心が温まる『心霊の話』 百選【短編 61話 – 70話】 – 実話 体験談まとめ

心が温まる『心霊の話』 百選【短編 61話 - 70話】 - 実話 体験談まとめ 心が温まる話

 

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心が温まる『心霊の話』 百選 短編【61話 – 70話】

心が温まる心霊の話 1話 – 10話

心が温まる心霊の話 11話 – 20話

心が温まる心霊の話 21話 – 30話

心が温まる心霊の話 31話 – 40話

心が温まる心霊の話 41話 – 50話

心が温まる心霊の話 51話 – 60話

心が温まる心霊の話 61話 – 70話

心が温まる心霊の話 71話 – 80話

心が温まる心霊の話 81話 – 90話

心が温まる心霊の話 91話 – 100話

 

 

護ってくれている

母の話です。

母が結婚して私を身篭った際、医師に
「もしかしたら五体満足ではないかもしれない」
「水頭症の疑いがある」「脳に障害があるかもしれない」
などと、厳しい忠告をされました。
ビックリして色々な病院に行ったのですが似たような結果が告げられたそうです。

それと言うのも、胎児(私)をエコーで何度見ても両腕がまるで伺えなかったのと、成長が遅かったこと、
父方にはかなりの確率で脳関係の障害を持った子が生まれていたりして、遺伝的な可能性からみても決して低い可能性ではない、などの要因があって。

母は心配で心配で日々悩んだそうですが、ある日の晩
数年前に亡くなった親戚のお婆さんが夢に出てきたそうです。
その方は母の親戚で、親が無かった母を実のお孫さん以上に可愛がってくれた母の恩人です。

お婆さんは光の中に立ち、白いお包みを着た赤ん坊を抱え
「○○(母)ちゃん、大丈夫よ、悪いとこ全部持ってあげるからね」
と微笑みながら言って、その赤ん坊を母の方に差し出しました。
そこで夢は終わったのですが…。

その後五体満足で、心配された脳の障害も無い元気な子(私)が生まれました。

母はお婆さんが大好きで、寝たきりになってからも介護を全て引き受け、お婆さんに本当に可愛がられていたそうです。最期を看取ったのも母でした。

それから色々な事に遭っても私達母娘は何故か軽症であったり…
母(と私)の事を護ってくれているのかな、と思います。

 

 

猫が大嫌いな爺ちゃん

爺ちゃんの話なんだけど、爺ちゃんは猫が大嫌いでした。
爺ちゃんは老衰で84歳で亡くなったけど、猫に限らず動物全般大嫌いでした。

なのに何故か、突然近所の野良猫に懐かれてしまい、いっつも追っ払っていたけど
何度冷たくされても、その猫は不思議なくらい爺ちゃんにスリスリしてくる。

普通なら、だんだん可愛く思えてきて……っていうパターンでしょうが、さすが
昔の人だから頑固者で、徹底的に嫌ってましたw

爺ちゃんはホントに何も苦しまずに、朝起こしに行ったら布団の中で冷たくなってたんだけど
亡くなる前日に、不思議な独り言を言いました。

「何だぁ、オマエだったのかぁ」って……

今思えば、数年前に先に亡くなった婆ちゃんが猫になって会いに来てたんだろう。
爺ちゃんの葬式が終わったら、ぷっつりとその猫は来なくなったし……

 

ぶるぶるときよみちゃん

私が小学校三年生位の時の話です。
そのころ、とても仲よしだった、きよみちゃんという女の子が、クラスにいました。
彼女と私は、毎日のように学校が終わると、お互いの家を行き来しては、ふたりで遊んでいました。
その日は、彼女の家の台所のキッチンテーブルで、ふたりでドラえもんを読んでいました。
その内容は、ドラえもんが、のび太に切抜き絵本のようなものを出してあげます。

それには、ケーキやおかし、車など色々なものがあり切り抜いて組み立てると、本物のように、 食べれたり、乗れたりするというものでした。
きよみちゃんと私は早速、
「おもしろい!まねしてみようよ!」
と、画用紙や、ハサミ、色鉛筆を持ち出しました。
もちろん本物になることなどありえないと、 理解できる年齢でしたが、とても楽しかったのを覚えています。
そして、日も暮れかかり、私が家に帰らなければいけない時間になりました。

