。
そんな大運動会を叱る母の怒号だけが聞こえない。

 

 

好きだった子は・・・

 

小学生:好きだった子はクラスで目立っていた奴にバレンタインにチョコを渡し、
ファーストキスをしていた。
中学生:好きだった子は高校合格後、家庭教師に処女をささげていたとき、
僕は親父に「そんな高校行っても二流止まりだな。」と怒られていた。
高校生:夏祭り、花火大会で浴衣姿のあの子が彼氏とセ○クスをしていたとき、
僕は夏期講習で必死だった。
大学生:気になっていた子が昼間からアパートでセ○クス、彼氏と汗だくで
抱きあっていたとき、僕はバイトで怒られて冷や汗を流していた。
大学院:やっと仲良くなった子が、連日のセ○クスと彼氏からの愛の囁き、
身も心も充実した生活を送っているとき、
連日の徹夜実験と教授の罵倒、学位論文の執筆で肉体的にも精神的にも限界だった。

そして僕は、弛みきった身体の三十路前の女と見合いをすることになった。

そして残飯嫁に月3万のこずかいをもらってきょうも朝から満員電車

社会人2年目:やっと仲良くなった嫁が、連日の不倫と元彼氏からの愛の囁き、
身も心も充実した生活を送っているとき、僕は
連日の徹夜と上司の罵倒、営業接待で肉体的にも精神的にも限界だった。

現 在:離婚は出世と世間体に響くし、なにより今まで築いてきたものは壊したくない。
それに子供がかわいそうだから我慢している。
いい奥さんですねと言われるときが一番こたえる。

 

 

ブログ書いてるけど

 

毎日書いてもうすぐ2年だけどほぼ検索でしかアクセスがない
コメントもスパムもたまにあってもスパムだけ
少し批判的なこと書いても突撃されたこともない

でもずっと見てくれてる人が1人いるんだよなあ・・・
こんな糞つまらんブログ見て何が目的なんだろうとたまに思う

記事管理のためにブログのトップまず開くけど、
管理者ログインする前の自分は、
訪問者の一人にカウントされてしまうんだぜ・・・
全俺が泣いた

 

 

すずめのすーちゃん

 

小学生の頃、父がすずめのヒナを拾って帰ってきた。
家族一丸となってそのすずめを育てることに成功。
ちなみにすずめの名前はすーちゃんだった。
すーちゃんは猛烈に家族に懐いていて、いつも家族の誰かの
肩や頭の上にとまっているか、傍を飛び回るかしていた。

多分、土曜日だったと思う。当時はまだ週休2日制ではなかったので
いつものように学校に行って、帰ってきたら母が
「すーちゃんのお母さんが迎えに来て、すーちゃんお空に帰っちゃった」
とすすり泣いていた。私は暫くの間、空を飛び交う小鳥を見ては
すーちゃん・・・と涙していたが、父の
「○(私)も、お母さんと一緒にいられないと淋しいだろう」
という言葉に、努めて明るく過ごすようにしていた。

あれから15年くらい経ったある正月。酔っ払った母が
「すーちゃんは本当に可愛かった。鳥があんなに可愛いものだとは知らなかった」
と懐かしい話しをはじめた。私も「本当だよね」と相槌を打っていたが
「洗濯物干してたら、ピピッ!とすーちゃんの声がして、
足元見たらすーちゃんってばくちばしの端から血を流して死んでるじゃないの!
お母さんびっくりしたわ~」 と・・・

 

 

義理と人情

 

どこに書いていいのかわからんから、ここに。

昔、現金3000万円が入ったボストンバッグを拾ったことがある。
流石に金額が金額で恐ろしかったので
ネコババもできず交番に届けた。

その日のうちに落とし主が現れた。
不動産屋の社長。
社長は俺が苦学生だと知ると、
謝礼として600万円くれた。
俺はその金で高校・大学の奨学金を全額返済した。
そして、社長は自分が所有するワンルームマンションに
格安(7.5万円のところを3万円)で住ませてくれた。
就職してからも、年に4回ほど、食事に連れて行ってくれた。

その社長が昨夜亡くなった。
心臓発作だそうだ。
これから通夜の手伝いに行ってくる。
第二の父親と慕った人の死に
ショックを受け過ぎて、まだ事実を認められない。

 

 

夏の思い出

 

