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『名残雪』藍物語シリーズ【12】◆iF1EyBLnoU 全40話まとめ – 怖い話・不思議な話

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『名残雪』藍物語シリーズ【12】◆iF1EyBLnoU 全40話まとめ - 怖い話・不思議な話 シリーズ物
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藍物語シリーズ【12】

 

藍物語シリーズ【全40話一覧】

 

 

『名残雪』

 

「じゃ、L、しっかりね。R君も、Lの事頼んだわよ。」 「ばいば~い。」
姫と俺を駅前に残し、Sさんと翠を乗せた車が遠ざかっていく。
「Rさん。3日間、宜しくお願いします。」 姫が礼儀正しく頭を下げた。
「いや、こちらこそ宜しくお願いします。ちょっと頼りない付き添いですけど。」
話は一月程前に遡る。
その時妊娠6ヶ月目に入っていたSさんは春休みとゴールデンウィークの旅行を
パスすると決めていた。もちろん姫と俺も旅行はしないつもりだったのだが、
Sさんが『久し振りに2人きりで行って来なさい』と言うので、
春休みの3連休に合わせて二泊三日の小旅行を計画することになった。
その旅行先を探していた姫が『夜行列車に乗ってみたい』と言い出したのだ。
「列車の中で眠るなんて楽しそうですよね。朝靄の中で到着すると、きっと良い風情です。」
それはまあ、間違いなく姫は俺より先に寝てしまうし、俺より後に起きるのだけれど。
早朝のホームには酔っぱらって寝てるおじさんがいたりで、風情があるとは限らない。
「僕はホテルとか旅館が良いですね。列車だと切符買うのが面倒だし。」
「そう言えば、列車の切符って、やっぱり駅で買うんですよね?」

 

俺とSさんは顔を見合わせた。
「Sさん、もしかしてLさんは。」 「確かに、Lは一度も乗ったことないわね。列車。」
お屋敷の近くには駅がない、自然と移動手段は車中心、いや100%車だ。
仕事も、買い物も、姫の送迎も。 変わるとすれば車種だけ。ロータスとマセラティ。
「今の生活なら特に何の不都合も無いけど、丁度良い機会。」
それでこの週末、金曜からの3連休に合わせた小旅行は、
姫の特訓を兼ねた列車での旅と決まった。
Sさんが決めた行程に沿って列車を乗り継ぎ、かなりの長距離を移動する。
途中、Sさんに頼まれた用事を済ませるミッションも用意されている。
もちろん地図と時刻表を頼りに姫が切符を買う。俺は一切口を出さない。
俺の任務は姫のボディガード(不要かも知れないが)。
3月も下旬、さすがに雪の予報は出ていないようだが、予想気温がかなり低い場所はある。
その日の最終目的地で宿泊先を探す行き当たりばったりの旅。
初めて行く場所ばかりだし、移動に手間取れば宿泊先がどうなるか予想出来ない。
まさか駅のベンチで夜明かしなんてことにはならないだろうが、
なかなかに緊張感のある旅行が始まった。

 

最初からある程度予想していた通り、一日目、3本目の列車に乗る頃には、
姫は時刻表の見方や切符の買い方、乗り継ぎの要領をすっかり憶えてしまった。
「ちょっと行って聞いて来ます。」 勿論俺が口を出さなければ反則では無い。
そりゃ窓口に姫のように綺麗な女性が聞きに来たら、職員もさぞかし張り切るだろう。
しかも姫は演技派、『昨日沖縄から出て来て乗り方が分からないんです』と設定が細かい。
暫く窓口で話し込んであれやこれやと教えてもらい、推薦の駅弁まで聞いて来たらしい。
「このお弁当、美味しいですね。」 「列車の旅行は駅弁に限ります。」
運転しなくて良いから、気楽な俺は熱燗にした缶入りの日本酒を買って良い気分。
不安な旅の筈が、優秀な美人ナビゲーター付きの気楽な旅に早変わり。もう最高。
観光地を回る旅程ではないので列車は混んでいない。乗車率は50%といったところ。
姫は窓の外の景色や他の客の様子を興味深そうに眺めていた。
4本目の列車はローカル線、今夜の宿泊先は小さな地方都市。
駅前の繁華街でシティホテルやビジネスホテルをあたれば多分空室があるだろう。