きよみちゃんは、いつもそうするように、 玄関の外まで、私を見送りました。
そのとき、きよみちゃんが言いました。

「ぶるぶるちゃん。今日のこと、 大人になっても忘れないで」

私はきよみちゃんが、いきなり変なことを言うのには慣れていたのですが、そのときは、彼女の様子がいつもと違うので、なんでー?と聞き返しました。

今こうしてふりかえると、確かにあの日のきよみちゃんは、いつもと雰囲気が違ったような気がします。

きよみちゃんは続けました。

「今日の私、32才の私なんだ」

ますます私には、訳が分かりません。
でも彼女は続けます。

「2002年だよ。32才。ぶるぶるちゃんのこと思い出してたら、心だけが子供の私に飛んでっちゃった」

はっきりいって、聡明とはほど遠かった(今もね)
子供の私は、なんだかわからないけど、2002年と行ったら、超未来で、車なんか空飛んでたりする、という考えしかないくらい遠い遠い未来。

「ふーん。ドラえもんの未来からかー!」

なんて、ばかな受け答えしかできませんでした。
きよみちゃんは、そんな私を笑いながら、

「それが全然!マンガの世界とはちがうよー」

と言いました。
そして、私ときよみちゃんは、また明日遊ぶ約束をして、別れました。
今考えると、なんであのときもっと問い詰めなかったんだろうと後悔しますが、なんせ子供だったし、
きよみちゃんも私と同様、ドラえもんの影響で、ふたりでよくSFチックなことを、夢見ていたので、 別にきよみちゃんが私に言ったことが、そんなに変とも思わなかった。

翌朝、学校に行くと、いつものように きよみちゃんが私に、話しかけてきます。
まるっきり、いつものきよみちゃんでした。
そして、私もまた、きよみちゃんが私に言ったことなど、すっかり忘れて、そのまま毎日が過ぎて行きました。
そして、私たちは5年生になり、それと同時に私は地方へ引っ越すことになりました。
そしてそのまま、きよみちゃんと、二度と会うことはありませんでした。

今年、2002年。私は32才になりました。
そしてハッとします。
あの日のきよみちゃんの言葉を思い出して。
もしかして、もしかして、もしかして..と。
私はその後も、引っ越しを繰り返し、 今では海外在住です。
きよみちゃんを探したいのですが、 結婚してれば名字も変わっているだろうし、どうやって見つけられるか。

あの頃の私は、片親だったので(当時はまだ珍しく、世間からは白い目で見られがちだった)、

「ぶるぶるちゃんと遊んじゃだめよ。片親なんだから」

と、思いっきりよその子供の親が、 私の目の前で言うなんてことも、珍しくなかったし、 大嫌いだった先生にも、

「片親だからね。目つきも悪くなるんだろう」

と言われたこともあった。
そんな中、きよみちゃんだけが、私の友だちで、 子供時代の唯一の理解者であったと思う。

会いたいと思う気持ちがそうさせたのか、2週間ほど前に、”あの日”の夢を見た。
あの日と同じ、きよみちゃんのおうちの台所。
イッチンテーブルいっぱいに、画用紙と色鉛筆。
私が自分の家から持ってきた、コロコロコミックが二冊置いてある。

(当時コロコロコミックは、結構高価だったので、 私ときよみちゃんは、かわりばんこに買って、ふたりで回し読みをしていた)
台所からは、6畳ほどの今が見え、きよみちゃんのお母さんが、緑色の座椅子に座って テレビを観ている後ろ姿が見えます。
本当に、何もかもが、私がこの夢を見るまで忘れていたことまでが、はっきりと、目の前にありました。
きよみちゃんが、ケーキの絵を画用紙に描いて、 色を塗り、私はその横で、ハサミを持って、きよみちゃんが描くケーキを見つめています。

私は、夢の中で、

「これは夢だ」

と自覚していました。
きよみちゃんが、ふと手をやすめて、私を見ます。
そのとき、私は彼女に言いました。

「きよみちゃん。今日の私も、32才!」

きよみちゃんは、びっくりした顔をしたと思うと、 私を見つめて言いました。

「忘れなかったんだ。ぶるぶるちゃん..」

きよみちゃんは、半分泣き笑いような表情です。

私も、泣きそうになるのをこらえながら、言いました。

「ドラえもんの未来じゃなかったねー!」

そして、ふたりで泣きながらも、大笑いしました。
そして…私は目が覚めました。32才の私の体で。
私は、泣いていました。
ただの夢だったと思う。でも、私は時空を超えて、あのときのきよみちゃんに、 会いに行ったのだと思いたい。
きよみちゃんが、そうしてくれたように。