大昔は「8月上旬は30度を超える」のが夏だったのだ 朝晩は涼しかった
8月の下旬にはもう夕方の風が寂しくて秋の気配だった

ドロドロになって遊びから帰ってくるとまず玄関入ったとこで台所のお母さんから叫ばれる
ハイハイしてお風呂場行きなさーい!
全部脱いでお風呂入ってる間に着替え(薄い綿の簡単ワンピとパンツ、以上)出してもらう
出るとテレビをお父さんが見てる。枝豆と汗かいた瓶ビールと首振ってる扇風機
食後にチューチューアイスを兄弟で半分こ
8時だョ!全員集合派だった
蚊帳を8畳間にお父さんが吊って、マンガ本を抱えて入る
さっと入らないと蚊が入るので忍者のように

読み終わっちゃって次のを取ってきたいけどもう眠い
電気消すと網戸の外がほんのり明るい夏の夜で、蚊取り線香の先っちょが赤く光ってる
のそっとお父さんが入ってきて兄弟の向こう側に寝る 手を振ると振り返す
だいぶ経って扇風機が止められてお母さんが自分の隣に入ってくる
うちわを持ってて扇いでくれる

お母さんの方が寝つきがよくてうちわがコトと落ちる
お父さんが起き上がってうちわを取って、扇いでくれる
それが止まるのを起きて見られたことは一度もなかった

お父さんお母さんがいた頃の夏
兄弟とこの手の思い出話をしたことはまだない 泣いちゃうから
じいちゃんとばあちゃんになったら冷たい麦茶飲みながら話してみたい 夏は楽しかったね

 

 

俺、貧乏ごっこしてる

 

俺、貧乏ごっこしてる。
給料もらったら、12万円だけ手元に残してあとの残りは銀行に預金。
そしたら、俺は手取り12万円の安月給サラリーマン、、、って自分自身に暗示をかけ、
そのお金だけで生活していく。
これを1年続けただけで、銀行預金残高が24万円になった。

 

 

あの頃の吉野家は何処へ・・・

 

どうしてこうなった…
俺の知ってる、あの最も旨くて最も強い吉野家はどこへ行ってしまたんだ…
90年代はなあ、吉野家で特盛りったら¥650だったんだぞ。
それでも俺は特盛りを愛した。誰よりも愛した。何よりも愛した。

一人でふらりと店に入り、店内全体を見渡せるカウンターの端に座り、
「特盛りと味噌汁とサラダ、それと卵二つ!」を元気よく注文するんだ。
ここで店員がちょっとでも驚いたら俺の勝ち。
あの頃の俺はギャル曽根とまではいかないがヤセの大食いだったからな。
驚きもせずマニュアル通り淡々とオーダーする輩には、次の攻撃が待っている。

「お待たせしましたー。特盛りと味噌汁とサラダ、卵二丁ですね。ごゆっくりどうぞ」
素晴らしい社員教育だと思う。全国どこの吉野家に行っても、
最後に必ず「ごゆっくりどうぞ」この一言が添えられる。粋な計らいじゃねーか。
回転率を高めるのが業界の生き残りだってーのに、客にそんなことは微塵も感じさせない。
そんな吉野家に最大限の敬意を表し、こちとらチンタラ食うことはしない。
豪快に、己の食いたいがまま5分で完食する、これが礼儀。

さて、食後に金を払ってから店を出るという吉野家のシステム、ここに新たなバトルが生まれる。
オーダー時に驚いてくれた場合は、面と向かって「ごちそうさまでした!」と言って帰る。
しかしそうじゃない場合は、ここで痛い目にあってもらう。
カウンターの端に座った俺が厨房奥にいる店員にアイコンタクトを送り、
片手で\1,000をチラつかせてお会計を催促する。気付いた店員がやって来るが、
奴が俺の元に辿り着く前に俺は席を立つ。そして店の出口に向かう。く、食い逃げか…!?
いえいえ、あの当時「特盛りと味噌汁とサラダ、卵二つ」でちょうど\1,000になったのさ。
めったにないオーダーだろうから店員も一瞬考えるんだけど、すぐに意味が分かるようだ。
すでに店を出ようとしている俺の背中に「ありがとうございましたー」の声がかかる。
それをたしかめて俺も片手を上げ、「ごちそうさまでした」の意を示す。

あの頃の吉野家は本当に旨かった。そして最強だった。それがどうしてこうなった!

スポンサーリンク
スポンサーリンク
切ない話
kaidanstをフォローする

コメント

error: Content is protected !!