 

目的の駅に到着したのは15時27分。休日の午後、ホームはまだ閑散としているが、
ちらほらと学生っぽい姿が見える、部活か塾の帰りだろう。
あと2時間もすれば休日出勤した会社員の姿も増える筈。
「Rさん、私いつも思うんですけど、どうしてみんなイヤホンをしてるんでしょう?
私の大学の学生達もそうだし、この街の学生も同じです。」
確かにベンチで列車を待つ学生も、ホームを歩く学生もイヤホンをしている。
大袈裟なヘッドホン姿も見える。 そうでなければケイタイでお話中。 時折聞こえる笑い声。
「う~ん、音楽が好き...いや、きっと暇潰しじゃないですか?」
「私、Rさんに送ってもらったあと、遠回りして、学部まで10分くらい歩くんです。
短い時間ですけど、その間でも色んなものを見たり音を聞いたり、とても楽しいです。
季節が変わって鳥の鳴き声が聞こえたり、咲いている花の種類が変わったり。
今日も世界は綺麗だなあって、全然退屈しないのに。あの人達は耳も目も心も
自分の中にだけ向けて、外の世界を見ないし聞かない。何だか勿体ないですね。」
胸の奥がきゅっと痛くなる。そっと姫の肩を抱き寄せた。
「お願いですからそんな事言わないで下さい。Lさんが生き急いでいるようで不安になります。
毎日毎日実感しなくても、この世界で綺麗です。もっといい加減で良いじゃないですか。
仕事や勉強で疲れていたら自分の殻に閉じこもるのも仕方ないし、
好きな音楽を聴きながらだと、景色もまた変わって見えるかも知れませんよ。」

 

姫は優しく微笑んだ。
「私の、悪い癖かむ知れませんね。あとどれだけ、自分が自分でいられるだろうって
考えていた時間が長過ぎたから、つい急いでしまうんです。
明日も明後日も、家族みんな一緒で幸せな日々が続くなら、
もっとのんびり、ゆっくりしても良いんですよね。」
「そうです、人生はこれから、もっとずっと長いんですから。」
手を繋いでホームを歩く。二度目の、2人きりの旅行。Sさんの配慮が胸に染みる。
駅の構内にアナウンスが流れた。 「2番線に電車が参ります・・・」
2番線の停車位置は30mほど先、俺たちの背後から微かに地面の震動が伝わってくる。
もう少し歩いたところで、異変が起こった。
「あ。」 「あれ。」
いつのまにか、俺達の前数mの所に2人連れの姿。女性と男の子、親子だろうか?
すぐ傍のベンチに座っている学生も2人に気付いた様子はない。間違いなくあれは。
暫くして電車がホームに滑り込んできた、その瞬間。
女性が男の子を抱き上げたかと思うと電車の前に飛び込んだ。思わず息を呑む。
しかし、何の音も聞こえず、他の客の様子にも変化はない。
しばらく歩いて停車した電車の前を覗く、電車にも線路にも異常はない。やはり、幽霊。
「Rさん、今日泊まるホテル、多分大丈夫ですよね。」
「はい。ここから見えるだけでも、ビジネスホテルの広告、いくつかありますから。」
姫はホームの時刻表を確認し、メモを取った。
2番線のホーム近くに戻り、さっき学生が座っていたベンチに腰掛ける。
「次の電車は15時42分。もし同じ路線の電車だとしたらその次、49分です。」

 

42分の電車が入って来た時は何の変化も無かった。
学生達の姿が少し増えたように見えるが、まだ人の数はそれ程多くない。
電車は問題なく停車し、そのまま出発していった。
そして47分を過ぎ、電車の到着を知らせるアナウンスが流れる前に、それは現れた。
女性と小学生くらいの男の子、2人の後ろ姿。俺達の目の前、1mほどの距離。
鍵を掛けず、目を閉じて感覚を拡張し、その『存在』から伝わってくる気配に集中する。
悲しみか、あるいは憎しみか。 同調することが出来れば手かがりが得られるはず。
それは、声。微かに聞こえる2人の会話。

