『呪いの器』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】

『呪いの器』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】洒落怖・怖い話・都市伝説 祟られ屋シリーズ

キムさんの話によると、この世界は、他文化・異民族、異教徒を飲み込んで支配しようとする「支配者」と、「被支配者」に分かれるのだという。
支配者とは、大まかに言ってユダヤ・キリスト教徒、被支配者は土着宗教やローカルな文化がこれに相当する。
アジア地域における支配者は中華文明であり、日本やインド、朝鮮などを除く多くのアジア諸国・地域の支配層はその多くが中華の流れを汲むということだ。

他者を支配しようとする宗教や文化、王朝は、長く続けば続く程に、その「影」の部分として呪術的側面が育って行くそうだ。
支配を続ける事は即ち「業」を積み重ねて行くことに他ならないからだ。
「支配」の本質とは「悪」なのだ。
それ故に、王朝や文明は蓄積された「悪業」が臨界点に達すると必然的に崩壊へと向かう。
被支配者や民間の呪術は、支配者や自らを併呑しようとする者に対する抵抗の手段だが、支配者や権力者側の呪術は破滅へと積み重なる「業」への抵抗なのだそうだ。
ある時は疫病を祓い、災害を祓う。反乱者や簒奪者に呪殺を仕掛ける事もある。
支配する事によって積み重なった「悪業」が招く「災厄」を祓うのが権力による呪術であり、それは徐々に大きくなり、顕在化してくる。
それ故に、本来「影」であるべき呪術が表面に出て来るようになった文明や国家は末期的で、滅びが近いと言うことだ。
王朝や宗派等は、代を重ねる毎に「悪業}だけではなく、逆に「霊力」や「呪力」も強めて行く。
だが皮肉な事に、積み重なって強まった「霊力」「呪力」は、臨界点に達した「悪業」と共に破滅への原動力となってしまうのだ。
霊力や呪力は浄化への力だからだ。

日本は明らかにユダヤ・キリスト教圏や中華文明といった「エスタブリッシュメント」には属さない存在である。
しかし、中華文明圏を脱してからというもの、中華文明による再併呑もユダヤ・キリスト教圏による併呑も完全支配も叶わなかった。
それには、様々な要因があった。
だが、呪術的側面から見ると、それは「皇室」という極めて特殊な存在によるものだという。
日本の皇室は通常、王朝の「影」である呪術的部分がその存在の根幹であって、その他の部分は「支配」や「権威」すら枝葉に過ぎないということだ。
日本皇室は唯一最古の帝室である前に、最古・最強の呪術の系譜なのだ。
エスタブリッシュメントに属さない存在でありながら、強い力を持つ日本皇室は、本来ユダヤ・キリスト教圏にとっても中華文明圏にとっても消し去りたい存在らしい。
しかし、最高の霊力・徳を持つ日本皇室と正面から対立する事を彼らは避けるようになった。
天安門事件に端を発する国家存亡の危機に瀕した「中華人民共和国」が、「七顧の礼」を以て天皇訪中を招請し、国難を凌いだのはその好例だそうだ。
殲滅ではなく共存を選んだのは、日本皇室及び日本人が、異民族を併呑して「帝国」を運営する力量を持たない民族であることが明らかになったからだ。
直接利害が衝突しない「触れ得ざるもの」に自ら敵対して、再び火傷する事を怖れたのだ。

「日本国」とは日本皇室の誕生から続く一つの王朝に過ぎない。
それ故に皇室の否定は日本と言う国の存在自体を否定する事に等しい。
本質的に、強大な「力」を持つ日本皇室や、中華文明に併呑されない「日本」を敵視する「中国」は、長期的視点で日本を内側から崩しに掛かっている。
所謂、売国メディアや自虐史観がそれだ。
自らの王室や、国家・民族に殉じた人々を誹謗する事は、国の「運気」を非常に損なう、天に唾する愚行なのだと言う。
「死人に鞭を打たない」という日本人の文化は弊害もあるが、国家の「運気」を保つ上で重要な意味を持つのだ。
現在行われている工作は、「皇室の呪力」と直接衝突せずに、日本国の「運気」や「霊力」を殺ぐ手段としては、呪術的にも理に適っているそうだ。

「呪力」「霊力」の最高位にある日本皇室に呪術を仕掛ける・・・それは、強力であればあるほど自殺行為に等しくなる。
少しでもまともな呪術的視点を持つ者なら絶対に避ける愚行である。
しかし、敢えてそれを行う者は後を絶たない。
一部日本人と朝鮮民族である。

朝鮮民族は自らを「小中華」と称し、甚だしくは中華文明の正当継承者であると自認している。
しかし、その実態は、大陸の袋小路である朝鮮半島に封じ込められた「生贄」の民族である。
彼らの特性は、如何なる外敵の支配にも抵抗しないが、併呑・同化はされないという点にある。
宿主たる征服者の体内に潜み、その内部を食い荒らし、滅びを加速させる。
そして、次の宿主たる支配者・征服者に取り入り、再び食い荒らすのだ。
支配者に同化されない為、彼らが独特の民族心理として培ってきたものが「恨」である。
支配者に対する潜在的敵意である「恨」という民族意識によって、彼らは確固たる独自文化、独自宗教を持たずして民族としての生存を図ってきたのだった。

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