切ない話 Vol.26
その人にお礼が言いたい
去年の青学の受験の時に間違って青山に行ってしまってあたふたしてたんだ。
もうすぐ試験が始まる時間だし、近くにいる人に聞いても知らないとか言われるし、どうしていいか分からなくて途方に暮れてたら、わざわざタクシーを拾って大学まで送ってくれた人がいたんだ。
その人は「早く行け。試験頑張れよ」と言って、タクシー料金も払ってくれたんだ。
俺はギリギリで試験に間に合い、合格した。
その人にお礼が言いたいんだが名前も何も聞いてない。激しく後悔したよ。
でもある時テレビを見たらその人が出てたんだ。その人の事務所を調べてお礼の手紙を送ったら、丁寧に「合格おめでとう。ここからがスタートだから頑張れよ。俺も頑張るから」みたいな返事もくれた。
江頭2:50さんには今でも感謝している。
みんなでゴール
先日小6の息子の運動会を見に行って、息子が自閉症の子と二人三脚をしている姿を見て、26年前を思い出しました。
当時は身障の子もハンディなしで、皆と一緒に走ってた。
あれは小5の運動会で100m走の時。
1組から6組までの6人が背の順に走るのだが、オレは1組
2組は浜田、3組は和田リョウちゃん、4組と5組は忘れた。
6組が体にハンディを持つ子だった。そしていよいよオレ達の
番が回って来た。距離のハンデは当然なしで、皆一斉にスタート
した。所がオレがコーナーにさしかかった頃、リョウちゃんは少し前を走っていたが
突然止まり、逆走しだした。そしてオレも走るのを止めて、後ろを見ると、
6組の水口クンがコケてうずくまってた。それを見てオレも水口クンが
倒れてる所まで走り出した。(その時のオレは、こんなことしたら
先生に怒られるかも・・)と思ってた。しかし、なんと、他の組のヤツらも
水口クンの所へ駆け寄ってきた。そこでの会話は多分こうだったと思う。
和田「泣かなくてもイイって、さぁ立てよ」
水口「・・・」
オレ「水口クン、オレにつかまれ」
水口「ゴメン・・」
和田、他の全員『みんなでゴールしたらええやん』
そして、オレとリョウちゃんは水口クンの脇を抱え走り出した。
そして、他の組の4人も一緒にゴールテープを切った。
ゴールで待っていた先生の中には、人目をはばからず涙を流す先生もいて、
『お前らよく頑張ったな』と言ってくれた。 (オレは内心ホッとした)
あとで聞いた話だが、その時の歓声と拍手は凄かったらしい。
オレにはそんな歓声も拍手も聞こえてこなかったが。
そして夕方、閉会式で校長先生が目を真っ赤にして、
『先生は今日の運動会を死ぬまで忘れません』と言った。
6年生になり、リョウちゃんは転向してしまった、オレが
同級生で唯一認めた男、和田りょうじは今どこで何をしてるのだろう。
夏ごろ水口クンも大きな病院へ入院してしまい、
6年生の運動会はリョウちゃんも水口クンもいない運動会になって
しまった。確かあの日も雲ひとつない快晴だった。
オレもあの日の逆走は死ぬまで忘れない。
謝んないでよばーちゃん
うちのばーちゃん
優しくて、綺麗好きで、山中にある小さなパーマ屋さん
(美容院といえるほどのものでもないw)で働いていた働き者のばーちゃん
兄妹で遊びにいくと『ひろ君(仮)とゆきちゃん(仮)が来たからビフテキにしようね』
と必ずでっかいステーキを焼いてくれた。
私の幼稚園の迎えにいつもいつも来てくれていた。
私の好物だった牡丹餅をいつも作ってくれた。
私の名前の漢字(小学生には小難しい)を教えてくれた。
米の研ぎ方やだご汁の作り方を教えてくれた。
優しくって、でも毛の長い絨毯のとこでお菓子を食べると怒るんだw
そんなばーちゃんがちょっとおかしくなってきたのが私が中一の頃だ。
同じ話を何度も繰り返し、いま自分が何処にいるかわからなくなり、私たち兄妹にお小遣をやった事を忘れて繰り返し渡す。
これが呆けってやつ?と思いつつも、なんかまだよく理解できていなかった私は
家にばーちゃんが来る度に「ここは何処だったかねぇ」「家に帰らんと…」
と繰り返されるのがうんざりで、半ば恐怖でもあった。
それからばーちゃんの認知症は進んで、ついにはドアの開け方も、靴の履き方も、ボタンの掛け方も解らなくなってしまった。
それで、介護…というか祖父の手伝いをしに、よくばーちゃんの家に行くようになった。
でもそん時まだ高校一年生だった自分はそれが嫌で嫌で仕方なかった。
同級生にばーちゃんの介護してる奴なんかいなかったし、
何より、支離滅裂な話を繰り返されるのに嫌気がさしていた。
で、ある日。いつもみたいにばーちゃんのトイレの世話をしてた時だ。
はいはい終わったらティッシュで拭いてね、で、立って、ズボン履くよ、ってばーちゃんの背中を支えた
そしたらさ、ばーちゃんがちっさい声で言うんだ。
「ごめんねぇ、もうばーちゃんわけが解らんようになってねぇ…」
小さい、泣きそうな震える声で言うんだ。ごめんねぇって何回も。
全部ばーちゃんが悪いんだねぇ、ごめんねぇ。お小遣もやれなくなったねぇ。ごめんねぇ。ありがとねぇ
ってさ。もうね、心臓わしづかみにされたみたいに苦しくなった。
違うよ、ばーちゃん。私嫌々やってたんだよ。めんどくさいって嫌な顔して車に乗ってきたんだよ
内心、ばーちゃんなんか早くいなくなればいいのにって考えたことあるんだよ
謝んないでよばーちゃん。ばーちゃんが悪いんじゃないんだよ。
謝んないでよばーちゃん。本当は本当に大好きなんだよばーちゃん。
ばーちゃん。ばーちゃん。大好きだから。大好きだからやってるんだよ。
ばーちゃんのズボン掴んだまんま泣きじゃくった。
あれ?なんかばーちゃん死んだことになってる?(´・ω・`)
まだ生きてるよwボケは進みまくって少女になってるけどw
今看護学校に通っててばーちゃんに会いにいけないけど
夏冬春休みはほとんどばーちゃんのところにいってる。
もう私のこともほとんど解らないみたいだけど、
ばーちゃんには人一倍お世話になったし、なにより大好きだから(゚ε゚)キニシナイ!!
メロンのカップ
小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
公園のブランコに座って立てなくなった私に、親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、
カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんて
メロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップを
カバンにこっそり忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
あなたがいてくれたからやってこれたんだと伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。
親の態度
年齢別、無職息子への親の態度
10代→あんた暇ならバイトでもしなさいよ
20代→そろそろ就職したら?
30代→本当に就職しなさいよ どんな仕事でもいいから
40代→お願い バイトでもいいから働いて家計の負担を減らして
50代→大丈夫かい?年金少なくてごめんね…お小遣いあげたいけど…
60代→財産残してあげられなくてごめんね
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