「・・・・に そ・・・ら みた・・たね。」
「ごめ・・ ・か・さんが しっかり・てな・・たから こわ・・い?」
「だいじ・・・ ぼく おかあさん・だいす・だか・ ・つま・もいっしょだよ」
「・りがと・ でも ・の・・・ ・せて あげたかった。」

先刻と全く同じように、女性は男の子を大切そうに抱き上げて、
ホームに滑り込んだ電車の前に飛び込んだ。
激しい感情の爆発、意識が飲み込まれそうになるのを必死でこらえる。
次の瞬間、気配は突然消えた。 今まで通りのホームの風景。

 

「やっぱり、現れましたね。」 「それほど古くありません。多分、ここ2・3年です。」
「あの会話、はっきり聞き取れなかったんですが、Lさんは?」
「いいえ、会話の内容は全く。会話だとしたらRさんの領域ですね。
私はちょっと男の子の意識に集中し過ぎてしまったかも知れません。」
やはり姫も伝わってくるのが会話だとは思っていなかったのだろう。
でも、もう一度チャンスがあれば、最初から会話に絞って探知出来る。
もしかしたら、あの親子をこの場所に縛り付けているのが何なのか、分かるかもしれない。
それから約一時間、ベンチで待ち続けたが、2人の姿は現れなかった。
「Rさん、明日の予定なんですけど。」
「分かってます。明日も、この街に泊まりましょう。
あの2人、とても気になります。そのままにしてはおけません。」
「はい。後でSさんにも、電話しておきます。」
「じゃこの件については、今日はこれでお終い。折角2人きりの旅行ですから。」
「あとは宿探しですね。私、Rさんと一緒なら、どんなところでも平気です。」
「僕は出来るだけ綺麗なホテルが良いですね。こう見えても、都会派の軟弱者なので。」
姫は小さな声で笑った。
「嘘つき。魚釣りも料理も、あんなに上手なのに?」

 

ふと、目が覚めた。ベッドの中に姫がいない。
姫は窓際に立ち、少し開けたカーテンの隙間から窓の外を見ていた。
窓から微かに差し込む街の灯りが姫の顔を照らしている。
この人はいつもそうだ。とても美しくて、でもどこか儚げで。
婚約者だし、身体を重ねたこともある。俺を愛してくれているのも痛い程分かる。
しかし、姫のことを深く知る程、いつか俺の前から消えてしまうのではないかと不安になる。
本当の姫はまだ俺の手の届かないところにいるような、頼りない感覚。
舞を奉納した時に姫が感じていたという不安が、俺にも伝染したのかも知れない。
俺の前で舞を見せてくれた姫は、羽衣を着て軽やかに舞う天女のように見えた。
いつか、羽衣を着て天に帰っていく伝説の天女。
いや、それじゃ駄目だ。この人と離れるなんて考えられない。
「あの親子の事を考えているんですか?」 「はい、男の子の事を。」
「身体が冷えてしまいますからベッドに戻って下さい。」 「はい。」
姫は戻ってきてベッドに潜り込んだ。そっと、抱きしめる。少し冷たい、細い身体。

 

「『男の子の意識に集中し過ぎた』と言ってましたよね?」
「あの時、男の子の意識に、不安や恐れを全く感じませんでした。それが不思議で。」
「これから電車に身を投げるというのに、ですか?」
「それどころか母親が抱き上げた時、男の子の溢れるような喜びを感じました。
翠ちゃんがSさんに抱き上げられる時に感じているような、純粋な喜びです。」
「それ程にあの子は母親を愛し、信頼していたということですね。」
「心中を選ばざるを得ない事情。生活は苦しかったはずなのに、
あの母親は毎日精一杯の愛情をあの子に注いでいたんでしょうね。」
突然姫の頬を涙が伝った。 「私。」
胸の奥が痛む、やはりこの人は。枕元のティッシュペーパーで姫の涙をそっと拭う。
「どうしたんです?話して下さい。」 姫は小さく頷いた。
「私、あんな風に子供に愛情を注げるでしょうか?
自分の子供にあれほど信頼される母親に、なれるでしょうか?」

 

