グッとくる話『育ててくれてありがとう』など 短編10話【12】 – しみじみ体験談まとめ

グッとくる話『育ててくれてありがとう』など 短編10話【12】 - しみじみ体験談まとめ グッとくる話

 

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– しみじみ - グッとくる話 短編10話【12】

 

 

育ててくれてありがとう

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。

俺、立派な社会人になるわ。

 

 

子供の頃駆け抜けた大きな坂

夏休みに自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。
国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。
ペダルを漕がなくても。何もしなくても。
ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。
子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔。
しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。
当然けんかになっちゃった。泣いてね~よ。と全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。
交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるは、
蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。
でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。

今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。
家から電車でたかだか10個目くらい。
子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。
でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。

今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。
彼らもいつの日にか思うのだろうか。
今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、

あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。
もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。
あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。

 

 

母子家庭の子供が白血病に

ウチの母の同僚の話。
働かない夫と別れ、母一人子一人で細々と生活していたが息子が白血病に。
母子家庭で医療費はかからないものの、何とか重病の息子を助けようと
夜も寝ないで働き、仕事がないときは病院で息子に付きっきりだった。
笑顔を浮かべるのがやっとの、やせ細った息子の体は、薬の副作用で
黄色くむくんでいた。
衰弱が著しく、「もはや回復は不可能」と医者に言われ母親は黙って
病室の息子の手を握っていた。
すると息子はそっと目を開け「お母さんごめんね。親孝行できなくて。
でも、僕が死んだらそんなに働かなくてももういいんだよ。」
そう言った。
数日後、息子は11歳で亡くなった。
その子のお葬式の後
「生きててくれてありがとう」
そう母親に言われた。

 

出会いって不思議

出会いって不思議だなあと思ったこと。フェイク入り。
長男大学生、二男三男高校生、四男息子と同い年の小二の家庭が
うちの向かいに引っ越してきた。
長男二男三男は金髪ピアスで、引っ越してすぐコンビニ前でたむろ、
四男は真夜中までその辺をうろうろしていて、これはやばいなと思った。
四男は人に近寄る子じゃなく、むしろ逃げる子だったんだけど、
不潔な身なりで物陰から様子をうかがい、見つかると逃げて、また物陰から…で、
真夜中でもやってるんでオバケと呼ばれていた。
大人にも子供にもやるんで、気味悪がって誰も公園で遊ばない。
午後八時くらいに、老夫婦の庭の物陰に四男が座り込んでいて、
老婦人がものすごい悲鳴を上げて警察が来たこともある。
町内会で親に注意しに行ったら、
「じゃあそっちで面倒見て。近所の助け合いでしょ」と話にならない。
警察と児相に連絡しても動かないから、遠巻きにしていた。

放置家庭が来て二か月ちょっとくらい、息子の遠足の前日の夕方に、
うちに長男が突撃してきて、
「ガキのリュックと、レジャーシートと、弁当箱って、どこ売ってるんすか?」
と聞いてきた。
インターホンで対応してたんだけど、片手に息子と同じ遠足のしおり、
片手に携帯で長男は一生懸命メモとってた。
大体の予算も教えたら、「あざっす」と帰って行った。
遠足が終わった翌日に、お菓子が入ったコンビニ袋を持って
「チビを遠足に行かせてやれたっす。まじ助かりました」
とあいさつに来た。
それからもときどき上の三人が、学校用品はどこに売ってるのか、
子供服はどこに売ってるのか、雑巾持たせるってどうするのかと聞きにきて、
教えると三人ともコンビニ菓子を持ってお礼に来た。
夏休み前には四男の徘徊もなくなっていた。