私引っ越したの5年生の時だから、その小学校の卒業アルバム持ってないのよ。

もうひとつ、色々つっこまれるの覚悟で、きよみちゃんが私のために雨を降らしてくれた(今でも私はそう信じてる)話。

その日、”遠足のお知らせ”が配られた。
徒歩で2時間ほどかけて、ピクニックエリアのある大きい公園に行く、というもの。
遠足といったら、子供なら普通大喜びというところだけど、 私は憂鬱だった。

なぜなら、前回の遠足が、つらい思い出になってしまったから。
他の子たちはみんな、当時流行りだった、ピンクや赤のサンリオ関係の お弁当箱に、タコのウィンナーやらハンバーグやらが
入っていたりして、とてもかわいらしかったが、 母子家庭の私の家は、そんな余裕もなく、 男物(死んだ父の物)の、真四角で、銀色の、しぶ~ーいお弁当箱しかなかった。

もちろん、おかずなんて質素なもので、 母の気持ちも考えず、

「こんなのイヤだ!赤いキティちゃんの お弁当箱買ってよ!おかずもウィンナー入れて!」

とだだをこねたりした。
母が申し訳なさそうに、何度も

「ごめんね、ぶるぶる」

と言っていた(ひどいよねー私も)。

そして遠足のお昼の時間、グループに別れてお弁当を食べることになり、(きよみちゃんは、別の班になってしまった)
私は、一生懸命お弁当を包んであるフロシキ(このフロシキがまた、やっぱり親父仕様だったんだけど)で、お弁当箱を隠しながら食べていた。
でも、そのグループの中に、お約束のように意地悪なリーダー各の女の子がいて、 目ざとく私のお弁当箱に注目。

リーダーは、にやにやしながら、隣りの女の子に、私のお弁当を指さしつつ、ひそひそと耳打ちした。
そしてまた、耳打ちされた子がそのまた隣りの子に、と伝言ゲーム。
全員(6人ぐらい)にまわったところで、大爆笑。
私は、本当に消えて無くなってしまいたかった。
前ふり長くなったけど、とにかくそういう理由で、 私にとって、遠足イコール地獄、だった。

きよみちゃんも、あの時、遠巻きに見ていたらしく、 遠足のプリントをもらった時、そんな私の気持ちを読んでか、 「ぶるぶるちゃん。私遠足行きたくないな。

学校の方が面白いし。ぶるぶるちゃんも?」

と言ってきた。
私は、即座に、

「私も行きたくないんだ。A子が意地悪だから」

と言った。きよみちゃんは、

「じゃ、雨が降るように、お祈りしてあげるから!」

と、言った。

そして、遠足の前の晩、母親が茶箪笥から例の銀色弁当箱を、出すのを横目で見つつ、オーマイガッとなりながら、布団に入った私。

次の朝。大雨。

そりゃもー本当に、ドシャ降りで、 近所のドブ川は、あふれまくってた程。
嬉々として学校に行く私。もちろん遠足は中止。

「きよみちゃん!ほんとに雨降ったね!」

と、彼女を見つけるなり私は言った。
きよみちゃんは、にこにこと笑っているだけだった。

 

 

セキセイインコの四十九日

ここでひとつ、じんわりするお話を。

4年程前、生まれつき病弱で小柄なセキセイインコをペットショップで引き取って飼ってた。
飼い始めてからの一年間、週に一回は動物病院に通う程の病弱ぶりで、私も仕事を減らして看病にあたっていた。

だけど、どうしてもその日ははずせない仕事があり『すぐ帰るから頑張れよ』と撫で撫でして仕事に出た。
四時間ほどで帰宅したら、鳥かごの床に羽を半開きの状態で息を引き取ってた。

泣いて泣いて、それから一ヶ月ばかり過ぎて、漸く落ち着きを取り戻してきた頃のある早朝。

寝ている私の額をつつく感触。低血圧な私は、何かの気のせいだと思ってそのまま寝てた………したら、突然鼻の頭を『かぷっ』て噛まれた。
その痛みは間違いなく、鳥のクチバシで噛まれた痛み。

びっくりして飛び起きたら、私を噛んだその鳥はバッと飛び立ち、消えてしまった。
だけど、飛び立った瞬間に見えたあの羽の色、模様は間違いなく死んでしまったあのセキセイ。

冷静になってよくよく考えたら、丁度その日は四十九日に当たる日で、わざわざお別れに来てくれたかと思うとまたじんわり。

あれから姿はさっぱり見ないので成仏したのだと思っているが、オーストラリア原産のセキセイインコにも四十九日って関係あるのかしら………というお話でした。

 