姫は以前も口にしたことがある。
両親の顔さえ知らない、そんな自分が親になった時、
自分が産んだ子を愛せるのかどうか分からないという不安。
翠を溺愛し、喜々として世話をする頬笑ましい様子を見て、
すっかりそんな不安は消えたものだと思っていた。
しかし、それはあくまで『Sさんが産んだ子』を愛したのであって、
自分の産んだ子を愛した訳ではない。
翠を溺愛すればするほど、姫の不安は大きく、深くなっていったのだろう。
迂闊だった。
「Lさん、質問があるんです。」 「何ですか?」
「Lさんは裁許を受ける時、術者になれるかどうか不安でしたか?」
「...いいえ、自分に力があるのは分かってましたし、あとはどんな術者になるかだけで。」
「母親も、同じじゃないかと思うんです。」 「母親と術者が、同じ?」
「どちらも自ら選んで『なる』ものです。『なれるかどうか不安を感じるもの』ではありません。
Lさんに女性としての能力があるのは分かってます。僕という婚約者もいます。
あとはどんな母親になるかをしっかり考えれば良いだけですよ。第一。」
俺は姫の額にキスをした。少し照れくさいが、姫の目を真っ直ぐに見つめる。
「普通の方法だと、避妊の成功率は100%じゃありません。
もしかしたら今夜、Lさんは母親になったかも知れないんです。」
「もし、今、子供を授かったら...悩んでる余裕なんてありませんね。」

 

右手でそっと姫のお腹に触れる。
「ここに、僕たちの子供がいるとしたら、どんな気持ちでしょうね?」
「きっと、すごく嬉しいです。」 姫は左手を俺の右手に重ねた。
「毎日毎日、お腹をさすって、話しかけて。」 姫の笑顔は明るかった。
「そんな感じで良いんじゃないですか?あんまり真剣に考え過ぎると疲れちゃいますよ。」
「そうですね。どうして考え過ぎちゃうのかな。私、いつもこんなで、駄目ですね。」
「Lさんは術を使う時、楽しいですか?」 「え?」
「こんなことが出来て楽しいって思いませんか?」
「正直に言うと、楽しいと思うこともあります。術を使うのはお仕事のためで、
本当は楽しいなんて思っちゃいけないのかも知れませんけど。」
「お正月のトランプのこと、憶えてますよね?」 「はい。」
「Lさんと2人きりでいるのに、Sさんのこと話して御免なさい。
でも、今は僕たちのお師匠様の話だと思って聞いて下さいね。」 「はい。」
「あの時、Sさんはとても楽しそうで、得意そうでした。
『ほら私って、術って、凄いでしょ』って感じで。だから思わず僕も楽しくなりました。」
「確かに、とても楽しそうでしたね。お正月で、久し振りに従姉弟に会って、
それでだと思ってましたけど。でも一番楽しそうだったのは術を使ってる時でした。」
「Sさんだって、時々は自分が術者であることを楽しみたいんです。
いつだって仕事に関わる辛い事や悲しい事に耐えてるんですから、息抜きも必要ですよね。」
「辛くて、悲しいから、時々は術者であることを楽しむ...Sさんも。」 姫は少し遠い目をした。

「さて、次はかなりディープな質問ですよ。将来の夫婦として答えて下さいね。」
「はい。」
「Lさんは僕と、その、仲良くしてる時に、気持ち良いですか?正直に、答えて下さい。」
「あの、とても嬉しくて、幸せな気持ちです。」
「でも、気持ち良いと思ったことはないんですね?」
「はい、御免なさい。」 姫は目を伏せた。
姫と身体を重ねたことはそれ程多くない。既に痛みや出血は無くなっているが
あまり気持ち良く感じていないのが分かるので、どうしても遠慮してしまう。
自分の子を愛せないのではないかという不安を抱え、そして姫の真面目な性格。
当然、その結果妊娠するかも知れない行為を、心から楽しむ気持ちにはなれないだろう。
「Lさん、仲良くするのは子供を作るためだと思ってませんか?」
「え?だってそれは。」
「もちろん子供を作るためでもあります。でも僕にとって、普段はそれ以外の意味が大切です。」
「どんな、意味ですか?」
「コミュニケーション、互いの愛情の確認です。身体を重ねて互いの気持ちを確かめ合うこと。
そしてそれを気持ち良いって感じることは、僕が男であることを楽しむってことですから。」

