スカッとする話【短編 – 傑作選】まとめ – 全5話
ブレーカーを落とす
独り暮らしをしていた学生時代、実家暮らしで家でゲームしてると親がうるさいからと
うちのアパートにあがりこんでテレビゲームをやっていくやつがいた。
本体もソフトも持ち込み、食事は持ってくるが弁当ではなく調理器具を使うものばかり。
その日も冷凍食品のパスタとトースターで焼くチキンとカップスープを持ってきた。
うちのアパートはアンペアが低くて、電子レンジとトースターと備え付けの卓上IHを
3つ同時に動かすとブレーカーが落ちてしまう。
どれか2つならセーフというのは身をもって経験していたので、
湯を沸かしながら先にチキンを焼いて……と準備していたら
「パスタとチキンを一緒に温めないと食べるとき冷めるだろ」
とゲームしながら文句を言ってきたので
お望み通り3つ同時に調理器具を動かして食事の支度をしてあげた。
RPGのレベル上げに専念していたらしくてなんか発狂してた。
「あれー、いつもなら平気なのになー」ととぼけて追い出し、
二度と家にはあげなかったよ。
些細な喧嘩
高3の春に(引退直前)部活の友人Aと喧嘩。
思わず掴みかかってしまい顧問に阻止されその後学校から呼び出し&停学。
わたしが悪いけど、高校生同士の些細な喧嘩にちょっと厳罰すぎじゃないかな?と思ったら
Aとその親友Bが先生にかなり誇張して話していた。
わたしからしたらこのふたりは友情というより癒着にしか見えなかった。
当事者と第三者の両方の話が完全に一致(口裏を合わせているのだから当然)し
先生はわたしから話を聞くこともせず。
わたしは理由なくAを殴りつけ、ふだんからAに暴力を振るっていたことになっていた。
部活も退部させられた。
停学が開けたのち、AとBによって噂は完全に広まっていて
わたしの話を信じてくれたごく少数の友達だけを心の支えに
教師やクラスメートの冷たい目に囲まれながらも受験勉強に打ち込んだ。
もともと比較的上位にいたので、無事第一志望の旧帝大に合格。
AとBは第一志望に落ちて
A→なんとかんとか大学(聞いたことがなかったがFランらしい)
B→うんたら専門学校(DQNの聖地とか)
何が仕返しかといえば
・数少ない友人のひとりに頼みAとBがこんなことをした理由を詮索
→Aより成績がいいわたしをよく思っていなかったらしい。
3年生は成績順にクラスが分かれるのだけれど、わたしは1番上。Aも志望していたが入れず。
・同じ友人に、わたしのテストの点数や模試の偏差値・判定を伝えてAやBの耳に入るようにしてもらう。
友人いわく、それを聞くたびAは顔を歪ませていてBは毎日それを慰めていたと。
Aのために勉強する時間を削って夜な夜な電話していると自慢していたらしい。
(つまりAとBは毎晩電話:勉強せず)
・センター直後とどめに「センター89%だし、足切りは免れそう笑」と
Aが聞いているのもAがセンターこけて第一志望を目指すことすらできないのも知ってて
喋ってみた。たぶん泣いてた。
正直これだけのことでAもBも自滅してくれたのには驚いてる。
失ったものは大きかったけれど、これから先の人生でAやBには手に入らないものを手に入れていけると確信してる。
お前に趣味を楽しむ権利はない
母が兄のゲーム、漫画、同人誌、パソコン、スマホを一つ残らず没収した
兄は唾が飛ぶぐらい叫んで半狂乱で母に詰め寄ったんだけど母に叱られた途端に大人しくなった
兄は高校に入った頃から急に人を馬鹿にするのが好きになったんだよね。標的は主に私。
ブスとか老け顔とかデブとか言われたり、俗に言う甘ロリ系の服を着たら「オタサーの姫」
「その顔でwww」とか言って馬鹿にしたり
私が廃墟にロマンを感じて廃墟の画像を集めたら「サブカル女きめぇwww」とか罵られたり、
LINEに友達と行ったカフェのケーキと紅茶の写真を載せたら「自意識過剰な地雷女」みたいなコメントされたり
何かを楽しむ度に兄に馬鹿にされることが一年ぐらい続いて家に帰るのも嫌になった