頭から離れない犬のこと

実家で飼っていた犬は19年生きました。
最後の1年はドンドン悪くなるのがはっきり分かるくらいでした。

そんなある日、私が海外旅行へ行く事になりいつもと変わりなくサイパンへ出かけました。
サイパンには3日間滞在したんですが、3日目の朝からなぜか犬のことが頭から離れませんでした。

そして帰りの飛行機の中で寝ていたとき、私が5歳のときから飼いはじめてからの犬との思い出が、沢山夢の中に出てきました。
普段、夢って覚えてないのでそのときはかなり鮮烈でした。

そして私が家に着き、中に入ると母親がビーちゃんビーちゃん(犬の名前)をずっと呼んでいました。
まさかと思い、母に「死んじゃったの?」と聞くと「うん、今」と言われました。

その日は結婚して嫁に出ていた姉がたまたま実家に来ているときで、母に
「きっとビーちゃんもみんな居るときに死にたかったんじゃないのかな」
と言われ、私は大人になって初めて声をあげて泣きました。

その後、飛行機の中であったことを姉に話すと、姉も急にビーちゃんが心配になって来てみた。と言っていました。
その日は日曜日で父もいました。偶然だと思うけど不思議なこともあるんですね。

そういえば、ビーちゃんの最後の顔が笑っているようにも見えました。
今では楽しかった思い出をありがとうって思います。

 

 

濡れた玉砂利

心の中で「死のう」と決めていて、死ぬ前に1番かわいがってくれたばあちゃんの墓参りに行った。

お盆の晴れた日の夕方だったんだが、墓石の前の玉砂利が濡れていたので「お盆だし誰か親戚が来たのか?」と思った。

濡れた玉砂利をよく見たら、おそらく水で「いきろ」と書いてあった。

死ぬのを辞めた。

今年の夏の話。

 

 

お墓参りのお返し

ある休日に知人のお墓参りに行った。

その霊園周りは球場やレジャースポットがあるので霊園に着くまで大渋滞。自宅から霊園まで4時間半くらいかかったと思う。
結局子供と約束していたレジャー施設には行かれずお参りだけで一日で終わってしまった。

でも子供が行きたがっていたので次の休日にまたレジャー施設目的でそこまで行った。
(すごい早起きで今度は渋滞にはひっかからず)折角だからとお墓にも寄ってちょっとお参りしてすぐに近くのレジャー施設へ。

混んでいたけれどまあまあさびれた所なのですぐに目的の所へチケットを買いに並んでいたら、おもむろにカップルが寄ってきて
「良かったらこのチケット期限がすぐだし私達はもう使わないので差し上げます」と株主招待券を差しだした。

こちらはびっくりして恐縮して「無料では申し訳ない」と500円で譲ってもらった。
親子3人だと結構な値段になっていたはずなので本当に嬉しかった。

夫も自分も故人が遠くからお参りに来た自分達にお返しをしてくれたのだと思っている。

ありがとうございます、○○さん。息子は恐竜に大喜びでしたよ。また今年中にお参りさせてもらいますね。

 

 

おばあちゃんとかくれんぼ

自分が3歳の時の事、父方の祖母が亡くなった。

皆さんお察しの通り人に対しての死という現実の認識出来ない子供のこと、
私はキャッキャッ親戚の連中とふざけ走り回り、それこそ幼児版盆か正月かといった趣で次第の重大さなど知る由もなかった。
棺桶に打つ釘も訳のわからないまま石をガンガンやってた記憶がある。

幼児組はかくれんぼをやろうという事になり、鬼でない私は三面鏡と大きなお茶の木箱の間に隠れた。
体が小さい私は結構奥の方まで進んでいった。
奥には体育座りの格好で亡くなった筈の祖母が「よっちゃん、こっちこっち」と手招きをして私を促してくれた。

私が「おばあちゃんもかくれんぼしてるの?」と問うと
祖母は「そうだよ。ここにいることは誰にも言っちゃだめだよ」と答えた。
「じゃあ、別の場所に隠れる」と言い私は結局押し入れの布団の間に隠れた。

当然そのまま隠れ続けていた祖母が見つかることは最後までなかった…。

私も小学生になり林間学校の宿泊研修で怖い話をしようという事になり、その時初めて祖母の隠れ場所を言ってしまった。
世も更けそれぞれみんなが眠りにつく頃、私だけ寝袋の中で涙が止まらなかった。
ネタにした事、おもしろおかしく語った事、隠れ場所をばらしてしまった事。

純粋に正直になろうと思う時、今でもあのかくれんぼの事を思い出します。

 

 