 

「あの、Rさんは、私と仲良くしてる時、気持ち良いんですか?幸せじゃなくて?」
「幸せだし、とても気持ち良いですよ。男に生まれて本当に良かったと思います。でも。」
「でも、何ですか?」
「Lさんも気持ち良いって感じてくれたら、もっともっと気持ち良いでしょうね。
それこそ天にも昇る気持ち。Lさんは仲良くしてる時、女であることを楽しんでますか?」
「Rさんに抱きしめてもらって、仲良くしてもらって嬉しいって思いますけど...」
「避妊すること、ちょっと後ろめたいと思ってるでしょ?」
「はい。」 小さな声、愛しくて堪らない。
「Lさん、避妊は僕にとって一番良い条件で子供を迎えるための準備です。」
「準備?」
「正直、僕は今すぐLさんが妊娠しても全然困りません。
それどころか、きっと、とても嬉しいです。
でも婚約者としてでなく、ちゃんと入籍してからの方がもっと良いかなと思うし、
いや、Lさんが大学を卒業してからの方がLさんの身体には良いのかなって迷いながら
僕たちの子供を一番良い条件で迎えるタイミングを考えてるんです。」
「そのためにもいっぱい仲良くして、お互いの気持ちを確かめ合うことが大切なんですね。
そのためにいつもは避妊を?」
「僕はそう思ってます。何度も仲良くして気持ち良くなったり、そのために避妊することは
全然後ろめたい事じゃありません。僕たちはもう夫婦同然なんですから。」

 

「じゃあ、SさんはRさんと仲良くする時」
俺はキスをして姫の唇をふさいだ。
「2人きりでベッドの中にいるのに、他の人の話をしちゃ駄目です。
さっきは術のお師匠様として話したんですよ。2人で仲良くする事にお師匠様なんていません。
もっと気持ち良くなるにはどうすれば良いかって、2人で探すしかないんです。」
「じゃあ、もう一度仲良くして下さい。私、今度は気持ち良くなるように頑張りますから。」
「だ・か・ら、頑張ったら楽しめないじゃないですか。何か、こう、ガチガチな感じで。」
姫は声を立てて笑った。表情は見違えるように明るくなっている。そう、これでこそ姫。
この人には今、茫洋とした未来でなく、もっと身近な将来を実感する何かが必要なのだ。
その『何か』とは一体...
安らかな寝息を聞きながら、今度は俺が考え込む番だった。

 

翌日、朝食の後でいったんこの街を離れ、次の目的地である街を訪れた。
Sさんから頼まれたミッション。小さな博物館を密かに(普通に入館して)調査する。
『一族にまつわる収蔵品が展示されているかも知れない』とSさんは言ったが、見事な空振り。
良く出来たレプリカだと姫は笑った。まあ、写真だけでは分からないことも沢山ある。
博物館近くの食堂で早めの昼食を食べてからその街に引き返した。
昨日、学生が座っていた2番線のホーム近くのベンチに陣取る。13時45分。
長丁場かも知れない。姫が時刻表を確認している間、売店で飲み物とお菓子を買った。
「さっき、同じ路線の電車が来ましたが異常なし。やっぱり時間も関係ありそうです。」
「それらしい電車は何本あるんですか?」
「次の電車は14時12分、その次が14時35分、この2本はまだ早いような気がします。
昨日の時刻からみて、15時5分、15時23分、15時45分。どんなに遅くても16時2分、
この4本でしょうね。昨日は16時を過ぎたら現れませんでしたから。」
時計を確認する、13時59分。可能性は低いだろうが、最初の電車まであと13分だ。

 