上三人と二言三言話すようになって、上三人は母の連れ子、四男は父の連れ子の再婚家庭で、
母は四男が継子だから一切無視で家にも入れず、
父は実の息子はかわいいけど、義理でも女親が何とかするだろうで何もやらず、
上三人が見かねて世話してると聞いた。
実際に遠足の時は、長男が四男連れて車でリュックを買いに行き、
二男と三男が早朝にコンビニで弁当やサラダ、お菓子を買ってきて
買ってきた弁当箱に詰めなおして送り出したそうだ。
二男が遠足のしおりを見つけて、四男に聞いてみたら、
四男が用意してたのが、茶色いしみがついた父のいらない手提げ鞄に、
柿ピーと水道水入りペットボトル、シート代わりのビニール袋だったそうだ。
上三人は母子家庭でわりとネグレクトで育ったらしくて、
普段から子供だけでお菓子やファストフードを食べて育ち、
母に恋人ができれば家を追い出されて、
遠足はボロボロのリュック、二、三本のウインナーに白飯の弁当、
お菓子なし、水筒なし、シートもなしで先生に分けてもらった思い出から
いてもたってもいられなかったそうだ。
その後は、夏休みは上三人が、夏休みの宿題の絵のために
四男を動物園や水族館に連れて行ったり、
冬には行きにつんつるてんのコートを着て三男と出かけた四男が、
ちょうどいいサイズのコートを着て、服の入った袋を持って
二人で肉まん食べながら帰ってきたりしてた。
数年たった今では、上三人は落ち着いた髪の色で、ピアスもなくなって、
すっかり普通の兄ちゃんになり、四男も優等生寄りの普通の子。
この前、引っ越してきた当時は眉がなかった二男が、
四男がいなかったら自分は極道になってたとしみじみしていた。

 

 

またあの家に帰りたい

数年前に招待された同僚の結婚式
ヤツの嫁さんは正直不細工ってほどでもないけどちょっと骨太な
固太りなタイプで俺だったらムリだなーみたいな気持だった。

その同僚の家にこの間諸事情あって急きょ泊めてもらうことになった。
本当に突然、しかも深夜だったので遠慮と申し訳なさもあって
別に宿取ることも考えたが社交辞令でなくいいからと同僚が
言ってくれるので、甘えさせてもらった。

…なんつーか、打ちのめされたよ。
そりゃあこの家なら、いつ誰を呼んでも恥ずかしくないよな。
すっきり片付いた明るい室内。
奥さんも急な来客にも嫌な顔一つせず迎えてくれて
てきぱきと風呂の世話から(清潔なタオル類を準備され、
新品の歯ブラシを使ってくれと渡された)
敷かれた布団は突然のことでお昼間に干せなかったのが
申し訳ないけれど、と寝る直前まで布団乾燥機を入れてくれていた。
朝は綺麗に片付いたテーブルの上にきちんと
並んだ朝食。ウマかった…食事って見た目も大事だよなホント
それらのひとつひとつを当り前のこと、みたいな顔してる同僚が
心底羨ましくて妬ましくて、でも見栄がある俺は心の中で
感動しながらも、表面上はなんてことないみたいな顔で過ごすしかなかった。

礼を言って家を出たけど、正直またあの家に帰りたいよorz
同僚は見る目がある男だったんだな。マジで敗北感に凹んだ。

 

 

入院した老人と奥さん

高校生の頃、入院したときに同室になった老夫婦。

じいさん(旦那さん)のほうが他県から出張中に脳卒中で倒れ、俺の地元の大学病院に運び込まれた。
(定年後に農業指導とかをしてたらしい)
意識を回復するまで1ヶ月以上、奥さんは病院近くのビジネスホテルに泊まって毎日付き添いをしてたらしい。
俺が入院したときにはもう旦那さんの意識は回復していたが、後遺症で軽度のまひと言語障害と記憶障害(記憶喪失)になってた。
じいさんはいつもふがふが喋っているのだが、先生も看護婦も良く聞き取れないので奥さんが通訳していた。
が、旦那さんは奥さんのことが誰だかわからないらしく、決して名前を呼ぶことはなかった。

そのくせこのじいさん、若い女の子は大好きだった。
看護婦の研修機関になっているからか、2~3週間ごとに変わる若い看護婦さんのことはすぐ覚えて、
「今日は違う人だね。新しい人?かわいいね」とか言ってた(これも奥さんの通訳経由)。

じいさんは性格的には気さくな人で、ふがふが言いながら隣のベッドの俺にも必死で話しかけようとして、
奥さんが通訳し、俺が返答すると、奥さんが耳元でゆっくり言いなおす、ということで会話したりしていた。

そうこうしてるうちに、俺が2週間ぐらい入院している間にも、じいさんの言葉は目に見えて回復していった。

ある日の午後、看護婦さんが誰も部屋にいない時間帯にふとじいさんが奥さんに向かって
「あんたは、新しい人(看護婦さん)かね?ずっと俺のそばにいてくれるようだが…」
と言った。

俺はそれを聞いて「じいさん、2ヶ月近くも付き添いしてもらっててそれは酷いだろw」と思ったが、
奥さんは
「何を言ってるんですかwやーねぇww
もう40年もお側にいるじゃないですかw」
と言ってニコニコ笑ってた。