愛犬の遠吠え

家の愛犬の話。

今から12年ほど前、うちの愛犬○○は、まさに忠犬といった性格で俺の言うことは必ず堅守する、家族からも慕われた可愛い奴でした。

ある朝、無駄吼えしない○○が遠吠えとも悲鳴ともいえない声で鳴き始めたんだ。

近所迷惑になったら悪いなーなどと思いつつ、そのままにしておいても鳴き止まない。

「静かにしろよー」近寄って俺が言っても全く聞く耳無し……

どうしたんだろう…… 相変わらず○○は同じペースで天を見たまま鳴いている。

しばらくして ジリリリリリーー電話が鳴ったんだ。

「入院先のおばあちゃんが先ほど……」

○○とおばあちゃんは仲良かったから、きっとわかったんだね。

そんな○○も天国にいったけど仲良くしてるんだろうな。

 

 

オジイチャンのコウモリ傘

先日、怖いというか奇妙な体験をしたので忘れないうちにカキコ。

20年近く前に死んだオジイチャン子だった私は、両親の留守によくオジイチャンと二人で家の中でかくれんぼをして遊びました。

田舎の広い家なので、なかなか見つからないのだけど、私が鬼の時は隠れたオジイチャンが時々、ほいほい、こっち!と声を出すのだけど、声のする方に行くと今度は反対の方から、こっちだよ!と声がして、いつになっても見つからず、そのうちひとりが怖くなって泣き出すとすぐ出てきて、ごめんごめん、お菓子買いに行こうなあ、と町のお菓子も置いてる薬局に連れて行ってくれたのでした。

で、オジイチャンは16年前に亡くなり、私も嫁いで夫と娘と3人暮らしなのですが、連休の時などは娘を連れて両親に会いに里帰りします。
今年も娘の小学校が夏休みになり、早速帰った時のことです。

広い家の半分は改装されてしまったのですが、オジイチャンとかくれんぼをした奥の間は当時のままでした。
やはり夏休みで遊びに来ていた従姉妹の子と一緒に両親が娘を近くのプールに連れて行ってくれることになり、私はひとりで留守番をしていた時のことです。

まだ正午過ぎたばかりなのに、庭が薄暗くなり、雷雨でも来たら傘を持って4人を迎えに行かなきゃならないな~と思い、傘を探したところ、どこにしまってあるのか見つからない。
2本は傘たてに入っているけど足りないなあ。などと、玄関近くの戸棚をごそごそとあさっていると、いかにも年代の古そうなコウモリ傘が出てきました。

その傘を広げてみると、握りのところに名前がマジックで書かれていて、それはオジイチャンの名前でした。
あ、オジイチャンのだ! 書かれているオジイチャンの名前を口に出したとき、こっちだよ、と家の中から声がしたような気がしたのです。
ンナ訳ないでしょ!TVかな?と傘を広げたまま、靴脱ぎ場に置いて、廊下を歩いていくと、こっち!とまた聞こえたような気がしたのです。

怖くはありませんでした。なんとなく昔の記憶が勝手に甦っているような不思議な感じで、奥の間へ向かうと、今度は今通ってきた廊下の方からこっちだよ、と聞こえたような気がして、やられた!昔と同じだ、どこを通っているんだろう? と、思わず笑みが浮かびます。微かにオジイチャンも笑っているような気配がしました。

そのとき、そうだ!いつも声がした方にはいないので、いっぺん声がしたのと反対の方向に行ってみよう。とひらめいたのです。
また奥の間の方から、ほいほい、こっち。と今度は、かなりはっきりと聞こえたように思えたとき、私は、よ~し、とそのまま廊下を玄関に向って進んで行きました。
すると、玄関の方で、バキッ!と何かが折れるような音が聞こえて、一瞬ギョッとなって立ちどまり、耳をすませました。
しかしそれきり何も聞こえません。オジイチャン!どこ? 何度か声に出して呼んでみましたが、もう何も聞こえません。

そ~っと、玄関をのぞいて見ると、なんと広げてあったオジイチャンのコウモリ傘が、強風にでも遭ったように裏返しになり骨も折れていたのです。
その時、漠然と私の頭に浮かんだのは、ああ、オジイチャンはこの傘のところにいたんだ。私が反対の方向に向かったので、裏返しになっちゃったんだ……
ごめんね。オジイチャン。

なんだかわからない話ですね。
家族にもうまく言えないので話していませんが、オジイチャンの眠っているお寺の住職の方に、この話をしたところ、理解してくれたようで、壊れた傘を供養してくれるということで預けてきました。

何十年ぶりに、ほんの一時だけでも、オジイチャンと遊ぶことが出来た今年のあの日の出来事は、一生忘れられない想い出になりそうです。

 

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