14時12分と14時35分の電車は異常なかった。
駅員が近寄ってきた。「お客様、何かお困りですか?」 親切と偵察。
閑散とした休日のホーム、難しい顔をして長時間座っている男女の2人連れ。
しかも女性は飛びきりの美人。俺が駅員だとしても気になるだろう、仕方ない。
『駅員の余計なお節介に困ってます』とは言えないので、出来るだけにこやかに応じる。
「彼女の御両親と待ち合わせしてるんですが、○▲県の雪で少し遅れてるみたいなんです。
どんなに遅くても16時2分の電車には間に合うと思うんですが。」
姫は俯いて俺の左肩に頭を預けた。いかにも心細そうだ、さすが演技派。
「それで2番線の近くに。分かりました。早く会えると良いですね。」
駅員が立ち去ると姫はくすくすと笑った。
「あういうのが、立て板に水、なんですよね?」
「演技派の美人が傍にいれば、どんな台詞でもそれらしく聞こえます。簡単ですよ。」
次の電車までは少し間がある。2人でお菓子を少し食べた。
やはり温かいものが飲みたいので自販機でお茶を買い直す。
交代で姫もホットレモネードを買って来た。
お菓子と温かい飲み物。少し体を動かして気分一新。次の電車に備える。
15時。多分、あと3分と少し。

 

15時3分、辺りの空気が変わった。 始まる。
親子の姿は現れないが、微かな気配を確かに感じた。
感覚を最大限に拡張して気配に同調する。探るのは会話、2人の最後の会話。

『お母さん、雪、雪が降ってるよ。綺麗だね。』
『本当だ。寒くない?』
『少し寒いけど平気。』
『雪も綺麗だけど、春になったら、お母さんが育った村の桜を見せたかったな。』
『お母さんの育った村の桜って、この雪よりも綺麗なの?』
『ずっと綺麗よ。数え切れない桜の木に、一斉に花が咲いて。
お母さんが見た、世界で一番綺麗な景色だもの。』
『一緒に、その桜、見たかったね。』
『御免ね、お母さんがしっかりしてなかったから。怖くない?』
『大丈夫。僕、お母さんが大好きだから、何時までも一緒だよ。』
『ありがとう。でも、あの桜、見せてあげたかった。』

続いて起こる感情の爆発。
死を決意するまでの母親の記憶。前夜の2人の会話。
そして駅までの道程。歩道の脇、立ち枯れたような姿で春を待つ桜並木。
一瞬の間に様々な感情と映像が迸る。
走馬燈どころでは無い。まるで目の前で次々と爆発する打ち上げ花火。
昨日よりはましだが、やはり激しい情動に意識が飲み込まれそうだ。
腹に力を入れて耐える。やがて唐突に、気配は消えた。

 

目を開け、ハンドタオルで額の汗を拭う。 気温は4℃、文字通りの冷や汗。
「あの会話。『桜の花』が2人の心残りなんですね?」
「はい。生きることの全てを諦めた2人の、最後の望み。だから、とても強い心残りです。」
もちろん自殺は罪だ。子供を道連れにしたのだから、母親の罪はさらに重い。
それに、電車への投身。 数え切れない人達に迷惑を掛けたのは間違いない。
しかし悲しいことに、『死ぬより辛いこと』がこの世にはある。厳然として、ある。
以前の事件、校舎の屋上から身を投げた女子高生もそうだった。
姫に仕込まれていた術の件では、俺自身、自分の死を考えた。そして、おそらくは姫も。
罪は罪。しかしそれは、決して許されぬ罪ではない。
それに、このままでは遅かれ早かれ2つの魂が『不幸の輪廻』に取り込まれる。
誰1人それを悲しむ人のいなかった、孤独な親子の死。
不幸はもうそれだけで、十分ではないか。
「何とか助ける方法はありませんか?」
「2人が身を投げたのは2月、雪の降る午後。2人にとって季節は常に冬だし、
その魂はこのホームに縛られています。このままでは、絶対に心残りは消えません。
世の中を憎む代わりに、2人は強く、とても強く心を閉じてしまったんですね。
もし心を開いてくれなければ、無理矢理...それだけは避けたいんですが。」

 

