『お小遣いを貯めて』など短編5話【58】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『お小遣いを貯めて』など短編5話【58】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【58】

 

 

勇者の碑

俺はガムラツイストを全部持ってる。
状態も万全でコンプしてる。
そんな俺のガムラコレクションだが、中に1枚だけ裏の台紙に
「●●君(←俺の名前)へ あのとき本当にありがとう 元気でね」
と書かれたシールがある。
それはラーメンばあ7弾の「勇者の碑」。

あれは小学校高学年の頃だった。
暑い日だったので夏だったのだろう。
俺を含む少年5人は全員、町の駄菓子屋でラーメンばあを買った。
するとグループの中では気の弱いTが買ったラーメンばあから、「勇者の碑」が出た。
キラキラシールだ。
少年たちは全員でそのシールに見入った。
少年時代の幸せなひとときである。
ところが、しばらくすると突然、グループ内のいじめっ子的存在であるKがこう言った。

「おいT!お前のその勇者の碑と俺のベン闘ベン交換しろ!」

ビクつき、涙目になるT。
さらに詰め寄るK。
俺は迷ったが、勇気を出してKを止めることにした。

「Kちゃん、Kちゃんには俺のラーメンばあさんやるよ。
前に欲しがってただろ。だからTのそれは勘弁してやって。」

しぶしぶ納得するK。
Tはビクつきながら勇者の碑を持って逃げ帰るようにして家に帰っていった。

その後、しばらくして俺は転校することになった。
お別れ会が終わって一人で帰宅する俺。
そんな俺を後ろから凄い勢いで走って追いかけてくる奴がいた。
Tだ。
Tは俺に追いつくや、こう言った。

「あのときありがとう。これ。」
手には「勇者の碑」。
「これ●●君にあげるから!」
そう言ってTは、とまどう俺の手に無理矢理シールを握らせ走り去っていった。

あれから20年、風のたよりによるとTは交通事故でハタチ前に死んだらしい。
でも、Tからもらった「勇者の碑」は俺のファイルの中で生き続けている。

 

 

お小遣いを貯めて

幼稚園の頃から、仲が良かった親友が居た。
いつも、俺たちは4人で遊んでた。
どんな時も、一緒に遊んでた。
彼女についての相談をしたり馬鹿言ったり、喧嘩したり。
でも、そんな事やりあってるうちに俺たちの絆は更に深まっていった。

ある日、いつものメンバーで遊んでる時、ゆうき(仮名)の具合が悪そうだった。
そいつは元気だけがとりえだったのに、その日だけは具合が悪かった。
日がたつたびにゆうきの具合が悪そうだった。
俺たちは心配になって体調を聴いたが
『大丈夫。なんてことないよ』
と、言っていた。

数日後ゆうきは学校を休むようになって、病院で入院していることを親に聴いた。
親からゆうきが難病に掛かっている事、そして治らない事、もう直ぐ天国に行くかもしれない事。
全部聴いた。俺たちは言葉が出なかった・・・。

俺たちはいつもより1人少ない、3人で御見舞いに行った。
プレゼントを持って。
逢って元気付けてあげて又、一緒に遊ぶんだって俺は思った。

病室に入ってゆうきを見たら、
全身チューブだらけでちゃんと顔を見る事ができなかった。
俺たちは『絶対良くなるよ』って言ったら
ゆうきは『まだ死にたくない』って言われた。
面会時間が短かったからプレゼントを渡して病室から出た。

病室から出た後、俺たちの涙は止まらなかった。
まだ、死んでる訳じゃないのに凄く悔しかった。
何で俺たちの親友がこんなに苦しまなきゃいけないんだと思った。
俺たちは何も出来なくて、ただ涙を流す事しか出来なかった。

そして俺たちは毎日の様に御見舞いに行った。
俺は親から貰ってる少ないお小遣いを貯めてゆうきの為にプレゼントを買って病院に行った。
いつもの病室だから迷う事なく真っ直ぐ進んで病室に入るとゆうきの姿は無かった。
部屋の中の状態はいつものままなのにゆうきだけが居なかった。
頭の中が真っ白になって何が起きたのか判らなかった。

