ちょっと切ない話『強くなりたい』【短編】全5話 Vol. 4|切ない話・泣ける話まとめ

ちょっと切ない話『強くなりたい』【短編】全5話 Vol. |切ない話・泣ける話まとめ
スポンサーリンク

切ない話 Vol.4

 

糖尿病とたいやき

 

私が小学校2年生位の頃、近所においしいたいやき屋があった。
おばあちゃんはそこのたいやきが大好きだったけど、
少し糖尿病の気があるからと、たまーにしか食べなかった。

その年のおばあちゃんの誕生日に、「今日くらいならいいだろう」と思って
学校の帰りにとってあったお小遣いを握りしめてそのたいやき屋に行った。
おばあちゃんよろこんでくれるかなーとうきうきしながら
焼き立てのたいやきを抱えて、家に帰った。

そしたら、既にそこにはたいやきを食べているおばあちゃんと弟が。
同じ事を考えた母親が弟と一緒にたいやきを買いに行ったらしい。
私は先を越された悲しさと、私が買った分までおばあちゃんが食べちゃったら
おばあちゃんが病気になっちゃうーとか一瞬に色々考えて
うわーんと泣き出してしまった。
それを見たおばあちゃんが私が手にたいやきを持ってるのを見て
理解してくて「○ちゃんの分も食べるよ」と笑顔で頭を撫でてくれたけど
今でもたいやきを見るとこの事を思い出してなんだか切ない。

 

 

強くなりたい

 

うちの道場に。
半年ほど前に、「強くなりたい」と自分から入部してきた子。
はっきりいって運動神経もなく、体もひ弱です。

あまりここに書くのもはばかられるのかもしれないんですが、
めちゃくちゃ切ない過去を持つ子供なんです。
なんでも、父親に虐待されて、母親と一緒に実家に逃げてきたとか。
母親が殴られて泣かされるところを、何度も見てきたそうなんです。
それで、「母親を守れるくらい強くなりたい」と。
自分の足で相撲道場をしらべてやってきたそうです。
こんな子供が、本当にいるとは・・・・。
家庭環境の話など、聞いていて目頭が熱くなりました。

稽古は、驚くほど真剣に取り組みます。
一度でも倒されると、「もういっちょお願いします!」と立ち上がる。
おでこから血が流れても、かまわず必死にぶつかる。
申しあいの時も、積極的に前にでて取り組みます。
ゲロを吐いて、「少し休め」といっても、「まだまだ!」といって稽古を続ける。
泣きそうになるのを奥歯をかみ締めて我慢している姿を見ると、「絶対強くしてあげたい」と思うようになります。
ただ、体格が悪いのと、ちょっと気が弱いため、まだまだ勝てるレベルには到達していませんが。
しかし、必死に稽古を頑張っている姿は、周りの子供にも少しずつ影響を与えはじめています。

家でも努力しているようで、毎日四股腰割りを100回以上するそうです。股割がだんだんとできるようになってきました。
しかも、家ではお母さんのために皿洗いをしたり、肩をもんであげたりするようです。
まさかこんな子が現代にいるとは・・。
この子の成長が楽しみです。

 

 

自分のやりたい事頑張りなさい

 

3年前のある日、両親が離婚。俺と弟が母さんについていきました。
母さんは今まで専業主婦だったから仕事なんて全然できない。
パートを始めるも一月もしないで退職の繰り返し。家計は苦しくなる一方。
当時高校生だった俺のバイト代だけじゃやっていけるわけも無く
高校を中退して現場の仕事に就きました。
その際に少しでも家計の足しになればと漫画、ゲームをすべて売り
家にあるエフェクター、ベース、ギターも売ろうとしました。
でも、母さんは
「あんたの見つけた趣味なんだからバンドだけは続けなさい」
と、楽器の売却には猛反対しました。

学校を辞めたときにバンドも辞めたから楽器があっても意味がないと思い
俺は売る気まんまんでした。
でも母さんがあまりにしつこく言うのでベースだけ一本残しました。
その後、仕事仲間にバンドをやろうと誘われて、バンド活動を再開しました。
手元にあるのはアイバニーズのしょぼいベースのみ。
アンプもシールドも無い。シールドが無きゃスタジオ練習もできないので
楽器屋の600円の激安シールドを一本だけ買いました。
それ以来ずっとチョッケルです。

話がそれるんだけど今年の誕生日に母さんが
「いつも無理して頑張ってくれてるから・・・」
と言って少しずつ貯めていたパート代でモンスターケーブルを買ってくれました。
何やってんだよバカ。家計が苦しいのに。
楽器の事シロートなのに楽器屋の店員に色々聞いただと?
無理してんじゃねえよ。そんな金あるなら自分の服でも買えってのに・・・
やつれた顔で精一杯笑いながら
「誕生日おめでとう。まだ若いんだから自分のやりたい事頑張りなさい。」
恥ずかしながら泣いちゃったよ。もう体の水分全部出るくらいw
厨房の卒業式以来だよ、親の目の前で大泣きしたのは。

 

 

はんきゅうでんしゃ

 

阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。

阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。

夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。

「ありがとうはんきゅうでんしゃ」

運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。おれも泣けた。

ときよ、上越新幹線よ、おまえを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。

 

 

面接用のスーツ

 

今日思い立って面接用のスーツ買ってきた。
お母さんに1万円借りた。
もっといいの買いなさいって言われたけど、
年末、お金が無いのは知っていたし。
「ごめん。絶対に返すから、1万円貸して」って。
近所のホームセンターで7,999円のスーツと
500円のシャツ、ネクタイを買ってきた。

すそ挙げにお金が掛かるから、そのまま買ってきた。
お母さんにすそ上げをお願いした。
そしたらお母さん、ニコニコしながら泣いていた。
俺も泣いた。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
切ない話
kaidanstをフォローする

コメント

error: Content is protected !!