重い沈黙。
Sさんなら取り敢えず2人の魂を人型に封じて、
いや、Sさんがいれば上手くいくとは限らない。今、姫と2人で出来る事、それは。
姫が顔を上げた。俺の目を真っ直ぐに見つめる。
「Rさん、何でも良いですから、2人に呼び掛けて下さい。Rさんなら、もしかしたら。」
俺が2人に? そうか、言霊。 そのあとで姫は。
辺りの様子を確認する。まだ閑散としたホーム。
少し離れたベンチに学生らしき客。イヤホンをしている、大丈夫。お節介な駅員の姿もない。
振り返る、広告のパネルを挟んで背中合わせのベンチ。端の席に白人らしき親子連れ。
並んで居眠りをしている。多分、これも大丈夫。でも、これ以上客が増えれば絶対に無理だ。
明日は連休最終日、確実に今日よりも客は多いだろう。
おそらく次の電車が、最初で最後のチャンス。失敗は許されない
「分かりました。やってみます。その後は、お願いしますね。」
「はい、任せて下さい。」

 

15時18分、多分あと4分弱。
姫は『何でも良い』と言ったが、一体何と呼び掛ければ良いのだろう?
二人の心残りは桜、満開の桜。 ふと、去年の春、4人で出掛けた桜の名所を思い出した。
明るい陽光に照らされた山一面の桜、ライトアップされてはらはらと散る夜の花吹雪。
翠を抱いたSさんも、大学の入学式を控えた姫も、本当に楽しそうだった。
そう、あの2人が見たかったのも、きっとあんな景色だ。
目を閉じて深呼吸、できるだけ鮮明にあの景色を思い出す。
飛び交う小さな鳥の声を、桜の花びらを運ぶ風の音を。そして楽しげな人々の声を。
「もうすぐです。」 姫の声。
目を開ける。数秒後、目の前に2人の姿が現れた。 今、だ。 2人の会話が始まる前に。
立ち上がる、深く息を吸い、下腹に力を入れた。 自分の力を信じる。
『母子、仲睦まじくて何よりですね。お二人も桜を見にいらしたのですか?
お望みとあらばご覧に入れますよ。山一面、満開の桜。』
花びらのような、綿雪のような白いものが俺たちの周りを漂っている。 これが言霊?
母親の左手が微かに動いた。右腕で男の子を抱き抱えるようにしながら、ゆっくりと振り返る。
『今、あなたは満開の桜と?』
『はい、確かに。』
紺色、半袖のワンピース。やはり半袖の白いシャツに黒い半ズボン。
二人の服装は質素だが清潔で、男の子のシャツにはぴしりとアイロンがあててあった。
精一杯の一張羅、二人なりの死装束。
雪の降る日にこの服装では、さぞ寒かったろうに。 涙、が。

 

姫が立ち上がる気配。 親子の視線が姫に移る。
『春が来る。花待里に、春が来る。』
唄うような、囁くような『あの声』だ。耳鳴り、軽い目眩。しっかりと床を踏みしめた。
術者になった以上、もう耳を塞ぐ訳にはいかない。姫の術、最後まで見届けなければ。
『命燃え、今ぞ盛りと咲き誇る、山一面の桜花。』
思わず息を呑む。いつの間にか、俺たちは無数の桜に囲まれていた。
見渡す限り満開の桜。桜。桜。明るい日差し、青い空。
『風に舞い、里に降り積む花吹雪。』
降りしきる花吹雪を両手に受けて、2人は小さく溜め息をついた。
『とっても綺麗だね。』 『綺麗。』
『これが、お母さんの育った村の桜なの?本当に、世界一だね。』
『そうよ、世界で一番綺麗な景色。これで、もう...』
母親は男の子を抱き上げて、愛おしそうに頬ずりをした。
『御免ね。』 『お母さん、大好き。』
突然、2人の姿が眩い光に包まれた。思わず目を閉じる。

 