部屋の前でプレゼントを持って立っていると後ろからゆうきの母親が来て俺に言った
『本当についさっき息が止まって・・来てくれてありがとう』
って涙を我慢しながら俺に言った。
プレゼントはゆうきの母親に渡して俺は病院を出た。

その後、俺たちは3人だけで遊ぶようになった。
俺たちの仲間が居なくなって初めて気が付いた。
友達の大切さを。

今迄本当にありがとう。
絶対忘れないよ・・・

 

自分が不甲斐ない

今から二年前の三月、上司を事故で亡くした。

親の病気で仕事を辞め、看病や家の中のことで疲れ切っていた俺に仕事を紹介してくれた友人がいた。
その職場で知り合った人が彼女だった。
当時二十歳だった彼女を見ていて、自分が不甲斐なく思えた。
腰掛け同然に仕事をしていた俺と、年一つしか違わない彼女を較べて。
(それは彼女が正社員だった、というのもあるからだろうが)

そこそこに仕事をこなせるようになってから、本当にやりたい事の話もした。
実際には医療関係の仕事に進むつもりだったし、学校に行くことも決めていた。
その話の最中に彼女が
「自分のやりたいことを優先して」
と言ってくれたのを今でもよく覚えている。

その一ヵ月後、彼女は他界した。
自動車同士の衝突事故だったそうだ。
後悔した。
悲しみよりも。
あの人のために働きたい。
役に立ちたい。
もっと話したい。
そう思っていた矢先だった。

一年前にその仕事は辞め、今は医療機関で研修中だが、後悔は一層強くなっている。
あの時現場に居合わせていれば、彼女を助けられたかもしれない―と。
彼女が戻ってくるわけではないけれど、少しでも多くの患者を救いたい。
俺に道を示してくれた、彼女の言葉に報いる為に。俺が今ここにいられるのも、貴女のおかげです。

ありがとう。
ゆっくり休んでください

 

 

ディズニーランドへ

事情があって生活保護を受けている母子家庭の知人の子供が夏休みに法事で東京へ来た。
「おじさんがディズニーランドへ連れてってあげるよ」
と言うと頑なに固辞するので、子供のくせに遠慮するなあと思って理由を訊いたら
「だって高いから」
とだけ言うと、その子は下を向いてしまった。
「じゃあおじさんと、明日どこかドライブへ行こう」と次の早朝連れ出した。
首都高から湾岸線、浦安で降りるとTDLの看板があり、その子はまだきょとんとしていたが、駐車場へ入るあの角を曲がったときのその子の驚きと感動の歓声が忘れられない。
持ちきれないくらいのおみやげを買ってやり、5万くらい使ったが、馬にぶち込むよりはいい使い方だと思った。

 

 

障害猫

私が小学生の時、野良猫が家になついて子猫を生んだ。
メス一匹とオス三匹。
内、オス二匹は病気やら事故やらで死んだ。
生き残ったメスとオスはアンとトラって名前を付けた。
私たちはメチャクチャ可愛がった。
アンは女のくせにおてんばだった。
いつも一緒の布団で寝ていた。

ある日、親父がアンを勝手に避妊手術に出した。
帰ってきたアンは・・・、手術の失敗で障害猫になっていた。
歩くこともできず、食べることもできずにそれでも一生懸命生きようとしていた。
私はアンに生きていて欲しかったから、一生懸命世話した。
えさを細かく切って食べさせたり、親にはダメって言われてたけど、家の中に入れて温めた。

その甲斐あってか、アンは次の春には歩けるようになり、えさも自分で食べられるようになった。
それに安心しちゃって、私はアンの世話をあんまりしなくなっていた。

月日は流れて、また冬がやって来た。
アンは、弱っていった。
そして・・・アンは死んだ。

最後の日は不思議と元気があり、自分でえさをがつがつ食べたのだそうだ。
死因は、えさがのどに詰まったことによる窒息死。
私がアンの世話をサボらなかったら・・・。
ごめんアン、とても苦しかったでしょ??ごめんね。
あなたが苦しみから解放されたことだけが、唯一の私の救いです。

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