母に相談したかったけど仕事と家事で忙しそうな母の重荷になりたくなくてずっと我慢してた
だけど兄の顔を見る度に気分が悪くなって、これもう我慢できそうにないなって思って母に相談した
私から相談を受けたことを兄に伝えて、上記の嫌がらせが真実かって兄に問い質して確認して
「人の趣味を馬鹿にするお前に趣味を楽しむ権利はないよ」
って兄を静かな声で叱ってくれた
兄は反論せずに自室に帰っていった
今はすれ違う度に「死ね」って低い声で言われるだけになって平和に過ごせてる
私のために動いてくれた母にはいくら感謝しても足りない
生徒を見下す教師
自分が通っていた県立高校では成績上位40人とそれ以外にクラス分けするいわゆる習熟度別学級がある学校。
入学1年目こそ上位に入っていたが、そこの担任(現国担当)が少なくとも自分にとっては問題のある教師で、
何かにつけて嫌味を言い、常に尊大な態度で、授業で答えを間違えようものなら「ハァ~?」と生徒相手に見下す人だった。
ちなみに上位クラスの担任は3年間固定なため、このままいけば3年間精神攻撃を食らい続けなければならない。
ウンザリした自分は進級前の進路希望で下位クラス入りを希望するものの、それが担任の気に障ったのか放課後呼び出されるハメに。
いわく「そんなに俺が嫌か?」「上位から下位に落ちた奴でMARCH以上を受かった奴はいない」「まっ、別に行ってもいいけどな(笑)」
ウゼーと思いながらも、「それで構いません」と晴れて(?)2年から下位クラスに。
下位クラスの現国担当は新任の女の人だったので元担任と関わる機会も減り、2年目、3年目の担任との関係も良好だった。
ただ、進路を考えた時にニッコマ辺りの指定校推薦で手を打とうものなら元担任が「それ見た事か」と、
ほくそ笑むのだけは癪だったので、一般受験に切り替えた上で某大手予備校へ通う事に。
業者じゃないけど予備校って凄いね。学校の授業がアホらしくなるくらい教え方が上手い。
元担任はあんなところは受験テクニックを教える所だと批判してたけど、全然そんな事は無かった。
で、勉強した甲斐もあって無事にMARCHの中で3つ合格(ただ、なぜか滑り止めが落ちる)。
ウキウキしながら結果を報告すべく職員室へ入る自分。
下位クラスでは快挙だったので、その場にいた先生達から祝福されるが、
元担任だけは無視を決め込んで机の上で黙々と作業をしていた。
それを見て元担任へ駆け寄り、目の前で両腕挙げてガッツポーズ。
元担任は一瞥して「あっ、そ」と言うと再び無視を続けるも、頬がプルプル震えてるのがハッキリと見て取れる。
1年の頃は小馬鹿にされ続けてきたから、怒りを抑える元担任目の前にして心が晴れやかになった。
母のいない場所で幸せに生きる
母に教えている連絡先はヤフーメールだけ。
近頃母からかなりの頻度でメールが届くようになった
内容を要約すると
「風呂場で転んで足を悪くして息子の嫁に世話されるようになってから虐められている。
背中や尻など見えない所を抓られたり耳元で悪口を言われたりする。
トイレの介助が面倒だからと言われて食事は一日に一度だけ。息子に言っても聞き流される。助けてほしい」
幼い頃の私に「出ていけ」とか「産まなければよかった」と言ったり、
門限に遅れると私だけ締め出して弟だけ家に入れたりと、
最初に私を疎んで拒んだのは母の方なんだよね
だから今更求められてもどうすればいいか分からない
厳しくするなとは言わない。多少の暴言も当時の母の境遇を思えば少しは許せる
けれど同じ腹から生まれた子供なら平等に愛してほしかった
メンヘラだった私を根気強く支えてくれた夫と義理の両親、娘だけが私の家族だと思う
母のいない場所で幸せに生きることが結果的に母への復讐に繋がる。世の中ってよく出来たものだと思う。
というかパソコンが使えるなら自分から福祉関連の窓口に高齢者虐待の相談すればいいのに。馬鹿なのかな。
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