「Rさん、早く。上手くいきました。すぐに撤収です。」
ホームに電車が滑り込んでくる。15時23分の電車だ。身を投げる親子の姿は無い。
姫はお菓子や飲み物を手早く紙袋に詰め込んだ。他の荷物は俺が持つ。
「ねぇパパ、綺麗なお花が沢山見えたよ。前にお花見で見た桜の花。」
心臓が一瞬停まりそうになる。 姫の顔も緊張している。
声が聞こえたのは俺たちの後方、姫と顔を見合わせた後、そっと振り返った。
灰色の瞳の女の子が、居眠りする父親の肩に両手をかけて揺り起こそうとしている。
「パパ!お歌が聞こえて目が覚めたの、そしたら桜でいっぱい。聞いてる?」
「うん、なっちはお花の夢を見たんでしょ?パパもその夢、見たいよ。」
女の子は父親の肩から手を離し、頬を膨らませた。
「もう、夢じゃ無いのに。」
ベンチの脇を抜ける時、女の子と目が合った。思わず声を掛ける。
「お嬢ちゃんも、桜の花、見えたの?」 「うん、とっても沢山。」
女の子は嬉しそうだ。姫がすうっと屈んで女の子と視線を合わせた。
「桜の花、とても綺麗だったでしょ?」 「うん、凄く綺麗だった。私、桜の花、大好きなの。」
「お嬢ちゃんはとても良い耳と目を持ってるのね。
だからあの歌が聞こえたし、桜の花が見えた。」
「なっちの耳と目が?」
「そう。大きくなっても、その耳と目、大事にしてね。バイバイ。」
「うん、バイバイ。」

 

ホームを出ると、冷たい風に乗って白いものが舞っていた。 花吹雪ではなく、雪。
「この雪は、名残雪、だと良いですね。」 「はい、少しでも早く、春が来るように。」
ホテルまでの歩道沿い、十数本の桜が並んでいる。あの母親の記憶の中の桜だろうか。
花芽が少し膨らんでいるように見える。姫も桜を見ている。少しやつれて見える横顔。
そうだ、この人に必要な、実感出来る身近な将来、それは。
「Lさん、今年の誕生日で二十歳ですよね?」 「はい。」
「二十歳になったら、入籍しましょう。」 「入籍って...」
「前に約束した通り、婚約者じゃなくて、正式に僕のお嫁さんになって下さい。
そして、大学を卒業したら、僕たちの子供を迎える準備。どうですか?」
「Rさん、ひどいです。歩きながら、そんなこと言うなんて。
でも...嬉しい。とても、嬉しいです。」
姫はハンカチで涙を拭った。小さな肩をそっと抱き寄せる。
「入籍は8ヶ月後、卒業は3年後ですけど、『過ち』があったら卒業前の出産もあり得ますよ。
なんだかドキドキしますね。痛。」 左頬をつねられた。
「正式なお嫁さんが妊娠するのは『過ち』じゃないです。授かる子供にも失礼ですよ。」
「御免なさい。『Lさんとの過ち』って設定が、その、良いなと思って。」
「ふふ、ホントは何となく分かります。ちょっと、ドキドキしますよね。」

 

おお、俺の嗜好を理解してくれるとは、さすがに姫だ。
「でも、もっとドキドキする設定があります。」 「どんな設定ですか?」
「入籍した後は避妊をしないんです。すごく、ドキドキするでしょ?」
「...それは。」
「きっちり計画するのも大切だけど、家族なんだから、もう少しいい加減に
のんびり生きても良いですよね。『できちゃった。』『え、大学は?』なんて、素敵です。
『休学して出産したのに、復学直前に次の妊娠が発覚』
これは、さすがにちょっと赤面ですね。」
姫...演技派なだけじゃなく、結構な妄想癖が。 いや、これは妄想じゃないな。
「お屋敷の広さは十分。子育てに関わる雑用は式に手伝ってもらうとして。
当面の問題は車、5人乗りでは足りませんね。7人乗り以上で検討しないと。」
「5人乗りで足りなくなるのはどんなに早くても来年の10月ですよ。気が早いです。」
不意に両目から涙が溢れた。嗚咽が漏れる、止められない。
「Rさん、どうしたんです。プロポーズした方が泣くなんて。」
もちろん悲しい涙ではない。 今、姫は、女性として生きる未来を自ら語っている。
それは、姫が俺と、そしてこれから生まれてくる子供達とずっと生きていくという、
確固たる意思表示。 伝説の天女が自ら羽衣を脱いでくれたのだ。
それがどうしようもなく嬉しくて、涙が止まらなかった。
「泣かないで下さい、Rさん。」 俺の背中をさする姫の手。温かく、柔らかい感触。
「御免なさい、もう、大丈夫です。」

白い雪。立ち止まった俺と姫を包み込むような。

 

 

『名残雪』 完
藍物語シリーズ【全40話一覧】

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