奥さんは俺にも「ねえ?ww」と言ってきたが、俺はなぜか涙がこみ上げてきてうまく答えられなかった。
なんかこんな夫婦になりたいと思った。

 

生命誕生の瞬間

微弱陣痛で42時間苦しんだ。
最初はよくある雄叫びをがおーっとあげてたけど、なんだかどっかを境目に急に冷静になった。
夫がハライタだのごはんだのとふいふいいなくなっていたのに、母はずっと付き添ってくれてて、医師らが体に悪いと叱るまでトイレにも立たなかった。
それで突然偉大なる母親の愛情みたいなものを見ている気がして頭が冷えたのね。
枯れた声で叫んでたとこからふっと息ついて、ぐるんと母を見た。
私「お母さん、ありがとう。大好き」
母「何?!死ぬの?!お医者さん!娘が死にそうです!」
私「私ね、お母さんのさつまいものきんぴらが好きだよ」
母「いやああああ誰かきてえええ!娘が死ぬううう!!!」
私「お母さん、高校のころに『早くしね』って言ったの、あれ嘘だよ。なるべく長生きしてね」
医師「○○さん!気を確かに!」
私「こんな時だから言えるけど、お母さん、いつかでいいからまただっこしてくれる?」
母「(号泣)」
ここで赤さん発露。間置かず頭がぬるんと出て、「ふんぬらば!」のひといきみで赤さん完全生誕。
本当に女神が舞い降りたかのような数分だった。

 

 

嫁に怪しい内容のメールが

嫁が風呂に入っているときに携帯を見てしまった。
おれが送った「今から帰る」みたいなくだらないメールばかり。
でもフォルダがあって、そこにメールが一杯たまってた。
彼氏から彼女に送るような甘い内容のメールばかり・・百通ぐらいあったかも試練。
感情的になってしまい、風呂からあがってきた嫁に問い詰めた。そしたら
「自分が送ったメールなのに、忘れてしまったのですか?」
といって嫁は笑った。さっぱり気づかなかった。
言われて見れば、差出人がおれの昔の携帯の番号だった。忘れていた。
そうこうしてる間に嫁の携帯の電池が一つになってた。もう何年も前から同じ携帯だ。
機種変しないのか?と聞いたら、メールが消えるのが嫌だったからだと。
なんだか携帯盗み見た自分が恥ずかしくなった。
謝ると、嫁は笑いながら「こんな私を貰ってくれる人なんて貴方以外にいません」といっておれを抱きしめてくれた。
今週末嫁の携帯を機種変しにいってきます。おれの自腹でOTL

 

 

たったひとつのショートケーキ

小学生になった頃、少し上の姉が「ケーキを買いに行こう」といい始めた。
俺はケーキが大好き。母親のお使いだ、ケーキが食べられると思ってついて行く事にした。
途中で姉はなぜか花屋で赤い花を一つだけ買った。
そして次にケーキ屋さんに行った。
俺はチョコレートケーキ!と指をさしたが、姉は首を振ると、「イチゴのショートケーキ
を一つ下さい」と店員さんに頼んだ。
俺は「なんでチョコにしないんだ!」とふてくされた。
しかも1個なんてみんなで食べるのに足りないじゃないか?
と文句を言っていたが、姉は俺に構わなかった。
店員さんは1個のケーキを小さな箱に入れて袋に入れて姉に渡した。
その時、姉が持っている赤い花に気付いたのだろう。
「ちょっと待って」と袋を取り戻すと、店員さんは今度は箱を綺麗な包装紙で
包み赤いリボンで縛ってくれた。
姉は夜、食事の後にそのリボンで結んだ箱を母親にだけ渡した。
その時の赤い花がカーネーションであることを俺が知ったのは数年経ってからだ。
その時の姉が小遣いで買った、小さなショートケーキは母と姉と俺とで三等分して食べた。
一口で、一瞬で無くなった味だが俺にとっては一生の思い出に残る味だった。
今でもショートケーキを食べると、中学生になる前に病死した姉の思い出の味がする。

 

 

サポセンの親切なお姉さん

wifiの接続が上手く行かなくてサポートに電話したら
親切なお姉さんが出て対応してくれた。
で、上手いことwifiは繋がって
お姉さんとひとしきり喜んで電話を切る事になったんだ。
俺ってつい相手が切るまで待っちゃうんだけど
あっちのお姉さんは俺がもう切ったもんだと思ったみたいで
「おわったー…ほえー」
とか言ってんの。俺は任天堂に一生ついて行ってもいい。

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